1月24日(土) 4日目=実質最終日 ★★★〓〓〓

ANNEX ANTIQUE FAIRE &FLEA MARKET

この日は昼は完全別行動の日。小林と18:00にエンパイアステートビルのロビーで待ち合わせをしてイタ飯を食べに行く事だけを決めた。天気は曇り。
僕はANNEX ANTIQUE FAIRE &FLEA MARKET〜Soho〜セントラルパークの芝生の広場(シープ・メドー)〜ジョン・レノンが住んでいたダコタハウス〜アメリカ自然史博物館〜グッゲンハイム美術館〜メイシーズ(デパート)〜エンパイアステートビル〜イタ飯屋さんで夕食。という予定をたてていた。

まず、ホテルの部屋を出ると短大の卒業旅行と思われる茶髪のセミロング娘が5〜6人前を歩いていて、(僕みたいなおじさんが言うのもなんだが)これが相当なバカ女(岡本夏生や巨乳タレントの山田まりや的騒々しさ)。口の聞き方といい格好といいバカ丸出しで、こんな娘があの上品なティファニーに行くのかと思うと、お願いだから日本の恥をさらさないで欲しいと祈りたくなるような気持ちだった。小林の証言によると広島女らしく、後でティファニーの袋を持っているのを見たそうだ(やはり行ってしまった.......)。

バカ女を見た後、歩いてロックフェラーセンターを目指した。ANTIQUE FAIRE は世界中どこでも現金商売なので5番街に面した24時間営業のCitiBankに行って現金を引き出した(カードを入れないと入り口のドアが開かないようになっていた)。その後すぐ近くにある5番街の高級デパート、サックス・フィフス・アヴェニューを少し見学。おしゃれな店内をぐるっと回っただけで見学終了。サックス・フィフス・アヴェニューの5番街に面した外壁には何十本も星条旗が掲げてあって朝日を浴びて綺麗だった。僕は外国に行くとその国の国旗を写真に撮るのが好きなのでロックフェラーセンターをバックに大きな星条旗の写真を撮った。

時間がどんどん過ぎていくのが惜しくてタクシーで49St.&5Ave.から24〜26St.&6Ave.のアンティークマーケットANNEX ANTIQUE FAIRE &FLEA MARKETへ移動。

ここは24〜26St.&6Ave.の駐車場で毎週土・日にやっているマンハッタン最大規模のアンティークマーケットとガイドブックに書いてあった。冬でしかも前日が大雨だったのでオープンしているかどうか不安だったが、なんとかやっていた。しかし店の数はたいした事がなくて、少しがっかりした。入場料を$1払い手の甲に紺色のスタンプを押してもらって入場。会場は幅が100m、奥行きが50m位の駐車場なのでたいして広くなかった(写真上の右側にある)。一通り見て回ったがたいした物は売ってなかった。しかし、ここであきらめては負けなので丹念に見て回ったが、2周してもやはりたいした事はないなーと思ったところで松原とばったり会った。彼は古いブリキの缶を探していた。松原とはすぐ別れて、別会場に移動した。ANNEXは暖かい季節は3つの駐車場を使っているようだが、この季節は2つの会場のみオープンしていた。
別会場(幅が50m、奥行き50m位)の方はメイン会場と比べると狭かったが、僕好みの安くて良いアンティークがある「気配」がした。
早速スターリングシルバーのキャンドルスタンドが目に入ったので手にとると、良いものではないが値札が$30となっていた。スターリング(純銀)で$30はただ同然なので少々傷があったが、上品じゃないおばちゃんが売っていたので強気で値引き交渉をして、$30を$25に値切ってGet。
1ペアで$25なら上々の買い物だ。その後今度は古新聞と古雑誌が目に入った。早速見るとアポロ11号の月着陸を報じる「MEN WALK ON MOON」と大見出しが踊る1969年7月21日付けのThe New York Timesと、黒枠のケネディー大統領の写真を表紙に使った1963年10月29日付けのLIFEの追悼号がそれぞれ$12で売っていたので、30代の白人のお兄さんから2部で$20でGet。

NYで一番というマーケットに行って、やはりアンティークはロンドンが一番だと再認識した。イギリスのガイドブックに、どうりでアンティークについて何も書いてないわけだと納得した。
その後、朝食と休憩をかねてマックに入ったが、ここの内装はアール・デコ調だった。マックを出ると天気がだんだん良くなってきたので6番街を南に向けて歩いて散歩。Sohoまでは1.5kmもあるのでどうやって行こうか、松原が行くと言っていた生活雑貨のアウトレットショップWilliams-Sonoma Outlet Centerに先に行こうか、などと考えながら1km位6番街周辺の雑貨屋(キティーちゃんの缶をレジでクリップ入れに使っている店があった。キティーちゃんのビニールのポーチを売っている店もあった。NYでも密かに流行っているようだ)をひやかしながらキーホルダーや絵はがきを買いながらぶらぶらしていると、突然久しぶりに日がさしてきたので急遽目的地をブルックリン・ブリッジに変更。


