☆新学期
「ただいま」
「ちゃーちゃん!おかえりー」
合宿から、帰り着いて我が家の戸を開けると、この夏の間中ずっと帰省している甥っ子が飛びついてきた。
「よ、元気にしてたか?」
抱き上げて、リビングに一度顔を出し、挨拶をしてから二階の部屋に上っていく。
着替えて、再び甥っ子を抱き、リビングに戻る。
「おかえリなさい」
リビングには、三井の母と姉が、のんきにお茶の時間を過ごしていた。
「うん、ただいま」
「合宿も終わって、いよいよ新学期ね。ところで、ちゃーちゃん、宿題は終わったの?」
母が、ソファに座った三井に茶を入れながら、問いかける。
「え?いや、まぁ…ほどほどには…」
「だめよ、ちゃんとしないと卒業できないわよ」
「うっ…」
痛いところをつかれて、三井は、ごまかすように茶を啜る。
「そういえば、貴女、いつまで日本にいるの?」
母が、のんきに姉に尋ねた。
「そうねえ、涼しくなったらと思ってるんだけど…」
「いつまでもダンナさん一人って言うのもよくないんじゃないの?」
「そうなのよね。彼は仕方なく帰っちゃったけど…。ホントは、もうそろそろ日本に転勤のようなのよね。だから、少しの間引越しの準備で帰ることにはなるけど、すぐに日本にもどってくるのよ」
「まぁ、そうなの」
「えぇ、そうなったら、祝人も喜ぶわね。ちゃーちゃんといつでも会えるから」
「へぇ、そうなんだ。祝人、これからは、週末にはいつも遊べるぞ」
「うん!」
お茶を飲みながら、のんきに話をしている午後は、こんな調子で過ぎていった。
新学期が始まり、新体制の湘北バスケットボール部に桜木が戻ってきた。
「天才ふっかぁーつ!」
「花道!」
「桜木君!」
「桜木花道!」
部員たちに囲まれてご機嫌の桜木を、三井は少し離れたところから見ていた。
『よかった、無事に復帰できて…』
「ミッチー!」
桜木が、三井を見つけて、駆け寄ってくる。
「よう、桜木!無事戻ったんだな」
「天才だからな!」
「もう、普通にしていいのか?」
「うむ、今週くらいは、ゆっくり調整するようにといわれたな」
「そうか、無理は禁物だからな」
「おう。そうだ、ミッチー」
「?なんだ?」
「ちゃんと、約束おぼえてるか?」
「やくそく?」
「ふぬ!」
「ああ、シュートの練習か?」
「そうだ!」
「わかってるよ。ちゃんと憶えてるって。桜木が、完全に復調したら、みっちり教えてやるから、覚悟しろ」
「おう、絶対だぞ!」
「わかってるって。来週は、つきっきりで面倒見てやるよ」
「やったー!」
ご機嫌で、桜木は、三井に指切りを強引に仕掛けて、離れていった。
満足そうに見ていると、後ろに人の気配がしたので振り返った。
「うわっ!流川?」
[……]
じっと見つめられて、三井は、後ずざる。
「な、何だよ?なんか文句あんのか?」
「センパイ」
「う、な、なんだ?」
「どあほうと何約束したんスか?」
「な、なにって…。復帰祝いにロングシュート教えてやるって…」
「…」
黙って、じっと見つめる流川に、三井は、居心地が悪く、どうしたもんだか困った。
「だ、だからなんだってんだよ?」
「…ズルイ」
「はあ?」
「どあほうばっかり、ズルイ…。俺もつきっきりで、教えてほしいっス」
「な、なんだって?」
「俺にも、ロングシュート」
「お、お前は、普通に打てるじゃねーか?」
「もっと確実に打ちテー」
「そ、そういわれても…。後は、数打ちゃいいんじゃねーの?」
腰が引けたままで、三井は、話を打ち切ろうとする。
その三井の肩を、流川は、がっしりと掴み、顔を覗き込んで、一言。
「先輩に教えてほしーっス」
『ひぃっ…』
整っているか、無評定な後輩のどアップを目の前にして、三井は、以前、この後輩からされた仕打ちを思い出し、恐怖に固まった。
「コラーっ!キツネ!ミッチーに何すんだ!」
それを、たまたま目にした、桜木が、三井の元に戻ってきて、二人を引き離す。
「ミッチーになれなれしくすんな!」
「るせー、どあほうはひっこんでろ!」
「ふぬ!キツネの分際で!」
「お、おい、おまえら…」
こんどは、久しぶりの取っ組み合いになり始めた。
「二人とも、何やってるの!」
その、二人の動きを止めたのは、湖北バスケ部の影の主将、彩子のハリセンチョップだった。
