第3日目 6月9日(土) 香港:雨or曇り、マカオ:雨or曇り

◆フルーツアラカルト

今日は7時半に起床。母は既に起きて、ホテルの前の市場をうろうろと散歩してきたようだ。おもしろいフルーツたちをたくさん買ってきてくれたので、また隣の部屋に集まりみんなで食べる。ドラゴンフルーツ(画像右)やスイカ、梨、ロウクーという味はあけびで、実はザクロみたいに種のまわりについているので、果肉を吸って食べるようなもの、ファンツィーというスウィーティーみたいな味がするライチより少し大きめのものなどを食べた。私の大好きなスイカは残念ながら腐っていた。あとは、きのう買った激ウママンゴープリンも食べた。きのう食べた時より甘く感じたが、(たぶんきのうは疲れていて体が甘いものを欲していたのでそんなに甘く感じなかったのだろう)やはり天才的においしかった!

◆マカオ観光

今日も相変わらず雨が降り、そうか、香港には太陽がないのだなと達観する。
9時15分ころにホテルを出発し、ホテルの近くの恒生(ハンセン)銀行で両替。やはり銀行の方が空港で替えるより率がいい。(1万円→630HK$。1$=約15.87円)
そのまま、トラムに乗り中環(セントラル)へ。(トラム:2HK$=約32円)トラムはのんびりとしか進まないが、座ってボーッと景色を見ているだけで楽しかった。
今日は中環(セントラル)から出ているフェリーに乗り、マカオへ行くのだ。10時45分のTurbo Jet(141HK$=約2,256円) に乗り、1時間ほどでマカオに到着。船中は暗いせいもあり曝睡だったので、あっという間に着いた気がする。イミグレを済ませ、バスに乗りセナド広場へ。(バス:2.5HK$=約40円)
マカオも残念ながら雨が降っていたが、ポルトガルを思わせるその広場で写真を撮り、近くにあるマカオ/ポルトガル料理の店、『九如坊』へ行く。店内はとても雰囲気が良く清潔に感じた。
ここでは、代表的なマカオ/ポルトガル料理を注文。

馬加休餅(タラのすり身とマッシュポテトなどをまぜて揚げたもの、画像下)
イワシのグリル(画像下)
口加 口厘 大 肉 蟹(カニのカレー味)188HK$=約3,008円(画像下)
威士忌酔中蝦(エビの酒蒸し)84HK$=約1,344円
火曾 牛 膝78HK$=約1,248円
西洋炒飯(ピラフ)52HK$=約832円
木 末康 プリン28HK$=約448円
マンゴームース35HK$=約560円(画像下)
White Wine 60HK$/1bottle=約960円

食事はどれも本当においしかった。デザートに頼んだマンゴームースはきのうよりさらに上回るおいしさに一同感激で、ワインも飲んでほんのりいい気分になって店を後にした。(合計:680HK$=約10,880円)

  
  

◆聖ポール天主堂跡→マカオ博物館

昼食後は歩いてすぐのマカオのシンボル、聖ポール天主堂跡を見にいく。ここは1637年から約20年かけて建設されたイタリアのイエズス会の教会の跡。当時、東南アジア最大を誇る教会で、1835年の台風による火災で焼失してしまったため、現在は正面ファザードだけが残っている(画像下の右はファザードの裏側)。
天気が良かったらさぞ壮麗に見えたことであろうと少し悔やまれたが、それでも素晴らしいと感じてしまった。街中を抜けると突然こんなものがあるなんて!と思ったらどこかに一瞬タイムスリップした気分であった。
次は聖ポール天主堂跡のすぐ東側にあるモンテの砦へ。ここは、ポルトガルとの間で極東貿易の利権をめぐって激しく争うオランダの攻撃に備えて築かれた城塞で、現在も大砲が22砲残っている。ここからはマカオ市街が一望に見渡せた。ヨーロッパ風の建物と中国風の建物が混在している気がした。
そこから、下へ降りていきマカオ博物館へ。ここは、1999年の中国への返還を前に“マカオの歴史・伝統・文化を多くの人に知ってもらいたい”との趣旨で1998年4月に完成したところだ。入場料は75HK$(=約120円)と、安いわりに館内は広くとても充実していて楽しかった。“お茶”を各国の言葉で発音しようみたいなコーナーがあり、イヤホンをつけて各国の国旗のボタンを押すと、“ティー”“テ”“おちゃ”などと声が聞こえてきて真似して発音してみたりした。他にも昔の庶民の生活様式のビデオが流れたり、家具、住居の様子など様々なものが展示されていた。
ワインを飲んだせいか少し眠くなってしまい、ベンチでちょっと寝たりもしてしまった。


