98年1月21日(水)到着〜初日 ★★★〓〓〓

Arrived at New York City
さすがJTB、いたれりつくせりに感謝

12時間のロングフライトを終え、B-747は機首を南東から北向きに大きく旋回して、空港の南に広がる大西洋側からJFKへアプローチを開始した。眼下には僕が始めて見る大西洋が広がり、海から続く大きな入り江の上を通過してからランディング。

到着は現地時間の午前9:15分過ぎ。天気は曇り、気温は+4度だった。
空港ターミナルは航空会社別にターミナルがあって、ANAはデルタ航空のターミナルに到着した。JFKはターミナルが9つもある大きな空港だった。
「到着」と日本語で書かれた看板に従ってパスポートコントロールへ行き、荷物をピックアップして到着ゲートへ。
ゲートを出るとJTBの現地添乗員の阿部さん(福岡出身の30歳半ばと思われるNY滞在10年のベテラン添乗員さん。長めのショート(元NHKアナウンサーの草野満代風)で少し茶髪の比較的はっきり顔のお姉さん。以下阿部ちゃん)が待っていて、総勢15人位の同じツアーの人と一緒に大型バスでホテルへ移動。
バスの中では

1.所要時間の説明(通常1時間、ラッシュ時は1時間半)
2.風景の説明
3.NYの住所表記の説明(Ave.は東から1〜11番街、St.は南から1〜125丁目)
4.犯罪を防ぐ方法について
(1)NYの犯罪発生率が減ったとは言え、それは殺人とかの重犯罪の事で、置き引き・ひったくりのたぐいの軽犯罪は依然として多いのでくれぐれも気を付けて下さい。NYでは自分以外は誰も信用してはいけません。「自分の身は自分で守る」これが鉄則です。
(2)すり防止の為、財布をうしろのポケットに入れないで下さい、またバッグはたすきがけで前で抱えるように持って下さい。デイパックは何をされてもわかりません。
(3)危ない場所には行かないのが鉄則です。NYに10年滞在している私ですらハーレムには友達を訪ねて1回行っただけです。セントラルパークもうっそうとした森なので朝9:00までと夕方16:00以降は行かないで下さい。
(4)もし航空券を盗まれたら帰りは20万円の正規チケットを買わないとすぐには帰れないので、パスポートと航空券はすぐホテルの部屋のセイフティーボックスに入れて下さい。
(5)NYは碁盤の目のようになっていてわかりやすいので、歩いて観光できる街です。タクシーも突然雨が降らない限り拾えない事はまずありませんし、安いです(初乗$2)。
(6)(我々が到着した)先週の金曜日から滞在中の金曜日までの1週間は年に1回の服と靴を対象としたTAX FREE(NYCityの消費税=8.25%がFREE)になるので皆さんはラッキーです。

いろいろ脅かされたが、僕の場合この「いたれりつくせり」な説明に小さな感動を感じていた。個人旅行だったら空港から緊張して路線バスやタクシーに乗り、次に自分がとるべき行動を地図やガイドブックで確認しつつも、外国に来た開放感や疎外感を感じているだろうに、今回は着いた途端に「いたれりつくせり」だった。
去年行ったロンパリツアーはHISのツアーだったがこんな感じはしなかった。やはり天下のJTB様、貫禄があります。

車中の説明でなんと言っても貴重な情報だったのは、TAX FREEの情報だった。
期間中に服と靴はどこで買っても通常よりは8.25%安く買える訳で、到着した翌日にNYの郊外にあるウッドベリー・コモン・アウトレットモールに行く予定になっていた我々のツアーには、安い物がさらに安く買えるグッド・ニュースだった。この情報を聞いた途端に松原と小林がニコニコしていた。特に松原の目がパワーオン!という感じでピカっと光っていた。

JFKはマンハッタン島から24km離れていて、マンハッタン島の東の対岸にある大きなロングアイランド島にある。JFKからマンハッタン島までは、フリーウェイに乗るが、途中遠くにマンハッタン島のワールド・トレード・センターのツインタワー(110階建)やエンパイア・ステートビルディング(102階建)が見えた。
この2つのビルは遠くから見ると他のビルに比べると突出して高く、事前の想像では立ち並ぶ高層ビルで下1/4位は隠れているのではないかと思っていたが、まったく想像とは違っていた。しかもエンパイアとツインタワーの間は約4キロ離れているが、その間には高層ビルが見えず、2つのビルの周りにも思ったよりも高層ビルが少ないように遠くからは見えた。僕はびっしりと高層ビルが立ち並んでいると思っていたので意外だった。

