橘さんの「ベトナム・アマチュア無線日記」

ホームページ管理人から一言:7/25にアップして以来、橘さんに聞きながら「超マニアックな」原文に旅行日記風な文章を追加してます。今後も文章と写真をどんどん追加していきます!

大和アマチュア無線クラブ(JA1ZEK)の8回目のDXペディション(アマ無線家/ハムが全くいない、またはアクティビティの低い国や島に無線器材を持ち込んで、世界中のハムに珍しい交信のチャンスを与える遠征のことをいいます。正式免許をその国から得る必要があります)は、4月29日〜5月6日まで、ベトナムのカットバ島(右の地図の赤矢印の場所)から行いました。

カットバ島はハノイの東方、車で2時間半位のハイフォン港から船で約3時間に位置するハロン湾で一番大きな島です。面積約354平方キロのこの島の約半分は、自然保護のため国立公園に指定されており、野生の山羊、猿など珍しい動植物も多く、またその周りには大小1000もの奇岩が静かな海面にその姿を映し出しており、言わば日本の松島のような場所です。観光地としての歴史はまだ新しく、日本人も殆ど見かけません。

今回カットバ島を選んだ理由は、仲間の斎藤氏が既に何回かのベトナム旅行を経験しており、仲間内で一度行ってみたいという希望が多かったのと、同じ無線が目的で行くのなら、これまでハムがあまり活動したことの無い島の方が世界のハム仲間からは珍重され、たくさん交信できるだろうとの思惑から、これまで一度しか活動記録の無いカットバ島が選ばれたのです。

 
ハロン湾。ハロン(=龍が舞い降りるという意味)。その昔、外敵の侵略に苦しめられていたこの地に龍の親子が舞い降り、敵を打ち破った。その時、噴出した宝玉が奇跡となり、そのおかげで人びとは外敵から守られてきたという。1994年12月世界遺産に登録。海の桂林とも呼ばれ、海の奇妙な岩石郡の数は大小2000余。→ベトナム航空のHPより

この島へのIOTAペデイションの歴史は、1997年11月F6BFH他のフランス人グループによるXV8FPが最初で、このQRV(on the airと同じ意味で、電波を出す事)によりAS−132のナンバーが付与されました。我々は2番目のQRVを狙ったのですが、ほんの2カ月違いでチェコグループによる3W5OKに先を越されてしまい、我々は3番目のQRVという事になりました。
 ベトナムのアマチュア無線のライセンスはピザの取得後、郵電省の無線周波数局に申請します。これらの事務処理は斎藤氏(JA8VE)とハノイ在住の氏の知人にお願いしました。ライセンスは無線機と1対1に対応した形で発行されます。我々の場合、4人でトランシーバ3台を使用しましたのでコールサインは3つ指定され、そのためXV5JYをJA1KJW(中山)とJA1JQY(松井)で共用、XV5TK/JA3MCA(橘)、XV5VE/JA8VE(斎藤)という事になりました。物は試しと“XV”のブリフイツクスを希望したところあっさりと認められてしまいました。後で知ったところでは、もう何年もXV5は使われておらず、WPXの点からは貴重なプリフイツクスを皆さんにサービス出来た事になります。
 当初10MHz以下の周波数帯は許可されなかったので、斎藤氏の知人を介して当局と交渉の結果、3580.7037.7042.7053kHzがスポットで許可されました。「えらい周波数が指定されたな!」とは思ったもの、使えないよりは良いのでこれでOKとしました(これらの周波数の追加指定には別途免許料が必要でした)。
 何しろ英語が町の中でも殆ど通じない国なので、日本からの電話による交渉は我々では極めて困難で、仲介の方には何回も周波数局に足を運んで貰い本当にお世話になりました。


