6.メンフィス・サッカラ
電話が鳴っている。
「・・・はい・・・・」
牧が、眠りから無理矢理引き出されて、不機嫌そうに返事を返す。
「グッドモーニン、イッツ、ア、モーニング・コール」
モーニング・コールだった。テープが繰り返して流れている。
受話器を置いて、時計を見る。朝の7時半だった。今朝の集合は9時5分前だ。
「三井、起きろ。・・・三井・・・」
起きあがって、隣のベッドの三井を起こす。三井は、あまり、寝起きが良くない。さすがに、二歳下の三年寝太郎ほどではないが、うっすら開いた目は、何を見ているのか、焦点が定まっていない。
「三井、解ってるか?」
「んーっ・・・・」
反応が相変わらず鈍い。牧は、三井のベッドに片膝を付き、三井に手を伸ばす。三井の顎を固定して、いきなりキスをした。しかも、少し朝には向かない、ディープなキスを・・・。朦朧とした三井の様子にクるものがあったのと、やはり昨夜のお預けが、きいていたのかもしれない。
「・・・・・?・・んっ?・・・っ!・・・!」
三井が、ようやく現状に気がついたらしい。少しづつ抵抗を見せ始める。牧の腕や胸を、抗議するように叩きだす。見開いた目に、涙がたまるのを見て、ようやく牧は、三井から離れる。
「おはよう三井・・・」
三井の頬を、涙が、ぽろりとこぼれたのに、牧は、もう一度三井に襲いかかりそうになるのを、ぐっと耐えて、三井に声をかける。
「・・・まき・・・」
三井は、抗議の眼差しで牧を見つめる。
「目が覚めたろう?集合まで後1時間と少ししか無いぞ。早く出かける用意をしろ」
自分もパジャマを脱ぎ、さっさと着替え始める。動こうとしない三井を見て、再び声をかける。
「なんなら、俺がパジャマを脱がしてやろうか?」
「!・・・い、いや、・・・じ、自分でできるっ!」
三井が慌てて、身を起こす。その様子を見て、牧は、洗顔をしにバスルームに行く。
三井は、着替えを始めながら、夢の中からいきなり浮上させられたキスを思い出して、頬を赤くしながらもぶつぶつと、牧に毒づく。
「ったく・・・。揺すってくれりゃぁ、ちゃんと起きんのによぉ・・・」
何で、いきなりキスなんか・・・と、考えて、はっと気がつく。夕べは、牧を待っていてそのまま眠ってしまったようだ。お預け状態だった、牧は、さぞかし頭にきていることだろう。
自分でも、もし、ベッドインする気で入ったホテルで、相手の女にくーかー寝られたりすれば、頭にきて、彼女を追い出してしまうかもしれない。後ろめたい気持ちになって、三井は、バスルームの方を見る。今夜は、拒めないなと、諦めの溜息をつく。
「三井、開いたぞ」
牧が、バスルームから出てきた。
「お、おう・・・」
牧の顔を、まともに見づらくて、視線を逸らしたまま、バスルームに駆け込む。
「?」
牧は、そんなに、トイレを我慢してたのかと、一瞬思ったが、三井が、視線を合わせなかったことに気づいた。さっきのキスで、まだむくれているのかと思い、これで今日も、三井を抱くことはお預けかなと、違う意味の溜息をついた。
三井が、顔を洗って、出てくる。
「食事にいくだろう?」
「え?あ、あぁ・・・」
そそくさと出かける身支度をして、スーツケースに鍵をかけ、朝食に向かう。
朝食は、ホテルのプールサイドにある、テラスでとることになっている。ピラミッドの見える中庭の横にあるプールサイドで、さわやかな朝の風の中朝食をとるのも、なかなかおつなものだ。ビュッフェ形式で、好きなものを好きなだけとる。オムレツをその場で、好きな具を入れて作ってくれるのが嬉しいが、先ほどの一件でお互いに気まずい思いをしながら、黙々と朝食をとるので、残念ながら、味がよくわからない。食事は、やはり味もさることながら、テーブルの雰囲気と、一緒に食べる人とのコミニュケーションが大切だ。
食事を終えて、一旦部屋に戻る。
互いに、あまり口を訊かず、沈黙が重い。三井が、これでは一日我慢できないと、不本意ながら折れることにした。
「・・・そ、その・・・悪かった・・な」
「え?」