JFKからアメリカに入国してNYに入る場合、ほとんど全ての人がマンハッタン島へはイーストリバー沿いに建つ国連ビルの北にあるクイーンズ・ボロー・ブリッジから入る(60St.に接続する)。NYに初めて来た人が見るマンハッタンは、橋の鉄骨越しに見るこの風景だと思うとなぜか感慨深かった。

我々が泊まったニューヨークヒルトン&タワーズは6Ave.の53St.と54St.の間にある。
ビリー・ジョエルの昔のアルバムに「ニューヨーク 52 番街」(52nd Street)というアルバムがあったが、NYに 52 番街は存在しないので明らかに誤訳で、正しくは52丁目だと言う事が今回行ってわかった。

NYの住所表示の歴史は古く。特にマンハッタン島の南端部(LOWER MANHATTAN)は、1624年にオランダ人が入植地をニュー・アムステルダムと命名し、1626年にマンハッタン島をインディアンのアルゴンクィン族からたったの24ドル相当のビーズで買った当時から人が住んでいた。このエリアは道が無計画に作られているので、今でも道がくねくね曲がっていてわかりずらく、LOWER MANHATTANに行く時はタクシーに行き先を伝えづらい。

LOWER MANHATTANから北はわかりやすく、1776年のアメリカ独立後の1811年からSt.14以北が格子状に区画された。マンハッタン島は南端の4kmを除けば14St.から151St.まではStが約80m間隔で並び、Aveは東から1〜11番街まで約300m 間隔で整然と並んでいる(マンハッタン島は南北約20km、東西約3〜4km、地図もわかりやすい)。
普通の旅行者なら東西3〜3.5km、南北11km内のエリア内の移動で済んでしまう。これは東京で言ったら山手線の円の幅が半分になったエリアに相当し、(東西は新宿駅〜渋谷間、南北は山手線の池袋駅〜恵比寿駅間)意外と狭いのでつい歩いてしまいかえって疲れる事もある。
LOWER MANHATTANを除けば住所表示も分かりやすいし、地下鉄(南北の移動用)やバス(東西の移動用)も乗りやすい。タクシーは通称「イエロー・キャブ」。初乗り2ドル(1/5マイル含む)、その後1/5マイル=320m毎に30セント、チップは15〜20%。タクシーにはStreetとかAvenueとか言わなくても「54 and 6 プリーズ!」と言えば6番街と54丁目の角にあるヒルトンホテルに連れて行ってくれる。

我々がホテルに着いたのは11:00過ぎ。UPPER MIDTOWNにあるNew York Hilton & Towersは2,402室もあるNYで一番の収容人数を誇る44階建ての高層ホテルだ。36階以上はフロントが別のエグゼクティブフロアーになっている。1階ロビーは巨大ホテルの割には落ちついていた。
我々は前日が満室だったので部屋の準備ができていなかった為、スーツケースを預けて一端解散し、再度14:00に集合してチェックインすることになった。荷物はポーターさんが持っていってくれるし、ポーターさんやバスの運転手にチップも不要だった(HISのロンパリツアーは荷物は自分で運んだし、バスの運転手に降りる時にチップをあげて下さいと言われた)、チェックインもキーカードをもらっただけで何もする必要がなく、まさにいたれりつくせり。

ホテルから出たのは11時半すこし前、NYの最初の目的地はホテルから直線で600m離れたNY市のインフォメーション。
この日の天気は晴れたり曇ったりの良い天気で、外は意外と寒くなく体感温度では5〜6度位。帰ってきてからほとんど全ての人に「寒かったですか?」と聞かれたが、今年のNYはエルニーニョの影響で暖冬傾向。1月8日に18度まで上昇してニュースになった程で、タクシーの運ちゃんが「まるでジャマイカのようだ」と言っていた(嘘つけ!)。


