9.ルクソール西岸
王家の谷/ツタンカーメン王墓(手前の壁に囲まれた所)
目覚まし時計のベルの音で、牧は目覚めた。ベルを止めようとして、腕の中の三井に気がついた。三井の具合は良くなったか少し不安だ。
「三井」
「・・・・ん・・・」
「大丈夫か?起きれるか?」
三井の額に自分のそれを当ててみる。少し熱っぽいような気がする。それほど、高くないようなので安心するが、果たして今日の観光は行っていいものか、少し悩む。
三井がもぞもぞと起き出したので、腕を解いてやる。
「三井?」
「・・・・ん?」
「風邪っぽいか?」
「んー・・・ちょっと怠いかもな。でも、そんなに酷くねぇ。」
「そうか、観光にでれるか?」
「あぁ、今日は、王家の谷ってトコ行くんだろ?ツタンカーメンの墓のあるトコだろ?せっかく来てんだから行く」
「しかし、無理は禁物だぞ」
「解ってるよ。ちゃんと薬飲んで無理しねーって」
「そうか、じゃぁ、支度するか」
「うん・・・」
「三井、今日は、ミネラルウォーターで、歯を磨けよ」
「なんで?」
「弱ってるときは、水に当たるぞ」
「あ、あぁ、わかった」
ギザでは、水道水に塩素系の消毒液を混ぜて歯磨き用の水にしていたが、少し弱った三井には、それでも不安だ。念には念を入れて、ミネラルウォーターにした方がいい。
準備を済ましたら、そろそろ7時になろうとしていた。朝食の時間だ。部屋を出ようかと話している時に電話のベルが鳴った。
「はい?」
牧が受話器を取る。電話はフロントからで、モーニングコールだと言っている。とりあえず礼を言って受話器をおろす。
「牧、何の電話だったんだ?」
「モーニングコールだよ」
「って、もう7時だぜ?」
「テープじゃなくて人の声だったから、もしかしたら順番にかけていってるのかもな」
「すっげー、アバウトなフロントだよな。遅れたらどーすんだよ」
「まぁ、目覚ましかけて置いて正解だったな。この調子じゃ、毎朝、あてにできないな」
「何か、へんなの。あ、もう時間じゃねぇ?」
「あぁ、3分前だ。そろそろ行くか」
二人は、慌てて部屋を出る。
朝食をとり、三井に、風邪薬とビタミン剤を飲ませ、集合場所からバスに乗る。対岸に渡る船に乗るために船着き場に行くのだ。東岸と西岸には、シャトルバスのような連絡船があり、観光客を乗せて、ナイル川を往復しているのだ。
ゆっくりと船が西岸に近づいて行く。いよいよ、王家の谷だ。
船を下りて、バスに乗り込む。目的の王家の谷は、岸から、岩壁の切り立った丘を越えて行かねばならない。団体客はバスなどに乗って丘を迂回するコースをとる。個人のツアーなら、丘を踏破するコースもあるようだが、かなり道は険しそうだ。
船着き場からバスで少し行くと、集落がある。クルナというこの村は、昔は墳墓荒らしの盗賊たちが住んでいたところだが、現在の村人たちは、サトウキビの栽培と西岸を訪れる観光客相手の土産物を作って生計を立てているということだ。村の家々の中に、白い壁に、様々な絵を描いてある家が何件かある。ガイドの説明では、村人のほとんどがイスラム教徒で、メッカ巡礼に行ったことのある村人の家には、メッカに行った事を知らせる絵がかかれるという事だ。確かによく見ると、飛行機や、船やバスや汽車の絵や、モスク、町や人の絵が描かれている。何だか自慢している内容が、飛行機や船で行ったとかこんなに人が一杯いたとか妙にほのぼのしていて、つい笑ってしまう。
クルナ村を抜けて、バスは、岩壁と砂の道に入る。もう少し行くと、王家の谷の駐車場らしい。途中に、TVで有名になった某教授のいる早稲田のセミナーハウスや、あちこちの発掘調査隊の建物のある区域を横目に見る。
バスが止まり、これからは、徒歩だ。