すっぱーんという、洗練された音の後、二人が、頭を抱え込むのを、腰に手を当てて、見る。
「桜木花道は、復帰直後なんだから、喧嘩なんかしてる場合じやないでしょ!それに、流川!駄々こねんのもいいかげんにしなさい。三井先輩は、一人なんだから、一度に二人は無理でしょう!順番を待ちなさい」
「あ、アヤコさん…」
「…」
頭をさすリながら、二人は彩子を見る。
「いいわね、来週は、桜木花道が、三井先輩のコーチを受ける。次の週は、流川が受ける。それでいいわね」
「…お、おう」
「…ウス」
しぶしぶといった感じだが、二人が納得したので、彩子は、三井を振り返る。
「そういうわけです、三井先輩、よろしくおねがいします」
「お、おう…」
有無を言わせず、仕切ってしまった彩子の手腕に、三井は、頷いたが、はっと気がつけば、これから、二週間うるさい二人の後輩を、つきっきりで面倒見させられることになってしまっていた。
『やられた…』
むこうでは、桑田が、桜木と流川に。三井の個人レッスンを受けられて羨ましそうに声をかけている。
なんだか、練習前にどっと疲れが出てしまって、三井はその場にしゃがみこんだ。
「三井サンもてもてっスね」
その横に、宮城がやってきた。
「…うるせー」
「ま、あいつらの指導お願いしますよ。俺も、チームまとめんのが精一杯っスから、あいつらの技術指導まではとてもとても…。その点は、三井サンしか適任はいねーと、俺は踏んでるんスよ」
殊勝な顔で、頭を下げる宮城に、三井は、現金なもので、やる気がむくむくと起こってきた、
「…ま、やれるだけはやるよ」
「よろしくお願いしヤす」
宮城は、内心してやったりと思ったが、とりあえずは、殊勝な顔を崩さなかった。
気難しいこのひとつ上の先輩を、うまく操るのも主将の務めだ。
三井は、技術もざることながら、全体の雰囲気を乗せるのに、とても重要なキーマンだ。
彼が、機嫌がいいと、それが、全体のムードメーカーの桜木に移り、部全体か乗ってくるのだ。
その上、マイペースなはずの流川が、どうも、三井には一目置いているらしく、三井の機嫌に影響を受けている様子がたまに見られるのだ。
三井の機嫌がいいと、流川の1ON1の申し出に調子よく付き合ってやるので、流川の機嫌も自ずと上がってくるのだ。
機嫌のいい流川となら他のチームメイトも、無難に連携の練習がはかどるため、三井の機嫌は、殊のほか大切だと認識をしている。
逆に、三井が落ち込むと、周りのものは、気を使って仕万がない。
桜木や、流川でさえ、落ち着きなく、三井の様子を窺っているようなのだ。
そんな、三井だから、とにかく、機嫌よく過ごしてもらえるよう、キャプテンとしては、注意が必要なのだ。
『やれやれ、今日は、何とかご機嫌を取り結べたな。今週は、まぁいいとして、来週と再来週は、ちょっとフォローが必要かな…』
キャプテン宮城の人知れぬ気遣いのスケジュールが立ったことを、ご機嫌な三井は知る由もなかった。
その週の三井は、流川と1ON1をしたり、再び始まった桜本の基礎練習を冷やかしたり、新メンバーでの構成を考えたりと、それなりに忙しい毎日が続いた。
☆合同練習
週末、再び国体の選抜メンバーの合同練習が、行われた。
国体が開催されるまで、毎週末の土曜日に、合同練習を行うことになっている。
今週は、陵南高校の体育館で練習が予定されている。
三井と、宮城、流川そして、今日から参加の桜木の4人が、陵南の体育館に姿を見せた。
「三井さーん!」
陵南高校の主将、仙道が、大歓迎と言いながら三井に近づいてきた。
「ふぬっ、センドー!」
流川と桜木が、無意識に三井をガードする。
「おや、桜木も、今日から参加かい?」
目の前で、敵意を剥き出しにしている、1年生2人を軽くあしらって、その後ろで、宮城の背後に立つ三井に視線を向ける。
「三井さん、お待ちしてましたよ。三井さんは、初めての陵南ですよね。大歓迎です」
そういうと、前のバリケードを難なくかわして、三井の手を握る。
「う、仙道…。きょうは、世話になるな…」
「いえいえ、三井さんにお会いできるのならこんなことくらいなんともありません。いっそのこと、三井さんがうちに転校してくれないかなーなんて思っちゃうくらいです。それなら、毎日、三井さんとバスケできて楽しいのに…」