Brooklyn Bridge

West 4th St.Mashington Square駅から銀座線(オレンジ色のB/D/F/Q線のF線)に乗り5つ目でイーストリバーを越えたYork St.駅まで行き、ほとんど人が歩いていない倉庫街の広い石畳の車道の端(歩道は怖い)を15分位歩いてブルックリン・ブリッジの橋桁に到着。
観光客は1組しかいなかった。橋は1883年完成で長さは1,091m、高さは83mもありゴシック様式で建てられていて趣があった。

橋桁の下には長さ50m位の石畳のスペースがあり、テレビ・映画や絵はがきで見慣れたブルックリンブリッジ越しのマンハッタンの風景が目の前に広がっていた。
正面左には19世紀のNY港の中心で今は博物館・魚市場・レストラン・観光フェリー乗り場が集まっているSouth St. Seaportが見え、左端方向には遠くに自由の女神が見え、その前を汽笛を鳴らしながらスタテン島行きのフェリーが通過していた。ワールドトレードセンターは前日は雲で頭が隠れていたがくっきり見えていた。右にはすぐ隣のマンハッタンブリッジが見え、その向こうにはエンパイアステートビルが少し見えていた(写真上が最初に撮った写真)。

空は久しぶりの青空。写真をパシパシ撮って(ワールドトレードセンターが写ってますね。。。)しばらく景色を眺めてから、橋のたもとにある有名なレストランRiver Caffeの駐車場でタクシーを拾ってブルックリンブリッジを渡ってSohoへ向かった(直線距離は約3km、$12)。


Soho

Houston St.駅の近くでタクシーを降りて南(South Of Houston)を見ると正面にワールドトレードセンターが見えていた。ソーホーは日本のガイドブックにはショッピングゾーンとして青山のような書き方をされていて、おしゃれな建物が並んでいるか、倉庫におしゃれな店が入っている場所のようなイメージがあるが、イギリスのガイドブックには「ソーホー鋳鉄(いてつ)歴史地区」として紹介されている。
ソーホーは1869〜95年までにレンガや石の替わりに鋳鉄で建てられた鋳鉄建築が世界最多の50軒も残る地区なんだそうで、そういう目で見ると町並みは5階建ての鉄製の建物がほとんどで、ブラックチョコレート色をした建物が多かった(写真左上。意外と地味な町並み)。
建物は地味だが、所々の建物に看板代わりの店の名前を書いた白やオリーブ色やワインレッドの単色の大きな旗が2〜3階部分から道に直角に下がっていて、景観の特徴になっていた。ソーホーは派手な建物が並ぶ地区でなく、落ち着いた古い街だった。

Houston St.駅から真南に行くWest Broadway沿いには店は絵を売るギャラリーやオブジェのような物を売るアートショップが多く、僕が入ったギャラリーにはA.ウォーホールのポップ・アートが$12,000〜$18,000で売っていた。ヒロ・ヤマガタやケリー・フォーラム等もあった。ソーホーに行ったらギャラリーに行こうと思っていたので満足した。その後本屋でNYの絵はがき集を買って、いかにもソーホーらしい雑貨屋でナチュラルな感じのざくっと切った深緑色の10cm角位のオリーブオイルの石鹸を買おうかと思ったが、NYまで来て石鹸でもなかろうと思って断念。ソーホーはキッチン・バス用品、インテリア用品・文具の店が多くて見ていてあきなかった。動物の骨や化石ばかり売っている変な店も人気があった。
ソーホーは、通りの屋台で山盛りで売っている甘いナッツを食べながら休みの日にぶらぶらしたら良さそうなおしゃれな場所だった。

途中の雑貨屋で会社用のお土産を買いぶらぶらしてから、次の目的地セントラル・パークのザ・シープ・メドウ(芝生越しに見る摩天楼で有名な場所)を目指した。

千代田線(緑色の4/5/6線)のSpring St.駅から地下鉄に乗って、途中グランドセントラル駅の地下のカフェに寄ろうかと思ったが、42St.Grand Central駅を乗り越してしまい断念、Lexington-3 Ave.駅で丸の内線(赤色の1/2/3/9線)で乗り変えてセントラルパークの西南の端にある59St.Columbus Circle駅で降りて、8Ave.を真北に歩いてWest67St.からセントラルパークに入りザ・シープ・メドウ/The Sheep Meadow(ザ・羊牧草地という意味)まで行った。