「なんか、ジュウレンジャーとかが、いつも怪人と戦ってるトコみてー」
あんな所ですぐ爆発すんだよなと、三井が、斜面の一角を指す。
「たしかに採石場みたいだな」
王家の谷は、岩の丘に囲まれた谷間にある。ここがそうだと言われなければ、通り過ぎてしまうような、何もない場所だ。
入場ゲートに近づくと、土産物屋の屋台が並んでいる。砂の色の中で、土産物屋に飾られたスカーフの色が、存在を主張している。ゲートの前で、入場チケットとカメラチケットを買う。1回分で3カ所の墳墓に入れるらしい。カメラチケットは2カ所分。ツタンカーメンの墓にはカメラは持ち込めないのだ。ゲートをくぐって中にはいる。中央の道路は、ある程度アスファルト舗装されているが、ほとんどは、細かい砂利の敷き詰められた道だ。道の所々に墳墓への入り口がある。
まず、ガイドにつれて行かれたのは、ラムセス4世の王墓だ。中にはいると、まっすぐに下降通路があり、壁面に鮮やかな壁画が描かれている。下降通路の先には、玄室と、宝物のあったと思われる副室がある。カメラのレンズを交換して、美しい壁画と一緒に写真を撮る。
そして、次が、目的のツタンカーメンの王墓だ。ツタンカーメンの墓の入り口は、ラムセス6世の王墓の入り口の横にある。他の王墓が、だいたい単独の敷地を保っているのに比べると、ツタンカーメン王の場合は、かなりイレギュラーであるという感じがする。
入り口で、カメラを預ける。入り口の階段を下りると、狭い下降通路があり、すぐに一五畳くらいの長方形の部屋がある。その右側に、王の玄室がある。玄室は、最初の部屋より一回り小さい様だが、中には入ることができない。部屋の入り口から、中を見るだけだ。
玄室の壁面に、ヒヒの姿のトトメス神が描かれているのが見える。玄室の真ん中にガラス板で蓋をした石棺が置いてある。その中には、ツタンカーメンの黄金の棺が、横たえられている。現在も王の遺体は、この棺の中に納められているそうだ。この王墓が、発見されたとき、王の棺は、三層の厨子に囲われた中に石棺がおかれ、石棺の中に木製金箔の第一棺、その中に黄金の第二棺、そしてその中にまた黄金の第三棺が入れられており、第三棺の中に、黄金のマスクをかぶせられた王のミイラがあったらしい。現在石棺の中の第二棺の他は、全て宝物とともに、カイロ博物館で展示されている。
「なんか、怖えーよな。ほんとに呪いあったんだろ?我の眠りを妨げる者には、災いをってやつ」
「さぁな、偶然が重なったのか、本当に呪いなのかは解らないが、発掘に携わった人は、早世する人が多かったようだな。墓の中の空気に含まれていた微生物のせいだとか、説は、いろいろあるらしい。まぁ、その呪いの噂が全てではないとは思うが、今は、こうして、自分の墓に戻って眠ることができるんだから・・・」
「そっか・・・。でもよ、こんなに入れ替わり立ち替わり人が、見に来たんじゃ、落ち着いて眠れねぇかもな・・・」
「確かに・・・」
王の墓を出て、預けたカメラを受け取る。入り口のツタンカーメンの文字の前で、写真を撮る。いろんな国の観光客も、同じようにその前で写真を撮っている。観光客の考えることは、どこの国でもさほど変わらないらしい。
最後に、もう一つ、ラムセス7世の王墓に入る。これは、王家の谷の入場ゲートに一番近い墓だ。内部は、やはり美しい壁画で飾られている。
「ツタンカーメンの墓があんなに小さくて、財宝一杯だったんだから、この墓とかだったら、もっといっぱいあったんだろうなぁ・・・」
「そうだろうな、残っていないから解らないが、例のラムセス2世の墓もこの一角にあるから、たぶん、盗掘されてなければものすごい財宝だったんだろうな」
「もう、未発見の墓って残ってないのかな」
