西武の部屋
その2・文化祭を前に:C
サイト開設2周年記念?「形式写真」のようなもの
訳の判らない写真ばかり撮っていた私も流石に「文化祭」というと、やはり・・・当時愛読していた『私鉄電車ガイドブック』や『P誌私鉄車輌めぐり』のような「形式写真」とまでは行かなくても、各車輌の紹介のような写真を撮りたくなったようです。ネガには・・・【西武車輌カタログ用】などという表記が残されています。 何とマア、笑える表記ですが・・・やっとある程度「目的」を持った撮影に望んだ記念すべき写真かも知れません。 当時から「101系と5000系、それに501系以外は新宿線」という印象が強かったこともあり、撮影場所は新宿線・・・それも、自宅からは最も近い新井薬師前駅が選ばれたようです。31年を経た今でも余り変わっていないことにまず、驚かされますが・・・相対ホームな上に、カーブしているのが気に入ったのでしょうか? このカーブが、今となっては曲者≠ナ・・・満足に後ろまで写っているのはたった1枚(-_-;)。フレーミングも中途半端なものばかり! 隣の中井駅(これまた、今も昔も余り変わらない!)で撮っていればな〜と反省しきり。。。 ともあれ、今となっては懐かしい写真ばかり・・・「形式写真のようなもの」をご覧下さい。
※車番はスキャン原画(縮小〜圧縮前)の部分拡大により判明したものです。
クモハ554を先頭にした6連。私鉄高性能車も、百花繚乱の1961年製造。スタイルは湘南≠フ西武流アレンジ第一号とも言うべき好ましいものだが・・・中身はTR14A台車、PS13パンタ等々・・・正に大正国電&タ!
西武園行きの休日急行として通過する、クハ1714ほか701系。クハの台車交換(⇒FS072)はまだ始まったばかり。特に、この1714は一番後までTR11のまま残った編成。701系からは前照灯が窓下2灯になり、オデコに大きな方向幕を持つ独特のスタイルとなり新湘南≠ヘここに完成の域に達した。101系がモデルチェンジされるまで、グループ合計で約500両を擁する「西武の顔」となった。写真の初期車はシールドビーム未装備で、乗務員室扉のツカミ棒も露出している。
1962年、西武にも漸く新性能車≠ェ登場しました。それがこの601系です。すっきり後ろまで撮れた記念すべき1枚!私の持つ601系の写真でも“もっとも原”なお宝です。 新性能≠ニいっても、クハの台車は大正浪漫?のTR11、ブレーキもオーソドックスな自動空気ブレーキ(ただし、当初からレジン制輪子装備)だけでした。701〜801系が後年、台車交換だけでなく、冷房化やブレーキの近代化が行われたが・・・この601系は601系として°゚代化されることは終に無かった“不運の電車”である。電動車は701系6連化の増結車として編入され、クハの方は・・・ツリカケのクモハ451と組んだり・・・最後まで冴えない生涯でした。
しかし、↑↑の551系と共に車体側面のナンバーはステンレス製を奢っていて、白黒写真では車体色と同化しているのが判ります。しかし・・・いつの間に標準化≠ウれてしまったと思います。
これまた、原形を留める411系後期車クモハ428+クハ1467・・・と、それに続くクモハ451形とクハ1411形、4形式4両の【拝島・多摩湖】行き。サボが懐かしいですね。411系は、新性能の701系と801系と同時期に製造され(車体各部の相違が連動している)ながらどちらも「西武伝統の旧態依然とした足回り」に戻ってしまった(;O;)。中身だけでなく・・・前照灯も1灯に戻されてしまっているのが悲しいですね! 2連のために「M-T」での新性能車の設計を、面倒くさがった?というが・・・上信電鉄には1M方式の新性能車を提供しておきながら、なんとも「歯痒い電車」でした。411系グループは、晩年は「新401系」として、全電動車編成の新性能・冷房車に、華々しく生まれ変わりました。
こちらは801系です。上の411系後期車同様の雨樋周辺の処理がされています。何と言っても、クハ1801形の履いているFS067台車が光ります!僅か5編成20両の製造に留まったが101系登場前は“編成中にイコライザ式台車が存在しない”・・・ピカイチの存在でした。外観上の最大特徴は、雨樋が屋根側に上げられ、側面と「面一」になったことです。最近、101系159編成が“赤電塗装”に復活したのを見て、多くの方が「072を履いた801だア!」と感じた様に、車体の細部は101系に受け継がれた。上ゆれ枕≠フあるFS067は、後に出たツリカケ駆動用空気バネ台車FS40と同じ構造です。特に、ポイント通過時の安定性の良さが印象に残っています(一体全体この台車・・・何処へ消えてしまったのか??)。目立たないところ?では、ブレーキ方式が電磁吸排弁付きの「AMA−R」に変更され、多少高性能っぽい<uレーキ排気音でした。
こちらは、701系クハ1728を先頭にした4連の田無行き。完成された変形湘南≠ニTR11(A)のコントラスト、スタイルに似合わぬ重苦しいジョイント音がまだ耳に残っています! 今、気が付いたのですが・・・連結器の右横床下の丸いモノは何でしょう(?_?) 当時の新宿線は701系でも若い番号が多く配置されていました。クハの台車のFS072への換装は、後期車から開始され・・・必然的に池袋線に多く配置された。
これまた「拝島・多摩湖行き」でやってきたのは411系の前期車クモハ422(+クハ1461)+クハ1471形+クモハ451形の4形式4連≠ナす。ご覧の通り雨樋の形態や乗務員室扉周りの処理は、同時期の701系に準じています。
当「西武の部屋」のトップにも登場した、351系4連です。クモハ354+サハ1414+サハ1413+クモハ353の、17m・20m混成です。クモハ351形は、旧クモハ501として所沢工場(西武復興社)で(車体だけですが)完全新製されたはじめての湘南形≠ナす。現在も1両が横瀬に復元保存されていることは有名です。同時期の大手他社に比べ、取り立てて特徴の無いクルマですが・・・やはり西武にとっては忘れられないクルマです。製造された1954(昭和29)年といえば、大手私鉄がほぼ一斉に「高性能車」をデビウさせた記念すべき年でした。。。
どの写真も、床下の覆い焼き処理≠ヘ全くしないにもかかわらず、床下機器がどの写真も結構綺麗に出てくれました。
1971−10−24 西武 新宿線 新井薬師前
ペトリV6 ペトリ55ミリF1.8 トライX