12.アスワン

  目覚ましのベルの鳴る中、牧は、のっそり起きあがろうとした。腕の中の三井に気付き彼の額にそっとキスをする。目覚ましを止め、三井を起こすために、軽く揺さぶる。

 「三井・・・」

 「・・・ん・・・」

 「朝だぞ、三井」

 「おはよう」

 「・・・・お、おう。おはよ」

 三井を促し、朝の支度に取りかかろうとして、起きあがり、部屋を見て、その散らかりように唖然とする。そう、昨夜は、ガラベイヤを脱ぎ捨てたまま、二人の世界をつくってしまったのだった。

 牧は、一つ溜息をついて、ガラベイヤを片づけ始める。三井も、昨夜のことを思い出したのか、赤い顔をしながら、自分の衣装を片づける。

 部屋を、一通り片づけて、出かける支度をし、朝食のために部屋を出る。

 

 

 今日は、アスワンの観光の予定だ。

 相変わらずのバイキングの朝食をとり、ロビーに集合する。

 船から下りて、まずバスに乗った。

 バスで、アスワンダムに向かうのだ。

 アスワンは、古代エジプト時代には、上エジプトの政治・軍事の中心地として栄えた。現在は、カイロ、ルクソールと並ぶエジプトの観光拠点で、ヨーロッパからのリゾート地として栄えている。人口一五万人の町並みは、整備され、観光地化している。大きなホテルが、ナイル川に面したあたりに立ち並んでいる。

 バスは、一路南へと進む。途中ナイル川を渡る橋のようなところを通る。これは、旧アスワンダムで、クリスティの「ナイルに死す」の頃のダムは、こちらの方だ。旧ダムから、もう少し南下したところに、アスワン・ハイ・ダムがある。駐車場にバスが止まり、一行は、降りてダムを見学する。といっても、小学校あたりで、社会見学に行くダムのように、内部見学はせず、もっぱら、ダムから続くナイル川の景色と、ダム上流の人工湖であるナセル湖の広大な景観をみることになる。ナセル湖は、全長約500キロ、面積が五千平方キロの広大な湖で、北の端がこのアスワン・ハイ・ダム、南の端は、国境の向こうのスーダン国内だという。

 「でっけー」

 「スーダンの方まで、続いているそうだ」

 「琵琶湖よりおっきいんだよな」

 「パンフレットには、琵琶湖の7倍半はあると書いてあるぞ」

 「すっげーっ」

 とりあえず、堰の上で、ナセル湖とナイル下流のそれぞれの写真をとって、バスに乗り込む。エジプトは、ダムや軍事施設は、撮影禁止なのだが、観光客ということで許可されているらしい。しかし、ここではビデオ撮影は、禁止されていた。

 

 

 次に一行は、ハイ・ダムと旧ダムの間にある、フィラエ島のイシス神殿に向かう。

 イシス神殿は、もともとは、現在のフィラエ島の隣にある、もとのフィラエ島に在ったものだが、新旧のダムができたことにより、旧フィラエ島が、水没してしまい神殿が著しく破損したことから、ユネスコにより隣のアギルキア島に位置関係をそのままに、完全移築されたものだ。現在は、アギルキア島はフィラエ島と名前が変わり、フィラエ島のイシス神殿として、一般公開されている。

 島に渡るため、一旦バスを下車する。船着き場で、二〇人ほどが乗れる動力船に乗り、イシス神殿まで渡るのだ。

 現地のツアー代理店のスタッフと、船長が値段交渉をしている。かなり激しくやり取りをしている。しばらくして、ようやく交渉の折り合いがついたようで、船に乗り込む。

 船は、流れのない水面を、ゆっくりと進み、フィラエ島のイシス神殿に向かっていく。島の周りを回りながら船着き場に向かうため、イシス神殿の建物がよく見える。島の建物は、神殿一つだけではなく、いくつもの関連施設が、林立していた。

