12月10日(木)晴

ジブラルタル半日体験〜アンダルシアドライブ紀行

この日からはレンタカーで移動する日で、朝一番にジブラルタル(以下ジブ)に行く事は決めていたが、どこに泊まるかは決めていなかった自由な日だった。

ジブから翌日にホテルを予約している今回のツアーの最終目的地のマラガまではわずか127km(高井戸-韮崎間と同じ距離で100%が海沿いの高速道路)。途中白い村として有名なカサレス/Casaresは海岸から10km弱、ミハス /Mijasは5〜6kmなので寄り道したとしても2日間まるまるかけて行くには少し近すぎた。
朝、工藤君と「由緒正しいガイドブック」とミシュランのマップを見ながらルートを検討したが、「由緒正しいガイドブック」にはカサレスもミハスも載っていなかった。日本のガイドブックには必ず載っていて、JTBの写真が多いガイドブック「るるぶスペイン'98」ではカサレスの白い街並みは表紙にもなっているにも係わらず1行も載っていないのである。
工藤君は「きっと由緒正しくないからだ」と言っていたが、これは何かあると勘ぐりたくもなる。単なる観光地なのではないかと。しかし観光客が、ある場所を単なる観光地かもしれないという理由で行くのを避けるなんてナンセンスで、しかもこの日からは車という便利な武器があったので、観光地だけでなく移動中も寄り道をしながらあちこちを楽しむことができるのだ。
そこで、工藤君が「由緒正しいガイドブック」で見つけた「A Toure Around the Pueblos(村) Blancos(白い)」という車でしか行けない「お薦めコース」を走ってみることにした。
このツアーはジブから北に約30km行った元祖Los Angels付近をスタート地点とした一辺60〜70kmの逆三角形の山道のコースで、「由緒正しいガイドブック」の説明文には8つの白い村が紹介されていた。ミシュランのマップを見るとコースの周辺に鹿さんマークが所々に書いてあって、国立公園もある自然溢れるコースであるのは間違いなさそうだった。問題はどこに泊まるかだったが、とりあえずコースを走破してコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)に出てから海沿いのどこかの都市に泊まる、という計画で出発した。

行動予定が決まったら、まず車をピックアップ。

この日はハーツで朝9時に車をピックアップする日することになっていたので、チェックアウトする時にハーツのアルヘシラス営業所の場所を聞いて荷物を引きずりながら5分位歩いて行くと9時ちょっと前に着いてしまい、座り込んで待っているとラテン系にしては意外な事に9時ちょうどにオープン。手続きをして早速車に乗り込んだ。予約はコンパクト・カーだったので借りた車はワインレッド色のルノー・メガーヌ (Renaut Megane)、ヨーロッパではマニュアルの方が多いのでこの車も5MTだった。
工藤君に後でこの車について聞いたところ「2000ccでノン・ターボだったと思うのですが、キー抜いた後もなぜかタイマーがかかって(エンジンが作動して)いました。形状は 5ドアハッチバックで、素性としては、ルノーが社運を賭けて作った小型車で、ラリーではフランス選手権のチャンピオンを取ったりしてます」という車。

まず僕が運転して一路ジグラルタルへ!
と思ったら海岸沿いの真っ直ぐの道は問題無かったが、最初のヨーロッパ特有のサークル(ロータリー)で直進すべきところを右に出てしまった(=右折。直進車はサークルを時計の反対周りでぬける、大きいサークルで複数の車線がある場合は、一番外側の車線は右折と直進用で、左折車はサークルを3/4周するので一端内側の車線に入り、出口の手前で外側の車線に移ってからぬける。サークルの中が3車線以上もあって車が入り乱れている大きなサークルもあり、以前、パリの凱旋門の渋滞した巨大サークルで出られなくて1時間もぐるぐる回ってしまった人がいたという話しをHISの添乗員さんから聞いた事がある)。
僕は間違った事はわかっていたので、すぐ歩道に頭から乗り上げてUターンをしようと思ったら、なんとギアをバックに入れる方法がわからなかった。
バックはシフトノブに1速の横に表示されていたのでプッシュバック(シフトノブを押してバックに入れる方法)を試したが全然入らず、工藤君にも手伝ってもらっていろいろ試したがまったくわからず、焦っていると隣にトラックが入ってきて車庫に入れる様子、このままではヤバイと思ってギアをニュートラにしてみたら緩やかな昇り勾配だったので少しバックできたので、ハンドルを左に切って前進。歩道を10m位走ってから車道に出た。工藤君は「ひえ〜」と言っていたがバックできない車がこんなに不便だとは思わなかった(当たり前か.....)。それからしばらくはバックできない状態で走った。