 

◆エッグタルト

るるぶに“マカオ博物館を見たら、次は乾物市場に行こう!”というふうに書いてあったのでその後は、乾物市場へと向かった。といっても、けっこう迷ってしまったのだが、市場に入ると店員が試食しろ試食しろと干物やサラミを火であぶったものなどを無理やり食べさせようと必死だった。るるぶには若いお姉ちゃんがおいしそうにパクパク試食している写真が載っていたが、ちょっと試食する気にはなれないものばかりだった。
市場を抜けてから、お土産用のお菓子が売っているお店に入ってそれぞれお菓子を買ったりして、次はお茶をしに『カフェ・エ・ナタ』へ行った。
ここは、エッグタルトがおいしい!と本当にどのガイドブックを見ても書かれてあったので行かないワケにはいかなかった。私の想像していた店構えとはちょっと違っていて、オープンカフェで飲食もできるスタイルだった。エッグタルトやキャロットケーキ、チーズケーキといろいろ買ってアイスモカを飲みながら一緒に食べた。(114,5HK$=約1,832円)噂のエッグタルトはサクサクと非常においしくあっという間に食べられた。でも、1個で充分、2個目を食べるとさっきのおいしさがなくなっちゃうという感じもした。その他のケーキはビックリするくらいのおいしさというのではなく、フツーの味だった。
男性の割合が多いのはマカオでもそうなのか、カフェなのに若いかっこいめの男の子二人がお茶をしながらおしゃべりをしていたり、40代のおっさん達4人くらいでエッグタルトを食べながら談笑していたりもした。
日本だったら若い男同士がオープンカフェでお茶なんてと思うかもしれないが、ここマカオでは違和感なく景色に馴染んでいた。
18時というけっこういい時間になっていたので、母と伯母といとこはお土産用にエッグタルトを買い、カフェ・エ・ナタを後にした。

 

◆優しい男性

店を出て大通りに出ると、すぐにバスが来ており駆けこんで乗車。(バス:2.5HK$=約40円)バスに揺られてフェリー乗り場へと向かうがなんとなくそこを通りすぎてしまう。フェリー乗り場経由のバスに乗ったのは確かなのにおかしい。そう思い姉がバスの運ちゃんに訊ねてくれるが、あまり取り合ってくれず、そしたら乗客たちがいっせいに広東語で一生懸命何かしゃべり始めた。たぶん、もう過ぎちゃったから次で降りなさいというようなことを言っているのだろうと、あわてて降り、向かいのバスに乗った。降車ボタンを押さなかったからフェリー乗り場を廻ってくれずに次のところに行ってしまったのだろうと理解することにした。
次のバスに乗った時にフェリーに行くか確認して、私たちは後ろの席に座った。姉だけが近くに席がなかったので立っていると、近くのお兄さんがトモダチと並んで座っていたのに席を譲ってくれて、彼は前のほうに座ってしまった。
こういうところが、香港男性の優しさか〜とひどく感心してしまった。香港の男性はイギリス統治の影響で、レディーファーストと紳士のマナーが刷り込まれているのだと、HISからもらった香港ガイドブックに掲載されている柴門ふみのエッセイに書いてあった。
フェリー・ターミナルに着いたらちょうど18時半のフェリーがあったのでそのチケットを買い香港へと帰った。(フェリー:162HK$=約2,592円)帰りの船内は明るく、あまり眠くならずに19時半に到着。