 「なんか、すげー」

 「これ全部を移築したのか」

 エジプトに来てから、古代の人たちの石造技術に驚くばかりだが、今回は、現代の人たちの、遺跡保護の技術に驚いた。

 船から下り、神殿内部に向かう。現存する遺跡は、そう古いものではなく、最古の遺跡でも、第30王朝(紀元前四世紀)ごろのもので、ローマの皇帝たちの名を刻んだカルトゥーシュが、見受けられる。アウグストゥス、トラヤヌス、ハドリアヌス、カリギュラ、ネロなどの皇帝の名が、見られるらしい。もちろん、プトレマイオス朝の頃のクレオパトラの名もあると言うことだ。

 イシスは、黄泉の国の神オシリスの妻で、死者の内蔵を守る四女神のうちの一神だ。古くから、この地で、信仰されてきた。

 神殿の壁のかなり上のあたりに、横に走る大きなシミのようなものがあった。それが、移築する前の旧フィラエ島にあったときに水没した、水面の位置の痕だという。島をぐるっと回ると、目の前の川面に、鉄柱が見えている。そこに、旧フィラエ島があり、その水面下に、実際この神殿があったのだという事だった。

 学校で習ったナイル川の氾濫を防ぐためにできた、ダムのことは記憶にあったが、それによって、多くの遺跡や町が水没したということを、この場所に来て初めて実感した二人だった。実際に、ダムの建設により、ナイル川の氾濫はなくなったが、それによって新たな問題も起きているという。水が、絶えずあることで、乾期にも雨がよく降るようになったらしいとか、灌漑設備が、行き渡り、農法が大規模農業に変わりつつあるとか、生態系にも影響が出ているかもしれない。

 「開発と保存か・・・難しい課題だな」

 「答えは、未来に出るんだよな・・・きっと」

 「間違いでないことを祈りたいな」

 「うん・・・」

 小さな社会勉強をして、集合場所に戻る。

 船の乗り場に行くと、土産物売りが、ひしめいている。このあたりまで南下してくると、カイロやルクソールでは見かけなかった人たちを、見かけるようになる。肌の色が、アラブ人と比べコーヒー色に近く、髪も縮れている人たちが、多く見受けられる。彼らは、ヌビア人と呼ばれ、古代よりエジプトの属国として存在していたヌビアの国にいた民族だ。ヌビア地方は、現在のアスワンあたりからスーダンの国境を越えたあたりまでをさし、ナイル河沿いに村が点在している。アスワン・ハイ・ダムの建設により、多くの村が水没し、ヌビア人の村は強制的に移転させられた歴史がある。

 船着き場で、土産物を売っているのは、主に、ヌビアの民だ。糸に、ビーズや色石又は、香りのする木の実を通した首飾り、カラフルな糸で編んだ、頭に乗せる帽子など、素朴なものが多い。カイロやルクソールあたりの物売りから比べると、強引さがなく全般に控えめだ。

 「ヌビア人ってパンフには、シャイって書いてあるけど、ホントかな」

 「まぁ、今までのところみたいに、強引に手に持たせたりは、しないみたいだな」

 結構断りやすいのだ。ルクソールや、エドフ、コム・オンボといった観光地の土産物売りは、強引に道行く観光客に物を持たせて、買わそうとするが、こちらの方では、品物を目の前にかざして、「1ダラー」というだけだ。「NO」といえばあっさり引き下がる。同じツアーの人は、日本から持ってきた生命保険会社から夏場にやたらともらう扇子と、結構な土産物の束を物々交換していた。物売りの方が、押し切られたようだ。

 「さすが、北からの旅で経験を積んだだけあるな」

 「俺達も、後のスークじゃ負けられねぇよな」

 二人も、負けるものかと、心に誓う。

 

 

 フィラエ島から船で岸に戻り、今度はバスで、古代の石切場に向かう。

 ここでは、赤色花崗岩が採れ、多くのオベリスクが、ここから切り出されていったという。ギザのクフ王のピラミッドの玄室にあった石棺は、このアスワンの赤色花崗岩を使っていると考えられている。もしかしたら、この石切場から切り出されたのかもしれない。石切場には、切り掛けのオベリスクが残されている。かなり巨大な物で、現存するオベリスクの中でも最大級の物になるはずだった。切り出しの途中で、岩に亀裂が入ったため、断念したと言われている。