ジブまでは約13km。高速(無料)を降りて一般道を走って行くと目の前にジブの白く巨大なザ・ロック(写真左下、手前がスペイン、右方向がアルヘシラス)の絶壁が目の前に迫って来た。おーと思っているとスペイン-イギリス領ジブラルタル国境ゲートに到着。

国境警備の警官に窓を開けてパスポートの顔写真が載っているページをかざすだけで簡単に通過できた、止まったのも一瞬だった。ゲートをぬけると視界が大きく開けそこはジブラルタル空港の滑走路上で、ここは一般道が滑走路を横切っているので飛行機が離発着する時は踏切と同じで車と歩行者が止められる珍しい場所だ。

交通ルールはジブがいくらイギリス領だからと言って、いきなり左側通行になる訳ではないが、標識は当然全て英語。街並みはスペインとそれほど違いはないが英国風の家もあった。
すぐジブの突端にあるヨーロッパ・ポイントを目指したいところだが、ここで我々がまずやった事は、バックギアの入れ方を究明する事。
小さな駐車場でいろいろ試したらシフトレバーの軸にかかっているカバー(合成ゴム製のだぶだぶしたカバー)の一番上の部分にあるリング状のものを上に少し上げてからシフトバーをバックに入れてみると簡単に入った。こんな方法は日本車では考えられないがこれなら走行中に間違ってギアを傷める事は絶対ない訳で、まあいいだろう。

やれやれと思って一路ヨーロッパ・ポイントへ。
ところが国境からヨーロッパ・ポイントまで5km位しかないのに狭い土地に道が入り組んでいてなかなか着けず、右だ左だ上だ下だと動き回って一時はトンネルを通ってザ・ロックの反対側まで行ってしまったが、ついにヨーロッパ・ポイントに到着。
ヨーロッパ・ポイントはジブの突端にある展望台で、ここからは海峡越しに遠くアフリカ大陸が挑めることができる。
ここからは海峡をはさんだ対岸にあるスペイン領セウタが見える。ジブのザ・ロックと向かい合っているセウタのアチョ山は、ギリシャ神話にあるヘラクレスが10番目の難業として投げ飛ばした岩だという伝説があり「ヘラクレスの2本の柱」と言われている。この2つの柱にはさまれた幅24kmの海峡から流れ込む海流は地中海の海の水の唯一のリフレッシュ方法なのだそうだ。
ポール・セローの「大地中海旅行」(THE PILLARS OF HERCULES)では地中海について「地中海は変わった海である。潮の流れがほとんどなく、ところどころに見られる渦巻きを除けば、はっきり識別できる海流はない。海流よりむしろ風によって支配されている海だ。風にはそれぞれ名前がつけられ、それぞれの特徴と結びつけれれて考えられている。たとえば〈ベンダバル〉はジブラルタル海峡をたえまなく吹き抜けている偏西風、〈トラモンターナ〉はスペイン沿岸に吹く強い風、〈ボラ〉はトリエステの寒風、〈ミストラル〉は乾燥したリビエラの冷たい北西風、さらに〈カムシン〉〈シロッコ〉〈ルヴァンテ〉など6つの風、〈グレガーレ〉というクレタに吹く冬の北東の風にいたるまでいろいろある」