◆足つぼマッサージ

フェリーで香港に向かいながら、疲れを癒すために足つぼに行きたいねということになり、初日にエスカレーターを乗ったり降りたりした時にチラシをもらった足つぼマッサージ店へと向かった。20時半までと書いてあったので、割と急ぎ足でセントラル(中環)方面へ行き、エスカレーターを再び上った。
お店はスターバックスの上にあり、20時15分くらいに着き、しかも予約もしていなかったのにやってくれることになった。3人しかお姉さんがいなかったので、まずは、いとこ、姉、わたしがやってもらうことに。中国式の足つぼというよりは、リラクゼーション系(『BEAUTY&SPA Elegin 伊健香薫美容』という店名)で、花びらが浮かんだお湯がはったタライに両足を入れ、角質を取り、両足を丁寧にマッサージしてくれた。もうちょっと強く押して欲しいなぁとも思ったがとても気持ち良かった。私たちの後に母と伯母がやってもらったせいで、とっくに21時をまわり、お姉さんたちに申し訳ないことをしたなぁと思ったが、嫌な顔をせずに笑顔でやってくれたから嬉しかった。(30分/1人=105HK$=約1,680円)

◆百萬ドルの夜景?!

お店を出てそのままタクシーをつかまえて、百萬ドルの夜景を見にピークトラム乗り場へ向かった。(TAXI:20HK$=約320円)往復のチケット(30HK$=約480円)を買い、2日目と同じように右側に座り車窓からの夜の景色を眺めていた。途中で素晴らしい景色を見ることができ、車内一同が「うゎ〜!!」と言ったような気がした。
景色だけでなく、“Gの体感”も相変わらずしてみて、キャーキャー言いながら遊んでいた。
頂上に着くと雨は降っていなかったがやはりガスっていて、景色は何一つ見えなかった。トラムの途中からの景色だけでも見られたということで我慢して、近くのピークカフェに入った。
頂上付近では、ここのレストランしかなく満席だったが、外の席だけが空いていたので、そこで了承して案内してもらった。とにかく湿度が多くベタベタして、皆あまり食欲がないようだったので、ジュースやカクテルとサラダを2皿頼むだけにした。風も強いので、つけてくれたキャンドルがすぐに消えてしまい、何度つけ直してもまたすぐ消え、薄暗い感じだったが、そんなに嫌いな雰囲気ではなかったので楽しかった。(ピークカフェ:500HK$=約8,000円)
再びピークトラムで下に降り、そのまま屋根のない二階建てバスに乗った。雨が降っていなかったのでとても気持ち良く、二階建てバスというより何かのアトラクションに乗っている気分だった。あっという間に中環(セントラル)駅に着き、そこからは地下鉄に乗ってホテルへ帰った。(地下鉄:6HK$=約96円)
ホテルに着いたのは23時半で、わたしといとこは初日のバーでお土産用にもらったカクテルを飲んだりし、みんなで集まって明日の計画をたてていたら、1時を既にまわってしまっていた。


