4月27日(日),3日目(晴れ 最低気温10度、最高25度位 風無し)

地中海に浮かぶショパンが逃避行した島
マジョルカ島日帰り観光


この日あたりから足にマメができて歩くスピードが遅くなり、後でこの日以降撮った写真を見ると後ろ姿の工藤君の写真があります。それと毎日毎日お腹減った〜と言い続けてたら、「田中さんって瞬発力はあるけど燃費が悪い車みたいですね〜」と呆れられました。

この日はマジョルカ/Mallorca島日帰り観光の日。マジョルカ島はバルセロナの沖約200kmの地中海に浮かぶバレヤレス諸島で一番大きな島で(佐渡島の4倍)、ヨーロッパでは有数の観光地です。1838年にフランスの女流作家ジョルジュ・サンドが小連れで38歳のショパンと愛の逃避行をした島としても知られています(ここで「雨だれ」を作曲した)。

ホテルの近くのクロットという駅から朝7時02分発のRENFE/国鉄で空港へ。
8時発のイベリア航空でパルマ・マヨルカ行きに乗りました。空港は意外な程大きくドイツ人観光客であふれた観光バスが一杯とまっていました(浄原研究室というところの「バルセロナ&マジョルカ島フォト紀行」に画像が一杯載っています)。
空港から市内までは15分位。エスパーニャ広場に着き、バスを降りて北岸(パルマは南岸)にあるリゾート、プエルト・ソーイェル/Port de Soller行きの電車の時刻表を見たら都合の良い電車は3時間後の13時だったので、街を歩きながらパルマ/Palmaの代表的な名所で海を見おろす大聖堂/カテドラルまで歩いて行きました。
このカテドラルはキリスト教国のアラゴン王国が島をアラブ(アルモハード帝国)から取り返した記念に370年間もかけて建造しただけあって立派。完成は1601年ですから関ヶ原の戦いの頃です。聖堂を支える8本の塔が印象的なこの大聖堂では、この日は日曜ミサをやっていました。我々も円形の巨大なステンドガラスを見上げながら、しばらく木の長椅子に座ってたたずんでいました。
その後港を少し歩き市街に戻りましたが、家々の窓枠が緑色に塗られ、窓の手すりには花が飾られ、壁の白さとのコントラスがいかにも地中海らしくマジョルカに来た事を実感しました。途中籐の椅子の小さなカフェで休憩(私がティー、工藤君がカフェ)した後、電車の駅があるエスパーニャ広場にもどりました。

パルマは国際観光都市ですが、北岸にあるプエルト・ソーイェルはビーチが広がるリゾート地で。登山電車に乗ってソーイェルへ行き、ソーイェルで3両編成の路面電車に乗り替えて行きます、30kmちょっとの旅です。
ここからの小さな旅が私がバルセロナ編では一番良かったです。
1912年から続く登山電車(TRAIN DE SOLLER 380Pta/342円)は路線の長さが27km。一日5本しかないのですが我々は13時発に乗りました。小さな機関車に引かれた木製の電車で(5両編成位)、木枠まで木製の車内はまさしく「世界の車窓から」の世界。

乗り心地がゴトゴトうるさくてまたこれが良い。車窓から見える風景も良くて、パルマの町をぬけると、白い岩の山肌をところどころに見せる山を見上げる広い峡谷の路線になり、周囲はレモン、アーモンド、オリーブの木が一面に見え、黄色い花や野生のポピーの真っ赤な花まで咲いていました。所々に野生のサボテンも生え、特にレモンの木は実がたわわに生っていました。
13もトンネルをねけてどんどん広い峡谷を進んで行くと、視界が開けて盆地の町ソーイェルを見おろす位置に出て電車は大きく蛇行しながら降りていきます、回りの山にはオリーブの木の段々畑が続いていました。
約50分の小さな旅を終えるとそこはソーイェルの町。ソーイェルの町は教会を中心にした小さな町で、我々はここの教会の前の噴水がある広場のカフェでサンドイッチ(チーズ+ハム)とオレンジジュースを飲んで軽い昼食。
そして、3時発の路面電車に乗って海岸へ。海岸までは5km位なんですが、この路面電車は窓が無い小さな小さな電車です。車掌さんが集金(150Pta/135円)に来てボケッと外を見ていると、白い壁、緑の木枠の家がより近くに見えて来ました。将来家を建てる事があったら塗ってみたくなる様なかわいさです。家の軒やレモンの木をかすめるように走ると15分位で海岸に出ます。

