西武の部屋

その2・文化祭を前に:B(「意味不明」or「芸術」?)

続いて、お目にかけるのは夏休みも終わった9月14日・・・確か、学校が終わり帰宅後に夕方の 保谷〜ひばりが丘間に出撃した時の記録です。純真?な中学生にとって「保谷検車区」の“敷居”はまだ高く・・・この区間を選んだ理由は「大カーブ」「PCマクラギ敷設区間」だったと思います。前者はともかく後者は・・・変わっていますね!

そして、「夕方」を選んだのは・・・ただ単に、遅くなっただけなのか?或いは、果敢にも“狙った”のか・・・思い出せません。


「保谷検車区」の表記も懐かしいですね!中に入るなど、考えも付きませんでした。車輌は、出区準備中のクハ1784です。当初から、シールドビーム装備で、乗務員室扉脇掴み棒が一体の後期形です。クハの台車も比較的早い時期にFS072に交換されました。左端には、まるでローカル私鉄のような木造の建物がありますね!

全ページの桜台と同じく、乗務員の服装・・・この年の秋の訪れが早かったことが伺えます。標識灯の明るさからも、すでに夕闇が迫っていることが判ります。

線路上に、まさに飛び降りようとしている乗務員さん・・・この時代は、乗務員用の通路もほとんど整備されていませんでした。約120センチの高さから連日飛び降りることは・・・腰には相当な負担がかかっていたようです。「或る運転士」が“椎間板ヘルニア”で長期入院を強いられたこともありました。「現場」からの強い要望により、現在では乗務員用通路が整備されました。・・・形式写真が撮りにくくなったことは事実です。


とにかく夕闇迫る中、ひばりが丘に向かって歩き始めました。「大カーブ」といっても・・・決して撮りやすいところではありません。その証拠に・・・コレ以後・・・31年後の今日まで一度もこの区間で撮ったことがありません。

↓イキナリ出てきたのがこの“意味不明写真”です(?_?);;;半鋼製サハ1501のプレスドアが判るだけで・・・許してくださいm(__)m


次にお目にかけるのが“本邦初”の鉄ちゃんアングルです!?

家路を急ぐ人々を乗せ、「大目玉」を燦然と光らせて・・・フルノッチ“かすれツリカケ音”を響かせ快走する451系6連+クハ1411+クモハ351の8連急行 飯能行きです。私鉄初の、朝ラッシュの10連運転は1963年から実施していたが・・・夕方ラッシュでは運行されていませんでした。

実は、この写真・・・“縦位置”で撮影され・・・下方には、地面と線路が沢山写っているのを、トリミングしました^^;当時の西武ではまだ珍しかったPCマクラギを強調したかったのでしょうか?砕石道床やコンクリート製架線柱の導入も、この区間が早かったですね!ネガの傷も、ご愛嬌。。。


上の場所から反対(ひばりが丘)方面を見たところです。一段と、暗くなりましたね。よくぞ!撮ったものだと思います。当時の写真屋現像は、一般的にかなり“押し気味”だったと思います。実効感度はどれくらいでしょうか?

クモハ351+クハ1411・・・その後ろは、PS13が二基並んでいます。551系の4連ですね!?

小手指行きの行き先板は、駅開業に合わせて後から造られたために素っ気無い感じがしました。


↓・・・この2枚は・・・やはり“狙った”んでしょうか??それとも、単に“来たから撮った”ものなのか・・・撮った本人も(?_?)

↓・・・う〜ん!凄いっ?


そして・・・「文化祭」で唯一・・・イヤイヤ!「生涯ただ1回」“全紙パネル”に(写真屋さん外注です^^;)引き伸ばされた写真(実家で健在です)が・・・↓・・・コレなんです。題して

「特急通過待ち」

露出は確か「1/60sec.開放」だったと思います。

1971−9−14

ペトリV6 ペトリ55ミリ F1.8  トライX


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