行ってきました!

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2005年 12月 13日 守屋山
10日〜11日 富士山雪上訓練
11月 30日 御座山
26日〜27日 阿弥陀岳南稜ビバーク訓練
22日 秩父槍が岳
19日〜20日 五竜岳
7月 5日〜6日 鳳凰山塊 薬師岳と観音岳
2日〜3日 奥秩父荒川水系 滝川支流豆焼沢
6月 28日 鍋割山
26日 多摩川支流 日原川源流の唐松谷
22日 鷹の巣山と千本ツツジ
18日〜19日 笛吹川東沢釜の沢東俣
14日〜15日 甲武信岳から十文字峠
5月 24日、25日 天狗棚山、唐松尾山と黒槐の頭
17日〜18日 丹沢主脈全山完全縦走
11日 川苔山
3日〜5日 水晶岳
4月 29日〜5月1日 毛勝三山縦走
26日 節刀が岳と鬼が岳
13日 お坊山
9日〜10日 初雪山
5日 浅間尾根と浅間嶺
2日〜3日 甲斐駒が岳・黒戸尾根
3月 29日 御坂山塊の北端・大沢山から笹子峠
12日〜13日 鳳凰三山の観音岳と薬師岳
9日 谷川山麓・マチガ沢と一の倉沢 スノーシュートレック
5日〜6日 二年越しの焼岳
2004年 7月〜10月の「行ってきました!」へ
5月〜6月の「行ってきました!」へ
3月〜4月の「行ってきました!」へ

守屋山 

・12月13日(火)  ・天候  頭上は快晴。回りの山は雪雲の下
・行程 三鷹駅(マイカー)杖突峠〜アカエ沢水源〜守屋山東峰〜守屋山西峰〜アカエ沢水源〜杖突峠(マイカー)三鷹駅

諏訪湖の上に美しが原から霧が峰が光っていた
諏訪湖の上に
美しが原から霧が峰が光っていた
 「日本で一番、日本百名山の沢山見える山!」とのうたい文句で毎回行っている守屋山。だけど、去年から公私を含めて3回行っているのに、まだ一度も360度の南北中央のアルプス、八ヶ岳の大展望を見ていません。今回も・・・強烈な冬型に東京付近は快晴!だけど甲府盆地から見上げる南アルプスは頂上付近に分厚い雲をかけて、ウーン!残念。冬型の最初の時は、雲に隠れていても、最も最初に顔を出す鳳凰三山も今回はガスの中。八ヶ岳も、ここだけは顔を出すはずの権現岳も濃い雲の中。でも、山以外の部分は見事な青空。小淵沢を過ぎると両側の草原や畑も全て雪の下。久しぶりの早い雪景色です。そして杖突峠。茅野と高遠を結ぶ幹線道路の上もツルツルに凍った中々の怖い道でした。そして、守屋山。標高1600mちょっと。けして高い山ではないけれど、点々と付くウサギの足跡以外は人さまの足跡は一切無し。冷たい空気にキュッキュッと鳴る雪の音を楽しみながら歩きました。かつて、僕が高校生の頃には、たしかに草原だった守屋山の山頂付近もカラマツの植林が目立ちすぎる感じですが、それでも、山頂に飛び出す瞬間の眩しいばかりの明るさは、この山の最高の見どころです。東峰から西峰。その間は昔ながらの守屋山の良さがあります。そして真の頂上では、僅かに季節風も弱まり、霧が峰や北八ヶ岳も姿を見せていました。
 今回も大展望と会えなかった守屋山。でも、今まででは、一番の展望だったかな?今度こそ、今度こそ、絶対に大展望を見てやるぞ!

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富士山雪上訓練 

・12月10日(土)〜11日(日)  ・天候  10日(晴れ) 11日(晴れ後小雪)
・行程 富士吉田駅(マイカー)馬返し〜五合目井上小屋前テント設営〜五合目付近雪上訓練〜テント(泊)〜強風の為、五合目で訓練の後、七合目に移動、終日、雪上訓練〜テント撤収〜馬返し(マイカー)富士吉田駅

参加者全員集合!
参加者全員集合!
右端が今回お手伝いいただいた木本哲さん
 いちはやく雪を迎えた富士山に「今年は、安定した雪のバーンで訓練ができるぞ!」とでかけた富士山。今回は何故か、積極的な参加者が多く、純粋な参加者が10名、半分手伝いもしてもらうベテラン参加者が2名、そして山田ガイドの他に、木本哲さんに来ていただきました。展開としては、そもそも本当に雪山が完璧に初めてのメンバーを山田が、少しは経験のある者を木本さんが担当する形で訓練は行いました。
 豊富な雪を信じていた僕達でした。富士吉田駅の前にも雪があり、馬返しへの道も雪道で、歩きだしからスパッツをつけての歩行で、徐々に増えていく雪に期待していたのですが、森林限界を越えるといきなりの強風に吹き飛ばされたのか、砂礫が出て思わぬ悪条件に驚かされました。初日は佐藤小屋から近い斜面で練習しました。翌日は3時前に起床。まっ暗い中をヘッドランプで出発。佐藤小屋を過ぎると強風に真っ直ぐ歩けないありさまに、七合目付近での訓練を一端は断念。六合目付近の窪地で歩行中心の訓練としました。2時間程の練習の後、すこし弱まった風に七合目に移動。規模こそは小さいものの、安定的な雪のある小広い雪田で歩行中心の訓練を行いました。
 訓練を終えて強く感じたのは、雪山へ向けての雪上訓練で最も大切なのは、やはり歩行技術だと言うことです。滑落停止の訓練にしても、ザイルワーク(時間が無く、全然できませんでしたが)にしても、確実な歩行ができて、安心してアイゼンが使えて初めて意味のあるものになるのではないでしょうか?富士山雪上訓練は、それ自身で楽しい物ではありません。しかし、本格的な雪山を目指す者は、必ず一度は経験しておくべきトレーニングであることを改めて感じた二日間でした。

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御座山(オグラヤマ) 

・11月30日 日帰り  ・天気  晴れ時々ガス
・行程 東京・三鷹(マイカー)白岩上の高原野菜畑の終点〜稜線〜展望台〜前衛峰〜避難小屋〜御座山〜避難小屋〜前衛峰〜展望台〜終点(マイカー)東京等

美しいダケカンバの森
美しいダケカンバの森
 いろんな山から眺めていながら実は名前を知らない。八ヶ岳から見て、奥秩父から見て、気になりだすと雲取山からも見える。だけど名前を確かめるほど顕著なピークではない。御座山はそんな山の一つです。でも、位置は独特の場所にあります。奥秩父からも八ヶ岳からも近い。南アルプスも遠くない。北アルプスだって遠くない。そんな位置にあるのが御座山。上州の山とも言えます。たしかに、一見土の山に見えながら芯は岩の山。所々でその岩が顔を出す。木々が開けて周囲を見渡し、群馬県方面を見ると名前も知らない岩峰が林立しています。それにしても、どこの大きな都市からも遠い位置にあるの為か、日本二百名山の一つであろうと、優れた展望があろうと静かでした。ついに丸一日、誰にも逢わなかったばかりか、前夜に降ったと思われる新雪の上には踏み跡一つなく、全く人の気配さえない一日でした。昨年、ほぼ同じ時期、同じように強い冬型の気圧配置の下で、御座山は細かい粉雪が舞い、木々には霧氷の花が咲き、それはそれで綺麗でしたが、はるばる来た者には、ただ白い空間が広がっているだけでした。・・・そして今回。吹きつける風は高い山の上には雪雲を付けて、すっかり冬の雰囲気でした。背後の浅間山は時々、顔を出し、八ヶ岳は北八ヶ岳から徐々に姿を見せつつある、そんな中の山頂でした。圧巻は奥秩父。珍しく早くから雪の訪れのあった金峰山を筆頭に黒々とした重厚な山並みは目の前に広がっていました。北アルプスは見えなかったものの、山頂が隠れているピークは多々あったものの、ほぼ360度の大展望の中にありました。
 御座山は木々が美しく、途中の大部分でシャクナゲが両脇を埋めていました。また、四方原山(ヨモッパラヤマ)、茂来山(モライサン)等の山も中々の風格で近くにありました。西上州の山とからめて、これらの山と併せて、山麓のどこかに泊まってシャクナゲの季節に、ぜひ、もう一度訪れたい御座山です。

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阿弥陀岳南稜ビバーク訓練 あぁ今年もやるんじゃなかったと、深く後悔するビバーク訓練

・11月26日(土)〜27日(日)  ・天候  26日晴れ後時々ガス 27日小雪後晴れ
・行程 茅野駅(マイカー)舟山十字路〜広河原沢〜南稜のコル〜立場山〜青ナギ〜無名峰〜P3正面壁〜P4〜阿弥陀岳山頂(ツェルトビバーク)〜不動清水〜御小屋山〜舟山十字路(マイカー)解散

