8.ルクソール東岸
<ルクソール・カルナック大神殿大列柱室>
部屋に電話のベルが鳴る。真っ暗な部屋の中で、牧は、腕を伸ばして受話器を取る。モーニングコールだ。ベッドサイドの明かりをつけようとして、腕の中に三井がいるのに気がついた。牧が動いたので、それによってどうやら目が醒めつつあるようだ。ぼんやりとしたベッドサイドの明かりの中で、うっすら目を開いて焦点の定まらない表情の三井に、牧は一気に目が覚めてしまった。いきなり、三井にキスを仕掛ける。
三井も徐々に目が覚めてきて、昨日の朝のように抵抗し始める。そこでやっと牧は三井を離してやる。
「おはよう三井」
「う・・・な、なんで毎朝、そんな起こし方すんだ?」
「いやぁ、あんまり三井が旨そうでつい・・・」
「なっ・・・!」
三井が、牧の腕から飛び起きる。
「三井、スーツケースも出さなきゃならないんだから、早く支度した方がいいぞ」
牧が、先に洗面台を使うよう三井に促す。もたもたしてると、スーツケースを忘れ去られてしまう。それでなくても、二人の部屋はツアーの一行とは遠く棟が離れているのだから。三井が洗顔を始めたので、牧は、自分の荷物を片づけ始める。それほど、荷物を出していないので、後は洗顔具を入れるだけだ。三井と入れ替わりにバスルームにはいる。
三井も、着ていたパジャマと、洗顔具を、スーツケースに押し込んでロックする。このホテルとも後少しでお別れだ。ベランダに行くドアを開けて、夜の世界に足を運ぶ。昨日見えていたクフ王のピラミッドも、まだ暗くて見えない。中庭に立てられた明かりだけが、闇の中に浮き上がっている。少し、肌寒く、三井は両腕で、自分の身体を抱きしめる。
「三井?」
牧が、三井を追ってベランダに出てきた。
「どうしたんだ?」
「ん?もうすぐ、このホテルともお別れだなって思うと、何となく寂しくってさ・・・ちょっとよく見とこうかなって思ったんだけど・・・真っ暗で何も見えねぇんだ・・・」
牧が、三井の肩に手を回して、はっと気がつく。三井の身体が、冷え切っている。
「三井・・・身体冷え切ってるぞ。中に入ろう・・・」
三井を促すと、大人しくついてくる。ドアを閉めて、牧が三井を抱きしめた。
「こんなになるまで、薄着で・・・風邪でもひいたらどうするんだ・・・」
「あ、あぁ、すまねぇ・・・」
牧の腕の中が暖かくて気持ちいい。牧の方を見て、そっと目を瞑る。牧が、肩越しにキスをしてくる。三井が、それに答えて、身体を牧に向き直す。お互いに抱き合って、深くキスをし始めた時、まだ少し理性が残っていた牧が、はっと気がついた。
『スーツケース!』
名残惜しげに、牧は三井から唇を離し、もう一度軽く三井の額にキスをする。
「さぁ、三井準備はいいか?スーツケースを出さなきゃ・・・」
「お、おう・・・そうだな」
二人は、スーツケースを、部屋の外に出して、一息つく。一応5分前だ。間に合って良かったと、牧は胸を撫で下ろした。
「さて、三井。食事に行くか?」
「あぁ、そうだな。今日はプールサイドじゃないんだったよな」
「そうだ。確か、ついた日に夕食を食べたところだ」
「じゃ、行こうぜ、確か結構時間かかったもんな」
珍しく、三井が、さっさと行動するので、牧もそれに従うことにする。
「もう、この部屋に戻ることはないと思うが、いいか?」
「おう、バッグも持ったぞ。忘れもんねぇか、チェックしとこうか?」
一応、忘れ物がないようにチェックを済まし、ベッドメイク代を置いて部屋を出る。食堂に向かってぶらぶらと歩く。朝食は、前日と似通った、ビュッフェの内容だ。オムレツを作ってもらう列にさっさと並ぶ。あれこれと、取り分けてきて早速食べ始める。
「なんか、あんまり外国って感じしねーよな、このメニュー」
「そういえば、日本の朝食バイキングのようだな」
「ま、こっちの方が、量も種類も多めだけどな」
「あぁ」
しっかり食べて、食後にコーヒーを飲んで、一息つく。集合時間まで、そんなに余裕はない。
