4月29日(火)5日目、(晴れ 最低気温10度、最高25度位 風強し)

(プロヴァンスデザイン)

憧れのプロヴァンス周遊

この日は南仏プロヴァンス周遊の日。直線距離で約70km離れたエクス・アン・プロヴァンスのホテルを予約してあります。
起きて窓の外を見てみると、アルルの旧市街地の街並みが広がっていました。
家々のオレンジ色に近い茶色の瓦の向こうに教会が2つも見え、美しい風景でした。ここの窓から見た風景は今回泊まったホテルでは一番でした(写真右下)。
朝食はフロマージュ(チーズ)が豊富で感心しました。ジャムも豊富でしたが、マロンクリームが栗かのこみたいでおいしかったです。チェックアウトまでのアルルの町を散策。途中ゴッホが「アルル療養所の庭」を描いた中庭で有名なエスパス・ヴァン・ゴッホへ。
ここはゴッホが一時入院していた療養院跡で、今はゴッホのアルル移住100周年を記念した文化センターになっています、ゴッホが描いた中庭には今も多くの花が植えられ、ゴッホが好んで描いたアイリス/菖蒲が、この日も明るい紫がかった青色の花を咲かせていました(写真左)。

ホテルをチェックアウトしてからは、郊外の運河にかかるゴッホの有名な絵「はね橋」(1888年)のモデルになったヴァン・ゴッホ橋へ。ここは鉄の骨組みしかない単なる橋だったので「なんじゃこれ?」って事で写真を2枚撮って即見学終了。
その後、一路ピーター・メイル著「南仏プロヴァンスの12カ月」の舞台になったリュベロン地方を目指して出発。
一般道でも平均時速100km以上で爆進するんですから、移動は迅速。途中なにげなく寄った岸壁の上の10世紀に作られた砦の跡レボー・ド・プロヴァンス/Les Baux-de-Provenceを見学しながら、オレンジジュースを飲み、低いリュベロン山を越えローマ時代の凱旋門が残るカヴァイヨン/Cavaillonへ。ここでは名物のメロンを八百屋さんで買って(400円弱)から昼食をとりました。
暖かいレバーが乗ったレタスのサラダと牛肉のステーキが出ました。若いギャルソンもフレンドリーでなんとものんびりした良いレストランでした。メインの後ソルベが出てカフェを飲んで70F/1,540円。

その後、また爆走して山の斜面に階段状に中世の都市が建つ町ゴルド/Gordesへ。町を一望できるビューポイントから眺める町は、頂上の教会と城からふもとまで中世の町が続き、それはそれは美しく、写真やビデオでは絶対再現不可能な景色でした。今回一番の絶景でした。
できあがった写真(左)は予想通り平面的なつまらない出来でした。
頂上近くの駐車場(10F/220円)に車を停めて町を歩き、ゴルド城の16世紀の装飾性の高い暖炉も見ましたが、町自体は中世の町そのもので、やはりゴルドは遠くから眺める町でした。

さてさて、ゴルドの後はいよいよ大ベストセラー「南仏プロヴァンスの12カ月」の著者で、今日のプロヴァンスブームの火付け役ピーター・メイルが住むメネルブ/Menerbesとボニュー/Bonnieux等の村が点在する、リュベロン/Luberonです。
リュベロンはアヴィニョンの西方。南北約50km東西約30km四方に広がる自然公園で、開発の波から逃れた緑豊かな地域です。南に低いリュベロン山が横たわり、北にも山が迫っている為、横長の広い盆地といった印象です。

ピーター・メイルはイギリスから移り住んだ家を
「中世の村メネルブとボニューを結ぶ街道を見降ろす丘陵の、桜の園と葡萄畑を抜けて未舗装道路が尽きるところにその家は建っていた。地元に産する石で築いた、土地の言葉でマースという農家で、200年の風雨にさらされ、日に灼かれて、今ではくすんだ蜂蜜色ともつかず、灰色ともつかず一種特有色合いを呈している」
と書いていますが、この地方の農家は確かに石で築いた古い農家が多く、窓枠は白枠にワインレッドの家が多かったです。

