☆  山王戦
 
 いよいよ、決戦の朝。
 三井は、緊張の中で朝食をとった。
 あたりを見渡すと、やはり、全員の表情が硬い。
 しかし、全国制覇するためには、山王とは、遅かれ早かれ、必ず戦わなければならない関門なのだ。
 食事を終えて、バスに乗り込む。
 三井は、ふと、夕べの牧の言葉を思い出した。
 湘北は、一人一人は、未完成だが、チームになると信じられない力を発揮すると。
 (そうだよな、やって見なきゃわかんねぇよな。山王だって高校生なんだし…)
 眼を閉じて、気持ちを落ち着かせて、精神を集中させる。
 駅前で、市電に乗り換えて、会場に向かう。
 会場は、人で溢れていた。
 シード校が、今日から登場するからか、プレスも多い。
 会場に入ると、コートでは、海南が初戦を大勝しつつあるのが見えた。
 そして、山王の一行が姿を見せたとき、観客は目の前の試合を忘れて、彼らに注目する。
 (さすが、山王…)
 桁外れの人気に、息をのむ。
 知らず知らずのうちに、圧倒されているのを感じる。
 選手控え室に向かう途中の通路は、いつもの湘北では見ることの出来ない静けさに包まれていた。
 湘北のメンバーの最後尾に宮城と並んで歩いていた三井は、緊張に耐えきれなくて、フゥと溜息をついた。
 その、後ろ姿に抱きつきながら、場違いな脳天気な声が聞こえた。
 「みーつーい、さーん」
 「どわーっ」
 驚いて、意識がぶっ飛んでしまった三井が動けないのをこれ幸いと、脳天気な声の主、陵南高校の新キャプテン仙道が三井をいっそう抱きしめる。
 「三井サン?」
 「ミッチー!」
 「!」
 彼の周囲にいた後輩達が、三井を仙道から無理やり引き離す。
 「センドー!ミッチーになんて事するんだ!」
 「いやぁ、何か元気なさそうだったから、励まそうと思って…」
 悪びれずへらへらと笑い返しながら、仙道は、再び三井に抱きつこうと手を伸ばした。
 それを、必死に防ぎながら、湘北の後輩達は、さっさと控え室に向かおうとした。
 「あ。つれないなぁ、湘北のみんなが冷たいー。三井さーん。もうちょっとここにいて下さいよぉ」
 「な、何言ってんだ仙道。俺達はこれから試合なんだよ」
 ようやく三井が、我に返って、仙道に声をかける。
 「わかってますって。だから、勝利のおまじないをしてあげますから、ね?」
 こっちこっちと、仙道に手招きされて、三井は、どんなおまじないかと首を傾げながら仙道の近くに寄ってきた。
 「何だよ一体?」
 偉そうに切り出す三井に、仙道は、三井の手を取り、手のひらになにやら文字らしきものを書いていく。
 「?何書いてんだ?」
 「おまじないの言葉ですよ」
 実際はおまじないでも何でもなく、ただ、三井の手に触れたかっただけで、AKIRAと自分の名を殴り書きしていたのだが、それは、秘密だ。
 「それで、次はこうするんです」
 そう言って、三井の後頭部をさっと支えて、いきなりキスを仕掛けた。
 「!」
 「センドー!」
 周りの連中が慌てふためいて、三井を取り戻そうとするが、予測していた仙道は、三井をしっかりと抱きかかえて、固まった三井の額にキスをする。
 ようやく三井が、我に返って、仙道の腕から逃れようとじたばたし始めたので、三井を解放してやる。
 「仙道、てめーっ!」
 真っ赤になった三井が、仙道に殴りかかろうとしたのを、宮城が、必死で止める。
 「三井サン!場所考えて!こんなトコで乱闘はヤバいっすよ!」
 「け、けどよ、宮城!こいつが…」
 確かに、ここは、インターハイの会場だが、仙道は、許し難い。
 湘北のチームメイトがいる目の前で、キスされてしまった自分の身にもなって欲しいと、宮城に眼で訴えている。
 それでも、やはり時と場所に問題であるため、宮城は、三井の訴えをあえて無視した。
 「さぁ、三井サン行きますよ。もう、そんな奴なんかにかまわないで、落ち着いて試合に臨みましょうヤ」