 古代の石の切り出しは、大きな岩盤に、木でできた楔を打ち込み、水をかけるという方法だ。乾燥した楔に水を撒き、水を吸って膨張した楔によって、岩盤を割るという技術が、推定されている。確かに、この切り掛けのオベリスクにも楔の後がある。トルコ兵達が、かつて、この石を切り出そうと、爆薬を仕掛けたが、うまく切り出せなかったと言う、噂まで残っている。

 「でっけーよな。これと一緒に写真写せるか?」

 「かなり広角になるな。側面からは無理かな。この上の方からなら、何とか入るだろう」

 オベリスクと一緒に写真をとって、バスに乗り込む。

 一旦船に戻って、昼食だ。

 昼食としては、この船で食べる最後になる。後、明日の朝までの2食が、この船で食べる食事だ。

 

 

 昼食の後、ファルーカにのって、キッチナー島に向かう。

 ファルーカというのは、このあたりの船の種類で、大きな帆が1枚と、補助帆のある小型ヨットのような帆船だ。補助動力が付いているが、主に風の力でナイルを行き来する。観光用に20人ほど乗れる物から、数人乗りのものまで種類は多い。アスワンの風物詩の一つである。

 キッチナー島までは、補助動力で進んでいる。午後のこの時間はあまり風がないのか、風任せでは予定時間に間に合わないのか。おそらくその両方だろう。

 キッチナー島は、ナイル河の中に浮かぶ小さな島で、植物園がある。一九世紀に英国人将校のキッチナー卿が、スーダンの暴動制圧のためにやってきて、この島に住んだため、キッチナー島と呼ばれる。彼が、趣味で集めた植物が、育ち、植物園として、現在は公開されている。ツアーの予定では、エレファンティネ島の博物館見学だったが、ツアーの一行がかなり旅疲れの様子が見受けられたため、少しのんびりこの植物園で躰を休めるという事になったようだ。ツアーの一行もお腹をこわした人が増えており、かなり元気がなくなっていたのは確かだ。

 「ハイビスカスと、ブーゲンビリアが咲いているな」

 「なんか、南国だよな」

 人がまばらな植物園を、のんびりと歩く。熱帯の植物がびっしりと植えられ、色とりどりの花が咲いている。

 ブーゲンビリアのアーチの下にベンチがあったので、腰掛けて一休みする。

 牧は、周りに人気がないのを見計らって、素早く三井にキスをする。

 「な、なに・・・・?」

 「誰もいなかったんでな」

 三井が、真っ赤になって、牧を見る。牧は、そっと三井の手を取り、手の甲に唇を這わした。三井は、手を引っ込めようとして、牧の視線とあい、固まってしまう。

 「そうそう・・・」

 牧は、三井の手にキスを続ける。三井も、誰もいないし、あきらめて大人しくしていた。ワンブロック後ろの花の陰から、人の足音がしたので、牧は、渋々三井の手を離す。

 「さてと、ぼちぼち戻るか?」

 

 

 船着き場に戻り、待っていた船に乗る。今度は、キッチナー島から、ナイル西岸に船は進む。やはり、この地方でも、ナイルの西岸には町はなく、墳墓と砂漠が続いている。河をはさんだ東岸(アスワン市街地)から見ると、西岸は砂と岩でできた壁のように見える。その小高い丘の上にイスラム風の建築物が見える。船は、その建築物に近い船着き場に向かっている。そこは、アガ・カーン廟という霊廟だ。イスラム教イスマイール派の指導者アガ・カーン三世の眠る、今世紀の中頃に建設された建物だが、十世紀頃のファティマ朝時代の建築様式を取り入れた、豪華な建物で一般公開されている。