「さてと、そろそろ行くか?チェックアウトも、しなくてはならないし・・・」
中庭を通って本館のフロントに行く。チェックアウトを済ませる頃には、ほぼ集合時間だった。
バスに乗り込み、カイロ空港に向かう。6時15分のルクソール行きに乗らねばならない。空港に着いた頃、外はようやく明るくなってきた。X線で手荷物チェックを受け、飛行機までは、到着したときの様にバスに揺られてゆく。タラップを昇って、機内にはいる。ルクソールまでは、一時間ほどだ。少し、機内が寒いので、軽食のコーヒーが救いだ。
ルクソールは、古代エジプトの中期に栄えた、テーベの都があった場所だ。ナイル川を挟んで、東岸地区が、神殿をはじめとする、人々の生活の場所であった。西岸地区は、ネクロポリスで、有名な王家の谷を始め、葬祭殿や女王の谷などの、墳墓群が点在する。
ツアーは、ここで二泊する事になっている。といっても、宿は、ホテルではなく、ナイル川に停泊しているクルーズ船だ。この二泊と、ナイル川を遡って、アスワンまで二泊の四泊五日を、ナイル川クルーズ船で過ごすことになっている。
ルクソールに到着し、東岸の市街地まではバスで約10KMほどの道のりだ。
ツアーのバスは、まず、カルナック神殿群に向かう。カルナック神殿にはアメン神を祭った数多くの神殿が、群立している。アメン神は、古代エジプトの王都テーベの地神で、目には見えない風の力を司る。レリーフやパピルスには、アメン神は、牡羊の姿で表されるため、牡羊が聖獣として扱われている。
バスを降りて、神殿の入り口に近づくと、かなりの数のスフィンクスが門の前まで並んでいる。これ等のスフィンクスは、人の顔ではなく牡羊の頭をしている。しかし、完全に姿を保っているものは少ない。かなり、意図的に頭部を破壊されている。エジプトでは古いタイプのキリスト教の宗派が伝わり、コプト教として今日に至っている。偶像崇拝を禁じた、ギリシャ正教タイプの宗派だったため、古代エジプトの遺跡群の神像が、攻撃目標になったようだ。かなりの遺跡の彫像やレリーフの頭部が、破損しているのだ。(また、イスラム教も偶像崇拝を禁じているので、同じくターゲットになったようだ)
「あ、あそこの羊が壊れてないぞ」
後で、写真を撮ろうと三井がチェックを入れる。
ガイドにつれられて、神殿の中に入っていく。何重かの大きな塔門の中に、中王国時代からプトレマイオス朝時代まで、いろいろな時代の王が神殿を建てている。少し中に行ったところに、中庭というような広場があった。その中央の通路沿いに、一体だけ、小さなスフィンクスがある。財宝発見で、一躍有名になったツタンカーメン王の寄進したスフィンクスだ。
「何だか小さいな」
「ツタンカーメンってそんなに強い王様じゃねーんだぁ」
ほぼ等身大の、スフィンクスと記念写真を撮る。大きなスフィンクスを見慣れた目には、これはとても小さく映る。記念写真の2ショットには、手頃な大きさではあるのだが・・・。ツタンカーメン王は、在位期間が短かかったため、神殿の寄進もできず、かろうじてこのスフィンクスだけが王の足跡を残している。
周りには、ラムセス2世の巨像や、パネジェムの巨像と呼ばれる像など、大型の彫像が立っている。その間を抜けて行くと、大列柱室と呼ばれる一角に入る。今では、天井はなくなっているが、大きな柱が林のように立っている。柱にはレリーフが施され、彩色の跡も残っている。柱自体はセティ2世が立て、レリーフと彩色はラムセス2世が行ったらしい。柱には、ラムセス2世の名前を刻んだ、カルトゥーシュと呼ばれる絵文字があちこちに見られる。ラムセス2世は、彼自身が建立しなかった遺跡にも自分の名を刻み、今日の歴史学者の頭痛の種になっている王である。
「ほんとうに自己顕示欲が強かったんだな・・・」
「ボーソー族がスプレーで名前書いてんのとかわんねーよな」
