☆新生湘北
 翌朝、マンションを後にして学校に向かう。
 集合までは、まだかなり時間があるが、少し早く行って身体を動かしたくなったのだ。
 部室では、同じように考えたのか宮城が、着替えをしていた。
 「オハヨーゴザイマス。三井サン早いっスね」
 「おぉ、おまえもな」
 「何か、身体動かしたくなっちまって」
 「あぁ、俺もそうなんだ」
 「何か、昨日インハイで負けたってのも、信じられねーっすけど、現実なんっスね。今日から、一から出直しかぁ」
 「あぁ」
 宮城が、真顔になって三井を見る。
 「何か、昨日帰りの電車の中で、主将と木暮サンが引退するって話しきいたんスよ」
 「え?」
 「まさか三井サンまでそうなんて言いませんよね」
 「そっか、赤木も木暮も引退か…」
 不安げに宮城が三井を見上げる。
 「三井サン?」
 「え?あ、あぁ、俺は、冬も出るつもりだぜ」
 「そ、そうっすか。いやぁ、一気に三人に抜けられたら大変っすからね。せめて、三井サンが残ってくれりゃ、チョットは安心っすよ」
 ほっとしたように、宮城が答えるのに、少し照れくさく感じて、三井はわざと、ふざけた調子で話す。
 「チョット、ね」
 二人、眼を見合わして、吹き出してしまった。
 着替えて、二人そろって体育館へ向かう。
 そこには、すでに一汗かいた様子の流川がいた。
 流川がシュート練習しているのを横目に、身体をほぐし始める。
 柔軟が終わって、流川の使っているのと反対側のコートで、宮城と1ON1を始めることにした。
 宮城との1ON1は、流川とのそれとはまた違って、敏捷性の訓練になるのだ。
 小柄な宮城が、右に左にと動くその先を読んでブロックしなくてはならない。
 それぞれ5本ずつ攻撃をしたところで、一旦休憩して、息を整えていると、流川が寄ってきた。
 「先輩…」
 「おう、何だ、流川?」
 「…」
 呼びかけに答えても、じっと立っているので、三井と宮城は不審に思う。
 「変な奴…。なぁ、流川。お前、言いたいことちゃんといわねーと相手に伝わらねーぞ。俺達ゃエスパーじゃねえんだからな」
 顔を覗き込んで、三井が説教じみた言葉を紡ぐ。
 流川は、覗き込む三井を、じっと見つめて、おもむろに彼の肩を両手でがっしりと掴む。
 「な、何だ?流川?」
 そこで、ようやく、流川が以前この体育館で自分に仕掛けたことを思い出して、三井は焦る。
 腰が引けている三井を、離そうとせずに、流川はぐっと反対に三井の眼を覗き込む。
 (ひーっ!ナンダヨコイツ!)
 じっと覗き込む流川から逃れたいのだが、押さえつけられてもいたので、蛇に睨み付けられた蛙のように三井は、動くことが出来なかった。
 「おいおいっ、流川、言いたいことがあったら口で言えよ。三井サンびびってるぞ。そんなんじゃ、三井サンに嫌われるぞ。それでもいいのか?」
 助けに入った宮城の言葉にようやく反応したのか、流川は重い口を開いた。
 「引退するんスか?」
 「は?」
 三井は、いきなりのことで、ぽかんと口を開けて、流川を見てしまった。
 「だから、先輩引退するんスか?」
 (何で、ドイツもコイツも、俺が引退するって思うんだ?)