最終日 6月10日(日) 香港:雨or曇り

◆阿媽の謎

7時15分頃起床。あっという間に最終日の朝を迎えてしまった。今日は、13時に迎えに来てくれるので、ギリギリまで市内観光を楽しむため、ひとまずチェックアウトをして、荷物だけフロントに預けて出発した。
朝はお粥を食べようと、きのうの夜話していたので、朝早くからやっているとガイドブックに書いてあった上環(ションワン)にある『羅富記粥麺専家』へとトラムで向かった。今日もど〜んより曇り空。日曜日のせいか、街全体は空いているように感じた。
しかし、街全体がガランとしていると感じたのはつかの間で、オフィス街には今まで見かけなかった、女性のヒトだかりができている。何これ?集団見合いでも始まるの?はたまた香港のジャニーズかなんかが来たりするの?と思ってしまうほどすごい数の女性があたり一面を覆いつくしていた。
後で周さんに訊き、またガイドブックで判ったことなのだが、香港に居住する阿媽と呼ばれるフィリピン人のメイドさんたちで、彼女たちの休みである日曜日にこうして集まり、仲間たちと語らい、歌ったり踊ったりするのだ。
香港では金持ちに限らず、一般的な共働きの家庭でもメイドを雇うため、急激に増えてきて、今では香港に居住する外国人で一番多いのがフィリピン人となっている。香港の高度成長の陰の立役者といえる彼女たちだが、一日中働きづめで、給料は日本円にして一律4万円と規定で決められているということも判明した。
とにかくすごいものを見てしまったという感じで、車窓からの風景を見やり、上環(ションワン)に着いたので下車した。

◆朝食を求めて

目的のお粥やさんはあまり迷わずに到着したものの、今日は日曜日のせいか店が休みであるという事実を目の当たりにした。
ガイドブックの情報は全て当たっているというワケではないので、仕方ないと諦め、違うお粥やさんに入ろうと辺りをウロウロしていた。しかし、全くと言っていいほど、お粥やさんは見つからず、適当に入った店でもお粥は置いていませんと言われ、仕方なく店を出てくる始末であった。香港の朝はお粥から始まるというようなことを書いてあったくせに、意外に少ないじゃんと思い、そうこうしているうちに、お決まりのように雨も降ってきて、時間も9時半になろうとしていたので、近くにあったファーストフードのようなところに入ることにした。
わたしは10HK$(=約160円)のワンタン入りの麺とコーラのセットを頼んで食べたが、香港の独特の臭いや、狂ったように降りつづける雨に疲弊しきってしまっていて、ほとんど食欲も沸かずに残してしまった。

◆しばし別行動

店を出ても雨が降ったり止んだりしていたが、このまま歩いて中環(セントラル)の方にいった。さきほどの阿媽と呼ばれるフィリピン人に、通りかかった広場でも遭遇した。5〜6人くらいの小グループがいくつもいくつも、それこそ尋常でない数のグループが、輪になって歌ったりしている。その時はこの事態が飲み込めてなかったので、今日は近くで合唱コンクールでもあるのかなぁといろいろと想像を巡らせていた。
中環(セントラル)の近くにあるデパートに立ち寄ったりして、ずーっと歩いていたが、雨もだいぶ降ってきたので、ひとまずトラムに乗り、灣仔(ワンチャイ)あたりで下車してみた。降り止まぬ雨や湿度にいい加減嫌気がさしてきて、市内を歩いて楽しむ余裕が全くなくなったため、どこかでお茶をして適当にホテルに帰るということを伝えると、伯母といとこもそうすると言い、母と姉と別れて行動することにした。
通りでお店や薬局を覗いたりして、さっき通りかかった時には閉まっていた『許留山』といういろいろなデザートがある喫茶店に入ろうと戻るが、やはりまだ閉まっていたのでそのすぐ近くにあるファーストフード系の店に入って、ジュースを飲んでいた。店の臭いも例の独特の臭いがして、「絶対ここでは暮らせないと思う」と、暮らせとは言われていなくせにそんなことを真剣に話していた。きっと、食べるモノもあんまりなくて、みるみる痩せていくかもしれないと言うと、食べるモノがなければ食べられるモノの中でうまくやっていくようになるから、逆に太るもねぇと言われ、それもそうだと思った。現に、飲み物もコーラなど“世界共通、裏切らない味”を知らず知らずのうちに選んでいる自分に気がついた。
そんな話しをしていたら、12時をまわっていたので、ブラブラ帰ろうと地下鉄の駅に向かった。