「なに?」
背後で、殺気立つ流川と桜木を、無視して、三井の手をぎゅっと握る。
「仙道…」
困ったな、と、思ってあたりを見回した三井の目に、海南の一群が目に入った。
「牧!」
仙道に、ちょっとごめんと断って、その手を難し、三井は、牧の元に走っていった。
「よう、三井。調子はどうだ?」
「ああ、ま、順調かな」
和やかに話をはじめる。
「合同練習は、今日は陵南で、来週が翔陽、その次が湘北なんだそうだ。再来週は、初めて、湘北にいけるから、実は楽しみにしてるんだよ」
「え?そうなのか?でもうちは、そんなに、立派じゃないぞ。なんだ、考えたら、うちだけ公立じゃないか…」
「そう、しかも湘北だけか共学なんだよ。ウチのメンバーが、浮き足立ってるんだよ、実は…」
「共学…たって、かわんねーぞ。もる奴はもてるけどな…」
そういうと、三井は、チラッと、視線を流川にやった。
「そうなのか?でも、三井だったらもてるんだろ?」
「え?いや、俺はぜんぜん…」
三井は、とんでもないと首を振る。
(女性の)親衛隊があるのは、湘北では流川だけだからだ。
三井は、この3年間あまり、湘北では、もてた経験がない。
実は、男子には、かなり人気があるのだが、共学で、それはあまりにも悲しい結果かもしれない。
入学したころの可愛いままなら、それなりにもてていたかもしれないが、ぐれていた期間が、長かったため、女生徒には、敬遠されていたのだ。
最近は、明るくなったこともあり、やや人気が出てはきているのだが、やはり、彼の変遷を知る同級生や、2年生には避けられていて、何も知らない1年生が、遠目から見つめているようだ。
しかし、そんなことには鈍感なのか、三井は気がついていないようだった。
「なんだ、三井がもてないんじゃ、ウチの連中にあまリ期待するなといっておかないとな」
そういうと牧は、笑った。
翔陽の一行が到着したので、練習をはじめることになった。
牧が、集合を号令し、ウオーミングアップをはじめる。
練習は、順調に進んでいたが、初心者の桜木が加わったことで、前回よりも、コンビネーションが、うまくいかなかった。
一旦休憩に入ると、桜木が、牧のところにやってきた。
「じい!ずるいぞ!キツネにばっかしパスして!もっと、天才にパスよこせ!」
「うるせーんだよ!赤毛ザル!牧さんは、ちゃんと考えてパス出ししてんだから、つべこべ言うな!」
「ふぬ!このっ!野ザルの分際で!」
桜木と、清田が衝突する。
そこに、もう一人の1年流川が、火に油を注ぐように、これ見よがしに溜息をついてみせる。
「どっちもサル…」
「なんだとー!」
そこで三つ巴になり、赤木と、牧が割って入ることになる。
「こら。やめんか!」
「まったく、何が気に入らないんだ?」
お小言を、食らっているのを周りは、一息ついて、眺めている。
「なんだか、あっちは楽しそうだな」
羨ましそうに仙道がこぼすと、周囲は、慌てて止めに入ろうとする。
「仙道、これ以上騒ぎを大きくするなよ」
「そうだよ、今度は、魚住さんまで巻き込むつもりか?」
「ちえっ、あ、みついさんみっけ」
そういうと、コートの脇で水分補給している、三井の元に駆け寄る。
「三井さーん」
「う、お?」
後ろから、呼び声とともに、抱きつかれた、三井が鷲いてむせ返る。
「あれ?だいじょうぶですか」
そういうと、役得とばかりに、背中をさすリ始める。
「すいません、驚かしちゃったみたいですね」
「な、何で、いっつも後ろから急に声かけたリ抱きついたりすんだよ」
むせ返って、涙目で、三井が抗議する。
仙道は、その姿に、目を細めながら、前に回リ、正面から説明をする。
「そりゃ、三井さんと、話したいからでしょう?いつも、後姿なのは、偶然ですよ。前から見つけたって同じですって」
「そ、そうか?」
「三井さんが、前から抱きつくほうがいいとおっしゃるんでしたら、前に回って、これからは抱きつきますから」
仙道がぐいぐいと迫ってくるため、三井は徐々に壁際に追い詰められていく。
「え?そ、それは、勘弁…」
「つれないなー」
とうとう壁に押し付けられ、仙道の両腕が、三井の両脇に置かれたことで、三井は、完全に動きを封じこめられた。
「せ、せんどう?」
「わかってるんでしょ?俺の気持ち?」
「何…のことだ?」