 4月29日の早朝、神奈川県大和市を出発。
成田から香港までは
キャセイパシフィック、香港からハノイまではベトナム航空とのコードシェア便(機体はベトナム航空で便名はキャセイ航空)でした(フライトスケジュール例:CX509 成田09:40発 香港13:50着、CX/VN791 香港14:55発 ハノイ15:55着。ベトナム航空の客室乗務員はアオザイを着ています)。
機内の印象は極平均的なもので、悪くは無かった気がします。機内食はこれまでおいしいと思った事がまずないので、ほとんど記憶にありませんが魚とチキンの2種から選べ、例によってひたすら胃に詰め込んだだけでした。
成田から香港経由でハノイにはその日の夕方に到着しました。(ハノイ、ホーチミンの天気予報は
こちら
共産国という事で心配していた厳しい通関時のチェックも全く無し!
これは予想外の嬉しい肩透かしでした。元々の予定ではハノイでの運用はしないことになっていたのですが、斎藤氏の「せっかく来たんだからハノイでもやろう!」の鶴の一声で、急遽ホテルの屋上に21MHzDPを仮設しCQ.CQ。結局XV5JY/pのコールで2日間で
ハノイ市内観光の合間に1000QSO以上出来ました。

市内観光はホーチミン廟、文廟、戦争博物館他にいきました。
我々が行ったのは偶然にも南ベトナム開放25周年の日(1975年4月30日に、北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線の戦車が旧南ベトナム大統領官邸に突入して約30年間続いたベトナム戦争が終結した)にあたり、沢山のジャーナリストや観光客がハノイに集まっており、どの観光地もすごい混雑でした。特にホーおじさんの遺体が安置されているホーチミン廟はすごい人で廟の入り口から続く行列は延々1キロ以上も伸びているかと思われるほどでした!!

多分列に並んでいる人は数千人に及び、私などは此れを見ただけで他に行こう!と思わずガイドに言ったほどです。ところが、さすがは共産圏の国、このガイドが公安(警察のことです)に頼むと彼はこっちに来いと我々を案内し、既に並んでいる無数の人を無視!なんと入り口から100メートルぐらいのところで行列をぶった切りここへ割り込め!とやってくれたのです(右は1000ドン/約10円紙幣に描かれたホーおじさん。全ての紙幣にホーおじさんが描かれています)。
当然非難轟々と思いきや、此れが皆無! 多分こういうことは日常茶飯事で皆諦めちゃってるのかな!?
この特別措置で我々は待ち時間30分ほどで廟内部に入り、遺体と対面する事ができました。
遺体はロシアのレーニンに施したのと同じ技術で保存されているとかで、5ー6人の衛兵に守られて安置されていました。見学者はほんの数メートルの距離からそれを見ることができます。でも、これって良く考えてみると死体を皆がじろじろ見ているということで、日本では考えられないことだし、本人も安らかに眠れないのでは?などと、つい考えてしまいます。

戦争博物館は、男性ならほとんど方が興味を持ちそうなベトナム戦争当時の最新鋭の兵器の実物を見たり触ったりできます。私は無線が趣味ですからどうしても当時の通信装置に目がいき、米国製のトランシーバなど懐かしく思いました。
観光の対象となるような神社、仏閣は、すべて中国の影響を受けており(この辺は日本と同じ事情です)少し色や形は異なりますが興味深く見ることができます。面白いのは、いたるところで漢字が残されているのですが残念なのは若い世代は漢字教育を受けていないため、これら先祖の貴重な文化材を全く理解できないことです。

 
画像左が「仏領インドシナ」時代を偲ばせるフランス風の街並み、右が文廟

物価水準は、一般的な生活必需品は日本の10分の1ぐらいだと思います。ただし、アルコール類や贅沢品は日本より少しやすい程度ですので、現地の人にとっては極めて高価ということだと思います。
町はすごく活気があり、人々は生き生きと働いています。東京の様に若い人が退廃的な生活をしているのが本当に残念に思えます。全般的印象は日本の昭和20年代というのが、一番ぴったりでしょう。
あの当時国は貧しかったけれど、日本人の精神は今よりはるかに高貴、純粋で国の復興に燃えていたなー。