ピーター・メイルはさらにこの地方の土地柄について
「私たちは地中海の理にかなったのどかな習慣に染まった。用事は涼しいうちに済ませ、昼寝をたっぷりとり、靴下は久しくはかず、腕時計はひきだしに放り込んだまま、庭に落ちる物の影で大ざっぱな時間を知る。きょうが何日で何曜日かもどうでもよくなる」
と書いていますが、なるほどのんびりとしたいい所です。滞在しないと良さがわからない所とも思います(辻調理師専門学校のホームページの「小説を食べよう!」というコーナーに、ピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12カ月」に出てくる「鴨のロースト」の再現レシピが載っています)。

さぞかし観光客で一杯かと思ったのですが、意外な程静かで。ボニューの町にバッグパッカーが少しいた程度で農道をうろちょろしていたのは我々だけでした。もしかして、我々は初めてなのに相当オタッキーな事をやっているのかなと思いました。

農村の風景を楽しむ為、後続車がいない時は20km位の低速走行で車を走らせ、のんびりと走りました。その後ボニュー、サド公爵の町ラコスト/Lacosteを抜け(この町々は後で本を読み返したらおいしいレストランがあると書いてありました)ピーター・メイルも絶賛しているエクス・アン・プロヴァンス/Aix en Provenceへ。
途中の道A7号線は大きなプラタナスの並木が所々にある気持ちの良い道です。途中ローマ時代の水道橋をくぐり、エクス・アン・プロヴァンスの手前では左側にセザンヌが80点も描いたサント・ヴィクトワール山/Mt Ste-Victoireが見え隠れしていました。セザンヌが大好きな私は「あっ あれはサント・ヴィクトワール山だ!!」と叫んでしまいました(右上のPaul CEZANNE「Mont Sainte-Victoirec」1902年の画像は絵はがきより、セザンヌの作品はthe artchiveで見れます)。

エクス・アン・プロヴァンスはプロヴァンス伯爵が館を構えたプロヴァンスの首都で、泉があちこちで湧き出ています。この町には中心部の大きな噴水を起点とする樹齢500年のプラタナスの並木が続くミラボー通りがあります。
うっそうとしたこのプラタナスは日本の排気ガスに耐えながら道脇に植わってるものとは全然違い、幹回りは何メートルもあり、枝は空に向かって放射状に伸びた大木です。

ホテルはAMEXで予約した大ホテルチェーンの4つ星ホテルLE GRAND HOTEL MERCURE ROI RENE(436F/9,592円。ガレージ代60F/1,320円含む)。テレビでNHKの衛星放送まで見れる良いホテルでした。

この日の夜の課題はいつマルセイユにいくのか?つまり、ブイヤベースをいつ食べるかです。
翌日はニース方面まで170km弱の移動が必要だった為、マルセイユに翌日に行くのはあきらめ、その日の夜に行く事にしました。しかし、とても夜にフランス第2の大都市へ車で行く勇気はなく、考えたあげくとりあえず鉄道とバスのダイヤを調べる為駅に行きました。行ったのが7時すぎだったのですが、電車は8時45分までなく、バスが8時15分にあることがわかり、それまでの時間をエクスで一番有名なカフェ/LES DEUX GARCONS/ドゥ・ギャルソンへ行き休憩する事にしました。
僕はサラダ(58F/1,276円)とカフェクリーム(16F/352円)、工藤君はビエ−ル/ビール(25F/550円)を注文。
屋外は普通ですが、店の奥にはなんとも古典的なフランスらしいサロンがある伝統的なカフェでした。
カフェに行く時にプロヴァンス風握手を目撃しました。ピーター・メイルはプロヴァンスの人は握手の時、両手がふさがっている場合は小指でもいいから出すと書いていましたが、人差し指で握手しているおじいさんがいました。相手は普通の方法で人差し指をつかんで握手をしてるんですから、そこまでしないといけないのか、と微笑ましい感じがしました。また、ホントだ!書いてある通りだ!とも思いました。
ニースでもレストランから出るだけなのに3回も4回もギャルソンの頬にキスをしているおばちゃんがいました。これもピーター・メイルの言うプロヴァンス風です。