この日のジブには海峡の偏西風〈ベンダバル〉が吹いていた。
青い海、青い空。僕はしばらく海峡を見ていた。
澤木耕太郎の香港〜ロンドンのバスの旅を描いた僕の愛読書「深夜特急」をテレビ化した「深夜特急'98」で澤木耕太郎役の大沢たかおがここで海峡を見ているシーンがあって、光輝く真っ青な海峡を前にして大沢たかおの後ろ姿が映っているシーンでは、僕はテレビに首をつっこみたくなったが、あの時見た風景の中に自分がいることに満足した。
工藤君は双眼鏡で右側の湾越しに見えるアルヘシラスの街を見ていた。見せてもらったら風力発電用の白い風車群や朝チェックインしたアルヘシラスのホテル・アルマールが10km位も離れているのに良く見えた。ここで記念撮影した後は、 Last shop in europeというお土産屋で葉書やジブのザ・ロックの破片が入ったお土産を買った。
その後はザ・ロックの観光。車やバスで巡る「Upper Rock Nature Reserve(岩の上自然保護区?)」 言う観光コースがあって、立派なクイーンズイングリッシュを話す係員さんに5ポンド(1,000Pts/人、車1.5ポンド=300Pts/人)を払うと周遊券みたいなチケットをもらって見学開始。
最初の見学地はなんてことはない展望台だったが周囲はなぜか香港人の団体さんで、ジブで聞く広東語は新鮮だったがやはりうるさかった。次は鍾乳洞(St .Michaelユs Cave)。ここは意外な程立派な鍾乳洞(ここに来てザ・ロックは巨大な石灰岩だという事がわかった)で、内部に100個以上の椅子が並べてあるシェイクスピアの劇までできる大きな空間があった。次はヨーロッパ唯一の原産の猿(Gibraltarian barbary ape)を見物。猿はしょせん猿なのでさほど面白くなかった。
次はスペインからジブを防衛する為に掘ったトンネル見物(写真左がトンネルの入り口)。
ここは絶壁をくり貫いて作られたトンネル(The Great Siege Tunnels)で総延長は80kmもあるそうだ。トンネルの内部は岩肌剥き出しだが、内径は高さ3m位、幅は2m位もあって結構立派。しかも昔のイギリスの海軍の制服を着た人形(砲兵さん)が展示してあり、大砲が暗いトンネルの中から筒先をスペインを向けていて歴史が感じられて面白い。
スペイン王位継承戦争でフランスとオーストリアが戦っている時にどさくさに紛れて1704年(赤穂浪士討ち入りの頃)に占領してから、スペインに何と言われようが300年弱も占領しているのだから、それはいろいろあったのだろう。国境閉鎖は15回もあって、最も最近はファシズム政権フランコ総統時代の閉鎖で、1970年代から閉鎖し兵糧責めにしたが「ECに加盟する為」に1985年に渋々開放したそうだ。
ザ・ロックのスペイン側はまさしく絶壁で、この絶壁や海岸沿いの砲台から攻めて来るスペイン艦隊に砲撃したそうで、1884年に設置された大砲(The 100-Ton Gun)なんてものもあった。

我々はトンネル見物の後、駐車場からはるか下に見えるジブラルタル空港を離陸しようとしていたブリティッシュ航空のエアバスを発見。しばらく滑走路の端で待機している飛行機を見ながら「皆様〜間もなく離陸いたします。もう一度シートベルトをお確かめ下さい」、「皆様、現在管制塔からの離陸の許可を待っております〜」などと口々に言いながら離陸を待ち、離陸を見守った(待っている時、猿が工藤君に飛びつこうとした)。エアバスは一般道と滑走路がちょうど交差している所で離陸していた。

僕はその後ジブのザ・ロックの形をした石灰岩の小石を拾って1人でご満悦状態。
最後は8世紀に建てられたというThe Keepというムーア人が作った朽ち果てた城(まるでイングランドやコットランドにある古城のように見えた)にひるがえるユニオン・ジャックを眺めて観光は終わり。お昼ご飯を食べる事にして海岸に近い繁華街に出た。
ところが駐車場探しが難航して同じ道を何度も通ったり、一通をバックで延々と逆行したりしてえらい苦労したが、なんとかパーキングメーター(15分25Pts=安い!)に停めていざ食事。
我々は夜はパブになる店のToday's Lunchで「せっかくだからモード」でフィッシュ&チップスを食べた。
ジブはDuty -Freeなので年間400万人も買い物に来るそうで、街を歩いている人の人種も様々で国際的な感じがした。ジブにはロンドンのダイエー「マークス&スペンサー」もあり、我々が入った店にはフィッシュ&チップスの他にエールビールもあってイギリスに思いをはせることができた。