南稜ももう頂上近く。雪の山の気配がいっぱいだ
南稜ももう頂上近く。
雪の山の気配がいっぱいだ
 毎年、11月の最終週は八ヶ岳のどこかの山頂でビバークと決めている。ビバーク訓練とは・・・・本格的な登山をやっていれば、いつか、きっと予定の泊まり場まで行き着くことのできない事態に遭遇する。テントも張れない、そもそもシュラフだって持ってない・・・だけど簡単に死ぬわけにもいかない・・・、そんな時に備えてビバークしてみる・・・そんな訓練だ。けっこう、本格的に追い詰められてビバークが初めてのビバークだったって言う人は多いはず。「あぁ、とんでも無いことになっちゃったなぁ」「生きて朝がくるかなぁ」・・・でも、きっと大丈夫。だから、予め、そんな経験をしている必要があるので行うのがビバーク訓練。でも、毎年、必ず登頂証明を書きながら「あぁ、来年は絶対にやらないぞ・・・」と固く決意をするのも事実です。何故って、寒いし、ツェルトは狭いし、窮屈だし、今回も夜半すぎから風が出て、肩は押されるしパラパラと雪の当たる音はするし、朝、明るくなってから起きるのが普通なんだけど今回は4時過ぎには起きて暖かぁいお茶を飲みました。ビバークは辛いけど、朝、お茶を飲み、暖かい物が口から食道、胃と降りていく感触は「あぁお茶って美味しいなぁ」という至福の瞬間でもある。でも、もう絶対にやらないぞ!やっぱり辛いのは嫌だ!
 この時期の八ヶ岳は静かでした。でも南稜には何故か4パーティー。しかも、その内の1パーティーは頂上テント泊。なかなかやるもんだ。南稜は立場山の下から雪がチラホラとあり、谷は水音一つしない凍結でした。もう、気温はすっかり冬。これから毎回の雪ごとに冬がやってくるはず。P3は思い切って正面壁を登攀・・・と言えば恰好良いんだが、安易に取りついたら岩が脆くて、トップはけっこう怖かった。でかいホールドが動くし、ランナウトはするし、ビレーしてたら風は冷たいし・・・でも爽快でした。やっぱり南稜は気持ち良いです!人間は辛いことはドンドン忘れて楽しかったことだけ覚えてるんだって。だからキット来年もビバーク訓練、やっちゃうかもしれません。

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秩父槍が岳

・11月22日(火)  ・天気  快晴!
・行程 西武秩父駅(マイカー)相原橋〜相原沢〜野鳥の観察小屋〜展望台〜大岩壁下〜秩父槍が岳〜テレビアンテナのピーク〜沢沿いの道〜中津川集落(山田ガイド全力疾走で相原橋まで戻る)(マイカー)中津川(マイカー)東京各地駅

頂上への岩稜はなかなか手ごわい
頂上への岩稜はなかなか手ごわい
 この秋は奥秩父から西上州にかけての山にはまっている。ヤマアルキの両神山、アルピニストの赤岩岳、偵察の為に行った両神山の天理岳、そして、今回の秩父槍が岳。晩秋から初冬にかけての、この付近の山々は独特の味を持っている。遠くから眺めて、この辺りが独特の岩峰を林立させた山であることが判るのは唯一・両神山だけ。けれども、その両神山の山頂から四方を見渡すと、ほとんど登山の対象として登られていない無数のピークがピョコピョコと立っている。秩父槍が岳もその中の一つだ。この山に最初に立ったのは、奥秩父を代表する峠である十文字峠から秩父奥の栃本集落に抜ける長大な尾根の一角を占める白泰山の北側に突き上げる大滑沢(オオナメサワ・なかなか素敵な沢ですよ!)を遡行した時に、「シャクナゲ尾根を中津川に降りられるはず・・・」と下って、その途中で立ち寄ったのが最初だった。コースタイム地図には「槍が岳」と書かれ「危」「迷」等の注意の文字があり「これは中々手ごわそう」と思っていたが、「やまあるき」のちよっとハード版として登りたくて偵察したら、その魅力は想像以上だった・・・というわけだ。中津川から往復するコースには途中に真新しい指導標も立ち、なにやらインチキな旅行会社の「ツアー登山」も訪れるようになったらしいが、表玄関の相原橋からのルートは相変わらずの厳しさだ。そういえば「山と渓谷」の11月号で「トンガリ山特集」で写真入りで紹介されていたが、沢沿いに登って、今回の尾根を下るプランだったが、あれは危険だと思う。やはり難しい所は登りに取るのが初心者の常道だと思うが・・・・。
 両神山のイロイロなルート、南天山、諏訪山、二子山これらは、まだまだ行ってみたいこの付近の不遇のピークだ。さらに白井差峠から東に向かった尾根の上の芋堀ドッケンとか僕自身も行っていない山が無数にある。最大の問題は秩父という地域が東京からは大変不便であるという事。それでも、アルプス的な風貌とは全く違う、言うなれば干し柿が軒先にぶら下がった山間の集落が妙に似合う岩峰・・・という独特の景色はヤブ山と岩場がミックスした不思議の山と共に強く心にり、今後も通う山々だと思う。

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登れなかった五竜岳

・11月19日(土)〜20日(日)  ・天候  二日間ともずっと雪、時々吹雪!
・行程 神城駅(マイカー・ロープウェイ)アルプス平〜地蔵の頭〜小遠見山〜中遠見山〜大遠見山〜遠見の池の少し先(テント泊)〜西遠見山〜2300m地点(ここで断念!)〜遠見の池の先〜小遠見山〜アルプス平(ロープウェイ・マイカー)神城駅

無念の撤退。それも吹雪の中
無念の撤退。
それも吹雪の中
 当初の予想・・・「アルピニスト講座のご案内」を作っていた時には、「ここの所、暖冬だしなぁ、雪が無かったらどうしよう?」でした。ところがドッコイ!神城駅前から雪がチラホラ、ロープウェイ乗り場では完全に雪、アルプス平は白銀の世界でした。下ではカラマツ等が紅葉し、それに雪が乗って綺麗・・・なんて言っていたのは最初だけ。たしかに雪山に来たのは確かだけど、いきなり・・・・とはなぁ。とにかくずっと雪。視界は200m程度。小遠見を越える頃から風も加わって、完全に冬山になっていた。中遠見を越えて、大遠見・・・、そしていつもテントを張る遠見の池を過ぎて、すでに4時近く。テントを張る。4〜5人用エスパースに5人。夜の支度をしながら耳を澄ますとサラサラとテントに雪の降りかかる音。そういえばテントを張る時の整地から股までの雪を踏み固める冬本来の作業でした。夜はマイナス13度。寝る前には夜空に星が見えているのに雪は降り続ける。寒さも一年で一番に堪える季節。あぁ!雪山のシーズンが始まっちゃったなぁ、そういえば来週はビバーク訓練だ。シュラフカバー一枚で阿弥陀岳の山頂でツェルト泊なんてプランを何で計画しちゃったかなぁ?今からでも中止したいなぁ・・・。でも真面目な参加者が申し込んでいるしなぁ。(ビバーク訓練は「風の谷」では、一年に一回、八ヶ岳で必ずやってます。登山をやってると必ず出会う不時の事態。その時、キットこの経験が役にたつ・・・という心掛けなのですが、毎回、計画したのを後悔する山田ガイドです。)
 そして、朝!全くかわらない雪。西遠見を越えるとワカンを履いているのに、雪はコンスタントに腰!時には胸。前の日に頑張った3人パーティーは「俺たちは、もう帰る!」とテント場から撤退。ただ一人、京都山岳会の一見、ガイドの木本さんに似た人が一緒にラッセルしてくれている。格闘技のようなラッセルをすること4時間。登り着いたのは標高2300m。風雪に白岳さえも見えない。「僕達は、ここでお終い。帰ります」と言うと京都の彼も「じゃあ、僕もここまで・・・」ついに今週は五竜岳は誰も山頂を踏ませなかったようです。来週からは頑張るぞぉ!

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鳳凰山塊 薬師岳と観音岳

・7月5日(火)〜6日(水)  ・天候  5日曇り時々晴れ夜雨 6日雨後晴れ時々曇り
・行程 甲府駅(マイカー)夜叉神の森〜夜叉神峠〜杖立峠〜山火事跡〜苺平〜南御室小屋(泊)〜砂払い〜薬師岳〜観音岳〜薬師岳〜南御室小屋〜苺平〜杖立峠〜夜叉神峠〜夜叉神の森(マイカー)甲府駅

観音岳頂上。背後は地蔵岳。
観音岳頂上。背後は地蔵岳。
 梅雨の真っ只中。しかも前日は朝から芦安からの林道が大雨の為、閉鎖。当日の朝6時にようやく復旧して、ギリギリまで鳳凰山塊そのものに近づけるかどうかも判らない中での登山でした。濃いガスの中の出発。それでも気温は高く、ハルゼミの声の中の道でした。鳥の声、セミの声以外に聞こえる音は無い静寂の森。深い森が南アルプスならではの独特の世界を作り上げていました。最近、首都圏の山では見ることの無くなったたくさんのサルオガセ、すこしづつ薄くなっていく霧の上で夜叉神峠はありました。峠に出た途端に思わず上がる歓声!間の岳から農鳥岳にかけての高い稜線が雲の間から顔を出しました。そこからの杖立峠への道は見事な巨樹の道だった。コメツガ、ダケカンバがとりわけ大きな木々でした。山火事跡で一旦、大きな木々は姿を消しましたが、苺平からは再び、呼吸さえも吸い取るかのような原生林の中の道でした。その原生林と巨樹の森は、どこまでも続きました。その原生林の標高の高さは独特でした。本州の大部分で標高2500mが森林限界のはずが、2700m近くなっても巨樹の森は続き、そして突然、砂払いを迎えました。多くの高山のようにシラビソの森が続き、やがてダケカンバばかりとなり、それがどんどん小さくなって迎える森林限界となんと違うことか。その山頂直下から広がる白砂とハイマツの世界はまるで日本庭園でした。そして背後に広がる大きな北岳から農鳥岳への白峰三山がクッキリと浮かびあがりました。そこからの観音岳への道。一歩ごとに大きくなる憧れの山頂と、一歩ごとに広がる展望。八ヶ岳が見え、奥秩父が見え、富士山が顔を出し、中央アルプスが仙丈岳の横に出てきました。そして観音岳の頂上からは甲斐駒が岳と地蔵岳のオベリスクがドーンと聳えていました。
 南アルプスの山は、その入り口の鳳凰山塊であっても、北アルプスや八ヶ岳とは、はっきりと違う何かを持っていました。一つ一つの山の大きさ、森の深さ、おそらくは最も日本らしい山であるとも言えるでしょう。甲斐駒、仙丈、赤石。この夏、挑もうと思っている山も共通の物を持っています。