 未だに納得できず、恨みがましく、宮城を見ている三井の背中を押して控え室へと促す。
 ようやく動き出した三井を、桜木と流川にガードさせて、後ろを歩き始めた宮城は、ふっと立ち止まり振り向いて、様子を面白そうに見ている仙道に、三井にわからないような小声で声をかけた。
 「仙道、頼むから、あんまり三井サンをイジメんなよな。あとで、ヒスにつきあうこっちのことも考えてくれねーか?」
 「いや、何か、三井さんって、からかうと楽しくて…」
 悪びれずににこにこと笑いながら、答える仙道に、処置なしといった風に肩を竦めて、宮城は、今度はもう、振り返ることなしに、三井達のあとを追いかけていった。
 一人残された仙道は、少し様子を窺っていたが、彼らがもうこちらを振り返らずに通路の向こうに消えたのを確認して、観客席に戻っていった。
 一方、三井は、両脇を一年の二人にがっちりと固められ、身動きもできないまま、控え室へとつれてこられた。
 控え室の中は、先にきていた赤木達が精神統一に入っているようで、緊張と静寂が支配していた。
 三井達にも、その空気に触れて、徐々に試合前の緊張がまとわりついてくることになった。
 桜木達も、今日は少し神妙な顔をしている。
 いかに開き直るかが、勝敗の鍵かもしれないが、三井は、近づいてくる試合時間に緊張がつのり、どうにも落ち着かなくて、今日何度めかの用足しにトイレへと駆け込むことになった。
 そこで、監督からもらった『山王でも三井寿は怖いとみえる』というある意味の励ましは、その言葉が発せられた場所や状況はどうであれ、尊敬する監督の口から、わざわざ自分一人に贈られた言葉であるということが、三井を喜ばせ、高ぶる神経を落ち着かせることになったようだ。
 (先生、ありがとうございます。俺、精一杯がんばります!)
 三井は、安西監督の後ろ姿に、心の中で誓って試合に臨んだ。
 
 
 ☆勝利と敗北
 
 山王との死闘のあと、ようやく手にした勝利もつかの間、湘北高校は、愛和学園に惨敗してしまった。
 誰も、あまりにあっけない終わり方に何も言葉が出す事が出来なかった。
 敗因は、いろいろあるが、それは、湘北に限ったことではなく、インターハイに出てくるどのチームも同じように起こりうるものであるだけに、やはり、チームの総合力として足りない部分があったという事だろう。
 
 「三井…」
 会場を出て、とりあえず帰りの市電が来るまで待機中の湘北チームに、海南の主将として、牧が声をかけた。
 まずは、赤木に、戦うことが出来なくて残念だと告げ、木暮に健闘をたたえ、そして、最後に少し離れたところに宮城といた三井に声をかけた。
 「まき…」
 「残念だったな」
 「あぁ、まぁな…」
 三井は、普段の勝ち気な表情が影を潜め、妙に大人しく、覇気がなかった。
 不審に思った牧は、三井の腕を引っ張って、エントランスの反対側の陰につれていった。
 「一体どうしたんだ?三井。いつものお前らしくないぞ」
 「な、何だよ、牧」
 三井が、ようやく、きっと牧を睨んで、反応を返したことに内心は安心したが、やはり、様子がおかしい。
 「何かあったのか?いつもは、元気なお前が、そんなに萎れていたら、不審に思うだろう?」
 「な…」
 「まさか、負けたことで落ち込んでるなんて事はないだろうな」
 「!」
 図星だったようで、三井の頬が急に赤くなった。
 何か言い出しそうな三井を制して、牧が言葉を繋ぐ。
 「三井はがんばってたじゃないか。桜木が抜けた穴を、湘北のみんなは良くカバーしていたよ。三井だって、前日の山王戦の疲れを引きずりながらも、ロングシュートを決めていたじゃないか」
 「でも、負けちまった…」
 「お前達が、恥ずかしくない戦いをしたことの方が、大切じゃないのか?勝敗なんてのは、結果であって、ほんの少しのファクターで変わってしまうものだと思う。まぁ、三井自身が、今日の試合に力を抜いていて、後悔しているというのなら、話は別だと思うが…」
 「そ、そんなわけねぇ!」
