4月30日(水)6日目、(晴れ 最低気温10度、最高25度位 風無し)
コートダジュールドライブ紀行
(エクスアン・プロヴァンス〜モナコ)

朝はホテルの部屋で前日買ったメロンを食べ、朝食を食べてから旧市街散策に出発。
あちこちにある泉(小さな噴水)を見ながら教会や市場を見て回り、いちごがあまりにも安いので買って食べました、なにしろ日本で安くても350円位するパックが130円位、かご一杯でも400円(写真左)なんですから。その後17世紀に枢機卿用に建てられたヴァンドーム館という屋敷を利用した小さな博物館へ行きました。着いたのは10時少し前でしたが、開館は10時だったので芝生がきれいなフランス式庭園の大きなプラタナスの木陰にあるベンチでしばし休憩。ここにはプロヴァンスの伝統的な家具が展示してありました。

この後ちょっと買い物をしてからホテルをチェックアウトして車でセザンヌのアトリエに行きましたが、駐車場がわからず4回位も前を往復してしまい、路駐して入り口に行ってみるとお昼休み中で入れずがっかり(12〜13時半)。あきらめて帰ろうとして街中を走ると、ちょうど昼になったところで高校生や大学生が山のように信号待ちをしていました。

さてもう思い残す事はないので、フランスで1番料金が高いとガイドブックに書いてあった高速A8号線で一路ニース方面へ。この日のホテルも予約していなかったので、モナコで泊まることを想定して出発しました。

高速では平均時速140〜50kmで皆さん走っていました、制限速度は130kmですから余裕で出せるスピードです。
刻々と姿を変えるサント・ビクトワール山を左手に見ながら走り、途中サービスエリアAutoGrillで昼食をとりましたが、とてもサービスエリアのレストランとは思えないきれいなカフェテリアで、品揃えも多くびっくりしました。
ワインは6〜7種類もあるし、チーズもずらっとならんでいました。ここはセルフサービスだったので一杯とってしまい、前菜やチキンのクリームソースライス添え(工藤君はじゃがいも添え)、サラダ、ミネラル、カフェを注文して112F/2,464円。
この後は山の中を駆け抜け、2時間位であっけなくカンヌに到着。138km(練馬-軽井沢とほぼ同じ距離を)走って10Fでした。私は2,200円と勘違いしてやっぱり高いと思ったのですが、なんのことはない220円!フランスで一番高い高速でこの値段。日本だったら3,000円ちょっとはとられるはずでバルセロナの日本人おやじじゃないけど
「いったいどーなってんだ 日本じゃ考えられないぞ!」

我々が行った翌週に映画祭が開かれるカンヌ/Cannesは、とりたてて言うべき事は無い海辺の町でちょっとぶらぶらして見学終了。海岸沿いの道を走ってニース方面に移動。コート・ダジュール(紺碧海岸)は50kmの範囲にカンヌ、ニース、アンティーブ、モナコ、モンテカルロが点在しています。途中ニース・コート・ダジュールの手前で渋滞したので高速に入ってニースへ。5時位だったので市内は渋滞中でした。山側のインターから海岸近くまで移動して、なんとか市内をねけました、このあたりまで来ると家の瓦はオレンジ色に近い茶色、パームツリーがたくさん植わっていてまるでロス、ハリウッドのようです(と言ったらフランス人は憤慨するでしょうが)、カルフォルニアの町並みはコートダジュールをイメージしてコピーした事が良くわかりました。

実はニースからモナコまでの道がこの日のハイライト。
走りたかった道はグラン・コルニッシュ(グランド断崖道路)という道で、ニースとモナコを結ぶ海岸沿いの3本の道の一番上を走っている道です。ローマ時代からある道で眺めが最高、あまり視界を遮る高い木がないのでまさに断崖でした。逆光で写真は1枚しか撮れなかったもですが、オレンジ色の瓦が続く町並がところどころにあり、海は岸に近い部分は所々がエメラルドグリーン、岸から離れるとサファイアブルーに輝いています。
は〜っと見ていると前方にローマ時代の白い列柱が背後の壁と一緒に4本残る遺跡が見えてきました、「由緒正しいガイドブック」をあわてて見ると、そこはモンテカルロの山側に位置するラ・テルビュー/La Turbieの町で、そびえ建っているのはアルプス戦勝記念塔。建造は紀元前6年、建築を命じたのはローマの元老院と書いてあって恐れ入りました。もともとは高さ50m、日本の国会議事堂の塔部分のような建物だったようです。
これまた、は〜っと見ました。

