98年8月17日(月) 4日目

【サントリーニへ】(サントリーニ島全図)

今日はミコノス島を出てサントリーニ島に行く日だ。集合時間は7:50なのにブレックファストは7:30からしかやってない。急いで食べる。
送迎の現地係員はちょっと遅れて8時過ぎにやってきた。船は8:30に出るのにちょっと遅いんじゃない?急いでバスに乗り、港へ。
港に着くと8:25。係員が「HURRY UP! HURRY UP!」と叫ぶ。自分らが遅れといてそれはないだろう。
やっとのことで船に乗りこむと、ミコノス行きの船と違ってこじんまりした船であることに気付いた。すでに座る席もなく、人であふれかえっていて、どう見ても定員オーバー。仕方なく適当な場所を見つけてしゃがみこんだ。

サントリーニ島はミコノス島と並んで人気のある島で、アクロティリ遺跡の発掘などにより「紀元前に存在し、大地震と洪水により水没した古代都市アトランティス大陸なのではないか?」といわれる火山島だ。
火山の噴火で作られた断崖絶壁の上に白い家が建ち並ぶという風景の強烈なコントラストは考えただけでもワクワクさせられる。早く着かないかなと思いながら船に揺られる。
船内でまた栗原夫妻と談笑。「昨日は何してたんですか?」と聞いてみると、奥さんが「昨日行ったアクセサリーショップにLUNA SEAのSUGIZOがいたわ。ピンク色の頭だったのでバンドの人だろうと思って店の人に聞いたら、SUGIZOだと教えてくれたの」と言っていた。何でもそのお店はギリシャ在住日本人のおばさんが経営していてSUGIZOはなんと親戚なのだそうで、河村隆一もきたことがあるらしい。「へーっ」と感心しながらしばし会話していたが、だんだん揺れが激しくなってきて少し気分が悪くなったため、風にあたる。
ボーッとしてるとかわいいイタリア人女の子が僕に話しかけてきた。「あなたはどこにいくの?」「サントリーニだよ」と答えるとにっこりして去っていった。
それを聞いた木村が「その娘俺のとなりにいた男にも話しかけてたぞ」といってきたが、木村に話しかけてないところを見ると、きっと好みのタイプの男だけに声をかけたのだろう。(と勝手に思いこむ。木村はちょっとくやしそう。)

途中パロス島、ナクソス島、イオス島の順に寄港。これらの島での人々の乗降がうまくいかなかったせいもあってか、船が大幅に遅れはじめた。と最初は思っていたのだが、12:45の到着予定時刻に対し、15時、16時とどんどん過ぎていく。他のツアー客とも「おかしい、おかしい」と話しをした結果、どうも船は予定どおり進み17:30の到着予定らしく、我々の日程表がどう考えてもおかしいことが判明した。
それとも現地係員が違う船に乗せたのだろうか。いずれにしても帰ったら旅行会社に大クレームを入れてやる。(あとでアテネの現地係員に事情を調べてもらったところ、波が高いために高速船が出航できなかったため、止むを得ず定期フェリーに乗せたらしい。それにしても全くアナウンスがなかったのは納得できない。)
おまけに船はさらに大揺れ。ツアー客の大半は船酔いでゲロゲロになってしまい、皆怒る気力もなくなってしまっていた。(ちなみに船の遅れの相談や船酔いによるお互いへの気使いなどでツアーの皆の間には妙な連帯感が生まれてしまった。)

結局、サントリーニ島のアティニオス港(ニューポート)に着いたのは18:00。島の中心フィラタウンの真ん中に位置するホテルにチェックインできたのが19:00。今日は昼過ぎからイアの街の散策に行こうと思っていたのが予定大崩れだ。

宿泊する「ホテル ペリカン」で部屋に案内されると、部屋は設備が整っていてすごくきれいなのだが、窓の外が隣の建物の壁だったため「海の見える部屋に代えてください」とダメ元でフロントに言ってみる。するとちょっと困ったような顔をして「OK」とオーシャンビューの部屋にかえてくれた。しかもトリプルの部屋だったので広くなってラッキー。おそらく若干料金も高めの部屋だったはずで、「なんでもとりあえず言ってみるもんだ」と大変満足した。

時間も時間だったので、今日はフロントに夕景スポットを聞き、フィラの街の夕焼けを見ることに。船の中で何も食べていなかったので、途中スブラキ(ギロと同じようにピタパンの中にバーベキューが入ったもの)を食べながら高台に上がった。
サントリーニの夕陽に映える岩壁や白い家々は、ミコノス島の夕景に比べ、荘厳な感じがする。きっと厳しい自然の変化によって作られた島そのものがそういう雰囲気を醸し出しているいるのだろう。
僕らは写真集やポストカードでよく見る風景と全く同じ撮影スポットをみつけ、カメラに収めた。木村も「9時間もの船旅の疲れを忘れさせるほどの夕陽だ!」と無心に写真を撮っていた(写真左下。サントリーニの夕陽は本当に美しいのです)。