「文献にある王の墓の数は六二だそうだ。そして、ツタンカーメンの墓が六二番目に発見された王墓だったらしい」
「ってことは、もう見つけられないんだ・・・」
「今は、ここから少し離れた王妃の谷や、貴族の墓の集まっているところで、王族や貴族の墓の発掘をしてるようだな。それだって、未盗掘ならかなりの宝物があるだろう」
「へぇ・・・また、何か見つかるといいな」
王墓から出て、ゲートに向かう道で三井は足下の砂を採取した。
「まめだな、三井」
「え?ま、まぁな、一応有名どころだけは押さえとくんだ。後は、アブシンベルってとこでとって終わりにするんだ」
「そうか」
バスに乗って次は、アラバスター細工の店に行く。
アラバスターは、ピラミッドの化粧板に使われたりする、半透明の石膏石だ。ルクソールでは、この石の細工の土産を作る工房がある。
三井は、アラバスターで作ったピラミッドの置物に興味を示していたが、ペーパーウエイトタイプの小さい物でも重くて嵩張りそうだ。今まで見てきた観光地で売っていたので、たぶんこれから行くところにもあるだろう。買うなら、最後に買うということにしたようだ。
バスに戻って、ハトシェプスト女王の葬祭殿に向かう。葬祭殿は、アル=クルン(角)と呼ばれる切り立った絶壁を背景に建てられている。壁面のレリーフが、多く残っているが、女王を表したレリーフやカルトゥーシュは、全て壊されている。女王の甥のトトメス三世が、女王が摂政政治を行ったことで、抑圧されていたことを恨んで壊したと言われている。
葬祭殿からバスの駐車場までの間に、土産物屋の軒並みがある。途中で、土産用のガラベーヤ屋があった。先日、スークで買った物は、実用向きで、飾りが何もないガラベーヤだった。明日の、船でのガラベーヤパーティに、着るための物を買おうかという話になった。同じツアーの人たちと一緒に交渉する。ここで売っている物は、基本のガラベーヤの上に袖のない長い上着の二枚組だ。襟や、ボタンの所に刺繍が入っている。少し値段も高めだ。結局頭布とそれを止める輪をおまけしてもらって、交渉は成立した。
「これは、日本で着る機会があるだろうか?」
「仮装パーティーとか、学祭で来たら受けんじゃねぇ?」
「そうかもな。訪問着ってとこか」
「ただ、会場までは、怪しい奴に見られっかもよ」
「うーん、それはそうだ」
買い物を済ませて、バスに戻る。後、午前の観光は、メムノンの巨像と呼ばれる像を見て終わりだ。
メムノンの巨像は、クルナ村のサトウキビ畑の中にぽつんと、二体の座像が建っている。元は、アメンホテップ三世の葬祭殿の入り口に建てられた物だったが、神殿の石材が、後世の王によって持ち去られて、像だけが残ったらしい。
写真に収めて、バスに戻る。これで、午前の観光は終わりだ。そして、ルクソールの観光もこれで終わった。午後からは、船で移動する事になっている。
「何か、あっと言う間だったよな。もう少しゆっくり回れたらいいのにな」
「こういうツアーの中じゃゆったり見れたんじゃないか。これ以上は、個人旅行になってしまうぞ」
「そっか・・・」
「まだ、ツアーは、前半だし、これからもいろいろ見る物はあるだろうな」
「うん、そーだな」
バスから、対岸への連絡船に乗り換えて、東岸に戻る。クルーズ船に戻る途中で、サヴォイホテルに立ち寄り両替の時間がとられた。
「両替どうすんだ?」
「今は、まだ必要ないな」
「じゃその辺うろうろすっか?」
ホテルの中を集合まで見て歩くことにした。売店などを冷やかしていて、ベネトンの店を見つけた。エジプトのベネトンは、エジプト綿をつかっており、日本で売っている物よりかなり安い。
「俺、着替えに買ってこーっと」