 「なら、何もそんなに落ち込むことはないじゃないか」
 「で、でも…、安西先生を全国の優勝監督に出来な…か…っ…」
 三井の眼から、堪えきれずに涙が落ちた。
 「馬鹿だな…。きっと安西監督は、満足してらっしゃると思うぞ。とりあえず、全国に湘北高校ありというアピールが出来たから、第一弾は成功したと思うがな。まさか、湘北は、二度と全国に来ないつもりなのか?そうじゃないだろ?ビギナーズラックで優勝できるほど、全国は甘くないってことは、監督でなくてもわかるだろう。今日の悔しさが、次の大会へのバネになるんだって事は、三井だって全中の時に感じたんじゃないのか?」
 うつむく三井の肩を、ポンポンと軽く叩いて、牧が言葉を繋ぐ。
 「でも…、俺が、先生の元で出来るインターハイは今回だけなんだ…。もう恩返しが出来ない…」
 「でも、お前達三年がまいた種が、いずれ育っていくんじゃないか。先生への恩返しなら、そういうことで残していけるさ」
 ようやく、三井は顔を上げて、牧を見る。
 「牧…」
 「三井」
 三井が縋りそうな眼をして、牧を見たため、何となく、牧の心拍数が上がった。
 『抱きしめるチャンス』と言う声と、『ここは押さえてポイントを稼ぐんだ』と言う声が、牧の頭の中で渦を巻き始めた。
 そっと三井に手を伸ばしかけたとき、横から声がかかった。
 「先輩」
 「流川…」
 流川が、立っていた。
 牧をじっと睨んでいる。
 「キャプテンが呼んでるッス。そろそろ市電の時間ッス…」
 言うが早いか、三井の手を取り、湘北のメンバーの元につれ戻るべく、ぐいっと引っ張った。
 「わっ!流川、わかったって、引っ張るなよ!」
 ぐいぐいと引きずられ始めて、三井が抗議の声を上げる。
 いったん、止まった流川に手を引かれながら、三井は、牧の方を見て急いで声をかける。
 「牧、サンキュ、な。海南の試合、会場で応援できねーけど、優勝目指してがんばれよ。」
 「あぁ、ありがとう。がんばるよ」
 牧の声を聞くか聞かないうちに、三井は再び引っ張り始めた流川に、引きずられていった。
 「いってしまったか…」
 とりあえず、三井に軽く手を振りながら、牧は、せっかくのいい雰囲気をものに出来なくて、ちょっと残念だったなと溜息をついた。
 神奈川に帰ったら、三井に連絡して、夏休みを利用してどこかへいこうか、それとも、実家に帰るときに招待するか、いかにして三井に一層近づくか、あれこれ考える牧だった。
 
 市電に乗り込んで、広島駅に向かう。
 湘北高校の面々は、敗戦の当日に神奈川に帰ることになった。
 予算があまりない公立校の、しかもかつての実績がなくOB会組織がない湘北高校バスケット部では、もう1泊ゆっくり等という余裕がなかった。
 新幹線に乗り、新横浜に着いた時点で、翌日に、ミーティングをすることを赤木が告げ、流れ解散となった。
 だいたいが、同方向なので、途中まではぞろぞろと在来線に乗っていたが、三井は、分岐点で他のメンバーと別れることになった。
 「じゃぁな」
 片手を上げて、電車を降りる。
 背中に『お疲れさまでした』だの『しつれいします』だのの後輩の声を聞きながら、自宅方向のホームに向かう。
 その声の中に、赤毛の後輩の明るい声がないのが少し寂しい。
 彼は、前日の試合で痛めた背中を治療するため、部長とともに一足先に神奈川に戻っていた。
 三井は、桜木の故障の状態が、どの程度なのか、かなり気になっている。
 やはり自分も、高1の早い時期に故障したことがあるから、バスケの出来ない辛さが良くわかる。
 明日のミーティングのあと、宮城達と様子を見に行こうと心に決める。
 「ただいま」
 玄関には鍵がかかっていたので、やはり、声をかけても誰も出てこない。
 首をひねって、居間やキッチンを覗いても誰もいない。
 よくよくあたりを見渡すと、二、三日留守にしているようだ。
 ポストには一昨日からの新聞がたまっている。
 (どこいったんだ?)