 そんなに自分を引退させたいのかと、三井は思ってしまった。
 昨日感じたように、これからが恩返しと思って、せっかくやる気一杯でやってきた今朝の気分が一気に萎む。
 「引退して欲しいのか?それなら、ご希望どおりしてやるよっ」
 やけくそになって、三井は叫んだ。
 思いきり身体を捩って流川の手を振りきる。
 「ち、チョット、三井サン!」
 横で聞いていた、宮城が慌てて声をかける。
 「そんなヤケになって言っちゃいけませんって!」
 「なんだよ!お前だってそう思ってんだろ!」
 「そんなわけありませんって!頼りにしてるんスから!」
 「チョットだけしか期待してねーくせに!」
 「な、あれは、言葉のアヤってもんでショーが!」
 流川を蚊帳の外に置いて、三井と宮城は言い合いを始めた。
 「言葉のアヤってな、そーいうのは心の中で思ってることがぽろっと出たんじゃねぇのか!」
 「いいトシして何スネてんです!」
 「悪かったなぁ、年寄りで!」
 言い争いは、もう別の低い次元に移りつつあった。
 取り残された感のある流川が、肩を竦めて、ぼそっとこぼした。
 「どっちもガキ…」
 その小声を聞いて、二人が同時に反応する。
 「お前が言うなぁ!」
 低次元の口論は三つ巴の様相を呈してきた。
 そこに、幸か不幸か他の部員達が、やってきたのだ。
 「なにをしとるかっ」
 赤木の鉄拳が三人の頭の上に落ちた。
 頭を押さえてうずくまる三人を横目に、赤木は他の部員達を集合させる。
 「これからミーティングを始める」
 木暮を近くに呼び、二人並んで、一同を見る。
 「俺と木暮は、今日でバスケ部を引退する。今後は、宮城、お前が主将として部を引っ張っていけ」
 宮城が声をかけられて、緊張した声で答える。
 「は、はい!」
 「副主将は安田。宮城と二人で部を盛り立ててくれよな」
 木暮が、続いて安田に声をかける。
 「は、はいっ!」
 安田も、緊張気味な返事を返した。
 「湘北でバスケをした、2年と少し。いろいろあったが、最後にインターハイに参加できたことは、一生の思い出になると思う。これからも、今に満足することなく、今以上の成果を上げていってくれることを期待する」
 赤木が、最後の挨拶をして、指揮を宮城にバトンタッチする。
 宮城が、今日の計画を安西監督に伺いにあがろうとしたが、安田が、聞いてきていたらしく、この後は自由解散、明日から修理のため体育館が使用できないこともあって、休養をかねて3日間練習は休みと言うことになった。
 「じゃ、4日後、朝9時から練習ということで、今日は解散」
 宮城が照れくさそうに一同に号令して、解散となった。
 「三井」
 赤木が、三井を呼びとめた。
 「なんだ?」
 「お前は、冬まで残るんだったな」
 「おう。そのつもりだけど」
 「宮城に迷惑かけるなよ」
 「なっ!赤木!てめぇ!」
 カッとなって言い返そうとした三井と赤木のあいだに木暮が割り込んだ。
 「まぁまぁ、二人とも…。赤木、俺達は、三井に後のことを託して行くんだから…な」
 そんな言い方はないだろうと、赤木をたしなめる。
 「三井も、あんまり身体に無茶するなよな。そうして、冬は、俺達の分も全国で活躍してくれよな」
 「木暮…」
 やさしく肩を叩かれて、三井は、泣きそうになった。
 いろいろあったが、赤木も木暮も、全国を夢見て戦ってきた同期なのだ。
 自分一人取り残されるようで、急に寂寥感に襲われてしまった。
 「俺…」
 「三井、そんなにしんみりしないでくれよ…。またちょくちょく顔を見せるから、な?」
 慰められるように言われて、照れくさくなってしまう。
 「ば、バッカヤロ、しんみりなんてしてねぇよ!」
 「はは、そうだな、その調子で後輩達を盛り立ててやってくれよ」
 「おう!」
 「それなら安心だ」
 じゃぁ、と、木暮は赤木と体育館を後にしていった。
 置いて行かれた三井は、扉の方をじっと見ていた。
 彼等二人には、謝罪の言葉も感謝の言葉も、何も口にはしていない。
 それでも、許してくれていたのだ。
 一人、冬の選抜に向けて残ったが、湘北の一員として恥ずかしくない試合をすることが、彼等への恩返しになると、三井は信じていた。
 「三井サン」
 「…何だよ…」
 「さっきはスンマせんでした。気ィ悪くしねーで、これからもヨロシクお願いします」