The Sheep Meadow / Central Park

天気は曇っていたが15:30だったのでまだ日は傾いていなく、土曜日だったのでジョギングをしている人が一杯いた。上品なおばちゃんが犬を何匹も連れて散歩したり、クロスカントリースキー風のローラーコースターをストックを持ってやっているおじさんもいた。
The Sheep Meadowは4月までは入れなかったが、青々とした芝生の向こうに我々が泊まったホテルがあるアッパーミッドタウンの高層ビル群が見え、いかにもNYらしい風景が広がっていた。曇っていたがパノラマで写真を撮った。ここで初めてホットドッグスタンドのホット・ドッグを買い($1.25)、ベンチで食べたが意外とおいしかった。食べ終わった頃一瞬太陽が顔を出したので、あわてて木の枝越しにThe Sheep Meadowの写真を撮った(写真左上)。

The Sheep Meadowの写真を撮り終わった時、マジシャンのユリ・ゲラーみたいな黒髪の白人の男の人が、撮りっきりコニカみたいなカメラを差し出して「写真を撮っていただけますか?」と言うので撮ってあげると、今度は「あなたのカメラであなたを撮ってあげましょうか?」ときたので「ノー サンキュー〜」(そんな手に乗るわけねえだろー 俺の大切なニコン様をおまえなんかに盗られてたまるかよ!と思いながらも)にこっと笑ってさよならした。

The Sheep Meadowの後はセントラルパークの中を歩いてL.バーンスタイン、J.ガーランドがかつて暮らして、ジョン・レノンが玄関前で凶弾に倒れたダコタ・ハウス(Dakoda House West72St.&8Ave.)まで行った。
セントラルパークにはダコタ・ハウスから見下ろせる位置に今もダコタ・ハウスに暮らすヨーコ・オノが世界の植物を植えているストロベリーファームがあり、歩道の中央には直径2m位の白と黒のモザイクでできたIMAGINEと書かれた丸いプレート(メダリオン)があった。このメダリオンはなぜかナポリ市から送られたものらしい。

ダコタ・ハウスからはアメリカ自然史博物館はすぐ(West72St.→77St.)なので歩いて移動。
アメリカ自然史博物館は入場料$8。ここでの僕の目的は恐竜の骨格化石。特にジュラシックパークの主役T-REX(ティラノサウルス)の化石を見たかった。


American Museum of Natural History

入館してまず隕石コーナーに行きタバコの1/3位の大きさの月の石を3個見て、その後大急ぎで4階のDinosaurs/恐竜ホールへ行った。恐竜ホールに入るとまず2本の角と襟巻のような首周りの骨が特徴的なトリケラトプスの骨格化石があった、さらに巨大草食恐竜ブロントサウルス(ブラキオサウルス)、そして恐竜のスーパースター、ティラノサウルスの骨格化石。

ここでもアメリカ人のプレゼンテーションに感心した、高さ4〜5mもあるティラノサウルスが草食動物(これも骨格化石)を捕まえて大きな口を開けてまさに食べようといている場面の骨格化石があったのだ。ジュラシックパークの見過ぎで俺はT-REXの骨格化石を見ていると今にも動き出しそうな気がした。その動きも鳴き声も肌の色も僕は知っている(と思い込んでいる)。

しばらく見ていたが映画のせいでまるでジュラシックパークのロケ地にいるような感覚になってきたので、展示室を出た。※ここからジュラシックパークのビデオを背中で「聞き」ながら日記を書いている。(今T-REXが初めて登場して、子供が乗っている車を襲い始めた場面)

休憩をしようと思ってOcean Lifeの売店に行こうと思って体育館みたいな巨大なホールに入ると薄暗く青白い光しか照明がなく、見上げるとそこには長さ50mはあるのではないかと思わせる巨大なシロナガスクジラの模型が天井から吊されていて、売店は口の先の真下にあった。
売店はごく普通のスナック菓子やリンゴ、ソフトドリンクを売っていたが、疲れていたが食欲は無かったので、持っていたミネラルウォーターを床に座って飲んだ。床にはファミリーが何十組と座って休んでいて、床を走り回っている子供もいた。NYは街中に子供や若者がいないなあ、と思っていたがここでまとめて見た気がした。

