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小学校2年のとき、兄の影響を受けサッカーを始める。 人一倍体が小さく、決して上手ではなかったが、大好きなサッカーに明け暮れた。 高校は全国有数の名門校、山陽高校サッカー部に入り、全国を目指し体 を鍛える。 高校3年の夏、地元広島でセパタクローの大会が行われたことがきっかけでこの競技の存在を知った。サッカー部監督の薦めで参加した大会で、華麗で豪快な足技をまのあたりにし衝撃を受ける。セパタクロー協会から若さと才能を買われ、後に行われた強化合宿、セパタクロー世界選手権に選出される。そこでスポーツを通じて世界を舞台に活動することに心を打たれ、セパタクローに転身することを決意する。 平成6年セパタクローの一芸一能入試で亜細亜大学に入学。 再び日本 代表として世界の舞台に立つべく練習に明け暮れる。自由 な大学生活だが他のことにはめもくれず、全ての時間をセパタクローにつ ぎ込んだ。その努力とこだわりによって才能を開花さ、国内大会では優勝 を重ねセパタクロー寺本進の存在を確立させた。 大学2年で再び日本代表入りし、日本のエースとして君臨。世界大会で は、最下位を争っていた日本チームであったが、いきなりグループCで優 勝しグループBに昇格。その後グループB3位を飾ると、翌年には優勝。そ してついに、世界のトップの舞台グループAへと、ここ数年で急成長をはか る日本チームの立て役者として活躍してきた。 2002年・釜山アジア大会で、サークルゲームにより念願の銅メダルを獲 得。 アジア大会でのメダル獲得という大きな目標を達成したが、セパタクローに対する思いは冷めることなく、2004年再び更なる高みを目指して一人タイに出る。そこでタイのプロチームの練習に飛び込みで参加。監督に評価をもらい、突然チームへの入団が決まった。これまで前例の無い初の外国人選手としてプロリーグに参加。 遠いタイの地で日本人一人世界最高レベルに挑戦の日々は続いている。 |