ここの海岸は左に90度回転したCの字の様な湾の奥にあります。路面電車は海岸を少し走って終点へ。なんとものんびりしたビーチでした。カフェやホテルも結構あって賑わっているのですが、こののんびりとしたムードは時間の経過が遅いリゾート特有のものなんでしょうか?(実は外国のビーチに来たのは初めてだったのです)
帰りをバスにしようと思ってレモンのジェラートを食べたりしながら30分位バス停を探し回ったのですが見つからず、砂浜へ降りました。
両手に靴を持って、ズボンをたくし上げてきれいな海にジャブジャブと入ってみると結構冷たく、バス停探しに疲れた足には気持ち良かったです。ビーチで焼いている人は結構いたんですが、海に入っている人は2〜3人しかいませんでした。気温は26度を超えていました。工藤君はそもそもヨーロッパ人はビーチに焼きに来るのであって、泳ぎに来るのでは無いと解説してくれました。
ここでも海水をなめてみましたが、やはり塩辛くなかったです。
我々も海に突き出た小さな岸壁の上で長袖のシャツを脱いでTシャツ姿になって寝転がりました。海には小さな魚が一杯泳いでいました、工藤君は小さな蟹を見つけていました。
しばらく寝転がっていたらあっという間に日に焼けました。
その後、パラソルが広がるカフェ(うるさい海の家ではない)で休憩。工藤君はセルベッサ/ビール(185Pta/167円)、僕はナチュラル・ナランハ/オレンジジュース(305Pta/275円)を飲んで休憩。
見回すと日本人どころか東洋人やアフリカ人も皆無でした。やはりこんな所まで来る人は少ないみたいです。観光客はドイツ人が多かったです。それにしても外国のビーチっていいものですねー(今頃わかったんですか〜!という読者の声が聞こえて来そうです^_^)

土産物を探しに海岸沿いの店を見ましたが、青いガラスにうっすらと灰色の上ぐすりがかかった独特のマジョルカガラスの壺を一杯売っていました。欲しかったのですがあまりにも繊細な作りだったので断念。お皿とマジョルカ風の家のミニチュアを3つ、それと家を描いた絵を買いました。
たったの2時間弱ぼけっ〜としただけでしたが、満足満足。
また路面電車と登山電車(18時30分発)を乗り継いで帰りました。帰りの路面電車から白っぽい絶壁をバックに教会が見えた瞬間工藤君は「おぅ!」と反応してました。
どうも彼は白っぽい岩山が好きみたいで、それからも白っぽい岩山や絶壁が見えると、パブロフの犬状態で「おぅ!」と反応してました。私はと言うと市場を見ると必ず「おぅ!」と反応してたんですけどね。

帰りのパルマ・マヨルカ空港ではターミナルを間違えてやたら広い空港内を走り回るおまけ付きでしたが、21:20発が遅れて出発。22:30過ぎに無事バルセロナに帰って来ました。国鉄の駅に行ったら最終電車は終っていて空港バス(465Pta/419円)でカタルーニャ広場へ。ランブラス通りは11時過ぎだったのですが日曜日だったので平日とは比べ物のならない位人が少なく、夕飯難民になるのがいやだったので、目に飛び込んだレストランに入ったら、かたことの日本語を話すやたら愛想の良いおやじがいて、疲れていたので薦められるままにコースを頼んだら、めちゃ高でした(うなぎの稚魚のオイル煮とか海老のオイル煮をパンに乗せて食べる料理やシーフードグリル、ケーキ、カフェ、ハウスワインを含めて9品出てきて2人で(16,500Psa/14,850円)。
やはり値段を確かめてから注文すべきでした、料理の内容はバルセロナの相場では高くて2人で6,000円位でした、思わぬ所で授業料を払ってしまいました。基本をはずしちゃいけませんね。
疲れている時は特に油断大敵。
ニュースで96年中に海外で盗難や事件・事故にあった日本人は15,000人もいたと言っていましたが、皆さんも疲れている時は特に要注意です。高い食事位で済んで良かったです。

その後サクラダファミリアのライトアップも見たかったのですが、サクラダファミリアは交通の便が悪いので断念してガラガラの深夜バスでホテルへ帰って寝ました。
3日連続で深夜バスに乗る日本人観光客も珍しいんじゃないかと思いました。結局タクシーは1回も使いませんでした。




NEXT DAY
INDEX

TOP/HOME