 船を降りて、廟のある丘に続くなだらかな坂道を、ゆっくりと登る。途中で、振り返ると、アスワンの全景が見渡せる、絶好のビューポイントになっていた。アスワンの街並みを背景に、ゆったりと流れる碧いナイル河、そこに、ファルーカの白い帆がいくつも広げられて、まるで絵はがきを見ているような光景が眼下に広がっていた。

 「ひやぁー、きれーだよなー」

 「さすが、ヨーロッパのリゾート地と言われるだけあるな」

 「帰りにここバックに写真撮ろうな」

 「あぁ、パノラマで撮りたいな」

 「おう!それそれ!こーいう所は、パノラマに限るよな!」

 「あぁ、まぁ、とりあえず先に、アガ・カーン廟を見学しよう」

 「それって、墓なんだろ?」

 「まぁ、そう言うものかな、アガ・カーンの白い大理石でできた豪華な棺があるらしいぞ」

 「なんだかなぁ・・・・エジプトに来て、墓ばっかみてるよーな気がする」

 「そりゃ、ピラミッドもそうだしな」

 「ま、日本の古墳は観光地になってるのもあるから、似たよーなもんか?」

 「たぶんね」

 坂を登りきって、霊廟の入り口にはいる。数段ある石の階段で履き物を脱ぎ、中にはいる。中は、回教寺院のモスクのような構造になっていて、ドームが屋根の中央にあり、その部屋の前に、小さな中庭があり、太陽の光が射し込んでいた。入り口からは、回廊のような部屋がドームのある広い部屋に続いている。全体に、以前見た、モハメッド・アリ・モスクより、装飾が、シンプルだった。やはり、個人の為につくられた霊廟だったからだろうか。

 「すっげーよな。こんな墓」

 「確かに、個人のための墓だからな」

 「俺は、こんな派手な墓いらねー」

 「まぁまぁ、人それぞれってことさ」

 霊廟の見学を終えて、船着き場に戻る下り坂で、ナイル河とアスワン市街を背景に写真を撮る。少し、夕暮れが近づいていたため、夕陽に染まって全体にオレンジがかった、ファルーカの帆が、印象的だ。

  <アガ・カーン廟前からナイル川のファルーカ>

 

 船に戻ると、東岸に戻るまで少しの間、ファルーカでゆっくり過ごすことになる。動力を切っていて、今はオールと帆で、ゆっくりと東岸に向かっている。

 添乗員の提案で、それぞれの自己紹介をしようということになった。そう言えば、個人的には、親しくなった人たちもいるが、全員に自己紹介したことは、なかったのだ。

 それぞれ、順番に一人づつ自己紹介をしていく。

 三井達の番になった。まず、牧が立ち上がる。

 「神奈川から来ました、牧 紳一です。友人と、卒業旅行に来ました。エジプトは、教科書で習った以上に魅力的な国で、来れてよかったと満足しています。残りの日々も新しい発見ができればと思っています。よろしくお願いします」

 牧が座ったので、続いて三井が立ち上がる。

 「同じく、神奈川から来ました、三井 寿です。エジプトというとピラミッドとラクダくらいしかイメージを持っていなかったんですが、毎日が驚きの連続でした。後、残すところ僅かですが、よろしくお願いします」

 添乗員が、高校生で最年少の参加者だと補足説明をすると、一同に、驚きのどよめきが起こる。卒業旅行といっただけなので、みんなが大学の卒業だと思ったらしい。

 「そら見ろ、お前やっぱり高校生に見られてないんだぜ」

 「うるさい・・・黙ってきいてろ」

 憮然とした牧の、横顔を見て三井は笑いをかみ殺す。三井は、牧が、早生まれで、18になったばかりだとみんなが知ったらどんな顔するかと、思わずにいられない。

 「三井・・・」

 「わりぃ・・・」

 牧が溜息をついた。学校では、慣れっこにはなっていたが、やはり、初対面の大人達にまでそう見られていたことには、堪えたらしい。

 自己紹介が、一通り済んで、今度は、ファルーカの船長が、歌を披露してくれた。タンバリン片手にヌビアの地に伝わる歌を歌ってくれる。アップテンポのノリのいい曲だった。みんなにも一緒に歌えと、一フレーズづつ教えてくれる。歌を歌いながら、ゆっくりとファルーカは、東岸に着いた。