そこまで言うのはちょっと・・・と、牧が言い返そうとしたとき、ガイドに腕を捕まれた。柱の太さを実感するために、腕を繋いで輪になってみようというのだ。三井もついてくる。柱の周りを、人の輪で計ってみる。牧たちのツアーは、10人必要だった。隣で、白人のツアー団体が、同じようにしている。彼らは、八人でいけたようだ。体格の差と言ってしまえばそれだけだが、それはそれで何となく悔しい。
列柱室は、映画の「ナイル殺人事件」でロケが行われたところだという。だが、二人ともどのシーンで使われたかよく覚えていなかった。日本に帰ったら、早速ビデオを借りてみようと話し合う。
列柱室をでて、いくつかの神殿やオベリスクを見て歩いた後、最奥にある池のところで解散になる。20分後に入り口で集合ということになった。
牧と三井は、来る途中で、辺りをつけていたポイントで、写真を撮りながら戻ることにする。池のたもとに、スカラベ(ふんころがし)の像があり、この周りを何度か回れば、恋愛のおまじないになるということだった。ツアーの女性たちが、ぐるぐる回っている。
「三井は回らないのか?」
「えっ?な、何でまわんなきゃなんねーんだよ。今更えんむすびはいらねーよ」
「そうか?」
「何がいーてーんだよっ!」
牧がいるからいいと言わせたいんだと思った三井は、さっさとその場を離れた。次の撮影スポットに向かう。
滅多に自分の気持ちを言おうとしない三井に、少しでもそれらしいことを、言わせてみようとした牧の野望は、かなわなかった。
「だが、まぁ、恋愛祈願が必要ないって事は、そういうことでいいのかな」
一人、何だか解らない納得をして、牧も三井の後を追う。
この神殿に限らず、エジプトの遺跡は、ほとんど柵がなく、触ることができてしまう。本当は、保存のためには良くないんだろうが、触れて感じる体験というのも、なかなか捨てがたい魅力だったりする。牧もそっと壁面のレリーフに触れてみる。壁面から完全に浮き上がっている形式のレリーフは、クレオパトラ等で有名なプトレマイオス朝の頃ものだとガイドが言っていたのを思い出す。それより古い時期のレリーフは、壁面より窪んでいるのですぐ解る。
「牧ーっ、おせーぞーっ。ヒツジとも写真とるんだから、時間ないぞっ!」
三井が、急かして来るので、牧は、レリーフから離れた。大列柱室やオベリスク、ツタンカーメンのスフィンクス、ずらっと並んだ牡羊頭のスフィンクスとも一緒に写真を撮りながらぶらぶら戻ると、ちょうど集合時間だった。
バスに乗り込んで、次のルクソール神殿に向かう。ここも、カルナック神殿と同じで、大きな像やオベリスク、列柱が立っている。ここにあった対のオベリスクのうち一つを、ムハマンド・アリ朝の国王が、フランスに贈った。コンコルド広場のものがそうだ。
先ほどの神殿が大きかったので、こちらのものは、全体に小造りに感じる。同じようにあちらこちらを、写真にとって、見学を終えた。
これから、再びバスに乗って、金細工の店に立ち寄るという事だった。
エジプト土産に、カルトゥーシュのペンダントトップがある。たいていは、金製品なので、かなり高めだが、古代エジプトの象形文字で自分の名前を彫ってくれるのだ。やはり、記念になるとみんな買っている。三井も牧も、せっかく来たことだしと、自分の名前を刻んでもらう事にした。申込用紙に、自分の名前をアルファベットで書く。代金を払うと、後で、船に届けてくれるらしい。
これで、午前の見学が全て終わり、バスは、船着き場へと向かう。四日間泊まるクルーズ船にチェックインするのだ。
船は、ソネスタ号というらしい。少し小さめの船のようだった。タラップから船に乗り込み、そのままデッキに行く。ウエルカムドリンクサービスと言うことで、ジュース類が振る舞われる。その後部屋に入り、昼食まで時間をつぶす。
「はぁーっ、やっとついたぁ」
「今日も朝から、動きっぱなしだからなぁ」
「腹へったぁ・・・」
「あと少しで昼食だ」