 宮城が神妙な顔をして、三井に話しかけた。
 「気にしちゃいねーよ。こっちこそあと少しヨロシクな、キャプテン」
 照れたように笑う宮城と顔を見合わせる。
 「三井サンこれからどうします?」
 「おう、今日は、桜木の見舞いに行こうと思ってたんだ。いっしょにいくか?」
 「あ、ハイ。他の奴も誘っていいっすか?」
 「かまわねぇよ。ただし、病院で、大勢はだめって言われっかもな」
 「ま、行って見てってことですか」
 そう言うと、宮城は、着替えて待っててくれと、三井に言い残し、他のメンバーの元に参加確認を取りに行った。
 結局、お見舞いメンバーは、三井、宮城のほかに、彩子、安田、桑田と流川という、なかなか妙な取り合わせとなってしまった。
 とりあえず、今日は新キャプテンと、副キャプテン、そして、マネージャーの3人が行くことになった。
 大勢で押しかけるのも、病院に迷惑がかかるということで、ほかのメンバーは、また後日見舞うことに一応はなったらしいが、三井が行くということで、流川と桑田がついてきた。
 
 「ミッチー!リョーチン!」
 ベッドの上で、桜木が、嬉しそうに見舞い客を迎えた。
 「おう、桜木!どうだ?調子は?」
 三井が、代表して尋ねる。
 「何の、こんなケガ、天才には何ともないって」
 ガハハと笑う桜木に、みんなほっと安心する。
 一応は、それほどひどい怪我でなく1ヶ月もすれば、復帰できる程度と聞いてはいたものの、実際元気な桜木の様子を見るまでは安心ができなかったのだ。
 新体制の話を一応桜木に連絡し、夏休みもなるべく見舞いにくるという話をして、早早に引き上げることになった。
 やはり、周りには、病気の人もいるので(当たり前なのだが)迷惑にならないようにという配慮からだ。
 「じゃぁな、桜木、また来てやっから」
 桜木の頭をぽんぽんとたたいて、三井が離れようとするのを、シャツの裾を掴んで、桜木が阻む。
 「ミッチー、まだいいじゃねーか」
 「でもな、今日は大勢だし、あんまり騒がしくするといけねーから、今日は、このくらいで我慢してくれよ」
 「ふぬぅ…」
 「花道、またすぐ来てやっから、我慢しろよな」
 まだ、不服そうな桜木を残して、一同は病室を出る。
 「やっぱり、花道、寂しそうっすね」
 宮城が、そっとこぼした。
 「まぁな、慣れねー病室だしな…」
 「やっぱ、三井さんも?」
 「あ?」
 「1年のとき入院したんでしょ?」
 「…」
 何と答えていいのか、三井は一瞬言葉に詰まった。
 三井の入院のときは、はじめは、武石中の仲間や、木暮が見舞ってくれていたが、県予選が近づき、練習が長くなって、見舞いに来てくれなくなり、結局、自分で疎外感を感じて、無茶をしてしまったからだ。
 「あぁ、この病院の匂いってのが、また気が滅入るわけだ。イタイケな、三井少年には、ちょっと厳しかったな。桜木が、イタイケかどうかは別として」
 ちょっと気持ちを浮上させて、三井は、冗談で、話を締めくくろうとした。
 病院を出て、解散となった。
 みんなと離れていく途中で、宮城が声をかけた。
 「三井サン、これからどうスンです?」
 「あ?俺?別に…」
 予定はないと言おうとしたら、いきなり、腕を掴まえられて相手を見る。
 「流川?」
 流川が、三井の腕をグイッと引っ張って立ち去ろうとする。
 「おいおい、チョット待てよ」
 宮城が、声をかけて、流川が立ち止まる。
 「センパイは、俺とバスケすんだ」
 「ちょっ…。何だよ、俺、そんなこと一言も言ってねーぞ!」
 流川は、三井の顔をじっと見つめる。
 「俺がしてー」
 「はぁ?」
 「センパイとバスケしてー」
 「流川…」
 あまりにストレートなお願いに、三井は、呆気に取られてしまった。
 その三井を、ぐいぐいと引っ張って、流川が立ち去ろうとするのに、はっと気がついて、三井がじたばたと暴れる。
 「ちょっと待てよ!俺の都合も聞きやがれ!」
 「?」
 流川が、三井の言葉に立ち止まる。
 「俺は、今日用事があるんだ。お前とは、明日付き合ってやっから、今日は勘弁しろ」
 「どんな?」
 「な、なんでもいいだろーが!とにかく用事があんだから、お前が遠慮しろ!」
 「…明日」
 「へ?」
 「明日、9時に迎えに行く」
 そういうと、流川は三井の腕を放し、さっさと歩いていった。
 「何なんだ?変な奴」