いよいよモナコ/Monaco(モンテカルロはモナコの東にある地区名)へ。
時間はもう8時をすぎていましたが、まだ充分明るくフランス側の駐車場に車を停めて歩いてモナコ公国(面積1.9平方キロメートル=皇居の約2倍)へ、普通の坂を下ると道路脇の標識にモナコ/モンテカルロと書いてあり、そこが国境。道路に線くらい引いたらいいのにと思う程あっけない国境です。
ホテルを早速探しましたが、グラン・カジノの近くのホテルで即決(HOTEL Alexandra 332.5F/7,315円)。早速ガレージに入れてから、ホテルの部屋で作戦会議。私が行きたいのはカジノ、工藤君はF-1 モナコ GP のコースを歩いて体験することでした。そこで、とっとと外に出て別行動。時間は9時前(外は夕暮れ)だったのでグラン・カジノ前で別れて10時にグラン・カジノ前広場集合にしました。

私はこの日の為に持って来たブレザーを着ていそいそとカジノへ。なんだかベガスと違うなあと思いながら、パリのオペラ座を設計したガルニエさんが設計したホールに入ると、ベル・エポック様式と言われる絢爛豪華な内部装飾にびっくり。
持ち時間はたったの1時間。まずは小手調べにスロットへ。台の数は50〜60台、ポーカーマシーンが20台位のこじんまりとしたものでした。ここではちょっと勝ったのですが結局5,000円位すって、カードでもしたいと思い奥へ、ところが時間が無いのにルーレットとカードの部屋は入場料が1日50F/1,100円だと言うのです。そこでちょっと見せて下さいと係員さんに丁寧に言って入り口付近だけ見学しました。なんとも豪華な雰囲気でシャンデリアが光り輝き、まるで宮殿でした(写真右は絵はがきより)。
これでカジノはベガス、マカオ、ウォーカーヒル(ソウル)を体験しましたが、やっぱりカジノはベガスがダントツでいいです。
モナコのカジノは雰囲気からして大金持ち向け。我々一般大衆は大規模なアミューズメントパークの様なベガスの方が遊びやすいと思いました。
10時過ぎに工藤君は汗だくなのに満足そうな笑顔で「疲れた〜!!」と言って帰ってきました(モナコ公国観光会議局のホームページにモナコの観光案内やF1の情報が載ってます。Yahoo! SPORT Formule 1はこちら)。

モナコ GPのモンテカルロ市街地コースは普通の一般道とヨットハーバーを利用した一周3.367kmのコースです。モナコ GPは偶然我々が行った翌週末に開催される為、カジノ前にはマルボロの看板が設置済みで、ガードレールもF1用に強固なものに替えられ、あちこちに観客席まで設置済みでした。
彼は1.5周分歩いたそうですから、コースをチェックしながら5kmを1時間で歩いた勘定になります。人は好きな事にはすごいパワーが出るんですね、感心しました。
彼は、スタートからカジノ前までのリバージュの登り坂のきつさは歩いてみないとわからないとか、ヌーベルシュケイン〜タバコ屋コーナー付近は直径6〜7cmのむき出しの排水管があって、マシーンの姿勢が乱れるんじゃないかとか、ピットはヨットハーバーの倉庫を利用しているので1台しか入れないとか、F1ファンならほ〜っと感心するような事を次々と言っていました。テレビでロウズヘヤピン(と今回知った)の減速風景しか記憶に無い私には豚に真珠の情報でしたが......。(モナコF1グランプリの主催者automobile club de monano/ACMのホームページはこちら、ACMのホームページのF1コースの地図が見れるページはこちら