 何があったのか、不安になって、三井は、祖父の家に電話をかけた。
 しかし、そこもまた留守電のメッセージが流れるだけだった。
 (う、うそっ!なんだってんだよ!)
 父の携帯を思い出し、慌ててダイヤルを押す。
 「もしもし!」
 受話器の向こうの父親は、至極のんびりと応対をする。
 『なんだ、寿、今どこにいるんだ?』
 「どこじゃないよ、家に帰ったら誰もいないし、新聞だってたまったままで、心配でじいさん家に連絡しても留守だし、いったいみんなでどこいってんだよ!」
 『どこって、広島だよ』
 「広島ぁ?」
 『せっかく寿が、インターハイに出るって言うんで、一家総出で応援にきてるんだよ。この3試合ずっと応援していたのに気が付かなかったのか?』
 「なっ…?」
 『とにかく、私たちは、今日も広島に泊まることにしているから、留守番は任せたよ。じゃぁ』
 「ちょ、ちょっと!おい!親父?」
 言うことだけいって切れた相手に、まだ未練がましく声をかけるが、ツーツーという音しか聞こえない。
 心配していた胸の内が、一気に脱力に変わった。
 (なんだよ。応援って一言もいってなかったじゃんか…)
 面と向かって言われたら、来るなと言っていただろうから、内緒にしていたのだろうが、とにかく三井は困ってしまった。
 (はらへった…)
 ふらふらと冷蔵庫に辿り着いて、中を見てもすぐ食べられるようなものがない。
 一人暮らしをしていた2年間で、簡単なものは作れるようになったが、今の冷蔵庫の中身では、三井のレベルで作れそうなものはなかった。
 (ちっ、コンビニ弁当もいやだしなぁ…)
 かといって、三井は一人で外食するのがあまり好きでなかったため、どうしようかと悩む。
 誰かつきあってくれそうな人を、頭の中でサーチしてみる。
 何故か、牧の顔が浮かび、とんでもないと振り払って、今度は徳男達の顔が浮かぶ。
 彼等は、もう帰っているのだろうか。
 会場で、号泣している彼等の姿を見たのは4時間ほど前だ。
 徳男の家に電話をするかどうか、迷って、やめた。
 電話をすれば、疲れていようが、彼はやってきてくれるだろうが、そこまで彼に頼るのも悪いような気がしたのだ。
 仕方なしに、一人で外食することに決めて、ついでに、明日のミーティングまで、ゆっくり出来るようにマンションの方にいこうと考えた。
 翌日の着替え等を鞄に詰めて、リビングのテーブルの上にマンションに行っている旨の置き手紙を置く。
 夕暮れの中を満員電車に揺られて、通学経路を辿る。
 満員電車の中で、痴漢にも遭わず(それで普通なのだが)無事、目的地に着いたことに、ほっと一息ついて、三井は、下車した。
 とりあえずマンションに、荷物を置いて、周辺の店で食事をしようと考える。
 久しぶりのマンションの部屋は、バスケを再び始める事になり、実家に戻った日のまま、何も変わっていない。
 あのころはやりきれない思いで暮らしていて、なんだか暗い部屋という気がしたが、今見ればそうでもない。
 部屋に荷物を置いて、駅前の商店街の方に歩いていく。
 (何喰おうかな)
 店をあれこれ覗きながら、歩いていると、後ろから聞き慣れた声がした。
 「あれ?ミッチーじゃん?」
 「何してんのこんなとこで?」
 振り返れば、桜木軍団だった。
 赤毛の後輩はやはりいない。
 「お、おう、夕飯喰おうと思ってさ。お前らは?」
 確か、広島からは桜木と一緒に帰ったはずだと思い、問いかける。
 「あぁ、今病院の帰り。花道の見舞いに行ったんで…」
 水戸が代表して応えるのに、聞きたかった内容が含まれていた。
 「そ、その、桜木は、どうしてる?」
 「元気。元気。二、三週間で直るってことだから、大丈夫だって。花道が大人しくさえしてたらね」
 それが問題だと、軍団達が笑う。
 「そっか、酷くなくて良かった…」
 心から、安心して三井が呟いた。