その後フィラの街を散策。街は観光地化していてお土産物屋でいっぱいだ。
僕はお土産にオリーブオイルの石鹸(乾燥肌を防ぐスグレモノだそうです)を購入。木村は同じくオリーブオイルの石鹸と、島の絵が描いてあるマグネットを購入した。
夕食を食べようということになったのだが、二人ともこの日は船旅の疲れからかあまり食欲がなく、ホテルの近くの店でピザとギロをテイクアウト。ホテルに帰り、食べ終わるとすぐに寝てしまった。

98年8月18日(火) 5日目

【古代遺跡とサントリーニのビーチ】

今日も例によって朝6:30から猫の写真を撮りに行った。
海沿いに猫を探すがなかなかいない。僕はハンス・シルベスターの「ギリシャの猫」の写真集の中で、猫が白い教会の上に座って海を眺めている写真が一番好きで、それと同じ写真を撮りたいと思って朝から待ち伏せしていたのだが、結局肝心の被写体は現れずじまい。(あとで海を眺める「犬」は撮ることができた。ちょっとイメージと違うけど。)仕方なく路地に入ってみると、数匹の猫に出会うことが出来、いつものようにネコ化して(?)警戒心を解きながら写真を撮った。

昨日が前述の事情によりほとんど行動できなかったので、今日はつめこめるだけ予定をつめこむことにし、朝食後早速バスで「アクロティリ遺跡」へ。
アクロティリ遺跡は紀元前15世紀くらいのミノア文明の栄えた古代都市跡で、現在も発掘作業が行われているという。アテネの考古学博物館に所蔵されている有名な「ボクシングをする少年」の壁画はここで発掘されたものだ。
実際遺跡は屋根に囲われていて作業員も数名おり、まさに「ただいま発掘中」といった感じだった。ガイドもなく、内容もよくわからなかったので写真を数枚撮り、ひととおりみて外へ。

次は古代ティラの遺跡を見に行こうと、タクシーを探すがぜんぜん来ない。古代ティラの遺跡入口へは、バスだとフィラまで戻って乗り継ぎをしてぺリッサビーチまで行き、そこから徒歩数十分だ。
「バスは面倒くさいなあ」と思っていたところ、「ペリッサエクスプレス」というボートの看板が目についた。レッドビーチからペリッサビーチまで行くボートらしい。
レッドビーチはボートでアクロティリからすぐのようだ。「ボートの乗り継ぎで行っちゃおうか?」と二人は合意し、ボート乗り場へ。
まずレッドビーチ行きボートに乗る。船長のおじさんはとっても陽気で、肩を組んで記念写真。ボートはホワイトビーチ(白い岩のビーチ)経由でレッドビーチに着いた。レッドビーチでペリッサ行きのボートに乗ろうとビーチの人に聞いてみるが、「そんなボートは出てないよ」という。「あの看板はいったい何?」と思いつつ、せっかく来たのでレッドビーチで一休み。
レッドビーチは赤岩に囲まれたビーチで、透明度も高く地元の人にも人気のあるビーチだ。ところが切り立った赤岩からころころと、小さな落石があったりしてびっくり。ちょっと危険なビーチだ。安心して寝れないビーチも珍しい。よくみると、ここにもヌーディストがいっぱい。どうやら島のビーチはどこでも脱いでよいルールになっているらしい。
しばらく休んでいると、このビーチへは何もボートでなくともアクロティリから20分くらい歩けば着くことがわかった。「仕方ないからバスで行こうか」とアクロティリまで徒歩で戻る。
バスの時間を調べようとしていると、ちょうどいいところにタクシー登場。交渉すると、2500drs(=1250円)で古代ティラ遺跡のある山の入り口まで行ってくれるというので、タクシーに乗りこむ。

20分ほどで山の入り口に到着。遺跡はこのメサ・ヴノー山の山頂にある。が、山は標高2〜300mはあり、しかも結構険しそう。
途方に暮れながら、「覚悟して登るか!」といっていたところに、ロバ飼いのおじさんが現れる。僕はちょっとロバに興味があったので「ロバ乗ってみない?」と木村に提案。木村はどっちでもいいという感じだったが、「値切ってみせるから」ということでロバに乗るため交渉開始。趣味のフリマでいつもやってるから、値切るのは自信がある。
「頂上まで1人2000drs」というおじさんに、「2人で3000drsにまけろ!」と値切った結果、「2人で3200drs(=1600円)」で苦虫をかみつぶしたような顔でおじさん渋々OK。
はじめてのロバ。これが結構楽チンな乗り物だ。ヨタヨタしてちょっと頼りなげだけど、ロバはおじさんにおこられながら、なんとか岩山を登っていく。
途中、登り疲れて死にそうになっている人の「いいなあ」といわんばかりの視線を感じ、ちょっとした優越感。
約30分かけ、山の頂に到着。山頂はあまりの風の強さに立っていられないほどだ。「自力で登っていたらきっと今ごろ死んでたよ。ありがとうロバ君。」とロバ君に丁重にお礼を言う。おじさんはあいかわらず渋い顔をして「値切られた分、戻りの客でも乗せてかえらねーと。」という感じで下山客がくるのを待つようだ。
ロバに乗った木村の感想は「一見なまけものに見えるが、実はたいへん働き者。でもオヤジがロバの尻をたたきながら登っていたので、ちょっとかわいそうだった。」