そしていよいよマルセイユ/Marseille(エクスの南約30km)へ。バスは40分位でマルセイユの駅の近くに着き、帰りのバスの時間を見ると最終はすぐ出てしまう事がわかり、今度は電車の時間をチェック、23時発というのがあって一安心。早速メトロに乗って一路旧港へ(マルセイユにメトロがあるとは知りませんでした、パリのメトロと同じでゴムの車輪付きの小さい白い車体でした。3F/66円)。マルセイユには黒人が一杯いてバスでたった30〜40分離れたエクスとは趣が全く違いました。
旧港では港沿いにテーブルと椅子を並べたレストランを2〜3件見て回り、ラテンの法則=混んでいる店 ALEXANDRIE に入りました。
注文はただ一つ。「デュ ブイヤベース スィルブプレ!」
出てきました 出てきました!本格派ブイヤベースが、
日本ではトマトベースのシーフード入り煮込みといった印象のブイヤベースですが、やっぱり本場は違います。
まず、チリ入りからしマヨネーズが塗られた厚めのクルトンが出て(皿に8個位放射状にならべてあった)、一緒にスープが出ました。スープは魚のだしがしっかり出たもので薄くサフランとオリーブオイルの風味がします。
そうこうしているうちに、ギャルソンが大皿に盛られた魚とサフランで真黄色になったゆでたじゃがいもを持って来ました。何これ?と思って見ていると、見事な手つきでスプーンとフォークで魚の骨をとり、器用に肉をとりわけてくれました、それぞれの皿(スープ皿)にはからしマヨネーズクルトンを2個入れ、その上にスープをそそぎ、さらに魚の肉やじゃがいもを盛ってくれました。魚はカサゴ・あんこう・フエダイだと思います。なんとも磯の香りがする素朴なスープでした。スープが無くなるとまたよそってくれました。要は同じ食材を使い、スープとメインを楽しむ漁師料理だったのです(大阪のリーガロイヤルホテル総料理長、ムッシュ米津の本格的ブイヤベースのレシピが入手できるホームページはこちら。メールでリクエストするとすぐに返信してくれます)。

レストランからは停泊中のヨットのマスト越しに、旧港を見おろす丘の上にそびえるノートル・ダム・ド・ラ・ガルド・バジリカ大聖堂のライトアップされた姿を見上げ、ヴァン ブラン/白ワインを楽しみながらの食事でした(148F/3,256円。カフェとワインを含む)。
我々は目標を達成して大満足して駅まで歩き、切符(36F/792円)の自販機でクレジットカードで切符を買い(ニースではホテルの駐車場の支払いも機械に駐車券の後カードを入れるとできて便利です。日本には街角の24時間ATMも無いし残念です)、そして23時発のガラガラの電車に乗ってエクスに帰りました(写真左)。電車は停車中は電気もつけず真っ暗で真っ暗な中に乗客が乗っているのです、発車直前になってやっと電気がついてホッとしましたが、なにもそこまでして節約しなくてもと思いました。フランスはお店のトイレの電球も時間が経つと自動的に消えるケースがあり、あれもかなり驚きますが、省電力には気を使っているようです。
エクスには11時30分過ぎに戻りました。
ホテルに帰ってテレビをつけると、ちょうどNHKの朝7時のニュースをライブでやっていて、バスルームにまでスピーカーがあったので、真夜中のエクスで手を洗いながら東京縦貫道の三郷インター手前が渋滞中とか聞いていると、なんとも不思議な感じでした。


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