Tシャツやポロシャツなど、二人でかなりの枚数を買い込む。
「なんとなく、得した気分だな」
「バーゲン時期より安いもんなこれ」
Tシャツは、必需品なので、数あっても困らないということらしい。
「だが、布物は、結構スーツケースで嵩張ってしまうぞ」
「うーん・・・ちょっと買いすぎたかな」
大きな袋をもってバスに戻る。船にかえって、昼食だ。
相変わらずのビュッフェ形式の昼食だ。そろそろ、内容が一巡してしまいそうだ。
昼食の後は夕食まで、完全なフリータイムとなっている。といっても、船は、上流に向かって進んでいるから、船内でのんびりするだけだ。
一旦部屋に戻って、三井に念のために薬を飲ませ、これからどうするか、考える。
「デッキで、昼寝しようぜ」
三井が呑気そうに提案する。
「そうだな・・・。でもその前に・・・」
牧は、三井の背後から、彼を抱きしめる。
「うわっ!な、何だよっ?」
三井が驚いて、振り解こうとするのを、力で押さえる。首筋に唇を当てると、三井の身体がびくっと震えた。
「俺は、昼寝よりは三井とこうしていたいな・・・」
「ま、まき・・・」
少し三井の抵抗が収まったので、牧は、三井のTシャツの上から掌を這わせて、身体をなぞり始める。掌の動きにあわせて、三井の身体が、小刻みに震えている。耳朶を甘噛みしてやると、一気に三井の身体が緊張する。
「どうした?三井?」
耳元で、そっと言葉を吹きかけてやりながら、Tシャツの下に手を入れた。緊張に少し汗ばんだ肌を、掌で撫で上げる
「や・・・っ・・」
身体を竦めて、三井が、抵抗を始めた。牧は、この数日のお預けで、我慢の限界に来ているため、普段なら見逃してやるところだが、今日は容赦しなかった。強引に三井の身体をベッドに引き倒し、馬乗りになって押さえつける。Tシャツを一気に首筋までめくりあげ、掌を露になった胸に這わせる。三井が腕を突っ張って抵抗を示したので、首筋に固まったTシャツを頭から引き抜いて、両手の肘の辺りで絡めて左腕で押さえつけた。三井は、両手を頭の上で縫い止められた形になって、抵抗が封じられたため、身を捩って逃げようとする。
「そんなに嫌か?三井・・・」
牧が、少し抑えた声で三井に問いかけると、抵抗が止まった。
「まき・・・ど・・して・・」
「どうやら、俺も我慢の限界のようだ・・・嫌なら、殴ってでも自力で抵抗してくれ。俺は、やめる気はないがな・・・」
三井は、目を見開いて、牧を見た。そして、目を閉じて顔を逸らす。身体から力を抜いて、牧に話しかける。
「・・・・抵抗しねーから、腕のこいつ外してくれよ・・・。こんなの・・・やだ・・・」
牧は、言われたとおりに、三井の腕からTシャツを抜き取ってやる。右手を取って手の甲にキスをする。
「すまなかった。少し余裕がなかったな」
「らしくねーな・・・。でもよ、なんかその方が安心しちまった・・・」
「どうして?」
「だってよ・・・、いっつも、お前ってば、大人だろ・・・。俺とタメだなんて思えねーもん・・・。なんか、やっと、お前の本音聞けたみてーでよ・・・・」
目元を、赤く染めて三井が答える。
「三井・・・・」
牧は、三井の唇に軽くキスをする。二、三度軽く触れあわせて、今度は、深く口づける。
「・・・ん・・・っ・・」
三井の手が、牧のTシャツを掴む。
牧は、口づけを終えて、今度は三井の顔中に軽くキスの雨を降らせる。目元、頬、顎の傷、そして首筋、鎖骨から、胸元へとキスを下ろして行く。胸の飾りに軽く歯を立てると、三井が仰け反るように反応する。唇で胸を愛撫しながら、三井の身体に添って右の掌を下ろした、彼のジーンズのベルトを外し、ボタンを外してジッパーを下げる。性急だとは思ったが、もう、止められそうにない。ジーンズの中に手を入れる。三井が、びくっと反応するが、かまわずにトランクスの上から、三井に触れる。少し強めに握り込んでやると、全身に緊張が走る。