「そうだ!牧ここで写真とっとこうぜ。スーツケース広げたらきっとごたごたしちまうから、きれいなうちに写真とろう!」
三井は、さっさと窓際のソファに腰掛ける。二人の泊まる部屋は船の四階の右舷の方向で、窓からルクソールの西岸の岩壁が見える。ちょうど、川を行くクルーズ船が視界に入ったので、船とナイル川と対岸をバックに記念写真を撮る。船が見えるうちに急いで牧と交代して、同じ様に写真を撮る。
「さてと、荷物広げっかな・・・」
三井がスーツケースに手をかけたのを見て、牧が声をかける。
「あとでいいんじゃないか?またすぐにでて行くんだから」
「えっ、あ、そうか、飯食ったら、市場に行くんだっけ?」
「希望者だけだから、別に残っていてもいいんだぞ」
「行くよ!値切るんだろ?俺もやってみる」
「何買うんだ?三井は」
「あのよ、こっちの人が着てるズドーンとした服が欲しいんだ」
「あぁ、ガラベーヤという民族衣装か?」
「おう、何か、結構涼しそうだしよ。パジャマにもなりそーじゃん?」
「確かに、涼しそうだったな。そうだな、俺も買おうかな」
「それなら、一緒に値切ろうぜっ!一枚より二枚の方が値切りやすいだろ」
「あぁ、そうしよう」
牧は、密かにペアルックができると考えた。二人が、民族衣装を着た姿を想像して、そんな姿で、マンションの中をうろうろするところまでビジュアル化して、その怪しさに一瞬焦ってしまう。
「なぁ、牧、飯そろそろじゃねぇ?」
「あぁ、そろそろ行くか?」
食事をすべく二人は、階下の食堂まで降りていった。
昼食は、ビュフェ形式なので、好きなものを好きなだけとれる。満腹になって、部屋に戻る。一五時半から市場に出かけるまで、少し休憩だ。
「ふぁ〜っ、腹いっぱいになって、眠くなっちまった。」
「今朝は三時起きだからな。目覚ましかけておくから、少し休むか」
そういって、目覚まし時計をセットすると、ベッドの上に寝転がった。せっかくの三井との二人きりタイムだが、どうしても睡魔に勝てそうにない。船は四泊ある。焦らないでもいいかと、眠気で朦朧とした頭で、牧は考えた。隣のベッドから三井の寝息が聞こえる。何時しか牧も、うとうとし始めた。
目覚ましの音に起こされる。少し眠った事で、ずいぶん身体が楽になった。
「そろそろ市場に行く時間だな」
「おう、がんばって値切ろうな!」
三井は、やる気満々のようだ。通じない言葉で、どこまで値切れるかわからないが、少しは安くなるだろう。二人は、日本から持ってきた、ボールペンを少しバッグの中に入れた。旅行の数日前に、添乗員の説明では、ボールペンをプレゼントしたら、結構値引きしてくれるということだったので、郵便局や献血会場、商店の売り出しなどでもらったノック式のものを、家からかき集めてきたのだ。
「ほんとに、こんなのでやすくなんのかなぁ」
「さぁ・・・ま、やってみるしかないな」
そんなことを話しながら、集合場所に向かう。船を下りるときに搭乗カードを渡される。無くさないように、鞄にしまう。これがないと、船に入れてもらえないらしい。
添乗員が、仕立ててくれたタクシーで、一行はルクソールのスーク(市場)に向かう。ルクソールには、古くからあるスークと、観光化されてできた新しいスークがあるらしい。彼らがやってきたのは、古いスークの方だ。現地の人たちの生活用品が、売り物の中心になっている。1時間と少しの自由時間が与えられ、一行は、それぞれ思いの場所に散って行く。
牧と三井も、ぶらぶらとスークの店をひやかして行く。
ガラベーヤの置いてある店を見つけ、二人は中に入った。交渉を始めようとすると、店の男がコーラを飲めと勧めてくれる。買う気がある場合は、それをもらってもかまわないと、添乗員やガイドが教えてくれていたので、二人は、コーラをもらって、瓶を片手に店の品物を物色し始める。
「選ぶったって、だいたい似たようなやつだよな」
「ああ、決めるのは、色くらいかな」