「いや、その・・・昨晩・・・先に寝ちまって・・・怒ってんだろ?」
三井が、真っ赤になって俯く。
「・・・なんだ、そのことを気にしてたのか・・。俺はてっきり、朝のことを怒ってるんだとばかり・・・」
牧が、三井の側により、そっと肩を抱く。三井は、首筋まで赤くしている。三井の顎を優しくとって上を向かせる。目元にうっすら赤みが差しているのを見て、そっと口づける。頬に、目尻に、額に軽くキスの雨を降らす。唇に軽く触れ、目を瞑った三井を見て、深く口づける。
「・・・ん・・・っ」
三井が牧のTシャツを、きゅっと掴む。牧はこのまま押し倒したい衝動に駆られて、はっと気がつく。
『集合時間!』
三井をそっと離して、時計を見る。集合まで後5分しかない。
「残念だが、今はここまでだな。集合時間だよ。三井」
キスの余韻にぼうっとしている三井の額に軽くキスをし、肩を叩いて部屋を出るよう促す。
「・・・ん」
やけに大人しく、三井が、それに従う。
『何でこんな時にだけ素直になるんだ』と、牧は思ったが、今夜に思いを馳せながらも、三井をせき立てて、部屋を後にする。
三井と牧の部屋は、同じツアーの中で一つだけ離れたところに配置されている。集合場所に向かうために通る中庭に出るためには、隣の棟まで移動しなくてはならない。かなり時間がかかるのだ。三井を急かしながら、集合場所の正面玄関に向かう。
やや遅刻ぎみでバスに乗り込み、2日目の観光が始まった。
ギザから、さらに、ナイル川に沿って南下すると右手(西側)に、形の崩れたピラミッドが見える。川の西側は古代エジプトではネクロポリス(死者の都)とされ、墓が作られた。ギザや、今見えるアブシールのピラミッド群や、今日観光するサッカラの墳墓群も、その一つだ。
バスは、古くは、第1王朝時代から、都の置かれた都市、メンフィスに着いた。
現在のメンフィスは普通の小さな地方都市で、遺跡もほとんど発掘されていない。かろうじて、新王国一九王朝(紀元前13世紀頃)の神殿跡が、残っているだけだ。バスを降りてメンフィス博物館というゲートの中に入る。神殿跡が、史跡公園のようになっている。その中に小さめの体育館のような建物があり、入ってみると、大きなラムセス二世の石灰岩製の像が横たえられていた。原型は15Mあったようだが、この像は、足の部分が、破損していて、12Mしかないが、写真に撮ろうとすると大きすぎて、全部入れる事は至難の業だ。二階から、何とか収まるように枠に入れながら、一階の像の横に立ってその大きさの対比が、よくわかるように写真を撮る。
「いやー、でっけーよなぁ。自分のこんなでっけー像を作るって、どーいう気持ちなんだろうな」
「このラムセス二世という王は、あちこちにこんな巨像を建てたらしいぞ。結構自己顕示欲の強い王様だったらしい」
「何か、もったいねーよな、それって。もっと役に立つことに使やぁいいのに」
「この王の時代には、もうピラミッドは造られていないから、案外それが国家事業だったのかもな」
「それにしてもよぉ・・・俺なら自分の顔したこーんなでっけー像があっちこっちにぼんぼん立ってたら、恥ずかしくって、外歩けねーよ」
「ま、王様だからな、ちょっと感覚が違うんだろう」
建物を出ると、神殿跡の遺構や壊れた像等が点在している。アラバスター(雪花石膏)のハトシェプスト女王の顔をしたスフィンクスがあり、それと記念写真を撮る。少しの間、フリータイムがあり、露店を冷やかしていると、三井が店のおやじに裏へ連れて行かれた。なにやら、屋台の裏の扉の向こうから、古そうなスフィンクスや、アヌビス神(山犬の姿をした神。死者の魂の裁判の時に、魂の重さを量る役を司る)の置物を出してくる。どうやら、遺跡あたりで、こっそり掘り出されたものだと言っているらしい。偽物かもしれないが、見た目が、妙な顔をしていて面白かったので、買ってみる。新聞紙に包まれたそれは、どうも胡散臭い土産となってしまった。集合の時間がきたので、慌ててバスに戻る。
「うーん、怪しい土産だな」
「いいじゃん。いかにも外国ってかんじでよ。偽物でも別に鑑定する訳じゃねーし、ホンの土産物なんだから」