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奥秩父荒川水系滝川支流豆焼沢

・7月2日(土)夜〜3日(日)  ・天候  2日夜雷雨 3日曇り時々晴れ
・行程 三鷹駅(マイカー)道の駅「みとみ」(マイカー)出会いの丘〜作業道〜豆焼沢トオの滝下〜大滝〜四段の滝〜スダレ状60mのナメ滝〜ミニゴルジュ〜雁坂峠道〜雁坂峠〜黒岩尾根〜豆焼橋〜出会いの丘(マイカー)東京方面

荒川水系一の迫力!豆焼の大滝
荒川水系一の迫力!
豆焼の大滝
 「風の谷」にとって、荒川上流の沢は、ホームゲレンデと言って良い場所です。奥秩父荒川水系の谷とは、そもそも奥秩父の要・甲武信岳の下を水源として、真の沢となり、股の沢を合わせて入川となり、川又の下で滝川を合流させて、秩父湖となり、その秩父湖に大洞川が注ぎ荒川となります。途中、長瀞等の名所を見せながら隅田川となって東京湾に注ぐ大きな川です。僕達が、この水源地帯にこだわるのは、この水系が、首都圏で最大の原生林の中にあり、ろくな登山道も無い未開の地域であることです。何回も、いろんな所で言い、いろんな所で書きまくったことですが、奥秩父の地図を眺める時、その荒川水系を見て気づくのは、とにかく登山道の赤いラインの無い事です。実線で描かれた正規の登山道としては雲取山三峰口登山道と、最近は荒廃の著しい雁坂峠道、そして廃道だったのを復活させた雁坂小屋の黒岩尾根だけです。1960年代にはメインルートだった真の沢林道は甲武信小屋の手で「廃道」の看板がかけられてしまいました。幕府の御料林としてあり、天皇の恩賜林として守られ、現在は東大演習林と営林署の「遺伝子保存林」とやらに指定されて、基本的には倒木一本でも気軽には動かすことの許されない太古の自然の森が広がっています。和名倉山のごとく、大洞水系と滝川水系とにまたがり、日本二百名山等と言うツマラナイ物に指定される前(たかだか10年前の話ですが)は谷を遡って、谷を下降するのが最も安全な登り方だった山もあります。所々で廃線になった森林軌道の線路跡があり、炭焼き窯の跡があり、かつては間違いなく生活の場であった山が、手つかずの自然として残っています。北面のゴルジュの谷は太陽の恩恵からは遠く、黒々と磨かれた固い岩と、冷たい水、頭上を覆う大木が見事な地域です。そして、この地域のど真ん中に切れ込みを入れたようなラインこそが雁坂トンネルでした。「開かずの国道」と言われた国道140号線。古い地図には雁坂峠道こそが140号線として記されています。豆焼沢のホチの滝の上に雁坂大橋、ワサビ沢出合いに豆焼大橋をかけた車道は大きく山々を破壊しましたが、それでも谷は健在です。荒川水系の谷は、やはり素敵です。

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鍋割山

・6月28日(火)  ・天候  晴れ時々曇り・・・猛暑
・行程 小田急線 渋沢駅(マイカー)二俣〜後沢乗っ越し〜鍋割山〜小丸〜小丸尾根〜二俣(マイカー)渋沢駅

大きなブナの木
大きなブナの木
 どうやら、この標高の山に行くには最もマズイ時を選んでしまったようです。天気が悪かった?いや、良すぎたのです。計画を立てた時、霧雨の中を霧に霞むブナの木の間を歩き、ボッと浮かぶ白い手裏剣のようなヤマボウシの花を見て・・・そんなイメージを持っていました。しかし、晴れた空と少ない雨。もう梅雨明けを思わせるムッとした空気。木々の間に一杯に鳴くハルゼミの声。涼しい谷沿いの道なのに、風一つ吹かず、歩きだして僅かで汗が玉のように吹き出しました。つまらない能書きを言うならば、湿度が高く高温の場合、出た汗が綺麗に蒸発せず、なかなか体温を下げてくれない・・・、そんな状態でした。後沢乗っ越しで稜線に出て、名前の通り、尾根を乗り越して吹き渡る風の爽快だったこと。やっとの思いで一息つけた思いでした。そこから鍋割山までの尾根は、荒れた丹沢の中にあっては、道も極端に整備されすぎておらず、頭上を覆う分厚い広葉樹の森の木々は素敵な道を見せてくれていました。かつては萱原だったと言われる尾根はその大部分がブナとミズナラ、そしてモミジに変わったようです。「こんどは頂上?」「こんとこそ!」の思いが二回ほど裏切られ、大きな木々が無くなって一段と太陽の刺激が強くなった所で鍋割山荘に立つ山頂はありました。思わぬ所で富士山が正面に見え、檜洞丸を筆頭とする丹沢主脈が美しく眺められました。鍋割山は主脈から僅かに外れており、そのために主脈を中心とした丹沢の核心部の山々を身近に眺められる位置にあります。山頂から小丸までの尾根、いわゆる鍋割山稜と呼ばれる尾根は、見事なブナの森の続く道でした。大小のブナの太く白い幹、ほとんど純林といってよい、他の交じりの無い尾根が続きます。丹沢では檜洞丸に次いでの規模であると言えそうです。小丸からの道は整備されていても正面から太陽を受ける道は、再び暑さとの闘いでした。下に聞こえた四十八瀬川の沢音が大きくなっても、なかなか着かないことにイライラしだした頃、ようやく朝、出発した二俣に到着しました。勘七の沢の沢水で冷やしたソーメンが、暑かった一日に乾ききった喉を通っていきました。

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多摩川支流 日原川源流の唐松谷

・6月26日(日)  ・天候  晴れ時々曇り・・・暑い!
・行程 奥多摩駅(マイカー)大ブナ別れ〜唐松橋〜出合い〜野陣の滝〜大滝〜三段8mのナメ〜赤石窪〜唐松谷林道〜大ブナ別れ(マイカー)奥多摩駅

唐松谷大滝
唐松谷大滝
 先週の釜の沢と、今週の唐松谷で合計7名の方が初めての沢登りを体験しました。初めて渓流シューズを履き、初めてハーネスを着け、初めてヘルメットを被り・・・何よりも初めて「登山道では無い」所からの登山を試みた方が7名登場しました。それを沢登り・・・と言う形で実現することの手伝いができたことを、何よりも嬉しく思います。「登山道を一歩踏み出した時、無限の可能性が広がる」ことは重要です。登山道と言う、長年にわたって人々が歩き、整備され、所々に指導標のあるルート。時としては全く登山地図さえ持たずとも、案内本を読み、道を間違えずに辿って行けば目的地に着ける・・・登山と違って、沢登り、雪山登山等は、全てを自分達の力で解決すること抜きには、一歩も進むことができない独特の厳しさのある登山です。沢等は経験が無ければ出合いを見つけることすら困難なこともあります。それだけに、目的のルートを登り切った喜びはけして小さいものではありません。沢の魅力は、一つ一つの角を曲がっただけで新しい景色の広がる楽しさ、驚きにこそあります。・・・・唐松谷もそんな谷の一つです。
 今年から丹沢の沢を計画の中に入れてみました。それは6年の間に10倍になったと言われる鹿の食害。葉を食べつくし、木々の皮をはぎ取って食べ、そして笹さえも食べ尽くした感のある奥多摩の沢、地肌が剥き出しになり、あちこちで土砂崩れが始まり、逆川、水根沢谷といった奥多摩を代表する入門者向きの沢がことごとく遡行価値を失った結果でした。「丹沢の有名所なら大丈夫かも・・・」との思いからでした。しかし、そこで出会った物は奥多摩をはるかに越える山の破壊でした。そして先週の釜の沢で変わらぬ谷の美しさにホッとして、唐松谷の苔の谷の美しさにやっと一息ついた思いです。ただし、奥多摩は丹沢に20年遅れて、奥秩父は30年遅れて・・・確実に破滅への道を歩みつつある・・・との実感があります。何とかしなくてはならない現実が大きく存在します。かつて、日原から八丁橋までは車道でしたが、そこからは山道。大きな山の鼻を一つ一つ巻いていく道は独特の美しさがありました。どの谷にも山仕事の小屋があり、ワサビ田があり、唐松谷もそんな谷の一つだったことを思い出しながらの沢でした。

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鷹の巣山と千本ツツジ

・6月22日(水)  ・天候  雨後曇り時々晴れ
・行程 三鷹駅(マイカー)峰谷経由奥集落〜浅間神社〜水場〜鷹の巣山避難小屋〜鷹の巣山〜避難小屋〜千本ツツジ〜巳の戸の大クビレ〜浅間神社〜奥集落(マイカー)三鷹駅