この日はカジノの山側にあった地元のイタリア人が一杯入っているイタリア料理屋さんへ行き、マルゲリータとトマト味のスパゲッティを2人でシェアして食べました(115F/2,530円。ビール込み)。
トマト味のスパゲッティは細麺で味はシンプルでしたがこくがあっておいしかったです。やはり混んでいる店はおいしいです。
店内を見ていると何も乗っていないパリパリのピザの皮だけを食べている人が多く、その皮にチーズをナイフで塗って食べている人もいました。どうも本場は雰囲気が違います。
店内のテレビではサッカーの試合をやっていて、工藤君もビールをがぶがぶ飲みながらも気になるようでした(試合が終わるとお客が半分以上出ていってしまいました)。

この日工藤君はよっぽど疲れたのか、着替えもしないで寝てしまいました。



5月1日(木)(晴れ 最低気温10度、最高26〜7度位 風無し)
7日目(実質最終日)

国境を越えてイタリア(サンレモ)へ

この日は朝起きてチェックアウト。
駐車場のモナコ側の入り口から入ってフランス側から出ました。
早速モンテカルロ地区に行きモナコ GPのコースを車で口でウィーーーンと言いながら走ってみました。F1マシーンが1分20秒前後で走り抜けるコースを5分位かけて回りました。帰国後テレビでGPの予選や雨の決勝の様子を見て、コースの固定カメラよりオンボードカメラ(車載カメラ)の映像の方が走っている場所が分かりやすく、妙にうれしくなりました。
ファンなら涙ものの体験を、私みたいな素人が体験させていただきファンの方に申し訳ないと思いました。大のF1ファンの工藤君がコースの解説をしてくれるんですから、僕は幸せでした。
コースの見学の途中、クラシックカーを積んだトレーラーがハーバー沿いに一杯駐車していて、我々はF1GPの前座イベントに出る車だと思って見ていたのですが、帰国後、GRAND PRIX DE MONACO HISTORIQUEに参加する216台のほんの一部だった事わかりました。我々が行った次の日は車検だったのです(左の写真はスタート地点、手前の車が借りた車。左側が本来ヨットハウスに使っている臨時ピット)。
GRAND PRIX DE MONACO HISTORIQUEは、1934年以前のSerie Aから1958〜68年のSerie Gまで、7クラスに分けたF1GPの歴代の名車がモナコGPと同じコースを使ってレースを行うイベントで、モナコ王室(グリマルディ家)の統治700年を記念する大イベントだったのです。このイベントのお陰で例年よりコースの準備が早く行われたそうで、我々は単にラッキーだったのです。

コース見学の後は、かつてグレース・ケリー王妃が暮らした大公宮殿を見ようと思い走り回ったのですが、崖の上に見えてもたどり着けず断念。ガスが無くなったのでshellでガソリンを入れました(石油の産地のアメリカと比べてはいけませんが、フランスのガソリンは日本より高く1リッター5.98F/130.9円でした、ユーロ95オクタンと言うガソリンを35.9リッター213F/4,686円入れました)、ガスを入れて準備完了。いよいよこの日の目的地イタリアに突撃です。

また高速道路に乗って東へ向けて走って行くと、左はるか遠方に雪が残るアルプスが見え始め、30分も走らないうちにイタリア国境です。国境は道の脇に標識があるだけで、しばらく行った料金場で手続きをします。ここでは警官に「ボンジョルノ」と言われて車の中からパスポートを見せるだけ、料金所にある両替所でドルをリラに替えるとあっけなくそこはイタリアでした。

フランス国境の近くはイタリアン・リビエラの中でも特に花のリビエラと呼ばれるエリア(コートダジュールは別名フレンチ・リビエラ)で、特産品が生花だからこの名前がついています、事実国境を越えると温室が山の斜面に一杯建っていました。
我々は2人共イタリアは初めてなので、うきうき状態で国境から20km位離れた音楽祭で有名なサンレモ/San Remoへと向かいました。数多くのイタリア旅行者もここまでは来た事ないでしょう!来ても130キロ以上離れたジェノバまでだと思います(ジェノバから139km、ニースから59km、人口6万人)。

サンレモにはご飯を食べるだけの目的で来ましたが、意外と大きな町でした(写真右はサンレモで買った絵はがき)。メインの通りにあるお店はメイデーだったのでほとんど閉まっていました。国境から20kmしか離れていないのに、ショップのウィンドウに飾ってある真っ赤やシルバーの電気スタンドは鋭角的なまさにイタリアンデザイン、走っている車もイタリア車が多く(当たり前か)、私はめったに見ないシルバーメタリックのフェラーリを町並みをバックに写真にパシリ。