「あぁ。ただ、時間があればもっと値切れたのにな。ちょっと残念だよ」
「お前、値切ることに生き甲斐感じてんじゃねぇ?」
「いや、そういうわけでもないんだが、パンフレットなんかで値段交渉の事を読むとな、言い値では買いたくないと思ってしまうんだよ」
「今度、フリータイムに全力で値切ってみようぜ」
「あぁ、そうだな」
二人は、次の勝負に闘志を燃やした。実際に、価格は、交渉次第でかなり変貌する。値引率も、カイロの方よりは、南に下がるほどあがってくるため、最初にカイロであまり高いものを買わないで、交渉の修行を積んだ方がいいかもしれない。
バスは、メンフィスの都のネクロポリスであるサッカラに向かう。ここには、最古のピラミッドと言われる、ジェセル王の階段ピラミッドがある。このピラミッド以前は、王の墳墓の形は、貴族たちの墓と同じ台形のもので、マスタバ墳と呼ばれるものであったが、これ以降数世代の間、ピラミッドが建築されるようになった。
階段ピラミッドは、前日見たギザのものと比べて、まず積み上げられた石の大きさが違った。こちらの方が、平べったく小さい。ピラミッドは、その周辺の神殿とそれを取り巻く回廊などが復元されている。ピラミッドコンプレクッス(ピラミッドの付属施設や、それらの配置)が、はっきりと見て取れる。基本的に、ピラミッドは、ナイルの河畔にあり、船で王の遺体を彼岸であるネクロポリスに運び、神殿でミイラにし、その王の亡骸を参道を通って葬祭殿に運んで葬儀を行う。そして、その後ピラミッドに葬られる。それらの設備が、全てのピラミッドに付属されていたと考えられているが、現存するものは多くない。この、サッカラのピラミッドも現在発掘と復元を行っている途中だ。
紀元前27世紀頃という、感覚的によくわからない大昔に作られたピラミッドの前に立ち、昔の人の力を見せられた感じがする。ギザの時もそうだったが、やはり人の力は偉大だと牧が感心していると、横で三井がしゃがみ込んでいる。
「どうした?三井」
気分が悪いのかと、一瞬焦るが、どうやら足下の砂を集めているらしい。カメラのフイルムケースに細かそうな砂を入れている。
「土産だよ。こーいうのも結構めずらしーだろ。行ってきたって記念にもなるし。甲子園みてーだけどよ」
そんな砂をほしがる相手がいるだろうかとは思ったが、自分の旅の思い出という事では、いい土産かもしれない。牧も、同じようにフイルムケースに砂を詰めた。ここの砂は、細かい砂の中に小さな石の粒が混じっている。全体に白っぽい砂だった。
砂を拾った後、ピラミッドの周囲を回る。崩れたピラミッドや、貴族のマスタバ墳が点在している。そして、墳墓の西には、砂漠が広がっている。この日は、天候がよく、北のギザのピラミッドや、南のダハシュールのスネフル王の最古の真性ピラミッドや、屈折ピラミッドが、肉眼で見ることができる。砂漠や、遠くのピラミッドも一応写真に押さえる。ツアーの一行は、ガイドの案内でイドゥト王女の墓に入る。王女は、紀元前24世紀頃のウナス王の娘で、階段ピラミッドの南側に墓がある。墓は、半地下になっており、壁面には、当時の人々の暮らしの様子が所狭しと描かれている。白い石材の壁に、狩猟や、農耕の様子を描いたレリーフが施され、それに赤を基調にした色で彩色してある。
「こんなのが、五千年も残ってるなんて、すごいよな」
狭い玄室内でいろんな国の観光客に揉まれながら、そっと、壁にふれてみる。ひんやりとした手触りに、三井は、外の崩れた外観とこの中のギャップを思い、よくまぁ、無事に残ったもんだと感心する。
墓から出て、バスに戻る。今日は、この後、カーペット屋に寄るらしい。
サッカラからナイル川に沿って、来た道を遡る。途中に、ツアー会社と提携している、カーペットスクールに立ち寄る。ここでは、絨毯の作り方を日本語で説明してくれる。スクールと言うだけあって、織り子はみんな子供だ。小学生くらいの子供が、カーペット制作技術を習得するために通っているらしい。縦糸の張られた編み機の前で、子供たちがデモンストレーションを行う。縦糸に、毛や絹、綿などの色糸を手作業で絡ませるのだ。1列色糸を絡ませて、横糸をかける。色糸の絡ませ方が、とても早く、見ていた一同は、驚きの声を上げる。何人かが、勧められて、チャレンジしているが、かなり手間取っていた。