千本ツツジ・・ヤマツツジの道
千本ツツジ・・ヤマツツジの道
 丸一日、山の中に居てついに誰とも会わず、靴跡一つ無い奥多摩の山でした。出会ったのは二匹の鹿のみ。巳の戸の大クビレの深い霧の中に前方に蠢く物あり!登山口の「クマに注意」の看板を思い出し、恐る恐る見つめると、向こうからもジッと見つめる姿。白く浮かぶのは鹿の真っ白いお尻でした。10m近くまで来てお互いにちょっと緊張!飛び跳ねながら日原側の斜面に逃げていきました。つい先日までは新緑の気配のあった奥多摩の山々。2000m稜線まで緑が登り詰めてから一気に濃くなってしまった緑色です。濃淡の付いた緑色の中に白く浮かぶのはヤマボウシの花。白い手裏剣のように咲いています。そしてツツジ。散りかけたミツバツツジ。ベニサラサとサラサドウダンとが交互に咲き、そして朱色の品の良いヤマツツジが盛りを迎えていました。鷹の巣山は明るい山です。南面を中心に広がる草原は七つ石尾根の中でも独特の魅力を持っています。今回、転進して登らなかった稲村岩尾根は、鬱蒼たる原生林、とりわけブナを中心とした巨樹の中の展望とてない中を延々と苦労して登りつめた後に、放り出されるように飛び出す眩いばかりの山頂の明るい広がりは、この尾根の厳しさ故の魅力であると思っています。
 雲取山から奥多摩駅前まで延々と伸びる七つ石尾根。奥多摩小屋の立つ五十人平まで標高を落とした後、鷹の巣山の先まで千本ツツジ、高丸山、日陰名栗の峰と奥多摩でも最も標高の高い部分として続きます。今回、その一角の千本ツツジも往復しました。東京都水道局水源巡視路として作られ現在は石尾根縦走路として歩かれている道は大きく上下することなく、同じ高さで山の鼻を一つ一つ回り込む独特の雰囲気を持った道です。晴れていれば終始、大菩薩と富士山、ときおり南アルプスさえ顔を出す展望の道でもあります。奥多摩の中でも最も奥多摩ならではの良さを残した貴重な道です。僕自身の初めての雲取山。13歳の夏の挑戦は奥多摩駅から直接、この七つ石尾根に取りつく事から始まりました。駅前を歩き、羽黒神社から急斜面を登り切り、六つ石山に立ち、鷹の巣山、七つ石山と登った夏の暑い日。ヘトヘトに精根尽き果てた後に立った頂上は夕暮れの中だったことを思い出します。雨の中、そんなことを思い出して歩いた千本ツツジへの道でした。

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笛吹川東沢釜の沢東俣

・6月18日(土)〜19日(日)   ・天候  18日晴れ時々曇り 19日晴れ
・行程 三鷹駅(マイカー)道の駅「みとみ」〜二俣〜ホラの貝のゴルジュ〜山の神〜乙女の滝〜東のナメ出合い〜釜の沢〜魚留めの滝〜千畳のナメ〜両門の滝〜広河原〜水源〜甲武信小屋(泊)〜三宝山〜甲武信岳〜戸渡尾根〜道の駅「みとみ」

魚留めの滝上の青い釜
魚留めの滝上の青い釜
 沢登りをほとんどしない者でも、たいていは訪れた経験を持つ東沢・釜の沢。古くは田部重治氏の「笛吹川を遡る」で語られ、その後、登山コースとして整備をされた歴史を持ちます。1970年代には東沢の中間部分・乙女の滝の対岸に東沢避難小屋があった時代もあります。指導標やケルンがルートを明示していたことも長く続きました。しかし、沢沿い、谷沿いのルートの維持の難しさ、度重なる台風によるルートの破壊や増水により、年に何回もルートが一変する状況、それらによって、1980年頃を境に積極的な整備が一切行われなくなりました。そして、徐々に沢本来の、谷本来の姿にもどり、渓谷美の美しい沢登りルートとして多くの人に登られるようになったのです。僕自身が、この谷を初めて遡行したのは1970年代でした。まだ、山の神までは登山道と言って良い道が存在し、それ以降も釜の沢出合いまでは道らしき物があり、釜の沢にはいってからも随所に指導標や高巻き道がありました。多くの人が遡行していました。しかし、どんなに整備をしフィックスロープ等を設置しても、そこは生き物としての沢です。多くの支流の集まる東沢は流域に降った雨が全て集まる所で、長雨の後に更に大雨のあった時等は驚くほとの増水を前に点々と登山者が水が引くまで孤立していたものです。沢の素晴らしさし、恐ろしさの双方を知った東沢・釜の沢です。その上流の全てを自然林で覆われた釜の沢であっても(東沢上流の金山沢は上流に堰堤工事、および石塔尾根には車道工事がおこなわれ自然のままでは無い)、長年見てきた中では大きな変化がありました。僕が初めて遡行した頃は、甲武信岳山頂の南にある現在のガレ(伊勢湾台風で発生したガレだそうです)が流れを埋め、木賊沢から上は膨大なガレの上をガラガラと登りました。山の神が社ごと流されたこともありました。そう!沢、谷は生き物なのです。
 今回、参加者の過半が「沢が初めて!」と言う方でした。期待と不安に満ちたであろう遡行はシャクナゲとクモイコザクラが最後を見送る中に終わりました。9時間に及ぶ遡行は体力的には厳しくとも、沢登りの最初の一歩となると確信します。

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甲武信岳から十文字峠

・6月14日(火)〜15日(水)   ・天候  14日晴れ後曇り 15日雨
・行程 小淵沢駅(マイカー)毛木平〜ナメ滝〜「うまい水」の平〜千曲川水源〜ボッカ道〜甲武信岳〜甲武信小屋(泊)〜三宝山〜武信白岩山〜大山〜十文字峠〜八丁の頭〜毛木平(マイカー)韮崎駅

小屋前の天ぷら。あげたて!
小屋前の天ぷら。あげたて!
 山頂を後にして下り着いた甲武信小屋では小屋主の山中徳治さんが待っていました。泊まり客は僕達以外には僅かに4人。平日とは言え、甲武信岳が最も輝く季節としては、大変な少なさです。そんな幸運(僕達にとって)は、「ヒマだから、天ぷらでもやるべえ」の徳さんの一言となりました。天ぷらと言っても海老やナスと言った物ではありません。「ちょっと材料取ってきてくれや。」の声と共にザルを持ちサンダル履きで近くを歩く。ハハコグサ、ヨモギ、ヤマウド・・・ここまでは良く山では食べる物。そして「ナナカマドは大丈夫かな?」「モミジも取っちゃえ。」「オニシダってコゴミに似てるから食べてみよう!」とどんどん取ってきて端から揚げていく。これが、けっこう旨い!毒のある物以外、次々と食べられた初夏の山小屋の天ぷらでした。そして、翌朝は、トタン屋根を打つ雨の音で目覚めました。梅雨時だから雨は覚悟の上。しかも、昨日見た山の斜面も苔も乾いていたことを思えば、恵みの雨として納得していましたが、ちょっと肌寒い天気でしした。展望は晴れ後曇りの昨日より、むしろ良く、梅雨空の下に奥秩父の黒い山並みが美しく並び、足元の荒川水源の谷がクッキリと山肌に食い込んでいるのが眺められました。そして、シャクナゲ。ここ5〜6年、暖冬の傾向が強く、本来のシーズンである6月中旬には盛りを過ぎていたシャクナゲですが、今年は、カレンダー通り、丁度の時期に僕達は訪れたようです。武信白岩山から点々と咲いた花はピンク色の濃淡を付けて霧とコメツガと苔にマッチして最も美しい時と出会えたようでした。そして、そのハイライトは大山から十文字峠の間でした。長野側を中心に斜面一面を埋めたピンク色は見事な輝きでした。これだけ咲くと、来年のシャクナゲが心配になる・・・・そんな奥秩父のシャクナゲでした。甲武信岳から十文字峠、そして千曲川水源の地域は僕が最も好み、最も良く通う地です。その山々が最も輝くのは今!天ぷらの素朴なほろ苦さと共に、また、もっと、この山域が好きになりそうです。

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天狗棚山、唐松尾山と黒槐の頭

・5月24日天狗棚山 25日唐松尾山と黒槐の頭   ・天候  24日曇り時々晴れ 25日曇り時々晴れ、時折雨、後晴れ
・行程 24日 塩山駅(マイカー)犬切峠〜防火帯〜天狗棚山〜犬切峠
25日 塩山駅(マイカー)三の瀬〜七つ石尾根〜午王院平〜山の神土〜唐松尾山〜黒槐の頭〜水干〜黒槐尾根〜中島橋(マイカー)塩山駅

黒槐の頭は道はない!
黒槐の頭は道はない!
 多摩川水源の山々の緑がやたらと目に染みた。それは、前の週、丹沢の荒涼とした山崩れと、ブナの立ち枯れ、延々と絶えず目につく鹿の防護柵・・・、その強い印象が残像となって残った頭には、なんと、それが新鮮に見えたことでしょう。天狗棚山・・・その山どこ?唐松尾山は山田がしつこく「奥多摩最高峰・・・」を連呼するから、否応なしに覚えたけれど、黒槐の頭って何だ?えっ、標高2024m・・・雲取山より高いじゃない・・・そんな山々です。けれども、この多摩川水源地帯の山々そのものが、どことは無しに世間からの隔絶性と辺鄙さをもって僕の心をくすぐります。もしかしたら、最も好きな山域かもしれません。僕の生活空間のごくごく近くを走る青梅街道、その最も高い所が柳沢峠。その更に東側。公共交通機関に全く見放された場所である一ノ瀬高原の周辺の山々です。そして、そこは行政的には山梨県でありながら、その土地の大部分は東京都水道局水道水源林として手厚く保護された山林です。土木王国山梨県の中にあってエアポケットのような空間です。15年前までは、青梅街道の落合まで一日に2本、柳沢峠を越えるバスが走っていました。かつては、笠取山に行くにはガイドブックに「犬切峠を越えて一休坂から笠取山」「犬切峠から将監峠」といった表現があって、登山者は標高1378mの犬切峠を越えて隔遠の地・一ノ瀬を目指したのでした。かつて、秩父から荒川の支流・大洞川井戸沢を遡行して、一ノ瀬に下りて、更に犬切峠を越えて・・・と帰りのほうが余程に大変な思いをして青梅街道に出たものです。そのバスさえ、今は無い。そんな距離以上の距離の果てに天狗棚山も黒槐の頭もありました。そして、山頂には見事なシャクナゲの株が真っ赤の蕾を、苦闘の果てに訪れた者にだけ、その美しい初夏の訪れを予言する姿を見せていたのでした。天狗棚山ではミツバツツジの紫のトンネルと共に。今回、訪れたピークは何れも、水を生み出す生命感の溢れる山々です。この緑が生きている限り、僕達もそれを求めて登り続けることを止めることは無い・・・との確信があります。