この後は素晴らしい白熊やバッファローのジオラマを見てから後ろ髪を引かれる思いでアメリカ自然史博物館を出た。

アメリカ自然史博物館を出ると16:30になっていた。次の目的地はセントラルパークの反対側にある白い巻き貝のような外観のグッゲンハイム美術館。2つの美術館は共にセントラルパークに面している。
UPPER WEST SIDEの77St.〜81St.&8Ave.にあるアメリカ自然史博物館からUPPER EAST SIDEの88St.&5Ave.にあるグッゲンハイム美術館までは直線距離は約1kmだが、セントラルパークを歩いて渡らないと行けないがもう夕方になっていて、歩くのは危険なのでバスを待った。

このバス停で待っている時、NYで初めて美人に会った。
金髪のショートカットで目は緑に見えるグレー、薄いグレーのトレンチコートを着ていた。手袋が毛糸の青っぽいタイプだったのが全体の雰囲気とミスマッチでかわいかった。
僕はNYに4日いて東京でいえば銀座や青山を毎日歩いているのだから、1回位スーパーモデル風に会えるかなと思っていたが、東京でもモデルなんて見ないのに、NYに住んでもいないのに見れると思うなんて、超お上りさん的発想で我ながらあさはかだった。

バスは今回の滞在でこの1回だけ乗ったが、トークンが使えるので便利だが車内で次の停留所の案内がないのでじーっと外を見ていないといけない、セントラルパークの東西は約1km(南北約4km)あるが 、パーク内には車が通れる道が10本位あり、横断道は5本あって僕はE 81St. to W79th Street Transverse Roadをバスに乗って横断。
外を見ると歩いている人は東洋人が2人だけ、きっと日本人だと思って見ていると、目の前にいたふくよかな白人のおばちゃんが、窓と窓の間にある黒い縦長のテープみたいな所を押した、これが停車ボタンだ。3〜4分乗っただけで降りたが車内は清潔で快適だった。乗った場所も降りた場所も高級住宅地だったので乗客のほとんどは白人だった。

バス停は79St.&5Ave.にあったがグッゲンハイムは88St.t&5Ave.にあるので5Ave.の右側の歩道を800m弱歩いた。右にはメトやセントラルパークが見え、通り沿いには高級アパートや大使館があった。高級アパートは入り口には必ずホテルのドアマンを地味にしたみたいな制服を着た40〜50代の白人のおじさん警備員がいて、出入りするトレーニングウェア姿や犬を連れた毛皮姿の住民にニコニコして挨拶をしながらドアを開けていた。ちらっと見るとエントランスは広くないが深紅のカーペットが敷きつめられ天井にはシャンデリアが輝いていた。

高級アパートが続く道を歩いていくと周囲の景観とは明らかに違う白い巻き貝状の外観のグッゲンハイム美術館に到着。


Guggenheim Museum

グッゲンハイム美術館/Solomon R Guggenheim Museumは1959年完成のNYでは新しい美術館だが。設計者はアメリカを代表するフランク・ロイド・ライト。銅で財産を築いたグッゲンハイムさんが1942年にライトに依頼し、1959年の完成時には2人共この世にはいなかったそうだ。イギリスのガイドブック(タビト)には「世界でも優れた近代および現代美術のコレクションを擁するグッゲンハイム美術館だが、おそらくその建物そのものが最高の傑作であろう」とイギリス人らしい誉めているのか皮肉を言っているのかわからないコメントが載っていた。

大・小円形棟と1992年にできた10階建てのタワーで構成されている。大円形棟の内部は吹き抜けになっていて、6階部分から1階までのらせん状の傾斜角3度の400mのスロープ沿いに作品が展示されている。$8の入館料を払って入ったが、チケットを買う時、タウンハウザーギャラリーの3階部分しか開いてないがいいですか?と聞かれた。この日は「中国五千年文明藝術展」の準備でタウンハウザーギャラリーの2・4階部分は大工さんが入っていた。
時間が無かった僕にはそれでも良かった。なにしろ小林と6時にエンパイアステートビルで待ち合わせをしていたがグッゲンハイムに入ったのは4:50位だった。

見れたのはヨーロッパの印象派の作品だった。ここでもゴッホやルノアールの名品があったが、セザンヌの静物画が素晴らしかった。展示方法はライトの意向「作品がまるでイーゼルに乗っているような状態で展示される事」を忠実に守っていて、自然光で見れるように工夫してあり、額縁も他の美術館で多く使っている金箔押しの古い装飾付きの額縁ではなく簡素なアルミの額縁だった。

警備員に許可をもらって1階からホールを見上げて写真をとったが、黒人の警備員が「中国五千年文明藝術展」と書かれた大円形棟の内部に下がった幕を指さして「Youはあれが読めますか?」と聞いてきたので「チャイナ・ファイブサウザンドイヤーズ・シビリゼイション・アート・エクシビション」と何も考えないで文字の通り直訳して教えてあげたら「チャイナ・ファイブサウザンドイヤーズ〜」と復唱して喜んでいた。

