4月28日(月)4日目(晴れ 最低気温10度、最高25度位 風無し)

バルセロナから南仏/プロヴァンスへ移動
アヴィニョン・アルルへ

さて、実質2日でしたが4泊したバルセロナともお別れです。ホテル代は4泊して一人21,450円(合計47,615Psa/42,900円)。
初日は夜に着いて、マジョルカ島にも行ったので、実質たったの2日でした。1週間いてもいいんじゃないかと思って工藤君になにげなく言うと「そうでしょ〜!!!!」とえらく力を込めて同意されました。彼は先回は1週間いたそうです。

この日は8時45分発の列車でフランスのアヴィニュンへ向う為ホテルの近くの駅の8時4分発の国鉄でバルセロナ最大のターミナル駅、バルセロナ・サンツ駅へ移動。
一等車だったのですが、バッグパッカーも乗っている一等車でした。8時45分、汽笛一声バルセロナ・サンツ駅地下ホームをフランスのモンペリエに向けて出発(料金はフランスのTGVも含めて16,950円=郵船トラベルで手配)。
フランスのモンペリエまで約3時間30分の車窓の旅です。
フランスが近づくと家々の屋根の色がオレンジ色に近い茶色に変わり、建物の様式も装飾性の高いロマネスク様式に変わってきました。壁の色も石の色から白っぽい色に変化しました。

列車で国境を越えますが、パスポートを見せる事もなく車内アナウンスも、国境を越えたからと言ってスペイン語、カタルーニャ語、フランス語と話す順番が変わる訳でもなく(ユーロスターは荷物のセキュリティーチェックもあったし、イミグレのお姉さんがパスポートを見に来たし、トンネルをぬけるとフランス語と英語のアナウンスの順番が変わった)、なんとなくフランスに入り、10時20分にモンペリエに到着。陸路でかつパスポートも取り出していないので、全然フランスに来た実感がわきませんでした。
10時20分着で10時29分発のジュネーブ行きのTGVに乗り換える予定だったので内心冷や冷やしていたのですが、定刻に到着してしかもTGV(写真左)が同じホームに停まってたのでホット一安心。
モンペリエからアヴィニョンまでは1時間弱。乗り心地はスペイン国鉄とは全然違い快適そのもの。うとうとする暇もなくニーム、タラスコンやカマルグの湿地地帯を通過して、14時24分定刻通りアヴィニョンに到着。


南仏/プロヴァンス

アヴィニョン/Avignonはアルルの北に位置する「♪アヴィニョンの橋で輪になって踊ろよ」の歌で有名な町で、ローマ法王が1309年から退廃したローマから約70年間法王庁を移していた町です。最近ではアレジと後藤久美子が郊外に暮らす町として日本では一部で有名な町でもあります。
町の中心部は中世の城壁で囲まれていて、町の北西側にはローヌ川がゆったりと流れています。

ここでは予約してあったハーツの営業所で車(赤いNISSAN ALMERAワゴン5MT=プリメーラではありません、多分パルサーのヨーロッパ版。料金はヨーロッパクーポン8,000円/24時間)を借りて、旧市街を取り囲んである城壁の南側から城壁沿いに北側のローヌ川の橋の近くの駐車場に車を止め、城壁の中に入るとスペインとは明らかに違う町並みでした。ロマネスク様式と言うのでしょうか、ベージュや白い建物の外壁に装飾が施されています。
両替をしてから1185年建造のアヴィニョンの橋=サン・ベネゼ橋へ。かつては900mもあった橋だったそうですが、今はローヌ川の半分も行かない200m位の所で崩れてしまっています。何回も修復を繰り返していましたが17世紀からは修復されていないそうです。
ここは5F/330円(1フランは22円換算)を払って途中まで渡る事ができます、橋自体はなんでもない古い橋でした、その昔この橋の上で村人が本当に輪になって踊っていたそうです。それにしても、なぜ「♪アヴィニョンの橋で輪になって踊ろよ」なんて歌が遠く日本にまで伝わったのか不思議でした。

その後、橋の裏手の高台のロシェ・デ・ドン公園へ。美しい回りの牧歌的風景はもちろんの事、遥か遠くのワインで有名なシャトーヌフ・デュ・パプまで望む事ができました。
公園の後は、橋と並んで有名な法王庁宮殿へ。内部はフランス革命の時に家具が略奪されてガランとしているとガイドブックに書いてあったので見学しませんでした。
この日のホテルは予約していなかったので、アヴィニョンではあまりのんびりできないのですが、メインの通りにあったカフェで工藤君はカフェ(8F/176円)、僕はハム入りハーブサラダ(49F/1,078円、フランスはドレッシングはかけてある)とカフェオレ(15F/330円)を注文してしばし休憩。
フランスに来てからは「地球の歩き方」ではなく、歴史の解説が豊富なイギリス製ガイドブック 地球・街角ガイド「ダビド」プロヴァンス&コートダジュール編(同朋舎出版)を「由緒正しいガイドブック」と呼んで、お薦め散策コース通りに歩きました。このガイドブックはミーハー用ではなく、由緒正しい場所を見るのにむいています。
ロードマップはミシュランのプロヴァンス/コートダジュール全体のマップを八重洲ブックセンターで買って持って行きましたが、都市毎に工藤君がマップを買ってくれました。

この日はホテルの予約をしていなかったので早速アルルに行く事にしました。アヴィニョンを出たのは6時位。
アヴィニョン-アルル間は30km位なんですが、一般道なのに回りの車の早いのなんのって、平均120km位。制限速度は一般道で90km(2車線の道なら110km、高速は130km)ですが、100kmで走っていると抜かれます。フランス人も立派なラテンなので血が違うと実感しました。ぬくかここで!って所で追い越すのです。工藤君が、ラテンの血だ!これではF1で日本人が勝てないのももっともだ、片山右京が苦労するのもうなずける。彼らが普通にやっている事が我々日本人には努力しないとできないから、と妙に感心していました。
運転している私は風景を見ている暇もありません。所々にゴッホが好んで描いた小麦畑と糸杉が地平線をバックに植わっていました。北海道の道東に似た風景でした。

途中タラスコンという町をぬけてローヌ川沿いのアルルに着いたのは7時位。アルルでは駐車場に車を停めて早速ホテル探しを始めましたが、一軒目であっけなく見つかりました。この日の宿はHotel Atrium(一人8,600円。782F/17,204円=ガレージ料金60F/1,320円含む)。
 ホテルに荷物を置いて、歩いて町の見学。アヴィニョンも同じですが屋根はオレンジ色に近い茶色、壁はサンドベージュ色の建物が立ち並んでいました。教会とかローマ時代の円形闘技場(コロシアム)があって競技場は現役で使われていました。
8時過ぎまでうろうろして、ゴッホが1888年に「夜のカフェ,フォーラム広場」を描いたフォーラム広場にあるカフェ/CAFE VAN GOGHで食事をとることにしました(左の画像は絵と同じ構図で撮った写真と「夜のカフェ,フォーラム広場」)。
ここはゴッホが描いた当時の姿に再現されていて、印象派の画家好きの私にはたまらないカフェでした。

ここではメニュー(定食の意味)を注文し、サラダの後、私は魚のオリーブオイル焼き工藤君は鴨のローストを食べましたここ観光地価格、ロゼワインとデザート(カラメル)、カフェ(12F/264円)で177F/3,894円。若干高めの観光地料金でした。

フランスの初日はアルル/Arlesで迎えました。ゴッホが1888年3月から翌5月までのアルル滞在中に代表作「ひまわり」を含め300点も油絵を描いた町です。



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