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丹沢主脈全山完全縦走

・5月17日(火)〜18日(水)   ・天候  17日曇り時々晴れ 18日晴れ後曇り強風
・行程 渋沢駅(バス)大倉〜堀山〜花立〜塔の岳(尊仏山荘泊)〜竜が馬場〜丹沢山〜棚沢の頭〜蛭が岳〜原小屋平〜姫次〜八丁坂の頭〜黍殻山避難小屋〜焼山〜西野々(タクシー)藤野駅

谷川連峰を思わせる笹原
谷川連峰を思わせる笹原
 海が見える!丹沢の特徴は、必ずしも山の中・・・といった印象の薄い渋沢の駅前からバスに乗り、登山口の大倉はしっかりした管理事務所があり、コンクリートで固められた広場それが出発点でした。平日にもかかわらず点々といる登山者、延々と続く急坂にもかかわらずキッチリと刻まれた階段の続く道、やはり良く整備された道でした。堀山を越えてますます急になりだした登り、見上げるため息の出る階段の登りのは厳しかったけれど、グイグイと開ける背後の空間の大きさは素敵でした。奥多摩や奥秩父の山々と違い、足元に大きく広がる町並み、そしてその後ろにはハッキリと海の広がりが感じられます。塔の岳は最も多くの人々の集まる場所ですが、その一方で山頂はオーバーユースで踏み固められ緑は無く、角材が山頂を埋める山頂です。けれども、周囲の丹沢の山々を見渡せ、強い風の中に立つ山頂は、やはり丹沢の重鎮と言えます。日没前に現れたブロッケン、富士山を夕焼けの中に浮かばせて沈む夕陽、そして夜、大きく広がる星屑のような夜景、見事な夜が塔の岳にはありました。強い風の音、吹きすさぶガスの去来の中に丹沢の朝はやってきました。丹沢山までは木々に付いた霧が雨のようにバラバラと落ちる中の道でした。丹沢山から蛭が岳の間こそが、丹沢の中核とも言うべき場所でした。大きなブナの木々、明るく広がる広大な笹原、そして、明るい雰囲気の中、春の風が強風と鳴って吹き渡る最高峰・蛭が岳がありました。奥多摩、御坂の山々、そして富士山、と大きな展望が広がっていました。しかし、僕自身は、この山脈の最も楽しかったのは、その先でした。一転して穏やかな雑木林の尾根道は広く、背後に遠くなって行く蛭が岳を振り返りながらの道は心和む道でした。「心和む」・・・それが欲しくなる丹沢だったとも言えます。それは、この丹沢全体で求められた気持ちでした。人工物で固められた塔の岳山頂、そして随所で見られたブナの立ち枯れ、足元はバイケイソウ、トリカブト、ハシリドコロ、シナノマルバダケフキと毒草だけが生える斜面、そして随所で起きる土砂崩れ、その山の死滅しつつある姿は心の痛むものでした。丹沢・・素敵な山の再生の道はあるのでしょうか?

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川苔山

・5月11日(水)   ・天候  曇り時々薄日、後、晴れ。寒かった!
・行程 奥多摩駅(バス)川乗橋〜聖滝〜細倉橋〜百尋の滝〜川苔山〜舟井戸〜大ダワ分岐〜大根山の神〜鳩の巣駅

色とりどりのツツジが無数にあった
色とりどりのツツジが無数にあった
 僕が初めて川苔山に登ったのは中学校2年生の5月でした。当時は登山人口が目茶苦茶に多くて、奥多摩駅(当時は「氷川駅」)から出る日原行きのバスは満員。臨時の二台目も超満員。川乗橋からは車道は出来かけてはいても、それも最初の橋まで。今と違って谷を渡る橋も丸木橋に近く、滑ったり恐々と渡ったものでした。そして、百尋の滝。当時は当然、頭上に林道は無く、鬱蒼たる樹林の中に陰惨な爆音を轟かせる黒々とした滝との印象を持ちました。下に現在は埋まっている落差20mの大滝があり、ちょうどそこでクライマーが眼下を登攀中。驚きの光景でした。そこから川苔山までは一気に登りました。僕達は4人パーティーでした。二手に別れて二名は本仁田山を越えて鳩の巣駅へ、僕ともう一人は赤杭尾根へ向かいました。たまたま一緒になったベテラン風のお兄ちゃんが、多分、ギボウシと思われる植物を採って食べ方を教えてくれました。古里の駅で待つこと二台の電車、山頂で別れた友達が乗った電車がきました。次に訪れたのは翌年の9月。大滝を登攀していたクライマーの姿が忘れられず、沢からの川苔山を目指した。逆川。山頂にダイレクトに突き上げる無数の滝を持った谷でした。本来は巻くはずの右俣の20m滝をザイルも付けずに直登し頂上に立った嬉しさは最高でした。それから何回、この頂上に立ったことでしょう。ある時は、長沢背稜を延々と縦走して、ある時は火打石谷を遡行し、入川谷の速滝を登攀して、高水三山から棒の折山を越えて、まだあった獅子口小屋から、有間山から奥武蔵の山を越えて、冬に延々とラッセルして・・・、いつも奥多摩の小さな1300m台の標高の山とは到底思えない奥深さと達成感、と共にありました。数多くのルートがあり、正規の登山道だけでなく、周辺を含めれば10本を越える沢からのルートを持ち、それぞれに個性のある楽しい何かを持っています。でも、その中でも川乗谷からの登山道はやはり一番の道です。見下ろす渓谷の美しさ、滝の美しさ、新緑、紅葉の良さもありますが、随所で登山道に吹き出す新しく生まれ出たばかりの水。まさしく水源の森たるに相応しい水の生まれる山への独特の感慨があります。いつの日か雲取山から延々と避難小屋をも使って挑戦したい川苔山です。

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水晶岳

・5月3日〜5日   ・天候  3日快晴 4日快晴 5日快晴
・行程 信濃大町駅(タクシー)高瀬ダム〜名無沢避難小屋〜湯俣〜湯俣岳(泊)〜南真砂岳〜東沢乗っ越し〜水晶小屋〜水晶岳〜東沢乗っ越し〜南真砂岳〜湯俣岳(泊)〜湯俣〜高瀬ダム(タクシー)信濃大町駅

裏銀座稜線に出てはるか彼方に目指す山頂
裏銀座稜線に出て
はるか彼方に目指す山頂! すごい!
 水晶岳は2005年の「風の谷」の雪山の最後の登山でした。最も、行動時間が長く、最も標高差の大きな山が最後にありました。水晶岳は黒部源流の要となる、この山域の最高峰です。北アルプスの南部も北部も峻険な山が続く中にあって、この北アルブスの中核・最奥部はたおやかな稜線が続く山々です。そのど真ん中、最高峰として水晶岳はあります。どこからも遠い、遙かな山です。多くの人々が憧れるはずの、この山頂。しかし、このゴールデンウィークの中の三連休にもかかわらず、その山頂に人影は無く、湯俣岳から裏銀座に至る稜線にも人影はありません。完全に僕達だけの雪山と、僕達だけの展望が待っていました。いや、一人。船窪岳から烏帽子岳を越えた単独行の登山者が4日の夕方、湯俣岳を夕方に下山していきました。たった一人とだけの出会い。本来の雪山、テントを背負い、地形図を見てルートを決め、ラッセルしてトレースを付け、頂上に立つ登山を行う人々がどんなに少数派になってしまったかの証です。
 実は、この2005年、「風の谷」の雪山は全て目標とした山頂に立って終わりました。天気が良かったのでも、多くの人々が入山していてラッセルが無かったのでもありません。むしろ、急激に減った雪山登山者の数の前に2月の小屋泊まりの赤岳登頂以外では全てワカンを履き、必ずラッセルがありました。1月の北岳は一度もその姿を見ないままに山頂に立ちました。雁坂峠ではトップリと暮れた中を重い雪をラッセルしました。2月の上河内岳ではおそらく正月以来初の入山者が我々だったのでしょう。トレースのカケラもありませんでした。昨年の雪辱を果たした焼岳では頂上直下までワカンでのラッセルに日没ギリギリまでの行動でした。何れも有名山岳と思われ、雪山案内本にも数多く紹介されたルートであっても、ほとんど人の姿を見ず、必ずしも少なくなかった積雪との毎回の格闘は雪山登山が持つ本質的な充実感、登山の持つ本来の楽しみがあると確信します。数こそ多くはないものの、「風の谷」を支え、共に登る仲間は、今や僕達のみが、このような登山を行い、あるべき登山の姿を数少なく実践していることに期待し、それを支えてくれていると思っています。上河内岳でも、焼岳でも、初雪山でも、当然、引き返しても良い厳しい登山だったと思います。ガイド自身が頂上への憧れを持ち、本気で頂上に立つことを目指している登山、頂上に立ちたいとの強烈な思いこそを支えとする登山、それこそが本来の雪山登山であると信じているからです。どんなに小さい頂であっても、全ての頂上には登った者の苦労に応える何かがあります。それこそが登山の本質であり、次の一歩に進ませる大切なことであると思っています。
青ミドロの浮かんだ湯俣の温泉
「ええっ!本当に入るの?」の声!
青ミドロの浮かんだ湯俣の温泉