待ち合わせ時間が迫っていて慌てて外に出てタクシーを待っていたら、手に包帯を巻いた若い黒人が寄ってきて「わたしはハンデがあって大変なんだ」と言うのでうるさいので1ドル紙幣を出そうと思ったら20ドル紙幣が出てきてしまい、あわててポケットにしまいクオーターを2枚(50セント)あげた。

一端ホテルに荷物を置きに帰り(この時乗ったタクシーの運ちゃんは今年のNYは暖かくてまるでジャマイカのようだとふざけた事を言っていた。仲良くお話してホテルで降りたら小銭入れを車内に落とした事に気づき、大あわてで走って追いかけたら待ってくれて事なきを得た。実は小銭入れにはキャッシュ約$80とAMEXとVISAのカードが入っていたのだ。札入れも持っていたがこれは盗難用ダミー財布で、キャッシュ$20と期限切れのAMEXのカードしか入れていなかった)。
ほっとしながら南向き一通の5番街まで歩いてタクシーに飛び乗ってエンパイアを目指した。
タクシーの運ちゃんにはエンパイア(33St.と34St.の間&5Ave.)のちょっと手前の住所を言い(53St.&5Ave.→37St.&5Ave.)、キャンドルのように上の方だけ白くライトアップされたエンパイアを見上げながら少し歩いて5番街側の地味な入り口からロビーに入った。到着は18:00をちょっと過ぎていたが、ロビーにいた小林に手を上げて合図を送ったが、小林はどうも元気がない。聞いてみると「めっちゃ 疲れた..........」と本当に疲れた様子で、早歩きはできない状態だと言っていた。


EMPIRE STATE BUILDING

エンパイアステートビルディング/EMPIRE STATE BUILDINGはNYに来る前に気に入って見ていた映画「めぐり逢えたら」Sleepless In Seattleの最後のシーンでバレンタインデーにトム・ハンクスとメグ・ライアンが展望台で始めて出逢うシーンで使われていて、ロケの現場に行くことを楽しみにしていた。オールドファンにはケーリー・グラントとデボラ・カーの「めぐり逢い」の舞台で有名(「めぐり逢えたら」は「めぐり逢い」をモチーフにしている)。

5番街側のロビーは色大理石を多用していて素晴らしいアール・デコの雰囲気。世界恐慌の直後(1931年)に完成した102階建てのビルの内部はさすがに古かったが、各フロアーのどこに行ってもデコっぽい装飾があってクラースラービルと並んでNYのデコの殿堂という評価は正しかった。工藤君は「アメリカ人はわかってないんじゃないの?」と言っていたが。

エスカレーターで地下に行きチケットを購入($4.5)、少し揺れるエレベーターを乗り継いで86階の展望台に到着。約300mの高さだ(テレビ塔の頂上までだと443m。エンパイアステートビルから見たライブ映像はこちら)。

外は思ったよりも寒くなかったが素晴らしい夜景が見えた、NYの夜景の特徴はネオンが輝く美しさではなくて、オレンジ色の街灯が広がる夜景の中に高層ビルの明かりが加わっているところにある、ネオンが点滅する夜景は今までいろいろな所に行ったが日本だけで、ヨーロッパもアメリカもオレンジ色の夜景、ソウルもオレンジ色の夜景だった。唯一オレンジ色でなかったのは香港だが、あそこは今は無き啓徳空港の近くだったので点滅するネオンが禁止されていて、カラフルだが点滅はしていない夜景だった。

土曜日だったのでワールドトレードセンターの窓の明かりはヘリから見た時に比べると1/3位だったが、遠くに自由の女神がかすかに見えた。夜景はヘリで充分堪能していたので執着はなく、写真も現像してみたら4〜5枚しか撮っていなかった。暗いのでシャッタースピードが2〜3秒になり、実際より明るく写っていた。ヘリよりじっくり見れるのが良かった。

映画「めぐり逢えたら」でサム(トム・ハンクス)の小さな息子(ジョナ)が望遠鏡の下で座ってアニー(メグ・ライアン)を待つシーンが印象的だったので、望遠鏡の下に座って記念撮影。しかし、1階のロビーの受付けシーンと展望台に出るエレベーターホールのシーンはセットだったことが来てわかった。※ここでビデオで再確認したが間違いなかった。