First Impression of New York City
意外と古い街ニューヨーク

街を歩いた最初の印象は古い街という印象だった。小林の感想も「古臭い街やなー」。
アメリカの他の大都市のダウンタウン(LAやダラス。サンフランシスコは違う)とあまり変わらない印象で、古い15〜20階建て位のグレーやサンド・ベージュ色のビルが立ち並ぶ中に、三角のピラミッド型タワー付きのアールデコ調の古い高層ビルやモダンなハーフミラーの40〜50建ての高層ビルが混じって建っていた。セントラルパークの西南の端にあるコロンバス・サークルに面したビルにあるインフォメーションに着いたら、移転していてクローズ。拍子抜けした我々は食事をすることにして、近くのBROOKLYN DYNER (57St. 7と8Aveの間)へ行った。
ここはガイドブックでは「ミッドタウンに突如現れた正統派アメリカンダイナー。ブルース・スプリングスティーンも良く来る」と紹介されていて、「ベーグル&チーズケーキ」が名物の有名なダイナーだそうだ。
中に入るとダイナーの特徴であるカウンターは無く、予想に反してウッディーな内装でおしゃれなレストランという感じだった。
早速僕と小林はBrooklyn Dinner Cheese Burger Deluxeを、松原はチキンサンドイッチ、飲み物は小林と松原はカプチーノ、僕はレギュラーコーヒーをオーダー。木村君はウェイトレスさんに「それだけっ?!」って顔をされながらも「なんとかチキンスープ」と紅茶のみオーダー。
わかってはいても Burger Deluxeは超ヘビーな内容でバーガーのパテはハンバーガー並の厚さがあって、付け合わせのポテトと極細オニオンフライは見ただけでうんざりする程の量で日本だったら4人位で食べる量だった(左の写真)。長さ10cm位の丸ごとのピクルスもついていたが、浅漬けであまり酸っぱくなかったので僕は抵抗なく食べることができた。木村君がオーダーしたスープはチキンの太いソーセージの輪切りが入っていて、緑色のポタージュのようなスープでなんとも不思議な味だった、モロヘイヤでも入っているのかと思わせる変った味だった。小林は一口飲んで「まずい」とつぶやいていた。
小林の最初のアメリカの食事は大量に残して終わった。感想は「ハンバーガーはおいしかったが、付け合わせのフライドポテトが多すぎた。マクドナルトのポテトのLの只今2割り増量中×2の量だったと言えばわかるはずや」。
「チェック プリーズ!」と言ったらウェイトレスさんに「チーズケーキを食べないの!?」ワァオ!って顔をされてしまった。料金はチーズバーガーが$10.95、コーヒーが$1.65、カプチーノ(やたらぬるかったらしい)が$6.25。

食事の後チェックインまでまだ1時間位時間があったので、田中・小林組は5番街まで歩いて行き。松原・木村組はコンサート情報を仕入れにヴァージンメガストアへ行った。


5番街にはまだクリスマスシーズンの飾り付けが残っていました。両側に立ち並ぶショップの店頭には星条旗がいたるところにありました(画像は真北に向いて撮ったもので。画像左奥の木々はセントラルパークの木立です)。

Brooklyn Dinner から5Aveまでは2ブロックなのですぐ着いたが、小林はもう頭のなかに地図がインプットされていて、
「田中さ〜ん 自分がどこに行こうとしてるのかわかってますか?5Aveはあっちやでー」
と誘導してくれて楽だった。まるで、NYの知り合い状態だった。

5番街で最初に目に入ったのはTiffany本店。ペップバーンの「Breakfast at Tiffany」の最初のシーンでタクシーから降りたヘップバーンがコーヒーを飲みながら見たショーウィンドーがあった。決して大きい店ではないが、映画が撮影された約40年前と周囲の雰囲気はほとんど変わっていないのでTiffanyと一目でわかった。小林は日本に帰ってから「ティファニーで朝食を」をビデオで見て周囲風景のあまりの変化のなさに驚いていた。

僕はMUG CUPが欲しかったので早速入ったが、店内は天井が高くて上品な雰囲気と内装で、我々は場違いな感じで、自分の靴の汚れが気になる程だった。
1階は大粒の宝石が並ぶ宝石売場だったので素通りして、食器・シルバーウェア売場へ直行。日本のTiffanyは単価が安い食器を売っていないが、アメリカのTiffanyは食器やカトラリー(ナイフ&フォーク)の品揃えも豊富だ。
ここもエレベーターを降りた瞬間我々には場違いな上品な雰囲気で、店内をちらっと見て回っただけで、これまた上品なおばちゃんにマグカップが欲しいと言ったら、丁寧にいろいろと見せてくれて断りにくくなってしまい、グッゲンハイム美術館や、日本の帝国ホテルの旧館の設計者でおばちゃん曰く
「ベリーフェイマス イン アメリカ」
なフランク・ロイド・ライトが
「デザイン フォー ティファニー」
したマグカップを1つでいいところ2つ買ってしまった(写真左の右側のカップ/$25。左のカップは以前出張で行ったテキサス州ダラスのTiffanyで買ったもの/$18)。

その後、アメリカのバブルの象徴、金ピカなエントランスロビーで有名なトランプタワーを見物し、地下のタワーレコードでニューリリースのTITANICのサントラ版を$14.99で購入した(このアルバムは翌週のアルバムチャートで初登場で1位になった)。

5番街では最後に日本に進出していない数少ないブランド「バナナ・リパブリック」をひやかした後、ホテルにもどろうと思って西に向かって歩き始めたら、ロックフェラーセンターの横を通ったので、ロックフェラーセンターの前の金色のプロメテウス像と有名なスケートリンクの写真を撮り、センター内の1階にあるJCBプラザで何か手に入らないかと覗いたが、クーポンやマップは成田にあったものと同じだったのですぐ出てホテルにもどった。
今回の旅はパリのように高級レストランの予約をする必要はないので、JCBプラザには特に用がなかった(そもそも僕はアメリカの食事に全く期待していない。世界のNYなのだから高いお金を出せばおいしい料理が食べれるのだろうが、それでは当たり前なので興味がなかった)。