古代ティラ遺跡は紀元前9世紀頃に建造された街の遺跡。石造のアポロン神殿跡や女神の祭壇跡など、いかにも古代遺跡という雰囲気だ。
頂上にあるだけに、遺跡からの眺めは素晴らしい。「古代ギリシャの人々も何もこんな山の上に街を作らなくてもいいのに」と思いつつ、遺跡から眼下に広がるエーゲ海のパノラマを見て、「古代の人々も美しい景色の高台に住みたかったんだ、きっと。新百合ヶ丘みたいな高台の新興住宅地に住む人の気持ちと基本は一緒なんだろう。」と一人納得。(そんなわけありません。ちなみに本当は敵から街を守りやすくするために山頂に作ったそうです。)
遺跡見学が終わったら、今度は下山だ。ふと見るとまだ下山客をつかまえられないロバおじさんとロバ君達が目にはいったが、帰りくらい自力で降りてみよう。
「山の下にあるカマリビーチまで一気に下りるぞ!(カマリビーチはペリッサビーチと山を挟んだ反対側に位置する。)」と覚悟を決め、約40分かけてクタクタになりながら下山。あとで聞いたらツアーの不動産屋カップルは行きも帰りも歩いて上り下りしたらしい。タフだ。僕らも歩いて登っていたら、きっとこの日は「疲れて死にそう。もう帰ろうか」なんていってたかも。

疲れたからカマリビーチで休もう。軽くパスタの昼食をとってビーチで泳ぎ、昼寝。ここもヌーディストの人がたくさん。しかもトップレスでピンポンをやっているとんでもない人までいる。この島は何か絶対狂ってる。アンビリーバボー。(木村は「この姿を写真に残さなければ」とピンポン娘をこっそり隠し撮りしていた)でも最初は「おっスッゲー」という感じだったけど、だんだんこれが普通に思えてくるから慣れというのは恐ろしいものだ。

【イアの夕陽】

2時間ほどビーチで疲れをとり、17:30になったため「サントリーニで最もサンセットが美しい」と呼ばれる街「イア」まで満員のバスを乗り継ぎ、移動。
イアは三日月状になっている島の北端にあり、観光地ではあるがフィラに比べればこじんまりして落ち着いた街だ。
気がつくとサンセットを見に、バスツアー客がぞくぞくやってきた。島の高台はサンセット見物の人々であっという間に埋まってしまった。(木村曰く「アリのような人だかり」)
僕らも絶好のスポットを見つけ、陣取る(ただし後ろにオカマがいてうるさかったので、ぶんなぐって黙らせようとちょっと本気で思ったが)。
太陽がゆっくりと海の中に飲みこまれていく。白い家々はオレンジ色に染まり、青いエーゲ海も葡萄酒色に染まっていく。今回の旅行で夕陽は何度も見ているが、イアの夕陽が最も幻想的だ。文句なしに素晴らしい。やがて沈み終わると、多くの人からどこからとなく拍手が沸き起こった。

その後イアの街を散策。マケドニアの古い布を売る店。アンティークショップ。アートギャラリーなどフィラよりおしゃれでアーティスティックな店が多い。木村は安いラグマットを見つけ、購入。広場では影絵による芝居をやっていて、ほのぼのとした気持ちにさせられる。
偶然出会った栗原夫妻に「あそこに子ネコがたくさんいたよ」と教えてもらい、かわいい子ネコ3匹が親猫と一緒にいる場所をみつけ、写真を撮る。

夕食をとるため、バスでフィラに戻る。
「島の最後の夜くらい海沿いのレストランで魚でも食べよう」ということになり、レストランに入る。タイ、タコ、イカのグリル、グリークサラダ(フェタチーズ=ヤギのチーズとオリーブの実のはいったギリシャ風サラダ)、ビール、コーラ、カプチーノを注文。味が普通な割に二人で20000drs(=10000円)はちょっと高いんじゃない?ロケーション代なのだろうか。
木村はかなり疲れていたらしく、まっすぐホテルに戻り、僕は土産物屋をぷらぷらのぞきながら夜中2:00頃帰った。今日は超ハードスケジュールだったので、彼が疲れるのも無理はない。さすがの僕も相当に疲れて腰が痛い。(ちょっとオヤジ)




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