「・・・あ・・っ・・・ま・・き・・・」
「三井・・・」
牧は、一旦身体を離して、三井のジーンズを下着ごと抜き取った。昼の明るい日差しが、窓から入ってくる部屋の中で、三井の身体が曝される。
牧は、自分の身につけている物を一気に脱ぎ捨て、再び三井の上に覆い被さっていった。
気を失った三井から、身体を離して、牧は、ベッドの端に腰掛ける。かなり三井に無理をさせてしまった。旅行に来る前からお互い忙しくて逢うことがなかったため、久しぶりとなった情交に抑えが効かずに、強引に三井の身体を開いてしまった。涙の後の残る三井の目元に唇を這わす。三井が、珍しく抵抗もせず、自分を受け入れてくれたことも歯止めを効かなくさせた原因かもしれない。手早く服を身につけて、ベッドから離れて、タオルをバスルームで濡らしてくる。力の抜けた三井の身体を拭い、情交の後始末をしてやる。三井にTシャツとトランクスを着けさせ、ベッドに寝かしつける。
「三井・・・」
眠る三井の額を、掌で撫でる。少し眉を顰めた三井の寝顔を見て、先ほどの様子を思い出す。
『ま・・き・・・』
強引な愛撫に翻弄されながら、潤んだ焦点の定まらない眼を牧に向ける、三井の表情に煽られた。普段なら、無意識に否定的な言葉を吐く三井が、ひたすら、牧の名を呼ぶだけで、しがみついてきた。
「何だか、いつもと違ったな」
独り言を呟いたとき、三井が身じろぎをした。うっすらと目を開けている。
「三井?」
声をかけた牧の方に眼を向けている。
「ま・・き・?」
少し掠れた声で三井が呟く。
「どうした?」
掌で、三井の額を撫でる。三井が、牧に腕を伸ばす。そっと、三井がしがみついてくるのを優しく抱き留めて、三井の身体を起こす。
「まき・・・」
「大丈夫か?無理をさせてしまったな・・・」
凭れ係る三井を胸に抱き、後頭部を撫でる。
「・・・なんか・・・いつもとちがった・・・」
「すまなかった。自分でも少し抑えが効かなかった・・・」
「べつに・・・かまわねぇけど・・・」
何となく、話題に困って、お互いただ黙って抱き合っていた。
窓の外は、ナイルの川面と、岸の少しの緑、そしてその向こうに広がる砂漠地帯が、午後の日差しの中で見えている。船が、ゆっくり進んでいるのか、ずっと、画面が変わらない。
「さっきから、ずーっと景色がかわんねぇ・・・・」
三井が、ぼそりと呟いた。まだ、少し声が掠れている。
「どうする、このままこうしているか?それとも、デッキにあがってみるか?」
牧が、三井の耳元で尋ねた。三井は、牧の顔を見て、窓に再び目をやり、ゆっくりと牧から離れた。
「デッキに行ってみる。支度するから・・・待っててくれ」
立ち上がって、少しふらつきながら、バスルームに入った。
三井は、軽くシャワーを浴びることにした。気がついた時にTシャツとトランクスを身につけていた事から、牧が、後始末をしてくれたことを悟る。その姿をふとイメージして、羞恥に顔が火照る。思い切り首を振って、シャワーの栓を捻った。頭から滝のように落ちて来る温めの湯を浴びながら、先ほどの事を思い出す。
切羽詰まった牧という、珍しいものを見てしまって、何だかその勢いに流されてしまった。いつもは、余裕を見せて三井を好きに扱う牧が、あんな姿を見せるから、何だか愛しさがこみ上げてきて、何でもさせてやりたいと思ってしまった。初めて、等身大の牧を見たような気がして嬉しかったのだ。