 「なんかしんみりしたミッチーって変」
 高宮がぽろっとこぼした言葉に、三井は、照れくさくて過敏に反応した。
 「なんだとーっ!変とはなんだ!」
 まぁまぁと宥める水戸に、押さえられて、何とか納める。
 「なぁ、ミッチー、こんな所で立ち話も何だし、どっかはいらねぇ?」
 水戸の提案で、空腹を思い出し、軍団とともに近くに見えたファミリーレストランに入り、めいめいに食べ物を選ぶ。
 オーダーしたものを胃袋に詰めながら、水戸が、思いついたように尋ねる。
 「ところでさ、ミッチーってこの近所だっけ?」
 「え?いや、この近くに、部屋あるんだ。2年まではそこに住んでて…」
 ぐれてましたとは言えなくて語尾を濁す。
 「じゃぁ、花道が遊びに行ったのって…」
 「あぁ、ありゃ、実家のほう…」
 「ふーん、で、今日は、何でこっちに?」
 「家に誰もいないんだよ、今日…。そんで、どうせ一人なら、明日学校に行くのが楽な方がいいなって思って…」
 「明日も練習あんの?」
 「ミーティングするらしい」
 「いそがしいんだねぇ…」
 水戸達が感心するように言うが、そうでもないと否定する。
 明日のミーティングはやはり、今日の反省会なんだろうか。
 「ところで、ミッチー。引退すんの?」
 「え?」
 「何か、花道がさ、インターハイ終わったら、メガネくんが引退するっていってたからさ」
 「メガネくんって…木暮のことか?」
 「ミッチーも引退?」
 「俺?俺は…」
 まだ続けるつもりだったから、引退の事なんて考えもしていなかった。
 桜木軍団の視線を受けて、緊張しながら、答える。
 「冬も出るから、まだ引退しねーよ」
 「そうか、よかった」
 水戸が、ほっとしたように呟く。
 何故と視線で問いかけると、ちょっと悪戯そうに笑ってこう答えた。
 「花道が、ミッチーに懐いてるからねぇ。アイツが休んでるあいだに、ミッチーが引退したらがっくりするだろ?」
 「そうそう、落ち込む花道は勘弁だからなぁ」
 水戸に続いて大楠も合いの手を入れる。
 それに続いて、高宮らも相づちを打って、いかに桜木が、三井に懐いていて流川と張り合っているかを声高々に話し始める。
 隣に座っていた水戸が、彼等の笑い声の陰で、三井にだけ聞こえるような声で呟いた。
 「ミッチーが試合に出ねぇと、もう、あのシュートも見れねーしなぁ」
 「え…?」
 今、言われたことを確認するように、三井が、水戸の顔を見る。
 眼があった水戸は、にっと笑うと軽く右目をとじた。
 (何なんだよ、こいつ…。誉めたって何も出ねーぞ)
 ウインクされたことよりも、自分のシュートに賞賛の言葉を告げられた三井は、何となく照れてしまい、首筋を赤く染めた。
 それを見て、水戸は、より深い笑みを顔に刻む。
 食事もあらかた終えていたので、水戸が、そろそろ出ようと周りを促す。
 それぞれに代金を払い(三井が出そうとしたが、そのかわりに今度退院した桜木に奢ってやってくれと、みんな笑って辞退した)、店を出る。
 店の前で、これから、ゲームセンターに繰り出すという彼等と別れ、三井は、一人マンションへの道を辿る。
 一緒に行かないかと誘われたが、体力的にかなり疲れていたのと、やはり桜木抜きの桜木軍団と笑いながら遊べるほど、三井は過去(例の乱闘事件)を忘れてはいなかった。
 (やっぱり、ちょっと引け目感じちまうな…。あいつ等は気にしてねぇみたいだけど)
 彼等に自宅謹慎させてしまった事は、そう簡単に忘れられない。
 そのおかげで、再びこの手にすることの出来たバスケットだ。
 もう二度と手放せないと思う。
 少しでも長く部に残って、これからの湘北のレベルを少しでも上げるために貢献することが、代わりに犠牲になってくれた桜木軍団や徳男達、受け入れてくれたバスケ部のみんなへの恩返しになると信じて…。