気が付くともう昼。我々はあまりにもジブに長居し過ぎた。
動けるのは午後だけになってしまったので車の中で予定を組み直したが、全コース(215km)の走破は無理なので、どこかコースの途中で泊まらざるを得ないが、途中は村なのでホテルは期待できない。そこで工藤君の提案によって逆三角形の上の左の頂点の先にある白い村(アルコス・デ・ラ・フロンテーラ)からコースを外れ真西に24km行った人口20万人の「大都市」ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(シェリー酒発祥の地=スペインではシェリー酒はへレスと言う)に泊まる事にした。
ここはイベリア半島南端の西側の大西洋沿いの海岸=コスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)の中心都市のカジスまであと20数km弱の位置にある街で、フラメンコの「渋い」へレス・スタイルでも有名で彼は行きたがっていた。
目的地も決まり、我々はいよいよロング・ドライブに出発した。


ジブから少しアルヘシラス方面にもどって一般道を北に向かって走り始めるとアルヘシラスに来る時乗った「アンダルシア・エキスプレス」が走った線路が見え、元祖LAまでの32kmは来た時のルートをもどる形になった。工藤君のナビで走ったが一般道でも平均90〜100kmで走れた。
周囲の風景はどことなく(スペイン人には失礼ながら)カルフォルニアの郊外に似ていて、工藤君もカルフォルニアのナパバレーに似ていると言っていた。ユーカリの大木やオリーブの木が乾いた大地に生えていて、所々に牧草地や白っぽい大地が剥きだしになっていた。もしかしてこの剥きだしの大地は夏はひまわり畑になるのではないかと思ったが、だとしたら見渡す限りひまわり畑になる訳でそれはすごい風景だろうと想像した。アンダルシアの夏を代表する風景は一面のひまわり畑なので可能性は高いのだ。
途中ロス・アンヘレス牧場があったので牛の絵とLos Angelesと書かれた看板を記念撮影(写真左下)。ロス・アンヘレスを通過するといよいよ初めての白い村Jimena de la Fronteraに到着。

遠くから見たヒメナ・デ・ラ・フロンテーラは牧草や畑に囲まれた小高い山にオレンジ色の瓦に白い壁の集落が寄り添うように建っている村だった。我々は山の頂上にある「由緒正しいガイドブック」で紹介されている朽ち果てたムーア人の城跡に行こうと思って白い壁の家が軒を連ねる村の狭い道を進んだが、行く手をコンクリートミキサー車に阻まれて行けなくなってしまった。工藤君は「コンクリートミキサー車のせいで行けなかったなんて笑える」と喜んでいた。まあこんな所でどいてくれなんて言うのはヤボなのでバックしてもとの道に戻って村をぬけた。
ここから先の道は昇り道。
周囲は高い木がなくなり、低い木や黄色い花をつけた草が多くなり、ジブの岩山のような白い岩が一面にある山道(標高は400m位)になった。さらに進むとセンターラインも無くなりカーブが続く見晴らしの良い道になり、いったいここはどこだと言う程の景色の良い山道になった。地図には鹿さんマークが書いてあったが、事実鹿を目撃した(写真左下は途中にあった農家)。

しばらく山道が続き峠(417m)を下ると、今度は周囲に高さ5〜8m位の木が一面に生えている道になった。木の間をどんどん進むと木の幹の皮が2m位から下が剥がされている木が目に付き初め、本来の木肌は黒っぽい灰色なのに赤茶けた木肌が剥きだしになっていた。鹿が木の皮を食べるのかと思って考えていると、これがコルクの木だと気づいた。道の周囲は一面のコルクの林だったのだ。



ものの本によると、正しくはコルクガシという木で、モロッコでもコルクは名産になっていた。樹齢27年から70年〜75年までに9年ごとに剥がされるそうで高さは20mにもなるそうだ。僕は車を停めて皮をすこし剥いでみたが樹皮の断片は確かに見慣れたコルクだった(写真下右の樹皮の断面がまさにコルク)。