しかし、久しぶりだった事もあって、その結果かなり自分の身体に負担をかけることになってしまったのには、少し困った。体が重い。腰から下が、特に言うことをきかない。本当は、このまま、どこにも行かずにベッドで突っ伏してしまいたかった。しかしそうすると、また牧が、心配してしまうことが目に見える。
『過保護だもんな、あいつってば・・・』
そんな牧をあまり見たくなくて、出かけると言ったのだ。
そりゃ、見た目がいくら老けていようと、牧だって自分と同じ年齢だ。ベッドでのことは、一日の長がありそうな牧に受け身であることもあって一歩引いてしまうにしても、それ以外のことにはできることなら、対等でありたかった。それが、かなりの困難が伴うことであっても、自分の弱い心が、牧に甘えることを望んでいても・・・。
完全に牧に守られて、真綿でくるまれる様な甘い暮らしは、確かに心地よいだろうけれど、牧無しで生きていけなくなることは嫌だった。牧の顔色を窺いながら、ウサギのようにびくびく生きるのは嫌だ。人より高めのプライドが許さないのだ。そのためにも、もっと自分に強くなりたいと三井は思った。
シャワーを止めて、バスタブからでるために足を動かして、身体の辛さに気持ちが萎えそうになるのを、必死で奮い起こす。バスタオルで、身体をゆっくり拭って、気持ちを集中させる。Tシャツを身に着けてほっと一息をついた。
部屋に残った牧は、とりあえず手持ちぶさたで、窓の所に寄りかかり、外をぼんやりと見ていた。窓は、はめ込みで、開けることができないのが残念だ。窓を開けることができれば、外の空気が入って気持ち良いかもしれないのにと、何気なく牧は思った。
しばらくして、三井が、バスルームから戻ってきた。少し歩き方がぎこちないが、顔色はそんなに悪くなさそうなので、牧はほっと胸を撫で下ろす。
のろのろとジーンズを穿いて、身支度を整えた三井を伴って部屋を出る。二人の部屋は、デッキの1フロア下の3階だ。船は、地下、1階、2階、3階、デッキの5層構造になっている。地階に美容室、1階が船の乗り込み口とロビー、2階に食堂、3階にディスコルームの他に各階に客室がある。二人は、ゆっくりと、デッキに続く螺旋階段を上り、川風が、緩やかに流れるデッキにあがった。
「あぁ、気持ちいいな・・・」
デッキに置かれたテーブルと椅子の一角に腰を落ち着ける。日差しは強めだが、風が少しあるので、そう暑くはない。
デッキでは、あちこちに置かれた椅子に腰掛けて、乗客がのんびり読書や歓談をしている。二人のいるデッキは、船尾の方で、船首の方には小さなプールがある。そこでは、数人の乗客が水に浸かったり、プールサイドのサンチェァに寝そべったりしていた。
「なんか、すっげーゼータクな気分だよな」
「そうだな、時間をこうやってのんびりと使うことは、あまりないからな」
「何にもすることがねーと、身体なまっちまいそうだけど・・・」
「日本に帰ったら、きっと目が回るほど忙しいさ」
「そーかもな」
何もするでなく、ただ、のんびりと、時間を贅沢に使って、その日の午後は終わった。船は、夕刻にエスナという町の手前にあるドック式の水門を通り抜けてエスナの船着き場に着いた。今夜はここで停泊し、明日の夜明け前にエドフの町に向けて出発するらしい。夕食の後、船長主催のカクテルパーティーがあった。といっても、大げさなことはなく、カクテルを飲みながら、船長が、船の紹介とスタッフの紹介をする程度の短い催しだった。
牧も三井も、少しおしゃれをして参加する。未成年だが、きれいな色のカクテルをこっそり頂戴する。
パーティが終わり、部屋に戻る。三井が疲れているようなので、さっさとシャワーを浴びさせて寝かしつけた。
牧も、今日はそれ以上三井に何もする気にならず、目覚ましをセットして眠ることにする。
4泊目の夜は、こうして何もなく過ぎていった。