◆やっと食べられた『許留山』(ホイラウサン)

最寄り駅の北角(ノースポイント)に着いて、近くにある『優の良品』という日本の無印良品を彷彿させるお店で、ドライマンゴーをお土産に買ったりして、ホテルに戻った。
12時半になっていたが、母と姉は戻っていなかったので、ロビーでくつろいで待っていた。しばらくしたら、母と姉が『許留山』の袋を抱えて戻ってきた。灣仔(ワンチャイ)から少し行った銅鑼灣(コーズウェイ・ベイ)にある三越の地下で買ってきてくれたようだ。12時半にオープンしたので、急いで買ってタクシーで飛ばして帰ってきてくれた。ずっと食べたいなと思っていたのですごく嬉しかった。残り金を思いっきりはたいてきたと思わせるくらいいろいろ買ってきてくれたマンゴープリンやその他マンゴーアラカルトを食べた。目を付けていたお店だけあって、どれもとてもおいしくて、最後までマンゴーにあやかれたことに感謝すらした。
(画像はこのHPと相互リンクを張っている「すきすきまんごぷりん」の許留山の紹介ページからお借りしたもの)


13時になって、周さんが迎えに来てくれてバスに乗り込んだ。
途中で、違うホテルにも寄り、何人かピックアップして、空港へと向かった。車窓から見る最後の香港の景色は雨から曇り空に移り変わり、少しだけ元気も出てきた。
バスの中では周さんはあまりしゃべらず、新聞を読んでいた。途中で、新聞を渡され、国際面の一面に大きく出ている大阪の小学校で小学生が刺殺された事件の記事を見せてくれた。とんでもないことが起きているという事実だけが判ったが、内容までは理解できなくて気になった。

◆太陽アラワル

日曜日の夕方の空港は非常に混雑していた。チェックインをして荷物を預けて、最後に周さんから搭乗ゲートはここから遠いから、遅れないようにして下さいということを言われ、一緒に写真を撮って、周さんとはそこでバイバイをした。今回の旅行では、本当にお世話になったし、とても仲良くもなったので、別れる時は言いようのない寂しさがこみあげてきた。
時間が少しあったので、DFSで残りのお金を使うべく買い物、といってもお菓子くらいしか買うお金がなかったのでお菓子を買い、今日は姉のバースデイという大切なことを空港へのバスの中でフト思い出し、いとこと二人で、ペニンシュラのチョコレートを買って後で渡したりした。
飛行機へは15時45分に搭乗し、16時半に離陸をした。機内からの最後の香港の風景を見ると、うっすらと西日が差し込み、とてもとてもキレイだと感じた瞬間であったと同時に、香港にも太陽が現れるんだ!ということが最後の最後で確認できてなぜだかすごく安心した。ずっと機嫌の悪かった太陽が何かの拍子に機嫌が良くなって、スーッと顔を出してくれた。そんな感じにわたしには映った。
機内食は相変わらずまずかったのでほとんど残し、機内映画はサンドラ・ブロックの『デンジャラス・ビューティー』で、けっこう笑えるところがあり楽しめてよかった。
そんな感じで帰りの機内はぼんやりとしていたら、21時半過ぎに成田に到着していた。皮肉にも機内から見える成田空港は雨が降っていた。


=あとがき=

家に帰って体重計にのると、痩せていた。食べて食べて食べまくるぞーという気合虚しい結果になってしまったが、太って帰ってくるよりは、はるかにマシであると年頃のわたしは思うのであった。
それもこれも、全て雨のせいなのかなぁと思わずにはいられないほど、雨がよく降ってくれた。
しかし、たくさん降る雨に反し、わたしの気分は晴れやかであった。日本での忙殺されていた日常を抜け出して、久しぶりにアジアの空気を吸いこむことができたからだ。
また、香港の貴重な梅雨を体験できたことによって、日本の梅雨が全然たいしたことではないと今年は感じられ、ある意味免疫ができたことになったようだ。