 

 

 船を下りると、そこから、タクシーに乗り込んで、スークへと向かう。おみやげの買い込みだ。アスワンのスークが、一番物価が安いらしい。あまり、値段も下がらないが、ふっかけられることも少ないので、日本人にも安心して買い物が出きるということだ。

 みんなが、特に買いたいと言った、ガラスの香油瓶は、ツアーガイドが、交渉してくれて、一件の店で安く買えることになった。

 「牧も買うのか?」

 「あぁ、少しな。母や叔母たちに買っていこうかと思うが」

 「俺も、そうしよーかな」

 小さな香油瓶を、いくつか選ぶ。まとめて買って、端数をまけてくれと交渉すると、ボールペンをつけることで、まけてもらえた。

 「他に何買うんだ?」

 「そうだな、あのお菓子買ってみるかな」

 「あぁ、おれもそうするっ!部の連中に配るんだ」

 二人は、ウエハース菓子を買いに行く。三、四枚入りのチョコサンドやクリームサンドのウエハースが、およそ7円くらいだ。数を買い込んで、手頃な土産にする。

 「俺、Tシャツ買ってく」

 「あっちで、ガイドさんが交渉してくれてたぞ」

 交渉していた値段は、1枚10ポンド約300円だ。エジプトのヒエログリフ模様のTシャツを買い込んでいく。

 他に、カルカデや、サフランを買ってみる。カルカデの作り方は、添乗員に聴いたので、一度、チャレンジしようと思ったのだ。サフランは、日本で出回っている、インド産の物に比べて、花が小さいが、とにかく安い。一掴みくらいありそうなパックが、200円くらいだった。

 交渉を終わって、はっと気がついたら、周りに誰もいなかった。

 「やばいな、誰もいないぞ」

 「どーすんだよ」

 「取り合えず、車の拾えそうなところに行っているはずだから、通りの方に行こう」

 あわてて、通りの方に走っていくと、街角で、喋っている親父達が、別の通りを指して、「ジャパネ。ジャパネ」と言っている。

 「もしかして、あっちに日本人が行ったって教えてくれているのか?」

 「信用できんのか?」

 「まぁ、行ってみよう」

 とりあえず親父達に片手をあげて、礼を言い、その方に向かう。途中で、何人かの男が、指さして教えてくれたとおりに行くと、馬車の集まっている場所があり、そこに、目指すツアーの添乗員がいた。

 「済みません。はぐれてしまって・・・」

 詫びを言って馬車に乗り込む。

 「ひやー、助かった」

 「いい親父ばかりで助かったな」

 「あぁ、アスワンっていい所だよな。疑って悪かったかも・・・」

 「ついてたんだろうな」

 ほっとして、心の中で、アスワンの人たちに礼を言う。

 ソネスタ号に戻って、夕食をとる。最後の晩餐というところか。

 船に乗ったときに預けていた、パスポートが帰ってきた。エジプトでは、滞在が7日を越える外国人は、外国人登録をしなくてはならない。外国人登録は、ホテルのフロントが、代行してくれる。この船も、そうだ。そのために、パスポートを預けておいたのだ。

 帰ってきたパスポートには、三角形のスタンプと、読めないアラビア語の文字が書き込まれていた。

 翌日の集合時間が、発表になる。明日は、モーニングコールが、6時半。バッゲージダウンが7時15分。かなり早い。四泊した、船での暮らしで、かなり荷物を広げてしまったので、今夜のうちに荷物の整理をせねばならない。

 「さっさと、片づけなきゃな」

 「あぁ、ずいぶん荷物も増えたしな」

 夕食を終えて、部屋に戻り、荷物の整理を始めた。

 せっかくの最後の夜だが、荷造りにあたふたして、残念ながら、甘い雰囲気は訪れそうになかった。

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Revised: 2001/04/30 .