5番街は6車線もある広い通りなのに北から南への一方通行だった(Aveは一通が多い)。高級ブランドショップが軒を並べ、歩道も広く歩きやすい通りだった。大きな星条旗が太陽の日を受けていたるところにはためいたのが印象的だった。
14:00にホテルにもどり、キーカードをもらって部屋に入ると、20畳位(ツイン)もある大きな部屋で、コーヒーメーカー、ドライヤー、FAX、パソコン通信用のモジュラージャック が備え付けられていた。正価の料金はツインの場合$204からとなっていた。

天気予報によると天気が良いのが初日(水曜日)と2日目(木曜日)だけだったので、天気に左右される観光地(フェリーで行く自由の女神見物・マンハッタンのヘリコプターツアー)はすべて初日に行く事にした。ヘリに関してはチェックイン前に集合場所で阿部ちゃんに聞いたら、
「ヘリはこの前けが人はでなかったけどトラブルがあったし、座る席によっては良く見えないし、機種が古いと窓に細かいキズが入っていて良く見えませんよ。私はディナークルーズがいいと思いますけどねー、$130だけどとっても素敵です。特にマンハッタン島に南から接近する時の夜景が綺麗ですよ」
と言っていたが、阿部ちゃんはヘリに乗った事が無いのにコメントしているように思えた。
しかし、マンハッタン島に南から接近する時の夜景が綺麗だと言う情報があったので、初日の夜の予定はマンハッタン島の南から発着して、夜景と自由の女神が両方楽しめる「スタテン島行きフェリー」に全員で乗りに行くことにした。その後は田中・小林組は(阿部ちゃんが何と言おうと)絶対乗りたかった「アイランドヘリコプター」のヘリコプターツアーへ行くことにした。松原・木村組は、ヴァージンメガストアで仕入れた情報により、マディソンスクエアガーデンでこの日ボブ・ディランがコンサートをやることがわかったので、当日券を買いに行くことになった。

フェリー乗り場はマンハッタンの最南端にあり、地下鉄に乗ろうとしてホテルの近くの地下鉄=メトロのN/R線(路線図では黄色に塗られた線だったので我々は有楽町線と呼んだ)の57St.駅を目指したが、なぜか49St.駅に着いたのでここで地下鉄に初挑戦。
運賃はどこまで行っても1.5ドル、改札に入れる専用コイン=トークン(5円玉のように穴が開いている黄銅色の小さなコイン)を10枚買って小林と分けて、ここから12駅目のマンハッタン島最後の駅Whitehall St South Ferry駅まで移動した。

NYの地下鉄には恐いイメージがあって、どきどきして乗ったが、車体も車内も意外と綺麗で、車内を注意深く見ると、網棚が無いのは今まで乗ったヨーロッパやアジアの地下鉄と同じで乗客も荷物をしっかりと抱え、足を組んでいる人もいなかった(小林がけんかを売ってると思われるんだろうと言っていた)。しかし、なんと寝ている(ように見える)人がいた!、それも若い大学生風の女性や子供連れの若いパパが寝ているように見えたのだ。もちろん日本の地下鉄のように眠りこけている人はいないが、目を閉じている人はパリ、ロンドン、マルセイユの地下鉄では決して見なかった。

特にパリの地下鉄はホームに警察犬を連れた警官が見回りまでしていて(僕が行った時期が地下鉄爆弾テロの翌週だったせいもあるが)、車内で寝るなんてとんでもない緊張した雰囲気だった。僕は欧米の地下鉄では乗客は寝ないものだと思っていた、バルセロナの地下鉄で目を閉じている人を一人見た時は一緒に行った工藤君に「寝てるよ!」と言ったら「ここはスペインの地方都市だから田舎なんです」と解説してもらった事があったし、ましてNYの地下鉄は緊張感あふれる雰囲気だと勝手に想像していたので、目を閉じるなんてあり得ないと思っていた。
NYの乗客は危険慣れしているのだろうか、それともお昼だからなのだろうかと、いろいろ考えながらふと前を見ると、松原がこともあろうに完璧に眠りこけていた..........。
目を閉じていたなんて生やさしいもんじゃなく、誰が見ても寝ていた。あきれて見ていたらWhitehall St South Ferry駅に到着したので「Wake Up! Boy!」と言ったら慌てて降りていた。
「絶対起こしてくれるとわかっていたので、寝たんです。うっひっひ」じゃないよまったく。後で工藤君にこの事を話したら
「田中さん、NYの地下鉄で本気で寝るなんて、周りの人からラリってると思われたんじゃないですか?はっはっは!」と笑っていた。


Staten Island Ferry & Stature of Liberty
ニューヨーカーの通勤用フェリーで気分はワーキングガール(?)