 翌朝の食事を買い込んでから、マンションに戻って来た。
 「ミッチー」
 エントランスに入ろうとしたところで、後ろから声をかけられて、声のほうに振り向く。
 「水戸?」
 そこには、つい先ほど別れた、桜木軍団の一人、水戸が立っていた。
 「ここがミッチーの部屋?」
 「え?お、おう…」
 なんでここに立っているのかと、言外に尋ねるような瞳で水戸を見る。
 「ちょっとさ、ミッチーと話したくって…」
 「話って…?」
 「此処じゃなんだから…」
 そう言って、入り口に突っ立っている三井の手を引いて、マンションの横の植え込みのところにしゃがみこむ。
 「で、話って何だよ?」
 展開に戸惑って、三井が尋ねると、水戸はうっすらと微笑んで三井を見た。
 「花道の見舞いにいってやってくんねぇかな」
 「?」
 「やっぱり、あいつでも今回は落ち込んでるみたいでさ…。ミッチーに会うとまた元気出るんじゃないかって…」
 「おう…。明日、ミーティングの後に宮城たちと見舞いにいこうと考えてたんだ。…その…、桜木はそんなに落ち込んでるのか?」
 「うーん…。なんかやっぱり、途中でリタイヤしたことが、引っかかってるみたいなんだわ。今日、湘北が負けたってことで余計にね」
 「そっか…。明日だけじゃなくって、なるべく桜木のとこに顔を出すようにするよ」
 「そうしてやってくれれば、花道も喜ぶよ」
 安心したように、水戸が笑った。
 「花道は、ミッチーに懐いてっからね」
 「そんなことねぇよ…」
 三井の言葉に、水戸はふと真顔になって切り出した。
 「ねぇ、ミッチー…。花道になんかした?」
 「?何かって?」
 「あいつ、ミッチーのこと恋人だって言ってんだけど…」
 「あ、あのヤローっ…」
 三井は、赤面しながらも、怒り出した。
 「違うの?」
 「あったりまえだろ!なんで俺が桜木と恋人同士なんだよ!」
 「じゃぁ、なんで花道はそう言ったんだろう?」
 不思議そうに水戸がつぶやくのに、三井は、先日の桜木の一件を手短に話して聞かせた。
 「だから、ぜんぜんそんな仲じゃねぇんだよ!」
 「何だ…そっか。それじゃ、ただの花道の思い込みってこと?」
 「おう」
 「そっか…。花道がミッチーにキスねぇ…」
 「そりゃ、もののはずみだ」
 あの時を思い出して、三井は、頬を染めた。
 「ふーん」
 そういうと、水戸の顔が、三井に近づいた。
 「?」
 訝しむ三井に、そっとキスをする。
 「な、な、な、何すんだ」
 あわてて、三井が、飛びのいた。
 「ミッチーって、結構…」
 カワイイと言いかけて、ふと笑った水戸に、三井は、憤慨して、首まで真っ赤になっていた。
 「て、てめぇ!」
 「花道の気持ちも解るな…。ミッチー、あんた、すっげー無防備で、かわいすぎるよ」
 「馬鹿ヤロー!もう付き合ってらんねぇ!」
 声を立てて、笑う水戸をそのままに、三井は、すっくと立って、マンションの中に入ろうと踵を返した。
 後ろから、水戸の声が届く。
 「花道見舞ってやってよ」
 振り向いて、答えるのも癪に障って、そのまま、エントランスに入って行く。
 残された、水戸は、くすっと笑って立ち上がり、肩を竦め、軍団のいる、ゲームセンターに戻っていった。
 一方、またもや、年下の男にキスされてしまった三井は、憤慨しながら、エレベーターで部屋に向かう。
 (何で、俺が、こんな目にあうんだ?)
 目的の階について、ふぅっとため息を漏らして、エレベーターを下り、長い廊下を歩き、部屋の鍵をあけ、中に入る。
 あまりものを考えたくなくて、とっとと寝ることにした。
 その前に、汗をかいているので、汗を流さねばと、かばんから着替えを出して浴室に向かう。
 シャワーを浴びてベッドになだれ込む。
 目覚ましをセットして、眠る体制に入った。
 一気に、睡魔が襲ってくるのに、身を任せながら、三井の長い一日が終わろうとしていた。