FESTIVAL D'AVIGNON

アヴィニヨン演劇祭公式ガイド 02


■1999年のアヴィニヨン演劇祭"IN"

 今年で第53回目になる演劇祭は、7月9日から31日まで開催される。
招待公演である"IN"。本年のテーマは<南アメリカ特集>だ。全46演
目中<南米>が11、演劇が25、ダンスが10公演ある。

 まず<南米>でその郷土色の強そうなものから。ブラジル・ペルナ
ンブコ州の多民族文化のイメージを混合させた『ペルナンブ』 (作
演出 A.ノブレーガ)。中心会場教皇庁中庭上演では『タンゴ、ワル
ツとタンゴ』(A.M.ステケルマン振付)。これはオリジナルのタンゴ
の変遷→ブラジルの19世紀ワルツ→ピアソラ音楽で現代的アレンジ
のタンゴ。またチリ劇団ラ・トロッパによる『双児』はA.クリスト
フ『悪童日記』の神話的な翻案。他にアルゼンチンからE.T.A.ホフ
マン『砂男』の翻案、F.カフカ『変身』とソポクレスを足した『ズ
ーオイディプス』、ブエノスアイレスを舞台に『ハムレット・マシ
ーン』(上記3作D.ヴェロネーゼ他演出)がある。その他今世紀初頭
のアルゼンチン作家R.アルトの戯曲から『誰がお前をこのようにし
たか』(E.ヴァランタンの人形劇混在の演出)。

 欧作品では、シェイクスピア作品が 4つ予定され、教皇庁中庭で
の開幕が J.L.ブノワ演出『ヘンリー・』。   パースの狂った舞台
や若い説明役の介入で、王に放蕩者としての過去を設定する。その
放蕩時代を扱った『ヘンリー・』 (Y.J.コラン演出。他にG.ド・ケ
ルマボン演出『リチャード・』。また作品舞台のイタリアからは『
テンペスタ』(G.B.コルセ ッティ演出、伊語上演)がある。
 ベルリン・プログラムとしてバラッケ劇団が、B.ブレヒト作『男
は男だ』、R.ドルセール作『ベルトの下で』、M.ラヴェンヒル作『
ショッピングとファッキング』をいずれもT.オステルマイヤー演出
で上演。

 また『誰もメデューサと結婚しない』振付のアルバニア系仏人A.
プレジョカール、『湾岸』作演出レバノン系ケベック人 W・ムワッ
ドといった移民文化的存在は、この国際演劇祭の深さだろうか。

 最後に、ボスニア侵攻に取材したO.ピィ作演出『スレブレニカへ
のレクイエム』。軍人や政治家、ジャーナリストの証言で構成され
た女声3人の嘆願による上演。 J.ドルキュヴェルリ演出『ルワンダ 
1994』はその大量虐殺事件を引いた西欧 -アフリカ両現代視点の仮
想記事を混成してのドキュメント演劇。

 この活況が、演劇の先進国なのだろうか。ところで来号は、"IN"
また"OFF"の現地からの報告を掲載予定!

[杵渕里果]
 
 

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フランスのシェイクスピア アヴィニヨンのシェイクスピア

松原  道剛

  "フェスティヴァル・ダヴィニヨン"は1947年に『リチャード2世
の悲劇』によって始まっている。しかしこれは他の作品を依頼され
たJ.ヴィラールが広い教皇庁中庭を見て、このシェイクスピアを提
案したのである。このときは1週間に3作品が上演されたにすぎない。
時期も9月の始めだった。

 16世紀後半から17世紀始めにかけて37本の戯曲を書いたとされる
この英国作家の作品が、隣国にもたらされるためには一筋縄でいか
ない年月がかかっている。フランスでのシェイクスピアを発見した
のは、自発的にロンドンに亡命していたヴォルテールの『哲学書簡
』(1734)であり、この戯曲作家の死後、最初の全集刊行から1 世紀
以上ものちのことである。作品の翻訳となるとさらに時間がかかり、
4 巻の作品集が1745年、フランス語版全集は1783年にやっと出版さ
れている。