Whitehall St South Ferry駅はフェリー乗り場の正面にあって、迷うことなくフェリー乗り場に到着。このスタテン島行きフェリーは観光用ではなく通勤用で、体育館程もある大きな待合い室からフェリーに乗る。料金はたったの50セントなので、行列ができることで有名な自由の女神/Stature of Liberty行きフェリー($7)に比べると並ぶ事もなく、しかも割安だ。
フェリー乗り場や自由の女神行きフェリーが発着するバッテリーパークから自由の女神は2km位離れているので、小さく見えると聞いてはいたが想像よりさらに小さく、腕を伸ばして手の指と大きさを比べたら親指の爪の長さ位しかなかった。

早速フェリーに乗り込むと、オレンジ色のフェリーは3階建てになっていて、1階は車、2〜3階が乗客用になっていた。座席は木製のベンチシートで船尾から船首までずらーっとベンチが並んでいた(写真左上は帰りに撮ったデジカメ画像/35万画素)。
このフェリーはメラニー・グリフィス、ハリソン・フォード、シガニー・ウィバーが共演した88年の映画「WORKING GIRL」(シガニー・ウィバーの秘書のテス=メラニー・グリフィスが、企業買収をハリソン・フォードと組んでやる映画)のタイトルバックから冒頭のシーンに使われていて、カーリー・サイモンの歌をバックに自由の女神やマンハッタン島に向かうフェリーの外観と朝の通勤客でごったがえす船内のシーンが印象的だった。

フェリーは片道約9kmを30分でスタテン島まで行くが、我々の狙いは往きは自由の女神、帰りはマンハッタンの夜景だった。自由の女神には700m位まで接近したので右舷に腕を伸ばして人差し指位の大きさに見えた。往きは遠ざかるLOWER MANHATTANと自由の女神が見物だが、外のデッキは風が強くてものすごく寒かったが写真を我慢して撮った。スタテン島に着いた時はまだ5時ちょっと過ぎで夜景には早かったので、1便見送って古い駅のような待合い室でコーヒー(75セント)を飲んで待った。
帰りは日が暮れたマンハッタン島に向かっていくので、絶景。松原はマンハッタンとは正反対に見える青緑色のイルミネーションがついた近代的なヴェラザノ・ブリッジ(スタテン島の東とブルックリン地区の南を結ぶ橋)をさかんに写真に撮っていた。気に入ったのかと思って写真ができてからその事を聞くと「え?これはブルックリン・ブリッジじゃないんですか?」と聞かれ、完璧に勘違いしていた事がわかった(ブルックリン・ブリッジとヴェラザノ・ブリッジは10km以上離れている)。

どんなに寒くても写真を撮らなければと、船首の立ち入り禁止の所にまで侵入してAPS一眼レフとデジカメで写真を撮りまくったが、暗いのでシャッタースピードが3〜4秒になってしまい、現像したら手ぶれで出来は良くなかった。松原のAPSで撮った写真は心霊写真のように顔が二重になっていた。デジカメの画像は手ぶれはあっただ明るさは補正されていてほぼ見たままに記録されていてホッとした。
通勤用のフェリーなので通勤客がメインで観光客は我々を含めても10人弱。夜景と雰囲気を充分堪能して降りた。ガイドブックに書いてあったフェリーの乗船料50セントは降りるときに払うはずだが、どうやって払うのか良く分からず、我々がすぐ降りないでのろのろしていたからなのか、結局お金は払わないで往復してしまった(後でわかったのですが、このフェリーは無料だったのです)。松原の感想は「寒かった」。