 すでに多くの場所で僕が発言しているように、現在の雪山の様変わりは著しい物があります。一つには山頂の価値の低下と、技術重視(僕は技術偏重と思っていますが・・)の傾向です。そして、テント泊、雪洞泊の雪山登山を行う者の急激な減少です。一泊二日で赤岳鉱泉あたりに泊まって、その目の前の「キャンディー」と言う人工氷壁を延々と登り下りを繰り返す。今、優れた用具と技術の普及によって、アイスクライミングを始めたばかりの者でも、垂直以上の壁でも登れるようになっています。しかし、本来のアイスクライミングの困難は、沢に落ちる雪崩を読み、氷を読み、上部の稜線での雪庇を判断し・・・と言う本来の雪山の難しさにあります。氷の壁が登れるかどうか等は、実は大した問題ではなく、雪山登山の難しさを難しさと知ること抜きには、けして確実には登れないものなのです。今、八ヶ岳あたりの氷瀑もどきを登ったことが、大自然の中でのクライミングに役立つと勘違いをすると大きな間違いが起きます。大きな山でのアイスクライミングは4回行って一回登れるかどうか、つまり撤退の判断をすることこそが技術であると思っています。そういった天性の力を身につけるためには、真剣に頂上を目指す登山を数多く行うことを抜きにはけしてできる物では無い、それだけは間違いの無いことなのです。今年の「風の谷」の雪山、そして、これからの季節の山、何れもが、この2005年の雪山の格闘のような登山の中に行くべき道があると思っています。久しぶりに、何やらスッキリした気持ちで、これからの向かうべき道が見えてきたような気持ちがしています。

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毛勝三山縦走

・2005年4月29日〜5月1日   ・天候  29日大雨 30日・1日快晴
・行程 北陸本線・魚津駅(マイカー)片貝発電所〜片貝山荘(泊)〜阿部木谷〜毛勝山〜釜谷山〜猫又山山頂(泊)〜南又谷〜車道(マイカー)魚津駅

北の彼方には小さく初雪山が見えた。ウレシイ!
北の彼方には小さく初雪山が見えた。
ウレシイ!
 納得のいく登山。登って本当に良かったとだけ思える登山と言うのはそうそうあるものではありません。特に春の雪山は雪が多すぎて苦労をしたり、メイストームが吹き荒れて追い返されたりと散々な目に遇う事も少なくありません。今回も初日が完璧にダメ。おりからの寒冷前線の通過でクルマを降りた所から土砂降り。ただし、魚津市の管理する片貝山荘と言う超立派な避難小屋にほぼ一日停滞しての始まりでした。なんと隣の発電所から電気をもらい、灯は点く、コタツはある、テレビは見える・・本当!・・と言う怠惰な生活が待っていました。窓から「雨が上がったら」の願いは、新緑の中に点々と咲く桜に雨が激しく打ち当たる中に消えていきました。翌朝は2時起床。ヘッドランプで出発の「風の谷」パターン。谷筋の木々のデカイこと!谷の水量の多いこと!が強く印象に残りました。板菱と呼ばれるゴルジュを越えるとゴロゴロと落ちているブロック雪崩の跡、見上げる稜線は手が届きそうです。しかし、これはヒマラヤ等でも経験のある距離感の喪失、と言うやつです。つまり山がスケールがデカすぎて実感が湧かない。進んでも進んでもちっとも稜線が近くならない。でも背後に僧が岳が見え、駒が岳が見え、その雄大さに心を打たれました。「いいねえ!」そんな言葉が自然と出ます。そしてヨレヨレに疲れ果てて、飛び出した稜線。一気に広がる展望。毛勝山はすぐ裏でした。剣が見える!白馬が見える!そしてつい3週間前に行った初雪山も小さく見える!嬉しい。そこからの稜線歩きは重い腐った雪に足をとられ、雪庇の脇を恐る恐る通り・・・とイロイロありましたが、でも一貫して大展望。最高峰・釜谷山を越えて猫又山まで足跡一つ無い僕達だけの北アルプス最北の縦走でした。そして猫又山頂。広々とした山頂と自然に出来た広場のようなテント場。ここしか無いような最高の展望の泊まり場でした。外でノンビリ食べる夕飯。男3人は缶ビール2本づつを担ぎ上げた者と、なんと「久保田」の純米吟醸をビンで運んで来た者、ツマミは大迫力の剣と後立山でした。あぁ幸せ!夜中、女性テントから「星がすごい!」の声が夢現に聞こえていました。朝焼けの後立山と南又谷の広々とした広がりを満喫して終わった毛勝三山の合宿でした。

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節刀が岳と鬼が岳

・4月26日(火)   ・天候  晴れ後、頭上に黒雲、雨のち晴れ・・最後に虹
・行程 河口湖駅(タクシー)根場集落上〜鍵掛峠〜鬼が岳〜金山〜節刀が岳〜大石峠〜湯口(タクシー)河口湖駅

大石峠
大石峠
 甲府盆地と富士五湖周辺とを分け、富士五湖の回りをグルリと取り巻く御坂の山々。その中で、三つ峠から最高峰・黒岳を越えて節刀が岳、鬼が岳、王岳、三方分山と連なる山々は、一つのしっかりした山脈となっています。しかし、三つ峠、黒岳以外は訪れる者も少なく、僕達の訪れた、この日も誰にも会わず、人の気配を全く感じることの無い一日でした。この日の天気予報は週間天気では、長い間、雨マーク。もし、雨なら鬼が岳の岩の稜線に自信がなく、大石峠からの往復も考えていたのが日曜日。それが、徐々に天気予報も変わり、河口湖駅前からは、青い空に富士山が白く映えていました。御坂の山々を全体として見ると、周囲は土木王国に相応しく?ズタズタに林道が走り、谷と言う谷には堰堤が無残に刻まれ、目を覆いたくなる有り様にもかかわらず、何故か稜線そのものは、破壊されたておらず、尾根筋には杉、檜の植林も無く、明るい灌木と広葉樹、モミの木の作りだす独特の雰囲気の山々です。もちろん、すぐ眼下には人家が見えて、風にのって学校のチャイムが聞こえたりの人の匂いはあるものの、見上げる富士山も場所を変えるたびに趣も変えて中々の魅力です。もっと歩かれて良い、もっと登られて良い山脈です。今回、思ったのは、三つ峠から三方分山までの一つに続いた、この尾根を縦走できないものか?と言うことでした。三つ峠には山小屋があり、四季を通じて、写真の人と登山の人が同居する場所ですが、御坂茶屋が営業を休止してから、すでに随分とたっており、山中一泊は難しいようにも思いました。しかし、とりわけ晩秋から初冬の頃、新雪をいただいた富士山、遠くに銀屏風となった南アルプスを眺めながらの一つ一つの個性のあるピークを越えていくのは楽しそうな登山です。一度、やってみたいなぁー。
 頂上近くまで車道が出来て、ついつい敬遠してしまった黒駒釈迦が岳、アプローチの悪さで何となく手の出なかった王岳、ちょっと物足りないと計画していない足和田山、この山脈にもまだまだ「風の谷」で行っていない山が沢山あります。竜が岳、雨が岳も遠いなぁ。でも良い山です。御坂の山。富士急行線の値段の高さが腹が立ちますが、葉の出る前の季節に最も輝く山々です。

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お坊山

・4月13日(水)   ・天候  終日、曇り時々雨 寒い
・行程 甲斐大和駅(タクシー)景徳院〜大鹿峠〜お坊山西峰〜東峰〜棚洞山〜入道山〜中央道・笹子バス停脇〜笹一酒造〜笹子駅

霧の美しい雑木林
霧の美しい雑木林
 Iモードの超ピンポイント天気で、前日に見たらJRの甲斐大和駅は晴マークなのに、初狩駅は終日曇り時々雨。あぁ、あれか。笹子トンネルを境に天気が一変する。あれだ。でもなぁ!たったの三日前、車で中央道を走った時、御坂周辺のモモ畑が全部ピンクになっていて見事だったなぁ。甲府盆地の真ん中あたりだったら、けっこう天気は良いのかなぁ。みんなが集まって、その時の様子で甲州高尾山にでも変えてしまおうか?あそこなら、きっと雨は降らないはず。そして足元には広大に広がるピンクの絨毯を見下ろせるはず。でも、予定は予定だし、保険の関係もあるか・・・、等と悩みながら甲斐大和駅へ。この駅も初鹿野という風流な名前からかわって随分とたち、昨年、駅舎も綺麗になってしまった。しかし、この駅の周辺は曇ってはいるものの、空気は冴えている。ただし、行く先のお坊山方面はガスの中だが・・・。大鹿峠の登り口は、文字通りの集落のど真ん中。人の家の庭先を本当に通って登りだす。いきなり急坂は氷川神社の大きな社殿の前へと続く。続いての道も、以前よりグッと整備された感じだ。どうやら頭上を走る送電線の巡視道として手入れがされているらしい。何もない雑木林の連続のように見えるが、よくよく見ると木々には小さいながらも芽が顔を出している。そして、鮮やかなムラサキ色はミツバツツジだ。まだ、全部は咲いていない。開きかけた蕾と2〜3の花。それでも、そこだけ明るく感じる。見上げるお坊山方面は濃いガスの中だ。それにしても、全山がほとんど雑木林なのは嬉しい。これだけ寂しい天気でも、明るい雰囲気が山に漂っているのは、ナラやブナの落葉樹が森を埋めているからだろう。大鹿峠で稜線に出ると、本格的な雨。カッパを着る。ここからの登り、晴れていれば木の間ごしにグイグイと展望が開ける所なのだが・・・。ガスで前後の人の姿も霞むほどだが、ミズナラ、コナラの木々が影絵のような幻想的な雰囲気をつくり出し、これはこれで悪くない。ひと登りでお坊山に到着。冷たい雨が待っていた。そこから東峰を経て下りだした東尾根は、登山道が整備され、真新しい指導標もできて、かつての細細としたイメージは無い。だんだん中央高速のクルマの音が大きくなって、人の住む世界へと降り立った。笹一酒造の日本酒がうまかった。