織り場の上のフロアは、カーペットの販売場になっている。日本で買うよりは遥かに安価だが、それなりの値段はする。特に、絹のカーペットは、糸が細いため、柄も細かく美しいが、値がかなり張る。
三井と牧は、春から二人で住むマンションの床に敷きたいと物色したが、絹のものを一番最初に見てしまったためか、綿や毛のものの柄が、どうしても大味に見えて選ぶ気になれない。結局、予算の関係で、絹の小さなものを買うことにした。もちろんできる限りの値段交渉は行うが、それほど安くはならないようだ。二人の手にしたものは、イスラムの礼拝の時に使う敷布の簡易用のものだ。玄関に敷くにも少し小さいが、三井は、テーブルセンターにできると言い張っている。
周りを見ると、たいていのツアー客が、なにがしかのものを買っている。これもそれなりの地元貢献なのかもしれない。
7.ピラミッド、再び
バスに戻って、ギザへと戻る。時間は、午後に変わろうとしていた。昼食は、ホテルの近くにある、シーフードレストランだ。カイロや、ギザからは、海のある場所まで約2時間くらいだ。この辺りまでは割と海のものが口に入る。海のものに係わらず、川魚もよく食べるらしい。さすがにナイルという大河のほとりの都市である。昼食は、白身魚のフライと海老、イカリングのフライと、つけ合わせにサフランライスや野菜などが、添えられている。ここでも、テーブルにナンが積まれている。店に入ったところに大きな釜があって、そこで、おばさんたちがナンを焼いていたのを思い出す。それがここに出てきたのだろう。
思い思いの飲み物をオーダーして食事をする。エジプトに限らず、イスラム圏では、飲酒は禁止されていて、外食の場所にも酒はない。ただ、観光客のために大きなレストランやホテルには、置いてはあるが、種類はあまりない。そのかわり、ソフトドリンクには、珍しいものもある。カルカデと呼ばれる、ハイビスカスティーを砂糖、蜂蜜で煮立てたものにレモン汁をかけて、冷やしたものや、豆のジュースなどがそうだ。
ただし、日本人は、冷やすために使う氷が問題で、生水を使ったものは、口にしない方が無難である。添乗員が、ミネラルウォーターで作ったものの確認をとり、勧めてくれる。三井も牧も、レモンジュースをオーダーした。口の中がさっぱりするが、かなり甘い。エジプト人は、かなり甘いものが好きらしい。暑い国だからだと言う説明は、納得できるようでできない。
食後に、プリンのようなものがデザートで出た。ようなもの、というのは、日本人の感覚からすれば、はっきり言って、見かけが、子供が初めて作った失敗したプリンといったものだったからだ。表面はスが入っていて、その上、今日たくさん見た崩れたピラミッドのようにへたっと傾いている。
「あ、あめーけど、ふつーのプリンだ」
三井がおそるおそる口にした。甘いものが苦手な牧は、三井の甘いけどというところに引っかかったが、とりあえず一口、口にする。確かに甘いが、我慢できないほどではなかった。何だか、昔子供の頃に食べたプリンといった感じだ。
食事を終えて、再びバスに乗せられる。ホテルと店は、目と鼻の先で、店の前からも、ホテルの壁が見えているのだが、なぜだかバスに乗せられる。治安の関係だろうか、交通事情に日本人がついていけないためかは不明だ。
ホテルに戻って、今回初めての完全フリータイムになった。夕食の集合時間までの、約3時間半の間が、自由時間だ。
一旦部屋に戻って、買ったカーペットをスーツケースに詰める。
「三井、これからどこに行く?」
「うーん3時間だろ、行けるとこって限られてないか?」
「そうだな、この間のハン・ハリーリに行って帰りに交通渋滞に巻き込まれたら、集合時間に帰ってこれないしな」
「なぁ、もう一度、ピラミッドいかねぇ?」