展望台では最後に、展望室の中にあった「コインプレス機」で1セント玉(銅製)4枚をを$1(/枚)払ってプレスしてもらった。
この「コインプレス機」は歯車付きのクラシカルなプレス機で直径18mmの1セント玉を幅20mm長さ35mmの楕円形に引き延ばしながら、自由の女神やエンパイアの模様を表面に刻印する記念品で、そこに行かないと作れない貴重品だそうだ(元計画部物流Gの林さんのお薦めグッズ。会社の隣の小林さんに見せたら「プリクラみたいなものですねー」と言っていた)。出来上がりは、それで?というものだった。

展望台から降りて、2階にあるNYスカイライドを見に行った。小林は気が進まないようだったが、アメリカ人はこの手のアトラクションを作るのがうまいのはLAのユニバーサルスタジオで経験済みだったので、チケットを買って($9)乗った。

スカイライドはスクリーン・フライト・シュミレーターで、座席がスクリーンに対応して上下左右に動く仕組み、スタートレックの(日本人にはあまり知られていない)チーフ・エンジニアのスコット隊員が案内人になっていた。内容はマンハッタンを暴走するスターシップという設定になっていて、摩天楼の上を飛んだり、歩行者や車をかすめながら歩道すれすれに飛んだり、ジェットコースターに乗ってしまったり迫力があってやはり面白かった。「飛行時間」は約10分。小林も満足してくれたようだった。


Dinner at Grano

さてエンパイアを20:00過ぎに出て我々は夕食の為に移動。エンパイアの道路に面した1階は極普通の古いカフェが並び、とても世界的に有名なビルの一階には見えなかった。
この日の夕食はGrano-TRATTORIAというイタリア料理屋さんと決めていた。
場所はエンパイア(33St.と34St.の間&5Ave.)の真南で8St.&6Ave.(21 Greenwich Ave.)にあって、NYでは珍しく1階にあって店内が良く見えるレストランだった。NYは大都会なのであまりレストランが通りに面していなくて、バルセロナ&南仏で学んだラテンの法則(お客が入っているレストランは良いレストラン)をNYのイタ飯屋さんやスペイン料理屋で試そうとしてもできなかった。

Granoはアメリカのレストラン(テーブルにキャンドルが必ずあってかなり暗い)にしては明るく、店内も適度にお客さんがいた。早速メニューを見たがあまりお腹は空いていなかったので前菜とパスタとデザートで済ませようと思った。感じの良いギャルソン(といっても若い女性)にオーダー。前菜はモッツァレラチーズとトマトとフィニッシュのサラダ、小林はターキーのフィットチーネ、僕はニョッキ、ワインはMERLOT TRENTINO RESERVA 1995
という赤ワインをボトルでオーダーした。

モッツァレラチーズとトマトとフィニッシュのサラダはさっぱりした味で僕には好みだったが小林は味がしないと言ってオリーブオイルと塩をかけて食べていた、フィニッシュという(と聞こえた)野菜はオニオンのような歯ごたえでうすべったいミニミニ白菜のような形。ニョッキは実は僕は始めて食べたので比較対象がないのでわからないが、おいしかった。ターキーのフィットチーネも麺に歯ごたえがちゃんとあって、アメリカでは冒険と思われたチョイスもかなり上々の味だった。しかし、皿が深くてかなり量は多かった。ワインはしっかりした味だった、ラベルにはThis soft elegant wine basts a rich flavor of black cherriesと書いてあった。そうかブラックチェリーかと思って飲むとなんだかそんな気がするから僕の味覚は単純だ。

デザートはギャルソンの若い学生さん風のお姉さんに
「あなたはどれが好きですか?」
と聞くと
「オール」
と、ニコっと素敵な笑顔で言うので
「あっはっは! それであなたはどれが好きなの?」
としつこく聞くと
“バタフライなんとか”というメニューを指さすので僕はそれをオーダー。小林は“パンナコッタwithストロベリーソース”をオーダー。ギャルソンのお姉さんが薦めてくれた“バタフライなんとか”はアーモンドのスライスがたっぷり入ったパイで香ばしくておいしかった。小林のパンナコッタは僕の予想ではストロベリーソースが、これでもかっ!とかかっているかと思いきや、フランス料理のように真っ白いお皿の四隅にデコレーションのように飾ってあるだけ、パンナコッタの舌触りが良く甘さもしつこくなくても素晴らしくおいしかった。

食後に僕が頼んだカプチーノはぬるかったが、小林が頼んだエスプレッソはパリのドゴール空港のカフェ程度の濃さだった(つまりラテンな人工藤君なら薄く、僕なら普通に感じる濃さ)。メインを頼まなくても我々は充分満足した。お勘定は2人で$92.95。一人$46.47だからメインを頼めば$60はいったと思う)。

店内の僕らの近くの席には日本の留学生2人と白人の男、男2人が2組、若い白人の女性2人が1組、あとは白人の男の1人客だった。場所がゲイタウンのクリストファーストリートの入り口だったので男2人組はそうかもしれないと思って見ていたが、よく考えてみたら自分達も男2人組だったので言うのをやめた。

食事に大満足をして飲み残しのワインボトルをもらってホテルに帰った(タクシー代$7)。
ホテルに帰ったのは22:00すぎだったが、雨が降ってきていた。

ホテルでは翌日7:00に荷物のピックアップがあり、8:00に出発だったのでパッキングをして寝た。翌朝はセントラルパークのリスに餌をあげる為早起きをする事にして寝た。11:00すぎからは雨が雪に変わっていた。



STOMP etc.