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初雪山

・4月9日(土)〜10日(日)   ・天候  9日快晴 10日晴れ
・行程 東京三鷹(マイカー・中央道・長野道・豊科経由)道の駅・白馬(仮眠)(マイカー・糸魚川・北陸道)朝日インター(マイカー)夢創塾〜795mピーク〜1000m付近(テント設営)〜大地山〜1223mピーク〜初雪山〜1223mピーク〜大地山〜テント(泊)〜夢創塾
・タイム 夢創塾8:20 テント場1000m弱11:20設営後出発11:40 大地山12:20 初雪山15:40〜15:50 大地山17:50 テント場18:20テント発7:10 夢創塾 8:45

頂上近し。とおかった
頂上近し。とおかった
 この初雪山。その場所は白馬岳から日本海に伸びた白馬北方稜線。その犬が岳の西・僅か3kmに聳える独立峰。標高は1610m。東京近郊で言えば鷹の巣山とか、三頭山程度のけして高い山ではありません。この山と出会ったのは2001年のゴールデンウィーク。豪雪の白馬北方稜線の縦走の最中でした。この時は白馬岳直下の三国境で実に丸二日近い停滞を余儀なくされ4泊5日の日程で予定どおり行くために毎日10時間近い行動を強いられている時でした。一面に広がった雪野原の黒岩平に泊まり、大きな雪原と雪原を繋げたような尾根が、徐々に痩せて、20m近い雪庇が随所に張り出し、それを避けるとヤブ漕ぎを強いられてイライラの募っていた頃でした。目指す犬が岳の左に、やたらと目立つ青白い山。その時は名前さえ判らず地形図でようやく初雪山であると知りました。見ると道らしい印は全く無く「あぁ。北の外れには、こんな山もあるんだ。でも綺麗な山だなぁ。」が感想でした。そして、二度目、2004年の同じくゴールデンウィーク。この年は雪が少なく、天候にも恵まれ、二日目の夜は既に犬が岳に到達しており、まだ三日の余裕。2001年に比べると雪が少ないせいか、近寄りがたい印象も無く、翌日「行きがけの駄賃」程度の気持ちで往復しようと思いました。しかし、深いヤブにすぐに犬が岳の下降を諦めて白鳥山に向かいました。でも、頭には、あの青白く輝いていた難攻不落に見えたあの最初の印象がインプットされていました。「いつかは登りたい!」。でも遠いなあ。そして、今回、登りました。どこかで、きっと、大変とは言っても所詮は1600mの山・・・と言う気持ちがありました。9日は晴れ、10日は曇後雨(この予報は大外れ)の予報に、初日に一気に登頂を目論んだ僕達は、文字通りの大展望の不遇の名峰に驚きました。そして日没過ぎにヨレヨレで帰りました。大きな素敵な綺麗な山でした。

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浅間尾根と浅間嶺

・4月5日(火)   ・天候  終日、穏やかに晴れ
・行程 武蔵五日市駅(バス)浅間尾根登山口〜数馬分岐〜サル岩〜一本松〜人里峠〜浅間嶺〜瀬戸沢の一軒家〜時坂峠〜北秋川橋(バス)武蔵五日市駅

ダンコウバイの下を歩く
ダンコウバイの下を歩く
 つい先週の御坂山塊の山々では、ほとんど花らしい花はありませんでした。それがたったの一週間。この浅間尾根では、実に沢山の花との出会いがありました。その前日、月曜日の朝方まで降り続いた冷たい雨は、標高1000m以上では本格的な雪だったようです。北秋川を挟んでの大岳山、御前山、三頭山の奥多摩主脈の山々は山頂付近を中心に白く綿帽子を被っていました。そして、更に奥の鷹の巣山や雲取山、飛竜山にいたっては再びの冬の白さを取り替えしていました。しかし、この浅間尾根では、タップリと雨を含んだ黒土からは湯気が上がり、スミレ、イヌフグリ、といった真先に咲く春の花を初めとして一斉に咲きだした花との次々の出会いがありました。「風の谷」は実は、毎年、この時期に浅間尾根での登山をしています。それは、この尾根が、古き奥多摩の良さをとても良く体現していると確信しているからです。標高は900m前後、雑木林と杉、檜の植林とが交互に現れる里山のほのぼのとした暖かさが、強く感じられる道だからです。また、甲州街道の裏街道として、大きな起伏が無く、かつては荷車も通った道は安定的で、ノンビリと歩くことができます。何よりも、この浅間尾根から見える山々が、ちょっと見上げる角度で眺められるからです。きわめて目立ったトンガった山頂を持つ大岳山、カタクリが4月20日頃に山頂付近を埋めつくす御前山、原生林に覆われた三頭山、これから、きっと登る山々が眼前に大きく広がり「早く来い!」と呼んでいるようにも思います。実は、この浅間尾根。秋川上流を代表するカタクリの咲く山でもあります。誰でも気がつくのは時坂峠の下、これはいち早く咲きます。そして瀬戸沢の一軒家からの登りが人工林を抜けて
初めて大岳山の大きな姿ど出会える辺り、ここにはホーローの看板に「カタクリトルナ!」の落書きがあります。最後が最大。これは、登山道からちょっと離れているために案外、気がつかず、通りすぎてしまう群落です。毎年、すこしづつ拡大し、今年は広大な面積にカタクリの葉が出ていました。場所は人里峠のすこし数馬分岐より・・・とだけ書いておきます。里山の特徴として、行く度に変化があり、新しい発見のある浅間尾根。来年もきっと行きます!

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甲斐駒が岳・黒戸尾根

・4月2日(土)〜3日(日)   ・天候  2日晴れ 3日晴れ時々ガス、小雪、午後曇後雨
・行程程 中央道・境川パーキング(マイカー)竹宇駒が岳神社〜笹平〜刃渡り〜刃利天〜五合目〜七合目(泊)〜八合目〜甲斐駒が岳山頂〜七合目〜五合目〜刃利天〜笹平〜竹宇駒が岳神社

もうすぐ頂上!
もうすぐ頂上!
 今回の甲斐駒が岳黒戸尾根が2005年の「風の谷」の冬の雪山の最終回でした。もちろん、これからの何回かの山行、初雪山にしても毛勝三山にしても、水晶にしても・・・全て雪の山ですが、それでも「冬の雪山」は、これで終わり。後は「春の雪山」です。何が違うかって?もちろん、雪はこれからも沢山あるけれど、何か本質的に違う。冬の雪山は、山がいつもキバを剥いており、こっちのちょっとした油断や手抜きを徹底的に苛められそう。もちろん、これからの季節の雪山がお気楽・・と言いたいわけではなく、それはそれで独特の困難はあるけれど、それでも、一度も笑顔になる余裕の無いといった季節ではなくなるような気がします。実は、「風の谷」は2005年になってからの雪山は全て連戦連勝!全て登頂できているという奇跡のような冬でした。雪が少なくて楽だった・・わけではありません。他のパーティーのラッセルに助けられたわけでもありません(イヤ、3月第2週の鳳凰三山では大いに助けられたけれど)。その大部分の山行は、自らラッセルし、重荷を担ぎ、文字通り勝ち取った山頂でした。振り返ってみて、強く感じるのは本当の静寂が多くの雪山を支配していることでした。北岳も、雁坂峠も、上河内岳も、焼岳も、観音岳も、白馬岳も、そして甲斐駒が岳も有名な雪山登山ルートであるにもかかわらず、全ての山頂は「風の谷」だけの物でした。唯一、違ったのは赤岳のみ。前後に終始複数のパーティーがおり、絶えず人の声が聞こえていました。ズバリ言って、八ヶ岳以外の山から登山者が消えてなくなったかのような印象です。もっと言えば、営業小屋が二食と寝具を提供する山以外から雪山登山者が消えたのです。おそらく、西穂には登山者がいるはずです。西穂山荘が通年でやっているから。テントや雪洞を使わないと登頂できない雪山は太古の静けさが満ちています。毎回が自分達が初登頂したのと同じ感動があります。その意味では雪山登山の衰退は嬉しいことかもしれません。甲斐駒が岳は大変でした。何よりも標高差が凄く、変化に富みすぎていて疲れ果てます。「もう二度と雪の黒戸は行かない!」何度思い、何度懲りずに計画を立ててしまった事か。そんな甲斐駒でした。

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御坂山塊の北端・大沢山から笹子峠

・3月29日(火)   ・天候  晴れ後、ガス
・日程 笹子駅(バス)追分〜稲村神社〜1044m〜大沢山〜ボッコの頭〜摺針峠〜大洞山〜三境〜笹子峠〜旧道〜ゲート(タクシー)甲斐大和駅

大沢山直下で見つけたマンサクの花
大沢山直下で見つけたマンサクの花
 御坂山塊・・・と言うと富士五湖の周辺で下に湖を見下ろして、頭上高くに富士山が見えて・・・と刷り込まれた物があります。けれども、その北から東に広大に広がる部分は何故か未開で明るい雑木林と、送電線への巡視路程度しかない不遇の山々が広がっています。面白い山が少ないんだろう等と言うのは行ったことのない者の浅ましさで、なかなかの山が沢山あります。下はたしかに杉、檜の植林であるのは同じですが、1000mを越える部分はほとんどが明るい広葉樹、雑木林が美しく広がり、各種のツツジの灌木、ブナ、ミズナラに白樺まで交えて素敵です。たしかに足元の沢には山梨独特の堰堤が築かれ、何のためか判らない林道が通り、山の下にはリニアモーターカーが走り、中央道、中央線、といろいろと鬱陶しい物があるのも確かではありますが、それでも山の中は静寂そのもの。他の登山者には逢ったこともありません。今回の大沢山から大洞山、笹子峠への稜線、一昨年に訪れた笹子峠からの京戸山、達沢山への道もそんな静かな不遇の山々です。今回は残念ながら出会えなかった大展望ですが、甲府盆地の南端を縁取る稜線のために足元には大きく広がる甲府盆地、その西には視界の半分を占める圧倒的な南アルプスが銀屏風となって並ぶ・・・優れた展望台でもあります。
 実は、今回行って驚かされたことがあります。案内に「一切、指導標等無い・・」と書いたのに、入り口に新しい「大沢山登山口」の小さな看板。頂上に綺麗すぎる大沢山の標識。明らかに登山道の開削を目的としたと思われる、あまり上手では無い灌木の伐採跡・・・、三境の「山梨ほっと・・何とかの道」の看板で御坂町と山梨県が、この周辺の山々を登山の地として開発していることを知りました。そうか・・・そうなんだ。いや、良い山だし、良いルートだし、たしかに迷いやすい所も多い・・というか、もともし登山道は無い山々だったから・・・良いことなんだけど・・・でも納得できない。俺だけが知っている山々だったのに・・・そんな気持ちでした。途中の山の中からタクシー会社に「笹子峠の旧道は上までタクシーが上がれますね?」「ハイ、もちろん」の返事に向かった笹子峠は4月下旬まで閉鎖!しかたなく歩いた旧道がけっこう良くて・・しょうがないか!