香港から帰国した翌日の朝、出勤途中に読んでいた本は、吉本ばななの「体は全部知っている」であった。
その本を読んでいると、きのうの周さんとの別れを的確に表現した文章を読んではっとした。私はこんな気持ちであったのだろうと。以下、抜粋。

例えば旅をしていて、何となく出会った人と意気投合して、それが男でも女でもにわかに友達になる。恋人になったり親友になるほどの縁ではないけれど、とても気が合う人だったり、あるいはお互いのすんでいるところがとても遠くて、そこで偶然会わなければ、一生会わなかっただろう人だったりする。そういう出会いの後、目的地が同じなので一週間いっしょに行動することにして、ごはんを食べたり見物をしたり同じ宿に泊まって部屋を行き来したり笑ったり少し気まずくなったりして、次の目的地が違うのである朝その人と別れる、そういう感じだった。特にその人を好きだというわけでもなく、また会えるさ、と思って、最後の朝ごはんをいっしょに食べる。その頃から何となくふたりの間に淋しさがにじみでてくる。住所と電話番号を交換して、駅まで送っていき、手を振る。
 そしてひとりで歩き出した時、はっと気づく。淋しさに打ちのめされている自分に。もう同じこの場所で会うことは二度とないだろう、共に旅をすることも多分ないだろう。会っても、昨日まで笑い転げていた旅の道連れにはもう戻れないのだ。さっきまでそこにいてさわれたのに、もしかしたらもう会うことすらないのかもしれない。
 その時初めて旅の思い出の全てが貴重な輝きを帯び、時間の流れの残酷さとはかなさを知る。

実に言い得て妙であると感じた。いつもいつも旅先であった人とは、こんな気持ちにさせられ別れてきたんだろうと。イギリスでのホームステイ先での家族、シンガポールでナンパされて飲みに行った男性たち、台湾で知り合って半日行動を共にした大学生、ベトナムの日本人ガイドさん、バリのガイドさん、カフェで会ったウェイターのお兄さん。今回の周さんを含めて、仲良くなったがそれ以上ではない、手紙のやりとりを何度かして、「また行きたい!」と書いても決して行くことがなかったり、行っても決して会わなかったりするだろうということ。
生きているのに本当に二度と会わない、会えないということは一番残酷なことではないのかと改めて実感した。
旅行後にまたすぐにでも再訪したいという気持ちは、その国が好きになったからというのはもちろんであるが、そういう人たちに会って、元気であるかどうか確かめたいという気持ちが強くあるのだと思う。しかし、会ったとしてもその時に過ごした時間はもう戻らないということも同時に認識しなければならない。
だから帰国してからも、私は常にその旅行に酔っ払った気分になり、夜こっそりガイドブックを開いて読んだり、何度も何度も写真を見て、自分の記憶が色褪せることを恐れているのだろうと思う。現地で書いたメモの殴り書き、何を書いたかも既に意味が判らなくなっている文章を見るだけで、懐かしさで胸が苦しくなり、今すぐにでももう一度同じ旅行がしたいと切望してしまうのだろう。
私は一つ一つの旅行の記憶が色褪せないことを願うと同時に、これから訪れるであろう国、そこで出合うであろう素敵な人々を思わずにはいられない。
これからも誰にも負けないくらい貴重な輝きを帯びるそんな旅行をし続けたいと思った。
読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。


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このHP内の香港日記

香港の離島の海鮮料理やマカオで元祖エッグタルトやポルトガル料理まで食べまくった管理人の
「あー おいしかった!香港日記'99」 2ページ、99/5 

大人数で行けば楽しさ倍増。男6人で食べまくった管理人の
「香港日記'96」 4ページ、96/2 

一人だって充分食べれたあつこの
「香港日記2001」1ページ、2001/2