Liverty Helicopter Tours
これはお薦め!夜のマンハッタン遊覧飛行

フェリーターミナルで松原・木村組とは別れ、我々はタクシーを拾おうと歩いたが、阿部ちゃんが突然雨が降らない限り拾えない事はまず無いとか言っていたが、全然拾えず。タクシー難民状態でうろうろしてしまった。
途中トイレに行きたくなったので、マックにトイレを借りに入ったが、トイレから出ると店の外で待っていたはずの小林が暗いトイレの入り口のドアの前で待っていて、
「あれっ?どしたの?」と聞くと、
小林は外にいた黒人に
「JAPがこんな所をうろうろしやがって、Fucking Boyしてやる」(英語部分が聞き取れた部分)と言われ、まさか自分の事を言ってるんじゃないだろうなと思って慌ててマックに逃げ込んだら
「Oh Hoo! englishをunderstand してたのか」と言われて自分の事を言っていたと確信したと言っていた。
小林が「めっちゃ 恐かったー.......」
と言っていたので、よっぽど恐かったのだろう。後で「小林のFuck You事件」と言って僕と松原が笑いながら話していたら
「もういいかげんにして下さい。冗談でもFuck Youなんて下品な英語を会話に入れないで下さい、Fuck Youという言葉は日本人の想像以上に周りのアメリカ人には下品で挑発的に聞こえる言葉だし、周りのアメリカ人にはFuck Youの部分しか聞こえないんやから」
とうんざりした顔で注意された。
小林は初めてアメリカに来たとは思えない程相手の言っている事が理解でき、明らかに「耳が良い」ので、英会話の上達の最難関「ヒアリング」がクリアーできそうで、勉強すればかなり上達するはずだと言うと、小林は小・中学校と英会話の塾に通っていたのでそれが幸いしているのだろうと自己分析していた。

マックから出てもタクシーはつかまらず、随分歩いてアメリカ證券取引所の近くまで行ってもつかまらず、結局20分位うろちょろしてアウトレットショップのSYMSの近くで捕まえた。タクシーの運ちゃんに「EastRiver 34Street Island Helicopter」と言ったら、なんだか分かってない様子で不安だったが、着いてびっくり。確かにイーストリバー沿いの34St.に着いたが、そこにあったのは寂しい観光フェリー乗り場。さらに人っ子一人いない超デンジャラスな雰囲気.......。川沿いなので死体でも浮いているのではないかと思わせる程の場所だった。

NYポリスのパトカーが止まっていたので少しホッとしたが。どうも周りにヘリポートがある様子もないので、やばい所に来てしまったなあと思って歩いていたら、ふと見た金網にA3位の大きさの看板がかかっていて、ちらっと見たら赤字で「DANGER!」と書いてあり「ここはNYでも最も危険な場所です。NY市民は来てはいけません」なんて事が書いてあるような気がしたので、
「こばちゃん!デンジャーって書いてあるよ!」
と叫び、大慌てで大通りに出たが全然タクシーが捕まらず、少し歩いてやっと捕まえた。

小林によると、ガイドブックが東と西を書き間違えたようで、ヘリポートは西の34St.にあるらしかった。 とんでもないと間違えもあるもんだ。タクシーの運ちゃんは
「おまえたちエリコプターに乗りたいのか?エリポートだったら24St.にあるよ、まかしとけ OK!」
(ヘリじゃなくて、エにアクセントがあるのでエリコプターと聞こえた)とか言っていたがヘリポートは30St.にあった。しかもIsland Helicopterじゃなくて Liverty Helicopter Tours(後で阿部ちゃんに聞いたら
「アイランドヘリは私たちも知らない間につぶれたんです」
と言っていた。ほとんどのガイドブックにはアイランドヘリがまだ載っているので要注意)。
とにかくヘリに乗りたかったので降りて、早速ツアーデスクで3つ(飛行時間の長さによって松・竹・梅があった)のコース内、竹の11分コース($79)を申し込んだ。

待合所はハドソン川沿いにある平屋の建物にあって。それほど広くない簡素な待合所には日本人2組と白人を合わせて先客が6人位いたが、すぐ飛び立って行った。
我々の回は先客はいなかったが、パイロット+4人乗りなので揃うまで15分待ってくれ、と言われて座って20分位待っていると、白人の若いカップルが後から来た。目の前で地上係員の白人のあんちゃんが我々が待っている間ずーっと私用電話をしていた。
バタバタバタとヘリが降りて来たかと思うと、さっき乗った人達が降りて我々の順番が来た。

なにしろヘリに乗るのは生まれて初めてで、かつ、なんの説明もなく乗ったので結構どきどきしたが、後ろの席の左端に座って係員さんにシートベルトをセットしてもらって出発。
バタバタバタ、ウイーーーンとエンジン音が高くなったなあと思ったら、あっけなく浮上。足元から顔の上まで窓だったにも関わらず、意外な程恐くなかった。振動も思ったより少なく、飛行機のようなプラスGやマイナスGを感じる事もなく一気に400m位上昇。
自由の女神の方向に機首を向けてさあ始まるぞと思ったら、すぐ着陸してしまったので、これで終わり?と思って唖然としていたら、新たに来た白人の30代のカップル2人をピックアップする為に一端降りただけだった。2人は僕と小林の間に座り、後ろは4人前はパイロットが左端でその右にカップルが座り、総勢7名で再浮上。離発着が2回も経験できて得した気分だった。