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鳳凰三山の観音岳と薬師岳

・3月12日(土)〜13日(日)   ・天候  12日晴れなのに雪 13日晴れなのに雪
・行程 甲府駅(マイカー)芦安(タクシー)夜叉神の森〜夜叉神峠〜杖立峠〜苺平下(テント泊)〜南御室小屋〜砂払い〜観音岳〜薬師岳〜砂払い〜南御室小屋〜苺平(テント撤収)〜夜叉神峠〜夜叉神の森(タクシー)芦安(マイカー)甲府駅

 「風の谷」連戦連勝記録更新中。2005年になってから、悪天、大ラッセル、寒波の襲来と様々な悪条件にもかかわらず「風の谷」は、どのプランも頂上を落としています。このツキがずっと続くと良いんだかなぁ。でも、今回は、僕達自身でラッセルし、ルートを切り開いたのは、僅かに薬師岳小屋から観音岳の間だけ。無茶苦茶な頑張りを見せて、絶えず先行し、ついに下山の時に会うまで、そのお尻さえ見られなかった明治大学エーデルワイスクラブの面々と写真家の新井氏のスノーシューでの大ラッセルのお蔭でした。本当にありがとうございます。もし、彼らが居なかったら恐らく薬師岳でギブアップ。最高点。観音岳は我が物には成らなかった事と思います。本当にありがとう!でも、人に付けてもらったトレースを辿るのは楽だけど、ちょっと残念。今年に入ってから、赤岳以外は取り敢えず全部、自分達で勝ち取った頂上だったから・・・・(北岳もトレースがあったか・・・・。)。それにしても、誰も居ないと思った鳳凰三山に他のパーティーが居たのは驚き。それほど、今、営業山小屋の無い山は人が入らないのだ!それにしても寒かった。ここのところ、ちょっと暖かい日もあったりで、心構えも春の気分だった所にけっこう強烈な冬型。久しぶりに温度計がマイナス20度に近い所まで下がっていたから。ついつい注意を怠って、顔には軽い凍傷ができてしまった。鳳凰三山の最大の魅力は夜叉神峠に飛び出した途端の北岳を筆頭とした白峰三山の圧倒的な展望。これが頂上に着くまで、木の間ごしにずっとチラチラと見える・・・・はずだったのが、ついに山頂は拝めず。ずっとハラハラと風に雪が舞い続ける天気でした。ちょっと気になったのは展開のペースが、我が「風の谷」では異例の遅さだったこと。ラッセル無しで苺平で3時10分起床、5時出発で頂上到着が9時過ぎ。これは計算外でした。ヤッパリ雪山はスピードと体力と脚力。みんな、トレーニングをしてね!次の南アルプスは甲斐駒。これも絶対に登るぞ!

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谷川山麓・マチガ沢と一の倉沢 スノーシュートレック

・3月9日(水)    ・天気 曇り、時々雪、そして晴れ間も
・行程 三鷹駅(マイカー)谷川岳登山指導センター〜マチガ沢出合い〜一の倉沢出合い〜マチガ沢手前〜新道〜指導センター(マイカー)東京

何ヵ所か雪崩の跡をこえた
何ヵ所か雪崩の跡をこえた
 マチガ沢出合いの手前では、大規模なブロック雪崩の跡がありました。そこまで丁寧に付いていたトレースが綺麗に無くなって一抱えもあるブロックがゴロゴロと落ちていました。・・・と言う事は・・・つい最近落ちたらしい・・・。町は春と言うより初夏の風が吹いていても、谷川岳周辺だけは冬の風が吹いていました。やはり日本海と太平洋の風がぶちあたり、最も天候の不安定な場所だとの印象を強くしました。ブナの巨木をヒューヒューと鳴らして吹き過ぎる風は、まだまだ冬の物でした。スノーシューとワカンが半々。ここ数年、急速に普及したスノーシューですが、少なくとも「潜りにくい・・」と言う点では、あきらかに軍配が上がりそうです。一方、急斜面の下り、トラバースと言う点では、まだまだワカンが強そうです。でも、スノーシューと一言で言っても、様々な種類があり僕自身の知識の不足もあるので、いい加減な事は言えませんが・・・。でも、トレースの無い雪原を誰もが自由に歩き回って良い所にしたのは、大きな功績でしょう。また、冬には、人々が訪れなかった・・・例えば上高地のように・・・場所を冬に楽しめる場所にしたことも大きいようです。でも最近の上高地、毎週末は時には数百人の人が、ツアーバスで来るとか。その点、この一の倉沢は、まだまだ静寂の世界。誰もいません。夏の車道は斜めになったただの雪原。まさか車がビューッと駆け抜ける場所とは、流石に誰も気がつかない雰囲気でした。一の倉沢は、やはり一の倉沢でした。一昔前、僕自身が2月に格闘した烏帽子奥壁中央カンテは不機嫌そうなガスの中でした。あれが南稜バルコニー、あれがテールリッジ、そして衝立・・・と一つ一つの思い出の岩壁を目で追いました。コップ状岩壁の基部が見え隠れして、その為に一喜一憂していましたが、どうにもガスは取れない、でも、それが冬の雪の一の倉だと、妙に納得してしまいました。雪崩の心配も無く、風も無い・・・そんな場所は無く、陰鬱な一の倉避難小屋で昼食。この場所で「金縛り」に会った不気味な経験を思い出しながらの一時でした。寒い、風の吹く旧道から新道に出て指導センターに帰ると、そこは薄日がさしていました。

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二年越しの焼岳

・3月5日〜6日   ・天気 5日雪後、晴れ時々曇り時々雪 6日快晴夜明けまで雪
・行程 4日夜東京発・みどり湖パーキング泊 5日松本インター出口待ち合わせ(マイカー)沢渡(タクシー)中の湯ゲート〜中の湯〜1700m台地〜1960m付近テント設営〜2031m台地〜焼岳〜テント(泊) 6日〜中の湯〜ゲート(タクシー)沢渡

頂上近し!でもまだまだ・・ラッセルだぁ!
頂上近し!でもまだまだ・・ラッセルだぁ!
 去年は誰もいない焼岳だったのに、今年は我々以外に単独の山スキー、名古屋の中京山岳会?6〜7人、ガイド風のナイスガイとゲスト2名、山スキーヤー2名の4パーティーが前後する盛況でした。でも、「トレースがある!」と喜んだのは最初だけ。1時間ほどで「今日はトレースを付けて中の湯泊まり・・・明日、登頂」の名古屋のパーティーに追いついて、全員でラッセル。最初は雪の中の歩きだしだったのに、天候はグングン良くなって青空に霞沢岳を梓川越しに見ながらのラッセルでした。この中の湯からのルートは、1700m付近から傾斜を落とし、広々としたブナやシラビソの大木がニョキニョキと生えた中の美しい道です。随所にテント場がありましたが、昨年と全く同じ場所にテント設営。木の間ごしに焼岳と穂高の見える最高の場所でした。「今日中のなんとしても登る!」の決意の下、空身でラッセルに出発。2031mから先はみんなテントを張ったり、中の湯に帰ったり・・・と、僕達だけ。低温の予報のはずが、暖かい日射で新雪が緩み下はザラメ。絵に描いたような「雪崩の出そうな状態」に広い斜面は真っ直ぐ登れず、樹林の中を巻いたり、西側斜面に入ったりと頭を使う。それに今年最大の重い雪にワカンは無茶苦茶に重い。「帰ろうかぁ?」と何度も迷いながら最後の大斜面に入る。いよいよアイゼンに履き替えて、もうすぐ頂上のつもりが、それからが長かった。でも、細い稜線に出て北峰の凄まじい噴煙が見えて雪庇を避けて竹竿がポツンと立つ最高点に立ちました。いやぁ辛かった。でも、嬉しかったなあ。なんと言っても去年の猛吹雪の撤退のリベンジだから。ヨタヨタでテントに帰ったが、登りはテントから3時間半、下りは40分。呆気ない。翌日「今日、登れば良かった・・・」の声を背に下山。昨日、引き返した名古屋のパーティーの登って来るのに会った。全員アイゼン。僕達のトレースもきっと凍ってグイグイ登れるはず。うーん!羨ましい。ズルイ!でも満足したのは大ラッセルした俺達だ。
 2005年になってから北岳も、雁坂峠も、上河内岳も全部ラッセルに次ぐラッセルで全部登頂!これからゴールデンウィークまでワカンに働かせるぞ!

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