この日、松原・木村組は僕と同じで朝はANNEX ANTIQUE FAIRE &FLEA MARKETに行った(NYのFLEAマーケットガイドはこちら)。
松原はブリキの缶を探したが無かった。
木村君はアネックスの屋内の店でハミルトンのアンティーク時計を$40で買った。1970年代のもので自動巻だそうだが、後で松原の時計と比べてみたら10分に1分の割に早く進む時計だったらしい。

その後生活雑貨のアウトレットショップWilliams-Sonoma Outlet Center(23St..&11Ave.)へ行ったが、ここは松原に言わせると「実用的な食器から調理器具では世界最高品質でリーズナブル。日本にあったら食器をがんがん買い込むだろう」と言う程のアウトレットショップだそうだ。ここで松原はボールを4つで$16で購入。
その後Sohoへ移動してフリーマーケットに行ったそうだが、彼曰く「アメリカのフリマは高い」、ここでサングラス(反町風)を$5で購入。松原は「フリマに店を出している松原としては、アメリカのフリマは規模・品揃え共になっとらん!」
と言っていた。

その後Kマートでお土産を買ってから昼食(パスタ)。その後MoMAアートショップへ行き木村君はA.ウォーホールの自由の女神が一杯描いてある大きなポップアートを2枚購入($20/枚)、松原はA.ウォーホールの猫のポストカード集($11.5)を松原の飼っている猫(プリンちゃん)を旅行中に預かってもらっている「さとちゃん」用と自分用に買ったそうだ。

夜景をまだ見ていなかったので20:00過ぎにエンパイアに行ったが、松原は「地上は雨だったのに上は雪が舞っていた。土曜日に行ったのは失敗だった、平日だったらどんなに綺麗だったろうかと思った」と言っていた。松原・木村組も我々が乗ったNYスカイライドに乗ったが、松原は
「全然おもしろくなかった。ロスのユニバーサル・スタジオで乗ったバックトゥーザフューチャー・ザ・ライドに比べると100分の1位のおもしろさしかなかった」
と言っていた。僕は「そうかー?」と言ったが、確かに最高の出来のユニバーサル・スタジオのライドと比べてしまえばその通りだ。僕もそう思った。

その後、ブルーマンを見たアスタープレイス劇場の近くにあるオーファイム劇場でロングランでやっている「STOMP」(Orpheum Theatre,126 Second Ave.,at St.Marks Pl.)を見る為移動、「STOMP」は7〜8人でありとあらゆるもの(バケツ・ほうき・ちりとり・トイレのパッコン=つまった時使う器具・手・ドラムのスティック等)を使って演奏するパフォーマンスで、松原は
「言葉は全くなく、すごく単純だがお客を巻き込んでいくのがすごくうまかった。全員参加で会場との一体感があって、リズミカルにひたすら音があってエキサイティングだった」
と誉めていた。



Roosevelt Is. Aerial Tramway & Harlem etc.

小林は、朝一番はお腹もすいていなかったので、トラムウェイ/Roosevelt Is. Aerial Tramway(60St.&2-3Ave)に直行。トラムウェイはビルの谷間をぬけてルーズベルト島(マンハッタン島と対岸のクーンズ地区の間にあるイーストリバーに浮かぶ細長い島。JFKからマンハッタン島に入る時渡るクイーンズ・ボロ・ブリッジはこの島の上をまたいでいる)に渡る生活の足のロープーウェイだが、「中は想像以上に広く12畳位あった。景色は視点が高いのでマンハッタン島のイーストリバー沿いの北側の景色が素晴らしかった。
映画で見たビルの間を行くロープーウェイは10年来の謎だったが、乗って謎がすべて解けた。このロープーウェイを映画で最初に見た映画はシティースリッカーズで、最近ではレオンやPuffyのビデオでも写っていて、なんなのこれっ?とずーっと思っていた」。