 三井は、流川の後ろ姿にあきれたような視線を投げる。
 「しかし、いいんですカ?」
 宮城が、心配そうに三井を見る。
 「何が?」
 「明日、流川とバスケすんでしょ?」
 「おう、あいつがしてーって言うんだから仕方ねーだろ」
 「二人っきりで大丈夫っすか?」
 宮城は、インターハイ前から、流川が三井に仕掛けているアタックに、不安を隠せない。
 強引に流川が三井をモノにしたなんてことがあっては、三井の強くない神経が、壊れてしまうのは目に見えている。
 「あ…」
 それにようやく思い当たったのか、三井が、『どうしよう』というように不安気に宮城を見る。
 「なるべく、人の多いトコ探して、二人っきりになんねーよーに気をつけることですって」
 「う…お、おう…」
 「いいですか?体育館は、明日から3日間は工事でつかえませんから、どっかのコート見つけて、するんですよ?人の多いとこね。知ってます?」
 三井は、自分の知るバスケのコートを思い出そうとした。しかし、彼の知っているコートは、どれもさほど人が来ている風のないところが多く、流川と二人っきりになる確率が高かった。
 「空いてるとこしかしらねー」
 宮城は、ため息をついて、自分の知る中で、いつも人の寄ってくるコートを教えてやる。
 「とにかく二人っきりになんねーことですからね。なんか心配っスよ…。」
 「う…。そんなに心配なら、おまえも一緒に…」
 「じょ、ジョーダンじゃねぇっす!流川に呪い殺されっちまう!」
 宮城が、三井の言葉を聞くまでもなく、首を振って、否定する。
 「なんだよ…」
 あまりの宮城の反応に、三井は、むっとする。
 「ウーン…。あ、そうだ!こういうのはどうです?」
 宮城が、何か思いついたようで、三井を手招きして、小声で話す。
 「ですからね、目には目を、ケダモノにはケダモノをっつうか、流川に対抗できるやつを一緒に連れていくんですよ。そうしたら、いくら流川でも、無茶は出来ねーっしょ?」
 「誰を連れてくんだ?」
 三井もひそひそと返す。
 「仙道っス」
 「仙道ォ?」
 三井が驚いて宮城を見る。
 「あいつなら、流川と十分対抗できるっしょ?」
 「い、いや、そうだけど…。あいつだって練習あるだろ?」
 「どうやら休みらしいっスよ。昨夜、家に、湘北の予定とか聞いてきましたからね」
 「おまえ、仙道と仲いいのか?」
 「同学年ってことで、それなりの繋がりはあるんですよ。仲良しなんてのはごめんですがね」
 「それじゃ…」
 「後で、仙道に連絡してみますよ。三井サン家に電話するようにね」
 「おう、すまねー」
 それでやっと安心したように三井が、息を吐いた。
 「三井サンも苦労しますね。妙な奴らになつかれちまって」
 「おう、そーなんだよな…」
 「で、本命の奴っているんスか?」
 「へ?」
 「いや、だから、そいつらの中で本命は…イテっ!」
 宮城が、最後まで言わないうちに、三井の手が、宮城の頭を殴っていた。
 「何てこといいやがる!俺は野郎と付き合う気なんてねー!」
 「ヒデーよ、三井サン。何もグーで殴ることねーでしょーが?」
 「てめーが、トンでもねーこと言うからだろ」
 「じゃ、三井サンはそいつ等と付き合う気はぜんぜん無いってんですね」
 三井の頭にふとそいつら…仙道や流川、桜木や牧の顔が横切った。牧の顔を思い浮かべた途端に、妙に動揺してしまった自分に、いっそうの動揺をして、慌てて否定をした。
 「あ、当たり前だろ!」
 「ま、そんならそれで良いんですがね…」
 疑わしそうな顔をしながらも、別に、三井が男と付き合っているのを見たい訳ではなかったので、宮城は、話を収めた。
 『別に、とりたてて女に、もてるわけじゃねーし、どっちかというと男に妙に好かれるタイプだから、案外、男と付き合うほうが、このヒトにしたら楽なんじゃねーのかな』
 なんて、ことを胸の中で思っていたが、三井に言うことはしなかった。この辺が、話の切り上げ時と判断して、再確認の意味で、宮城は三井に声をかける。
 「じゃ、後で、仙道に連絡しときますんで…」
 そういうと、自分の岐路につくことにした。
 「お、おう、すまねー」
 宮城とそこで分かれて、三井も自分の家に帰ることにした。
 『みんなもう帰ってんのかな?』
 広島に行っているという家族のことを思う。
 とりあえず、自宅のほうに戻ろうと、駅のほうに向かった。