 全集と並行して、フランス語による舞台化もコメディ・フランセ
ーズの有名な俳優タルマの協力のもとに、J.F.デュシスによって精
力的に試みられた。しかし古典主義的傾向の強く残る当時のフラン
ス演劇界への適応は困難をきわめ、数回にわたり書き直された台本
では傍筋をカットしたり、登場人物を創出したりと原作と懸け離れ
た改作が数多くみられる。

 19世紀に入り、 3回の英国劇団の原語によるパリ公演では、リア
リスティックな演技とともに、戯曲の原作の姿がやっとフランスの
聴衆の前に登場した。そしてスタンダールやユゴーなどによって、
シェイクスピアは神にまつりあげられ、古典主義に対抗してフラン
スにロマン主義をもたらせたといわれている。世紀後半の「俳優の
時代」のM.シュリーやS.ベルナールによるハムレットの活躍も特筆
される。

 今世紀に入って少しずつ作品の舞台化が実現するが、1962年ポー
ランドの演劇評論家J.コットの前年に刊行された評論集が『シェイ
クスピアはわれらの同時代人』という魅力的な表題とともにフラン
ス語訳され、1968年の五月革命以降、さまざまな演出家によって本
格的に取り上げられている。コメディ・フランセーズの外国作家の
上演回数では1900回ほどともっとも多く、続くゴルドーニの806 回
の倍以上になっている。

 アヴィニヨン でも 60年代以降、シェイクスピア作品の重要な公
演が数多く行われている。今日の多彩なプログラミングの発端とな
った1966年には、 R.プランションの『リチャード3世』を上演して
いる。72年にはコメディ・フランセーズが、英国人T.ハンズの演出
で同じ作品を上演、77年にはB.ベッソンがベルリンから『デンマー
ク王子ハムレットの悲劇』をもってきている。

 80年代に入ると1981年にはD.メスギッシュが『リア王』で登場し、
太陽劇団のA.ムヌシュキンが次々にシェイクスピア作品に取組み、
84年には『リチャード2世』『王たちの夜』『ヘンリー4世』の3 作
品を上演する。同じ年には G.ラヴォーダンが『リチャード3世』を
演出。翌年にはJ.P.ヴァンサンが『マクベスの悲劇』で参加し、88
年にはP.シェローが『ハムレット』を上演している。

 90年代に入って、昨年は6つの演目が並んでいる。そのなかで4つ
の歴史劇を2セットとも集め、8作品を一つの舞台に創りあげた『私
の領地は私の身丈分しか残っていない』(演出M. ウィジュカール) 
が上演されている。ある意味では非今日的な大作主義ともみなすこ
とはできるが----そしてフランスの観客には 3時間45分の上演時間
のなかで外国王家の系統図を追うのが精一杯といった評も見られた
が----このような試みも、フェスティヴァルという祝祭にとどまら
ない場のもつ磁力なのであろうし、たとえ年代順の執筆でないとし
てもシェイクスピア作品のもっている構成力によるものなのであろ
う。この試みは今年9時間にわたる『ヘンリー4世第1部第2部』一挙
上演という形で引き継がれる。

 テクストはプレテクスト(口実) にすぎないなどとまでいわれる
「演出家の時代」における上演台本の再構成を改竄に過ぎないと否
定する前に、あるテクスト(夢)の舞台化(現実化)はレアリザテゥー
ルとも称せられる演出家を中心とした再創造であるという認識をも
う一度思い出す必要があるのだろう。そして今日の舞台と演出のあ
りかた、テクストと翻案の位相を考察するときに、このフランスで
のシェイクスピア受容の道筋を再確認することは有意義なことだと
思えるのである。

 
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