海岸に降りてみてから、ジェラート屋/Gelatoriaさんへ行き念願のジェラート/Gelatoを食べました。これが期待通りうまい!2種類を山盛りに盛りつけたコーン/ Conoで2,000〜2,500Lira/140〜175円(100リラ=7円換算)、レモーネもモカもパッションフルーツもカフェも甘さ控えめでみんなうまかったです。
この日はあんまりうまくてあっちこっちのジェラート屋に寄り6種類も食べてしまいました。
さて念願のイタ飯ですが、バジリコ入りトマトソーススパゲッティと子牛のマルサラワイン(シチリア地方のワインリキュール/Marsala)ソース煮込みを食べました。どちらもさすがと思わせる味。特に子牛のマルサラワインソース煮込みはマルサラワイン独特の香りが柔らかい子牛とマッチしていて美味。工藤君がこの味はなかなか無いとよろこんで食べていました。デザートはフルーツでカフェを飲んで30,500リラ/2,135円。
店内にはイタリアらしい大ファミリーがおばあちゃんから小さな子どもまで15人位で食事をし、隣のテーブルではおばちゃんと娘らしい人が10匹位ある小さな手長えびのグリルをしゃぶりつくしていました。
ここのカフェは「おえっ!」を通り越して言葉さえも失わせる濃さでした。カフェは西に行けば行くほど濃くなるようです。工藤君は「おいし〜っ!」と喜んでいました、なんてラテンな人なんでしょう、感心すると言うより呆れました。ラテン系の民族が大好きなF1とサッカーの大ファンだし、夜型生活パターンもラテンです。物心ついた時からラテン物が好きだったと言うのですから筋金入りです。

さてさて、念願のイタ飯も食べたのでとっととフランスに帰りました。
帰りのパスポートコントロールは車のナンバー(931ALM84/下2桁の数字が都市/エリアを表します。郵便番号の最初の2桁と同じなので現地の人にはわかりやすい)がアヴィニョンだった為、帰国車扱いでパスポートを見せる事もなくフランス再入国。
前日は大渋滞だったニース/Nice市内へ行ってみると、メイデーの休日為ガラガラ。バルセロナ以降、大きな都市に到着するのが8時過ぎでお店が閉まった後ばっかりだったので、今回はお店がやってる時間にホテルに入ろうと私が主張した為、4時30分にホテルにチェックイン。最終日のホテルはニースの海岸に面した5つ星のHOTEL MERIDIEN NICE(465/F10,230円)。窓を開けると左手に海岸が見える良い部屋でした。
早速海岸に降りて、老けたデビッド・ボーイみたいなボーイさんがきりもりするパラソル付きのMERIDIENのカフェでペリエとレモンソルベを食べて休憩(約1,000円)。
ニースの海岸は丸い玉砂利のような石だらけでした。私はこの石を自分の為と福井さんへのお土産用に拾い集めました。
回りは一杯の人、海岸の椅子ではトップレスのおばさんが日に灼いていました。26度の気温でビーチは一杯の人でしたがなぜか泳いでいる人はたったの1人。海岸をうろつく地元のガキはブルゾンやジャンパーまで着ています。今回は旅は初日のバルセロナの午前中を除きほぼ快晴で、最低気温は10〜12度、最高気温は20〜26度位でしたが、日中皮ジャンを着ているおじさんが結構いて不思議でした、サンレモではお姉さんがロングコートまで着ていました。確かに湿度が低いので汗はよっぽど運動しないと出ませんが、26度は涼しいのでしょうか?夏はもっと暑いのでしょうか?不思議です。
寒いのに水着になったり、暑いのにコートを着たりどうも理解できない人たちです。