ヘリポートはマンハッタンの西のハドソン川沿いにあり、まずはハドソン川沿いに左にマンハッタンの摩天楼の立体的な夜景、右にNYの対岸のニュージャージー州のオレンジ色に広がる夜景を見ながら南下。
さらに自由の女神を左右の窓から見れるように2回旋回し、(今はもう無い)ワールドトレードセンターに向かってから今度は来る時とは逆の夜景を見ながら北上。
続いてヘリポートを通過してさらに北上、最後にセントラルパークが黒々と見えるUPPER WEST SIDEの北まで北上してから旋回して帰って来た。
飛行時間は忘れもしない20:42〜20:55までの13分間。飛行距離は約20kmの空の旅だった。

ヘリの中からはAPS一眼レフで撮影する事は、暗いし揺れるので無理だとわかっていたので、デジカメで8画像撮影したが、やはり手ぶれでぼけていたが、期待通り明るく記録されていた。隣の白人の女性もデジカメの液晶を見て喜んでいた。小林が(逗子で拾った)バカチョンカメラで撮った写真はレンズが明るいのか意外と良く撮れていた。

とにかく得難い経験で、香港のビクトリアピークから見る100万ドルのカラフルな夜景を完全に上回っていた。ベガスのストラストフィアータワーから見た夜景は期待していなかったのでベガスの砂漠に浮かぶオレンジ色の夜景に驚いたが、期待値120%の今回の夜景は、ニュージャージー方面のオレンジ色の街灯の光の広がりに摩天楼の立体的な夜景が加わり、期待通り素晴らしいものだった。このヘリツアーは今回のツアーでは一番印象に残った一大イベントだった。

小林の感想は
「小林人生の3大夜景に数えられる程素晴らしかった。ヘリは飛ぶまでは不安だったけど、飛んで15秒もするとあまりの安定感でまったく落ちる気がしなかった。特にビルとビルの間に見える車のライトの帯が六甲には無い風景で素晴らしかった」

日本に帰ってから成田のJCBラウンジでもらった「SHOPPING&DINING PASSPORT」を改めたて見てみたら、割引や特典対象のページに Liverty Helicopter Toursが載っていて、 PASSPORTを見せてコースに参加してれば「すてきなプレゼントを差し上げます」と書いてあった。たいしたプレゼントではないだろうが少し残念だった。また、松竹梅とここで書いた3つのコースはそれぞれ「ザ・トーチ・オブ・フリーダム」、「マンハッタンズ・グランドキャニオンズ」、「ザ・ビッグピクチャーズ」と紹介されていた。飛行時間が長い順か短い順かわからないが我々が乗ったのは中位の竹コースなので「マンハッタンズ・グランドキャニオンズ」コースだったようだ。


Dinner at Deli
ニューヨークと言えばデリ、ニューヨーカーの日常風景に溶け込んで

この日は1日が36時間(24時間+時差14時間)もある長い1日だったので疲れた。ホテルに一端帰ってからデリで夕食を食べようと思ってホテルの少し北にあるデリ(CHAMBORD ROYALE=チャンボード王国?)に入った。
縦長のセブンイレブンの4倍位の広さの店内は、入ってすぐ左側にパンコーナー、中央に料理のコーナー、持ち帰り用の巻き寿司売場もあり、ドリンクが一番奥にずらっと並んでいた。料理は色とりどりの料理が日本のビュッフェのようにステンレスの長方形の容器に入って並んでいて、好きなものを自分でパックに入れてレジで買うスタイルだった。1ポンド(453.6g)$4.95だったが日本人には2ポンド位で充分。テーブル席が6つ位右側の壁際の商品棚の横に並んでいたので我々は観光地色0%の店内で食べた。

僕が選んだのは、アメリカらしい妙に堅くゆでたブロッコリー、固いカリフラワー、やたらでかいむき身のエビ(おいしかった)、ズッキーニ、ムール貝のむき身等をゆでて軽く炒めた炒め物、茶色の炒め御飯(日本のDenny'sでジャンバライヤという名前になっているご飯)、そしてアメリカの朝食ビュッフェの定番「カットフルーツ」(皮なしすいか、緑色とオレンジ色の堅いメロン、大きな大味ないちご)。これにミネストローネのカップスープとチーズケーキ(意外とおいしかったが後味がじわーっと甘くてやはりアメリカンテイスト)まで買って料金はしめて$12。