デザインも、多少ボタンの数などは違うが、基本的にはどれも、ほぼ同じものだった。触ってみると、割としっかりした綿の手触りで、そんなに簡単に破けるものではなさそうだ。気に入った色をそれぞれ示して、結局二人で四枚買うことにする。三井が、ブルーと白、牧が生成りと薄いグリーンを選んで、なるべく汚れていないものを探してもらう。どうも、砂漠が近いためか、道路の舗装がされていないためか、店の品物は、うっすらと汚れている。きれいなものと言って、奥の袋から出してくれても、やはり同じだ。制作過程で汚れがついてしまうのだろうか。砂土の汚れは、洗濯すればいけることなので、値段を聞いて、交渉にはいる。1枚2000円位というのでとりあえず半額くらいから交渉を始める。1ポンドずつくらいの値幅で交渉していくので、かなり時間がかかる。15分くらいでようやく1600円近くまで下がってきた。最終は1500円くらいに負けてもらおうと、ボールペンを出す。すると、あっさり1500円位(50ポンド)まで落ちた。他にも見たいし、この辺で手を打とうと、決める。商談成立だ。
買い物袋に、入れてもらって、店をあとにする。
「あー、時間かかった。何か、あんなにかかると、もうどーでも良くなっちまわねぇ?」
「そうだな、一ポンドずつの攻防も、考えて見れば、30円位の値幅でどうのこうのと、いってるんだからな」
「ま、こーいう経験もいいもんだよな」
「そうだな、こうやって、体験の結果も残るしな」
「敗北の軌跡って、やつかも」
「たぶん、地元の人よりは、高く買わされているんだろうな」
「ま、観光客だもんな」
「仕方ないな」
妙な納得をして、二人は市場をうろうろした。同じツアーの客が、何人かで、交渉している。値段が折り合わないのか、かなり激しくやり合っている。交渉決裂で、店を出たようだ。すると、店のおやじが、後を追いかけてきて、交渉が再開したようだ。
「なんだ、一回やめれば、結構値段下がるんだ・・・」
「納得できなければ、そういう手段がいいんだな、次は、この手でいってみようか」
「おう、何事も体験だよな」
「そうだな、経験値を積んで、いつかは、店のおやじに勝ってやろう」
新たな目標を胸に刻んで、二人は、市場を歩く。集合時間が近づいてきたので、市場の入り口の方に戻りはじめる。
「このぶんだと、一時間で、ガラベーヤが二枚だけが、戦果になりそうだな」
「ま、ほかに必要ないし、とりあえずはいいんじゃねぇ?」
「そうだな、まだ、三日目だからな」
「そうそう、まだ始まったばっかだぜ」
集合場所には、添乗員が、馬車をチャーターしてくれていた。何台かに分乗して、船に戻る。
「馬車もいいよな」
「あぁ、ちょっと揺れるがな」
舗装の継ぎ目や段差で、かなり揺れる。大柄な二人には、少し馬車は窮屈だった。しかし、馬の、パカパカという蹄の音と馬車の車輪のカラカラという音が、観光地という雰囲気を醸し出す。道は、ナイル川を横に見ながらの眺めのいいコースだった。
船の近くで、馬車を降りる。船は、地元のホテルの庭の一角にある、船着き場に停泊している。ツアー客と戦果の批評をしながら船に戻る。現地ガイドに、購入したガラベーヤを見せて、値段を聞いてみると、だいたい合格点だったようだ。納得して買ってはいるが、やはりそれなりに気にはなる。牧も三井も、ほっと胸を撫でおろした。
部屋に戻って、一息つく。食事のあと、再び出かける予定になっている。夜に行われる、カルナック神殿の光と音のショーを見学するのだ。
食事は、ビュフェ形式で、昼と、あまり変わらない内容の食事だ。これから、船にいる間は、三食ともこういう形式らしい。少し飽きるかもしれない。
食事の後、昼間に金細工屋で注文した、カルトゥーシュのペンダントが届いた。二人の選んだペンダントは、牧が、片面にラムセス2世の名前、もう片面にSHINICHIのエジプト象形文字の入ったもの。三井が、ツタンカーメンの名前と、HISASHIの象形文字を入れてもらったものだ。アルファベット対照表と照らし合わせて、確認する。