「俺、前から、三井さんのこと好きですっでいってるじゃないですか」
「お前、友達でいいって…」
「最初は、といいましたよ。でも、いつまでもこのままじゃいられませんからねえ」
「仙道…」
ぐいっと顔を押し付けるようにして、仙道は、三井の顔を覗き込む。
「怯える三井さんてとってもそそられますね」
アップの仙道を見たくなくて、目を瞑った三井に、仙道は、そっとキスしようと顔を近づけていった。
その仙道の腰を、背後から流川が思い切りけりつける。
「先輩にさわんな」
「流出、ひどいな…。腰はやめてくれないか」
「るせー。さっさと先輩を放せ」
そういうと、無理やり仙道の腕を引っ張り、三井を仙道のプロックから解放した。
「油断もすきもねえ…」
「速攻が信条だからね」
再び三井を抱き込もうと、仙道か手を伸ばす。
それを阻止しようと、今度は、流川が、三井を抱きこんだ。
「ちょ、ちょっと流川…?」
三井にとっては、どちらもありがたくない状態だ。
そのうち、桜木も駆けつけて、また一騒動持ち上がりそうで、三井は、目の前が真っ暗になった。
「仙道、いいかげんにしないか」
そう言って、止めに入ったのは、陵南の先代主将魚住だった。
仙道を、ほかの陵南メンバーのところに追いやり、未だに三井を抱きこんだままの流川を見やる。
流川は、ちょっと、不満そうにしたが、相手が他校の先輩ということで、気をつかったらしく、三井を放し、その場から少し離れた。
「三井、すまなかったな。こんなにあいつが懐くのは珍しいんだが…」
「そうなのか?」
「ああ、いったいどこで、三井のことを知ったのやら…。おそらくうちの監督あたりだとは思うのだが…。先日、三井の中学のころの写真がほしいといってきたりしてな。こっちでも驚いているんだよ」
「へ?俺の写真?」
「ああ、何でも、牧がくれないからとかいっていたが…。」
「??」
「あいつにしては、珍しく執着してるんで、陵南でもどうしたのかとちょっと噂になっているんだ」
「執着って…」
「仙道は、いつもくるものは拒まず、去るものは追わずの性格で、自分から、あんなに積極的にモーションかける事ってないはずなんだ。よっぽど三井を気に入ってるとしか思えんのだが…。」
ぜんぜんうれしくねーと、思いながら、三井は、ちょっと顔をしかめた。
「確かに、仙道に好かれたからといって、三井がうれしいと思うとは考えないがな…」
うんうんと、三井が首を縦に振るので、魚住は苦笑する。
「とにかくあまり三井に迷惑かけないように、他の連中にも、目を光らせるように言っておくから、勘弁してくれな」
「す、すまねー…。魚住」
「いや、ま、三井とこんなことででも話できただけでも俺はうれしいよ」
「へ?」
「三井は、俺たちのアイドルだったからな…」
「アイドルはよせって…」
「とにかく、バスケに戻ってきてくれてうれしかったよ。それに、合宿でもいっしょに練習ができたし…」
「魚住…」
「俺は、国体の本戦は、不参加の予定なんだ」
「え?」
「三井や赤木と、1度いっしょに同じチームでやってみたかったんで、合同練習には参加してるんだがな…。もう、実際引退してるし、国体は辞退するつもりなんだ」
「そうなのか…?」
「あぁ。親父の小料理屋を継ぐことにしたんでな。修行にはいるのは、一日でも早いほうがいいんだ」
「そうか…」
「一人前になったら、招待するから、店にきてくれよな」
「おう。そうさせてもらうよ」
「…ありがとう」
そういうと、魚住はうれしそうに笑って、陵南のメンバーの元に戻っていった。
もう、将来の計画をしっかりと立てている魚住に、三井は、感心し、そして、自分の身の上を考えた。
今は復帰できたバスケがうれしくてたまらないが、やはり進学するなり就職するなりを考えねばならない。
3年生の2学期では、もう遅いくらいなのだ。
だが、今はもう少し、バスケをする幸せに浸っていたかった。
そして、進学して、バスケ三昧の学生生活が送れることができればという程度の将来展望しか、まだ今のところはないのだ。
「いろいろ問題は山積みだよな」
とにかく、この国体で、全国制覇をして、安西先生に恩返しするのが第1の目標だ。
『よし、がんばるぞ!』
やる気を奮い立たせていると、練習再開のための集合の号令がかかった。