ホテルに帰ってお風呂に入って寝たが、テレビではクリントン大統領の女性問題のニュースばかりやっていた。また、日曜日をスーパーボールサンデーと呼んでいたのが印象的だった。天気予報はNYは37chがウェザーチャネルなのでいつでも見れて便利だった。週間予報では翌日の木曜は曇り時々晴れ、金曜は雨、夜は雪、土曜日は曇りとなっていた。
初日にお札ばかり使っていたら小銭入れがコインでパンパンになってしまい、ぶつぶつ言っていたら、小林から「小銭入れの中を紙で仕切って、コインを種類別に入れてどんどん使わないと、買い物をする度に釣り銭の分が損した事になるんやで」と関西人らしいお言葉を頂戴した、どれどれとパンフレットのちょっと堅い表紙を小銭入れの中の倍のサイズに切り、2つ折りにして中に入れると3つのスペースができた。ここに1セント(ペニー)と10セント(ダイム)は小さくて色が違うので一緒、5セント(ニッケル)と地下鉄のトークンも色が違うので一緒、25セント(クオーター)は大きくて最も使う頻度が高いので別にして入れてみたら超便利。次の日からどんどんコインが減っていった。


Madison Square Garden
さっそく犯罪都市の片鱗を体験

ところで、我々がヘリに行っている頃、松原・木村組は2万人収容の有名ホール、マディソンスクエアガーデンにボブ・ディランのコンサートを見る為に行っていた。
チケットの正規料金は$58〜$80なのにホールの入り口のダフ屋は$225〜$280だったので、ダフ屋から買うことはせず。当日券を買うことにして並んだが、100人中70人目位でソールドアウト。
あきらめて帰ろうと思って歩いていると、一緒に並んでいて買えなかった東洋系の人がチケットを持って嬉しそうにもどって来たので、公演が始まればダフ屋価格も安くなるだろうと思って時間を調整した。公演開始後30分位たってからどれどれとホールに行くと、ホールの入り口の内側にいたダフ屋はいなくて、外側でたむろしていた黒人のダフ屋から「$150でどうだ?」と言われたので
「いらない」と答えると、
「じゃあいくら払えるんだ?」と聞いてきたので
「$70」と答えると即商談成立。
この時近くにいたハリソン・フォード似のおやじに「Be Careful」とささやかれたので、チケットの表裏をよく見たが本物と同じように裏にはコカコーラの広告が印刷されて怪しい感じはしなかった。公演開始前のダフ屋価格は$225〜$280だったので、ラッキー!と思って喜んでホールに入ると、チケットもぎりもなんなく通過。偽物チケットの可能性もあると思っていたので安心したそうだ。
マディソンスクエアガーデンに入ると前座のヴァン・モリソン(元ドアーズ)の公演中。
と書いたら工藤君から
「ヴァン・モリソンはドアーズのメンバーではありません。ドアーズのモリソンはジム・モリソンで 1970 年に死亡しています。ヴァン・モリソンはアイリッシュ・フォーク系の有名なシンガー・ソング・ライターです」
と訂正されてしまった。この事を松原に言ったら
「えへへ その時代の事は良く知らないんです」
と言っていたが、ドアーズは確かに古いけど問題になっているのはドアーズじゃなくてヴァン・モリソンなのだ。

マディソンスクエアガーデンは広く、懐中電灯を持った案内人にリレーのように案内されてあっちだこっちだと移動して自分の席の番号にたどり着くと、既に別の人が座っていたので、案内人が
「もう一回チケットを見せてくれ」
と言ったのでチケットを渡すと持って行ってしまった。
「とりあえずここに座って待ってろ」
とも言われて通路に座ると、舞台の正面だったのでここでもいいかと思った。きっと偽物でも同情して見逃してくれたのだと思い始めた約30分後、体のでかい黒人(この黒人を見て回りの人が何人もさーっと逃げて行ったらしい)が案内人と一緒に来てなにやら話していたが、結局バックヤードに連れて行かれると、自分のチケットに「COUNTERFEIT」=偽物とスタンプが大きく斜めに押されていて、そこにいた10人位の他の被害者(俺はボックスオフィスでちゃんと買ったんだ!と文句を言っていた人もいたらしい)と一緒に
「ゲラウト!! /Get Out!!!!」
と言われて追い出されてしまったそうだ。やっぱりハリソン・フォードは正義の味方だったのだ。

外に出ると、偽物をつかませた張本人のにせダフ屋の黒人が、またしょうこりもなく
「ボブ・ディラン?」
と聞いてきたのには呆れたそうだ。

結局ヴァン・モリソンは30分位聞けたが、ボブ・ディランは見れずじまい。マディソンスクエアガーデンの松原の感想は
「中は思ったより広くなく、武道館より若干広い程度だった。マディソンスクエアガーデンの中に入れただけで良しとしようと思った」。
後で阿部ちゃんにこの事を言ったら
「聞いたことがない貴重な生の情報だわー」
と喜んでいた。
松原も「ダフ屋にも縄張りがあるらしく、エントランスホールの内側はまっとうなダフ屋。外は偽物を売っているダフ屋だ」
「ダフ屋からチケットを買って、自分の席に行って誰か座っていたらフェイクチケットだから座らないで通路に座ってればバレないですよ」
と超マニアックな傾向と対策を力説していた。


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