「同じアルファベットが多いと何となく単調だな」
「あぁ、名前だから仕方ないけど、いろんな文字の名前だったらかっこ良かったのになぁ」
ペンダントを、バッグにしまって、部屋に戻る。スーツケースから当座に使う服を、部屋のチェストの引き出しに入れる。何となく長期滞在という感じがでてくる。あれこれと、荷物を整理して、再びスーツケースを閉じ、隅に立てる。
懐中電灯を持って、長袖のシャツを着て、集合場所に向かう。音と光のショーは、今日午前中に見た、カルナック大神殿で、行われる。バスに乗って、神殿に向かう。
牡羊頭のスフィンクスが、並ぶ神殿の入り口は、夜の闇の中で、少しのスポット照明を受けて、荘厳な雰囲気を見せている。
時間になって、大きな音で音楽が鳴り響く。日本語の語りが流れてくる。ショーは、門から、少しずつ中に進んでいき、そこここにある神殿を造った、王たちのつぶやきによって、神殿と、エジプトの歴史をかいつまんでみせるといった趣向になっていた。次々とスポットライトに照らされて行く像や柱の中を進んで、最後には奥の聖なる池のほとりにある観客席に腰を下ろす。池の向こうに浮かび上がる、神殿の建物が、色のライトの中に浮かび上がって、とてもきれいだ。
「日本だったら、ぜってー花火あがるよな」
「たしかにそんな感じだな」
牧は、座った席が最後列で、その上観客席が暗いのをいいことに、三井の膝にそっと手を伸ばす。三井が、ビクッと驚いたような反応をした。指で、そっと三井の膝から太股をなぞる。
「ま、牧!何やってんだよっ?」
三井が、周りの人に気づかれないように、ひそひそと話す。手は、牧の手を押し戻そうとしている。
「つれないな、三井は」
「ば、馬鹿ヤローっ、時と場所を考えやがれっ!」
きっと、ここが、観客席でこれほど多くのギャラリーがいなければ、三井は、キレてしまっていただろう。なけなしの理性で、かろうじて踏みとどまった三井を、牧がさらに挑発する。
「じゃぁ、どこでならいいんだ?」
「!」
三井は絶句した。どこと断言したら、きっと、牧はその場でやりたい放題になるに決まっている。恨みがましい目で、三井は、牧を見た。暗くて、三井の表情が解らないのが、残念だと牧は思った。きっと、目元を潤ませて、赤い顔で牧をにらんでいるに違いない。そんなことを、明るいところですれば逆効果になるのに、いつも、三井は、無意識にそれをやってしまうのだ。
そんなことを考えていると、三井がいきなりくしゃみをした。そういえば、少し冷えてきたようだ。
「大丈夫か?俺のジャケットを着るか?」
「あ、いや、もう終わるだろうからいいよ。それ借りたら、牧は半袖だろ」
だからいいと、三井が答えたので、牧は、三井を抱き寄せて、耳元に囁いた。
「じゃあ、こうしてやるよ、これなら、少しは暖かいだろ?」
「お、おい!」
「大丈夫、誰も見てないって」
牧の腕の中は、確かに暖かく、それを拒むには、寒すぎた。三井は、渋々、牧の腕の中で、力を抜いた。牧は、三井の身体が冷え切っていたのに、驚いて眉を寄せる。暖かいこの国で夜がこんなに冷えるとは思わなかった。三井も、長袖のシャツを羽織っているのだが、あまり効果はなかったようだ。牧は、なるべくジャケットで覆って、三井に暖をとらせる。
そうこうする内に、ショーが終わり、人々が、立ち上がる。三井も、慌てて牧の腕から逃げ出した。
暗い神殿の通路を、皆、持参の懐中電灯片手に、だらだらと入り口に戻って行く。途中、次のショーを横目で見る。今度は、英語だろうか?日本語の他、英語、ドイツ語、フランス語などで、このショーは行われるらしい。