  
その後コルクガシの林が続くゆるやかな下り道を進むとだんだん木が少なくなり、周囲は荒涼とした風景に変わった。前方に湖が見えて「湖が見える!」と言ったら工藤君は「ほーっ!」と答えたがその直後に道がダート(舗装されていないジャリ道)になった。砂煙を上げながらばく進したがなかなか楽しかった(写真左)。

この日は日が暮れるまでにヘレス・デ・ラ・フロンテーラに着きたかったので次の目的地のアクロス・デ・ラ・フロンテーラまで急いだが、ダートの道をぬけて地平線まで続くひたすら真っ直ぐな道を進んで行くと、周囲はゆるやかな起伏が続く畑になり、起伏の向こうに崖の上に建つアクロス・デ・ラ・フロンテーラ(国境のアーチ。人口3万人)が見えて来た。
川に面して南西に高さが80〜90m位もある崖があり崖の上には古い城が真っ青な空を背景にして建っていた。白い集落は崖の南側の斜面に建っていた(写真左下)。


車で北西方面から回り込むように白い村に入っていくとどんどん道が狭くなり、ローマ時代から続く石畳の道は車の通行を想定していない幅になってきた。途中ここを通るのかと思うような狭いアーチがあって、「ドアミラーをたため!」「左右は大丈夫か!」「左ぎりぎりOK!右10cm!」と大騒ぎして通ったが、ここを通過すると見晴らしの良い街の中心部の広場があり、駐車場に車が一杯停まっていた。大騒ぎしたのは我々だけだったのだ。僕はヨーロッパで小型車が売れる理由が改めて実感した、大型車では街の中心に入れないケースがあるはずだ(写真左下)。

ここの広場には見晴らし台があって崖の上から景色が見えたが、80〜90m下には蛇行した川が流れその向こうには夕日の逆光の光りを受けた茶色い大地と緑色の畑がゆるやかな起伏の中にモザイクのように広がり、崖に面したサン・ペドロ教会も夕日に照らされオレンジがかっていてまさに絶景。工藤君は「ブエナ・ビスタ!」(スペイン語で良い景色)と言っていた(写真左下)。

広場にはオレンジの樹がここにもあり、見晴らし台の背後に駐車場に面してゴシック様式とムデハル様式(キリスト教に改宗したイスラム教徒が建てたイスラム建築の様式)の両方の様式で建てられたIglesia de SantaMaria de la Asuncion(イグレシア・デ・サンタ・マリア・デ・ラ・アスンシオン)という名前の教会が建っていた。この教会は中央にムデハル様式の四角い塔、左右にゴシック様式の教会兼博物館が建っている。この広場にはスペイン国営ホテルのパラドールもあった。




ここのパラドールに飛び込みで泊まっても良いと一瞬思ったが、日のあるうちにこの日の目的地(ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ)に行かないと街灯が無い道を走る自信がなったので先を急いだ。
ここからは30kmでヘレス・デ・ラ・フロンテーラに着くがもう5時を過ぎていて日没が迫っていたのでただひたすら何も無い大地の真っ直ぐな道を110〜120kmで走った。途中はブドウ畑やまるで月かと思うような何も無い風景もあった。

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの街に着くとちょうど日没直後で、ホテルを探す為中心部へ行き適当なホテルを見つけて部屋を見せてもらってからチェックイン。たった4,000Pts/2人だった(HOTEL JOMA JEREZ、二つ星オテル=ホテル)が駐車場は無いので路上に駐車した。
ホテルは4,000Ptsらしい地味な作りだったが10畳位はあった。ここのエレベーターは各階の乗り場には手前に引く部屋のドアのような茶色い金属製のドアがあるが、エレベーターそのものにはドアが無いので通過する壁面がまる見えで壁が動いているように見えて面白かった。
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは人口約20万人(セビーリャからは特急で1時間半。コスタ・デル・ソルの反対側=西にある海岸コスタ・デ・ラ・ルスまでは電車で45分)。なんと言ってもヘレス(シェリー酒)の生産地として有名な街で、有名なTioPePeの製造元のゴンザレス・ビアス社をはじめとして5社の酒造工場(酒倉はBodega/ボデガと言い、試飲ができるボデガ見学が人気らしい)があるそうだ。この街で作ったものしかヘレス(シェリー酒)とは言わないそうだ。ここはフラメンコでも有名でフラメンコ博物館もある。
荷物を置いてとりあえずバルに行く事にして石畳の道の街を歩いてみると、広場にヘレスを入れる木の樽がピラミッド式に積んであった。
通りをぶらぶらして街の中心部にある広場(アレナール広場)を過ぎると今は教会になっているイスラム時代のアルカサル(王宮)やカテドラルがあってこれが意外な程大きかった。ここの城壁沿いに店内の樽が置いてあるヘレス(シェリー酒)専門の立ち飲みの小さなバルがあって、入ろうかと一瞬思ったがあまりにも地元色が強いので遠慮して入れなかった。東洋人が入っては常連さんに悪い気がするのではないかと思う程だった。