カフェで休憩後は「由緒正しいガイドブック」のお薦め散策コースを歩き市場や旧市街(写真右)を見て回り、ショッピングに行こうと思ったら、大型店はメーデーで休み、イギリスのマークス&スペンサーもありましたがやはり休み。がっかりしてフランスの西友=モノプリを探しましたが、インフォメーションで聞いたら数年前まであったけど、今は無いとの事。しょうがないので、海岸近くの観光客向けのお店が並んでいる通りへ行ってお土産を買いました。プロヴァンス風(イエローとスカイブルーを基調にしたオリーブの柄のデザイン)のテーブルクロスとかプロヴァンス風デザインの鍋つかみを買い込みました。
1枚190F/4,180円のテーブルクロスを3枚買って来たんですが、ホテルで広げてみてびっくり、普通の日本のテーブルの4倍以上もあるビッグサイズで、思わず独り言で「こんな大きなテーブル買えないよ〜!」と言ってしまいました。

夕食はお土産を買った同じ通りのカフェで食べました。
ニース風サラダ(SALADE NICOISE 40F/880円)はレタス、セロリ、若い小さいオリーブ、パセリ、皮無しきゅうり、ツナ(ツナ缶のツナ)、トマト、ゆで卵の輪切りを入れ、俗に言うフレンチドレッシングをかけたシンプルなサラダでした。
僕はスパゲッティ、工藤君はホタテ貝の料理を食べました。ギャルソンは私がスパゲッティを言い忘れてサラダとロゼワインと言うと、ウィとか言ってましたが表情は普通、ところが工藤君が1皿95F/2,090円もするほたての料理(PETITES COQ ST JACQ)を注文すると「トレビヤン!」といきなり笑顔になりました。現金なヤツです。
試しに注文したスパゲッティ・ボロネイズ(SPAGHETTIS BOLOGNAIS 47F/1,034円)は学食のスパゲッティのおいしくなった程度の味、わかってはいたんですがやはりスパゲッティはイタリアです。食後には私は甘くないいちごのパフェ(FRAISES CANTILLY 32F/704円)、工藤君はカラメル(CREME CARAMEL 24F/528円)を食べました。
食事の後はホテルへ、ホテルの1階にKARAOKE屋さんがあって、フランス人がまじめな顔をして歌っていたのが妙に笑えました。
その後、ホテルの前にある海岸沿いのイギリス人の散歩道にあるベンチに座って夜空を見上げると北斗七星や夏の大3角形が良く見えました。

毎日毎日濃いカフェを飲んだせいですっかり寝付きが悪くなった私をしり目に、工藤君はあっと言う間に寝てしまいました。



5月2日(金)(晴れ 最低気温10度、最高25度位 風無し)
8日目(最終日/帰国日)

帰国

この日は朝起きて一人で散歩をしました。散歩中また海岸に石拾いに行きました。その後工藤君と市場へ行きカフェでカフェオレとクロワッサンの朝食(29F/638円)を食べ、全ての日程が終了してしまいました。

帰国便はニース・コートダジュール空港発11時50分だったので、レンタカーを返す時間を織り込んで10時20分にホテルをチェックアウト。ニース・コートダジュール空港のターミナル前のハーツの営業所で車を返しました。レンタカー(走行距離655km)の清算は、日本で支払ったヨーロッパクーポン8,000円/24hの他に
現地で入った保険(CDW,TO,PAI 合計791.12F)
税金(TVA20.6%/406.08F)高い!
ガス代(36.25リッター×6.8F=246.5F)
合計1,443.7F/31,761円(7,940円/日)が別途必要でした。

空港ロビーではホイヤーがFIモデルウォッチのキャンペーンでFIマシーンやエンジンの展示をやっていて、工藤君が初めて写真をとっていました。私は36枚撮りを6本、セピアカラーの「写るんです」を1本使いましたが、彼はそもそもカメラを持って来ていないのです!
世の中にはいろいろな価値観があるもんだと感心しました。
それに、今回のツアーで私たち自信が写っている写真が1枚もない事に後で気づきました。36枚撮りを6本、合計216枚も写真を撮ったのに!