集合場所に戻り、バスに乗って、船に帰る。バスの中で明日の予定を聞く。明日は、ルクソールの西岸観光だ。朝は、モーニングコールが6時半、朝食が7時、出発が7時半だ。あまり、時間に余裕がない。牧は、予定をメモしながら、6時頃に目覚ましをセットしようと決心する。横でしきりに、三井が鼻をグスグスいわせているのが気になる
「どうした?三井」
「え?いや、ちょっと冷えたみたいで」
「風邪引くと厄介だぞ、暖かくして早く休んだ方がいい」
「うん・・・」
船に戻って、部屋に帰る。牧は、三井に、先にシャワーを使わせた。身体を濡らすことが心配だが、砂埃の中で一日いたことできっとシャワーを浴びねば気持ち悪いだろうと思い、お湯で少しでも暖まる方を採った。
三井が、バスルームにはいる。昨日までの広い浴室とは違い、さすがに船の中で、必要最低限の広さしかない。バスタブにはいって、とりあえずシャワーを浴びようと蛇口の辺りを見る。シャワーは、天井に据え付けで、蛇口のコックを引っ張ると良いようだ。頭から水が落ちてくることになるので、身体を離して、一気に被らないように気をつけて、温度を調節して引っ張る。
「あれ?」
栓が、引っ張れないのだ。かなり固い。
「く、くっそー」
三井は、両手で力を込めて栓を引いた。
「うわっ!」
途端に頭から、水を被ってしまった。せっかく身体を離していたのに、ムキになって栓を引くときに、近づいてしまったのだ。
「つめてーっ!」
シャワーからなかなか湯がでない。ようやく、暖かくなってきて、湯を頭から被りながら、身体を洗う。かなり身体が冷えてしまったので、なかなか暖まらない。その上、お湯の温度がだんだん下がってくる。一度に湯を使うと船のボイラーは、どうやらついてゆけないらしい。たまたま、三井の入った時間に、他の乗客の入浴時間が集中したようだ。
あきらめて、三井はさっさと身体を洗って、バスルームを出た。
「どうした?顔が青いぞ三井?」
牧が、暖まった様子のない三井を見て驚く。
「んー、ちょっと湯がぬるかっただけだ。どってことねーよ。早くお前も入ってこいよ」
「あ、あぁ・・・」
三井を心配げに見ながら、とりあえず牧もシャワーを使うことにした。
牧がシャワーにはいっている間に、三井は、ベッドに潜り込んだ。やはり少し寒気がする。風邪の引きかけのような、嫌な予感がする。
「こんな所で風邪引いちゃいられねーよな」
シーツと、薄い毛布を頭まで被って暖をとる。
牧は、ぬるめの湯でシャワーを浴びて、バスルームから出ると、毛布の中で丸まっている三井を見つけて慌てた。予備の毛布が、1枚クローゼットにあったので、それを取り出して、三井にかけてやる。
「三井、大丈夫か?」
「え、あぁ、ちぃっと寒いだけだ」
牧は、目覚ましをセットして、自分のベッドの毛布を剥がし、それを三井にかける。
「ま、牧?」
驚く三井のベッドに入って、三井を抱きしめる。
「少しは、暖かいだろう?」
「牧・・・」
確かに人肌は暖かく、三井も、その誘惑に勝てず、普段なら飛び起きるところを、牧の腕の中で少し身じろぎするだけだ。
「お休み、三井」
牧は、三井の額に軽くキスをして、部屋の明かりを落とした。
「お、おぅ、おやすみ」
三井も、緊張を解いて、牧の腕の中で寝心地の良い場所を探すと、疲れが出たのかすぐに眠気に負けたようだ。
腕の中の三井が重くなったことで、眠ったことを知った牧は、今日もお預けかと、深い溜息をついた。
『いつまで自制心が、保つかな・・・』
三井の寝息を聴きながら、腕に三井を抱いて寝る苦行は、今日で2日目だ。自分が人でなしの狼男になるのも、時間の問題かもしれない。なるべくなら、三井の意向も汲んで、合意の上で事を運びたいとは思うが、お預け状態がこのまま続くようでは、三井を泣かせてしまうかもしれない。
『そうならない内に、頼むよ、三井』
もう一度、三井の額にキスして、牧も、目を閉じた。明日は、中盤のハイライト王家の谷だ。ガイドブックを思い出して、ツタンカーメンの墓をみれると良いがなと、考えている内に眠気がやってきた。
長い3日目も、ようやく終わりそうだ。