その後クリスマスのイルミネーションが通りを横断幕のように一定間隔で飾られた通りをぶらぶらして、ホテルにシャンプーが無かったのでショッピングセンターのスーパーに入った。工藤君は基本的に買い物をしない人なので(小物が好きなんだそうだがデザイン重視で並の物には興味を示さない、ミラノでは違ったらしい)このツアーで買い物らしい買い物はこの時が初めてだった。スーパーではシャンプーと会社のお土産用のお菓子を買ったが。レジでAMEXで払おうとしたらレジのお姉さんはカードの裏と表をしげしげと珍しそうに見て「なんだこのカードは?」という顔をしていたのでVISAで払った。AMEXはヨーロッパでは使えない事が多い、もちろん「世界で使えるJCB」も嘘だが。
買い物をしてからは同じショッピングセンター内のバルに入った。僕はセルベッサとチョリソのボカディージョを注文しようとしたが通じず、工藤君に
「チョリソはリ、ボカディージョはディにアクセントを付けないと通じませんよ」
と言われたので
「ボカディージョ チョリーソ ポルファボル!」
と言うとバルのおじさんは
「Si Si Si」(シシシシ=Yes Yes Yes)と言ってくれた(500Pts)。
バルで一端休憩してから荷物を置きに一端ホテルにもどり夕御飯を食べに行くことにしたが、いざ歩いてみると、何も無い。
途中日本人と思われる女性2人とすれ違ったが意外だったので驚いた(向こうも驚いていたようだった。もしかするとフラメンコ留学している女性だったのかもしれない)。JTBのガイドブックにはGAITANというレストランしか載って無く、結局そこに入ったがガラガラだった。
ここではメニューの中から僕は蟹とえびのスープ、牛テールの煮込みを注文(工藤君はあっさりしたスープ)を選んだ。食前酒にいよいよヘレス(DOMECQという酒造元のLa Ina/ラ・イーナ)を飲んだが、これがなんとも言えぬおいしさ。
背の高い細身のグラスで冷やされて出てきたが、ドライですっきりとしていて後味が良く、飲んだ後ほのかに樽の香りがした。タパスは塩漬けのオリーブだったが相性も良かった。これを飲んだだけでもヘレスに来て良かったと思う程のおいしさだった。やはり本場物は違う。あまり期待していなかった分驚きも増大した。
帰国後工藤君にこの日飲んだスープを覚えているかとメールで聞くと、「確かコンソメ系のスープだったとは思いますが... (サフラン系かも)。あのディナーは実は Fino 以外殆ど覚えていない」(Fino=シェリー酒の辛口タイプの総称)。と言っていたので彼の印象もヘレスで占められていたようだ。
店は9時以降にお客がどんどん入って来て、ラテンの時間になるとほぼ満席になった、牛のテール煮込みも骨からするすると肉が離れておいしかったが、途中に工藤君が眠気に襲われてどうしようも無い状態になってしまい、早々に帰った(メニュー=定食に赤ワイン1/2ボトルとカフェも飲んで6,848Pts/2人。内メニューは2,100Pts×2、ヘレスは1杯700Pts)。
この日泊まったホテルは暖房の効きが悪く夜に起きてしまった。


NEXT DAY
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