FESTIVAL D'AVIGNON

アヴィニヨン演劇祭公式ガイド 04


■OFFの参加〜観客・上演

 毎夏のアヴィニヨン演劇祭。主役は招待公演の"IN"であろが、市
街全域を賑すのは自由参加部門の"OFF"である。仏内外から450もの
劇団の参加だ。

 INの一部には予約が要るが、OFF は全て開演前に劇場でチケット
を買う。80F〜90F が殆どで、期間中有効の75Fの割引パスポートを
入手すれば約30%引になる。パスはアヴィニヨン駅前のRepubulic通
りの観光局か、教皇庁広場前のオフの事務局ですぐ入手できる。

 観客ではなくパフォーマーとして参加するなら、OFF の参加に劇
団のキャリア/上演規模/言語/等々の制限はない。OFF の理念は
「平等」。参加の機会、条件、プログラムの割振りスペースも皆「
平等」だ。右記の住所に資料を頼もう。

 劇団はまず主催者に、プログラムの原稿を届ける。作者や演出家
などの名前と簡単な作品構成だ。その年の4月1日が期限で、遅れる
と5月15日配付の仮プログラムに掲載されなくなる。作品解説は400
文字以内。越えると送り返される。演劇以外のジャンルの、ダンス、
子供向演劇、大道芸等も同じだ。しかし演劇部門では、「存命作家
作品」など重点的に 600字以内の場合もある。そして写真。文字数
との兼合いとレイアウトにより、2〜3cm四方の紹介写真となる。

 また、公演チケットの値段は各劇団で決められるが、先の割引パ
ス用の約30%の割引料金も設定する。

 そして参加費用だが、まず会費が 1990F。加えて15枚の割引パス
ポートの購入義務もあり、これが 1125F。パスは観客に転売もでき
るが、当面合計3115F (475EURO)の支払いとなる。

 上演する劇場は、小劇場から教会、カフェ等の仮設劇場まで、市
内外に約 100ケ所点在している。劇場リストを見て劇場と直接契約
するのだが、朝10:00開演から所により深夜11:00開演まで、2〜3時
間ごとに雑多な劇団が各劇場でフル回転するので貸し切りではない。
毎回慌しい上演という覚悟が必要。また宿泊施設として、学校の寮
の開放もあるが、申込みは各自なのでこれもお早めに。

 演し物の質というと、仏の観客はつまらなければ中座は当り前で
ある。上演に明確な方向付けがないと、参加しただけの閉鎖的なお
祭騒ぎになってしまう。

 アヴィニヨン演劇祭は現代演劇の先端としても機能してきた。見
る側も演じる側も、深層に今日的な挑戦がある時にこそ、深く「参
加」できるだろう。

[野崎夏世/杵渕里果]
 
 

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オッフの闊達 自由なオッフ

松原  道剛

 アヴィニヨン演劇祭の正式招待公演に対して、フェスティヴァル
・オッフは自主参加だと説明されている。しかしこの期間中、この
中世の城壁で囲まれた街やその周辺(オッフ・オッフ)で公演するグ
ループや個人は、どこに参加するのだろうか。もちろんオッフの事
務局というものはあって、これらの公演の大判のプログラムを大量
発行、無料配付しているが、あとは共通のアデラント・カードとい
う有償の割引パスを発行し、これらの公演に対して割引料金を設定
するように求めているだけである。

 一方、アヴィニヨン演劇祭の事務局はそのような活動に対しては
何もしないし、あえていえば無視している。だから彼らはオッフな
どという言葉を使わないし、自分たちのことをインなどというわけ
ではない。フェスティヴァル・ダヴィニヨンは一つしかないのだか
ら、そのような区分けをしているのは、私たち観客や一部のメディ
アに過ぎない。ル・モンドでさえ「オッフとはオフィシャルの省略
形だと思ったら大違い」などとからかってみせる。

 しかし、アヴィニヨン市内外の 95の劇場(ホールは複数あり)で
450あまりの劇団が539種もの作品を、ごくわずかな例外を除いてフ
ェスティヴァル期間中、毎日、同時刻に上演し、全体で延べおよそ
60万もの膨大なキャパシティーを有するこれらの活動を誰も無視で
きないであろう。

 また個々のポスターやちらしも制限されている正式招待公演に対
し、ほとんどがメディアを利用できないオッフでは、ポスター貼り
はもちろんのこと「街宣」と称する公演の合間をぬってのビラ配り
から、パレードや大道芸といった活動が、いかにこのフェスティヴ
ァルの活気をつくっていることか。この二つの組織の事実上の表面
的な対抗意識も、実のところ共生なのだと納得せざるをえない。そ
れと同時に公共のテアトル<演劇/劇場>と民衆のテアトルとの関係
を考えざるを得ない。J.ヴィラールが、民衆演劇の理念として具現
化しようとしたのはどっちだったのだろうかと思ってしまう。

 そして、この賑わいのなかで、演じる側も観る側も、ここには芝
居好きが集まっているとはいえ、他の人々のやっていることにも関
心をはらい、心を開く。というのはあたりまえとはいえ、それだけ
ではすまされない一面があるのだと思う。私個人としても、街中の
いたる所であらゆる場面で手渡されるビラを受け取りながら、なる
べく説明をきくようにした。今年のプログラムでは存命作家と物故
作家に区分けされていたので、書いた人は生きているのかときくと
それを配っている人だったり、写真を見ると主演の女優も同じだっ
たりする。劇団があり、作家はそこでやる芝居の本を書いているの
だろうが、反対から見れば書きたい物語があって、それを出版する
よりもここへ来てオッフで上演するほうがてっとり早いのかもしれ
ない。そうすると私たちの考えている演劇を根底からひっくり返す
ようなことかもしれないと思ったりもする。

 また演劇見本市の側面ももちろんある。ヌーヴェル・オプセルヴ
ァトワールによると、フランス国内の劇団がアヴィニヨンにやって
くるのに平均15万FF(300万円)かかり一種の賭けだともいう。一方
ヴァル・ドワーズの劇場のディレクトリスへのインタヴューとして、
昨シーズンのプログラム7本のうち、このオッフで選んだのが3本を
占めていると紹介されていた。

 このフェスティヴァル・オッフは1966年にA.ベルナデットが、演
劇祭とは別に自主公演を始めたことから派生したといわれている。
パリからこの地に移り住んだ彼はテアトル・デ・カルムという劇場
をもっていて、今年も 2本の公演を行っている。ここしばらくイン
は見ていないと、いまだ闘志が冷めやらない様子だったとか。また
、テアトル・デ・ザルのA.ティマールも堅実な活動を続けているよ
うである。その他G.ジェラスのシェヌ・ノワールなどが古くから活
動している劇場である。P.ディスは、13世紀のテンプル騎士団礼拝
堂を劇場に改修したプチ・ルーヴルで2本の公演を行った。

 個人的には今年はインをたくさん見過ぎているという反省は当初
からあって、マス・メディアを介さない情報交換をしながらオッフ
を楽しむという醍醐味を味わえないでしまった。

 パリに戻ると、ヴィトリ・シュル・セーヌで『私たちはアヴィニ
ヨンへは行かない』という一連の催しをやっていた。それだけアヴ
ィニヨンの存在は大きいということだろうか。
 
 

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