さて、翌30日はジャンク市を見に行き、昔の秋葉原を彷彿させるジャンクの山に全員大感激!器機類から取り外したありとあらゆる部品が所狭しと並べられており、何でも手に入りそうだし、おまけに値段が日本の数分の1。私などもうひとつの趣味である真空管アンプに使えそうなオイルコンが安価で無造作に積み上げられているのを見て、よだれが出そうでした。
 5月1日朝9時30分ハイフォン港へ出発。日本の援助で作られたというハイウェイを2時間半、ピーピーとクラクションを鳴らし続けでぶっ飛ばします。午後4時35分ようやく目的地到着。数年前まで、電気が1日数時間しか供給されなかったと開かされていたわりには開けているなというのが第一印象でした。



島の展望台から見たカットバ湾。小さな漁船がひしめいています。中央に桟橋、その直ぐ左手に我々が泊まったホテルが写っています。この2枚でほぼ湾全体を撮したパノラマ写真になっています。

 カットパの港から200mの所に我々の泊まるBuu DienHotelはあります。そこはホテル街のど真ん中で、アンテナを張れそうな場所は屋上しか無く,20m四方の各コーナに4本のアンテナを上げることにしました。幸いだったのは、この宿は3方を山に囲まれている港のちょうど中心付近に位置し、他に比して山との距離が一番離れている事でした。
 アンテナは、14/21/28MHz用にTA33改の2エレ、18/24MHz用に中山氏特製3エレ八木、それに3.8/7MHzと21MHz用にDPを各々使用しました。
リグ(無線機)として、トランシーバはFT−850 2台、IC−726、アメリトロンALS−500Mリニア2台を使用しました。
これらは過去何回もペディションに使用しいずれも使い勝手、信頼性等実績のある物ばかりです。期間中コンディションは非常に良く、特にハイバンドではJAとの間は常時と言って良いほどオープンしており、信号はS9++で極めて強力です。
カットバ島での1stQSOは5月1日JA0BPY/1(14CW),JH6KFY(21SSB)でした。5月5日午前の撤収までのQSO数はXV5JY(op JA1JQY)1220,XV5JY(opJA1KJW)1721,XV5TK2086,XV5VE1859の合計6886QSOに達し、IOTAペディションを大いに満喫出来ました。宇治諸島にIOTAペディ中のJI3DST/6舟木氏、JA4PXE/6桑原氏から連続してコール頂き良い思い出となりました。


 ところで、夜間SSBで交信頂いた方は、バックでカラオケが聞こえていた事にお気づきの方もおられたのではないでしょうか。実はホテルの横の広場では毎夜お祭りが行われており、深夜まで大音響でカラオケ大会が催されたり音楽が流されたりで、それがマイクに入っていたというわけです。決して、横に美女を侍らせてカラオケバーからオンエアーしていた訳ではない事を、我々4人の名誉のために記しておきます。Hi
 今回は各人が持参したカップラーメン類が全く消費されないという珍現象が発生しました。理由は新鮮な野菜や魚介類をたっぷり使った
ベトナム料理がヘルシーでかつ日本人の舌にぴったりの味で、その上値段が日本の10分の1位であるという点にあります。毎日勉きもせず海老、イカ、カニ等をお腹いっぱい食べ、冷えたTigerBeerをグピグピ飲んで、これで一人当たり1食数百円にしかならないのですから、誰もカップヌードルなど見向きもしないのは当然(!)でしょう。皆がいっペんでベトナムの大ファンになった事は、言うまでもありません(住友銀行の「世界の物価リポート」アジア編)
 
ホテル前での記念撮影

終わりに、多数のコールを頂いたJA各局にお礼申し上げます。QSLは、XV5JYviaJA1KJW,XV5TKviaJA3MCA、XV5VEviaJA8VEでお願いします。
ではまたどこかからお会い出来ることを楽しみに、73&FBDX!



橘さんのアマチュア無線日記第一弾、南太平洋の小国ツバルで世界を相手に交信!
「Timelessな国からTalofa!」

このサイトの「新婚旅行RTW/世界一周日記」の作者堀さんの個人HPにベトナム日記が載っています。橘さんと同じ香港経由のハノイの旅です。「オビワンの部屋」