デトニのお気軽写真館3

定期路線のボンネットバス

瀬戸内バスの旅

2001-3-31アップ

この写真に登場する呉、倉橋島、呉市交通局(市電)の車両が今でも活躍する松山の町をはじめ、この度の「芸予地震」に遭われた方々に、心からお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

 

就職4年後の1984年3月18日、恒例の「広電詣」に加え、風前の灯火となったEF58牽引の呉線経由の荷物列車撮影に絡め、当時でも唯一の「ボンネットバスの走る定期路線」が健在だった呉市交通局を尋ねることにした。流石に、「駅前」から発着する路線からは姿を消し、市内の警固屋(けごや・・・何と「軍都」らしい地名!)営業所から「音戸大橋」を渡り、倉橋島の「藤の脇」までと、そこから島内の「早瀬大橋」(隣の能美島へ通じる)までの間合い運用が残っているだけでした。そもそも、この「情報」を何で知ったか覚えていませんが、ずうずうしくも営業所に直接電話をして(<m(__)m>)時刻をお聞きしたと思います。終点からは、高速艇で広島の宇品港まで。そこからは広電へ・・・。誠に楽しい充実した「瀬戸内小旅行」でした。本日(3/31)も、雨のため呉市内の急傾斜地に避難命令が発令されたそうです。お花見どころではありません。重ねて、お見舞い申し上げます。

警固屋車庫にて、既にナンバーがはずされ休車状態のボンネットバス。ヘッドライトなど破損がある。

同じく、休車状態のバス。こちらは、方向幕のみで系統番号表示が無い。大きく突き出たミラーやライト周り、標識灯なども左と異なる

ずらり並んだ「キャブオーバー」の中で異彩を放つ。収容力の点で劣るのは否めない。

運転台周辺。やはり、現代のバスと比べ、一番違和感のある空間ではないだろうか。前面窓4枚は全て開閉可能である。左の銘板は「Isuzu Body」とある。

ハンドルの取り付け角度も、乗用車並である。音戸大橋への取り付け部のループを走行する。

ビニールレザーのロングシート、「ニコニコ」の後部窓が懐かしい。

終点、藤の脇(正面方向幕は既に変わっている)に着いたボンネットバスIs682号。やはりバスは、客用ドアのある側から撮るのが「筋」だ。

倉橋島内の区間運用で、走行写真まで撮れました!いかにも、日本的なのどかな風景です。しかし、この度の地震では大丈夫だったでしょうか?

Is682の正面に24ミリレンズで迫る。結構、ユーモラスである。この顔は、消防車でもおなじみである。形式「Is」は、いすゞか?

帰路に広島宇品港まで乗った高速船。「瀬戸の花嫁」が聞こえてきそうなのどかな風景である。

※このページの写真は、縮小後にシャープマスク処理を施しています。

本ページ写真撮影時の「旅行記」は、未発掘で、バスについての記録・記憶・知識も定かではありません。誠にお恥ずかしい限りですが、バスの形式などについてご教示いただければ幸いです。

共通データ:アサヒペンタックスSPF SMCタクマー 24(3.5)・35(3.5)・55(1.8)・85(1.8)ミリ PX(Microdol-X 1:3 21℃11分現像)


写真館2へ戻る     写真館4へ     メニュー&リンク集