あとは
ブリティッシュエアウェイズ(BA)343便ニース12:50発に乗って帰国の途に(BAのフライトは途中アルプスを右に、パリを左に、ドーバー海峡の両岸を同一視界に入れながらのフライトでした。機内食はイギリスらしくスモークサーモンがでました)。
帰りのBAの機内アナウンスで初めてフランス語のごきげんいかがですか?の丁寧な言い方「コマン タレ ヴー?」を聞きました、それも英国人のしゃべるフランス語で。普通のフランス人は「サ ヴァ?」としか聞きません。

帰国便は13:50ロンドン着(乗り継ぎ)ANA202便18:00発。日本には5/3(土)13:35成田着で帰ってきました。

ヒースローでは乗り継ぎ時間が4時間もあるので直前まで本気でロンドン市内に行こうかと思ったのですが、ニースからのBAが遅れて14時すぎに着いたのであきらめました。
ターミナルをバスで移動し、セキュリティーを通って落ちついたのは14:30過ぎ、搭乗開始が17:25ですから3時間弱の待ち時間です。ヒースローはイギリスのお国柄が良く出ていて、従業員やお客にもインド人がいました。
ヒースローのターミナル3は免税店が充実しているので、カフェテリアでティーとスコーンでお茶(3ポンド/630円)をしてから、ロッカー(1ポンド/210円)に荷物を預けてのんびりと買い物をしました。カフェテリアのセルフサービスのカウンターでステンレスのポットをお湯で暖めていたら工藤君に呆れられてしまいました。

ショッピングは、私はブックショップでピーター・メイルのプロヴァンスの12カ月の原書や最新作、写真集まで買い込み、ハロッズでは紅茶とかスモークサーモン、テディベアー(ハロッズの小さい紙袋から顔だけ出しているタイプ)、ハロッズカラーのでかい買い物袋を買ってしまい、手にはハロッズの袋だらけ。どこから見てもロンドン帰りになってしまいました。
最後は空港内とは思えないパブ(シェイクスピア・エール・パブ)でエールビールを飲んで過ごしました。

帰りの便の映画は「101・ワンオーナイン」と「素晴らしき日々/One Fine Day」をやっていました。食事は普通のビーフストロガヌフで唯一の日本食はそば(久々のわさびに体がびっくりして思いっきりむせてしまいました)。
帰りの便の日本食の需要は高いはずなので、竹の皮包みご飯付き松花堂弁当を外国キャリアであるヴァージンが出しているなんて恥ずかしいと思って欲しいものです。
驚いたは帰りの便で飲んだコーヒー。ちょっと濃い目のアメリカンなんですが、連日の濃いカフェ攻めに舌が慣れてしまいコーヒー味のお湯にしか思えませんでした。お茶まで薄く感じ、我ながら自分の舌の順応性に感心しました。

帰りの飛行機の中で工藤君が「南仏プロヴァンスの12カ月」を読み返しながら、あそこに行ってない、ここを見逃してる、確かにそうだ、とむにゅむにゅ言っていたので、薦められて私も帰りのスカイライナーで読んだら、確かに見逃してる所が結構ありました。プロヴァンスをまったく知らないで読んだ時と、少しでも知った後ではやはり全然違いました。

帰りも移動時間は約22時間。
帰宅後早速ラーメンを食べに行きました。私の習慣です。

帰って来て、私の気分はもうすっかり地中海スタイルに変わり、私の部屋のテレビの上のキャンドルスタンドは、ロンドンのアンティークマーケットで買った渋いシルバー製から、バルセロナで買った青銅色のローマ時代の柱風キャンドルスタンドに切り替えました。
さらにキャンドルスタンドの左右にはニースの空港で買ったバラの形を型どったレモンイエローのキャンドル(みかん位の大きさ)を置き、ソファーの背もたれにまで、ばかでかいテーブルクロスをかけました。行った所のデザインにすぐ影響される単純な私の趣味が今回いつまで続くのか楽しみです。
次は何風なのか自分でもわかりません。今は(言う程立派じゃありませんが)日本趣味のイギリス人がプロヴァンス風に飾った部屋になっています。

以上終わりです。日記を書くためには通算19時間位もかかってしまいました。
書いている途中に何回も工藤家に電話して忘れた事を聞きました。

日記のメール版を読んだ多くの人達の感想は「田中さんって、オレンジジュースばっかり飲んでたんですね〜」と言うものが多かったのです。確かに良く飲んでましたが現地の人も良く飲むんですよ。帰国後も習慣になって飲み続けいろいろ試しましたが、簡単に買えるものでは「KAGOME 100バレンシアオレンジジュース」が一番おいしいことがわかりました。

読んでくれてありがとう!


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