トラムウェイをルーズベルト島で降りて次の帰りの便が15分に1本だったので15分間ルーズベルト島をぶらぶらしてから帰った。マンハッタンに帰ってからは、レオンの最後のシーンで(レオンが死んだ後マチルダがレオンが大切にしていた鉢植えの観葉植物を持って学校に行く為乗ったトラムウェイが、ビルの谷間を昇りながら横切って消えるシーン)と同じ風景が見れるロケ地を探した。
ロケ地は降り場からすぐの所にあったが、南から北方面を横切るトラムウェイをまた15分間待って撮影にて満足して日本に帰ってきたら「レオン完全版」で確認したら映画の撮影場所は写真をとった場所の正反対からだった(正しくは北から南を撮影した風景だった)。

トラムウェイの後は(前日見つけられなかった)98St.にあるはずの化粧品のディスカウントショップの本店を探しに行ったが無かった。歩いていた人に2人も聞いても答えは「アイ ドント ノー」。
あきらめて移動しようと思ったが、98St.あたりは地元密着型の商店街があって楽しい所だった。1ドルショップがあったが「実用品もあったが、しょーもないおもちゃとかしかなかった。しかもアメリカ製品じゃなかった。98St.ではなかったが10ドルショップも見た」。(98St.あたりはガイドブックにはほとんど載っていないエリアで観光地ではなさそう)

その後98St.からはかなり離れているSoho(1St./Houston St.の南)へ移動。
ソーホーではまずキャラメルコーンみたいなナッツ($1)を買ってぶらぶらしてキャナルストリートのフリマに行ったが「すごく狭かった。売る人がプロとしろうとが混在していて極端だった。たいしたことなかった」ので何も買わなかった。
その後Williams-Sonoma Soho店へ行った
「ここは良かったけど、こまかい物があまりなくて、良いお皿もあったけどでかすぎてとても買えなかった。なんでもかんでも5枚セットとかになっていて結局買わなかった。お土産用のマーマレードだけ買った($2〜3)。しかし、おもしろかった」。
さらにSohoっぽいアートショップを覗いたが思ったより高かったので見るだけにした。

お腹が減ったので友達が歌舞伎町で働いているという黒人のホットドックスタンドで始めてホットドック($1.5)を買って、先に買っていたスナップル($1.3)を飲みながら軽い昼食。

すると太陽が出てきたので、セントラルパークのシープ・メドウを目指して地下鉄に乗ったが、丸の内線(赤色の1/2/3/9線)から59St.Columbus Circle駅で三田線(青色のAトレイン)に乗り換えてたら、来た電車はがらがらで、ラッキー!と思って乗ったらホームにいた人が誰も乗ってこなかった。その時は何も感じなかったが、シープ・メドウの近くの72St.駅で降りようと思っていたら81St.という看板が目の前を通過してここで始めて急行に乗った事に気づいた。どこまで行くのかと心配でひたすら駅に停車するのを待った。

降りた駅は125St.駅というハーレム/Harlemのど真ん中の駅で(有名なアポロ・シアターも125St.の3つ位東のAve.にある)、しょうがないのでハーレムを見てみようかと思って階段を上がったら、すぐうしろを上がっていた黒人が
「ブーーー!」
とブーイングみたいな変な音を出したので、あわててDownTown行きに乗る為ホームに行った。周りの雰囲気は黒人ばっかりだったが黒人のポリスがいたのでここで始めてほっとした。

やっとの思いで今度は各駅停車に乗って72St.駅を目指したが、各駅停車だったのに予想以上に早く72St.駅に着いていたようで乗り越してしまった。不安で一杯で長く感じた行きと、ほっとして乗った帰りでは時間の感覚が狂ってしまっていた。しょうがないので59St.Columbus Circle駅から歩いてシープ・メドウまで行った(600m位)。セントラルパークに始めて足を踏み入れて、まずリスにSoho で買ったナッツをあげた。

リスは警戒心が強くてなかなかやってこなかったが、何個もあげて呼び寄せると、最後には人間に慣れたリスが手から直接とって食べていた
「リスは家で飼いたい位かわいかった、かなり大きかった」
リスに餌をやった後、シープ・メドウに行ったら4月まで入ってはいけないと看板に書いてあってがっかりした。

その後、写真をとってから一端ホテルにもどってからMoMAでマチスの画集を買ってから5thAve.チョコレートを買い、地下鉄でグランドセントラル駅に行った。ここは既に長距離列車は発着していないが意外と人が多かった。アル・パチーノ主演の「カリートの道」の撃ち合いシーン(ラスト近く)のロケ地のエスカレーターを写真に撮って満足して帰った。

そしてエンパイアに行ったが、グランドセントラル駅がある42St.から34St.のエンパイアまで約1kmあるので「めっちゃ遠かった」。そして僕と合流した。



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