「そうだな、中に入らなくても、周りを散歩するのもいいか」
カメラと、水と、少しのおやつをバックパックに入れて、二人は、ピラミッド散策に出かけた。
ホテルから、なだらかな坂が続く道を歩くと200Mほどで、高台の下、ピラミッド地区チケット売場につく。入場券は、10ポンド、およそ200円だ。他にクフ王のピラミッドにはいるのに10ポンド、出土した太陽の船という船の模型を展示した博物館の入場料が、10ポンドだ。二人は、とりあえず地域内の入場券を買う。チケットには、ギザ・ピラミッドの文字があって、記念になりそうだ。
「さて、どうする?」
「せっかくだからよぉ、三つとも周りをぐるーっと歩いてみねぇ?」
三井の提案で、とにかく周りを歩くことにした。8の字に行こうと話を決める。クフ王のピラミッドの周りから歩き始める。昨日見学した、クフ王のピラミッドの周りには、王妃の小さなピラミッドや、貴族のマスタバ墳墓が、ひしめいている。その周りをぶらぶら歩く。あちこちに発掘とした後があり、深い縦穴のあるところなどもある。通路というものはなく、大きな石を昇ったり降りたりして、カフラー王のピラミッドの方に進んでいく。観光客もこの辺りにはこないようで、人影は、ほとんどない。
「何か、探検ごっこみてー。昔やんなかったか?何にもない工事現場とか空き地とかで、土管とかブロックとかよじ登ったり飛び降りたりよぉ。んで、新しい道とか探したり、目印つけたり・・・」
「あぁ、似たようなことやった覚えがあるな」
「だろ?そんな感じだよな、この道じゃない所を行くって事が、ポイントなんだよな」
はしゃいだ三井の顔があまりに幸せそうだったので、牧は抱きしめたくなる衝動を抑えるのに苦労した。いくら人影がないといっても、三井は、こんなところで抱きしめようものなら、真っ赤になって抗議してへそを曲げるに違いない。
ずんずん歩いていく三井の後を、牧はこっそり溜息をついて追いかける。
結構時間をかけて、二人は、カフラー王のピラミッドに近づき、観光客の往来する道に出た。やはり大きいので、横を歩いても、それなりに時間がかかるようだ。ピラミッドの周りに作られた周壁をみながら、もっとも遠いメンカウラー王のピラミッドの方に歩いて行く。メンカウラー王のピラミッドは、まだ見学可能だったので、入ってみようという事になった。どうやら、先ほど購入した、地域に入場するチケットを見せれば入れるようだった。壁を数段昇った入り口から入る。通路は、いきなり下に向かっている。かなり狭い。そのうえ、無料で入れるため、観光客がひっきりなしに入ってくる。クフ王のものの公開時間が、終わっていることもその一因だと考えられる。少し下ってちょっとした部屋につく。そこからまた少しタラップのような通路を降りると、小さな玄室に到着した。
「ちいせーな。昨日のやつと比べても三分の一くらいか?」
「まぁ、ピラミッド自体がかなり小さいからな。こんなものなんだろう」
しかし、うるさい。あちこちの国の団体が、この狭い玄室や側室で、好き勝手にしゃべっている。室内がわーんと反響して、すこしくらくらする。
「そろそろ出よっか?」
三井も、あまりの人の数に参ってしまったようだ。今来た通路を、昇って行く。
「はぁーっ、息が詰まりそうだった」
外に出て、少し夜の気配のし始めた空気を思いっきり吸い込む。メンカウラー王のピラミッドの裏にやって来た。もうその先は砂漠だ。何もないところを、馬の群が走っている。少し離れたところに駱駝の一行もいる。観光客は誰もいない。足元を見ると、砂漠の細かい砂が積もっている。三井は、再び砂を採取し始めた。昨日は、あまり砂がなくて、とることができなかったからだ。砂を集めて、そろそろ帰りの道につく。かなり時間がたっていた。今まで通ってこなかったところを選びながら歩いて行く。
空は、夕陽が最後のきらめきで、ピラミッドを朱く染め上げている。空に月がうっすらと出てきて、なかなか絵になる時間だ。
朱いピラミッドと月と三井の写真を撮る。辺りは、急に光を失い始め、夕闇の気配が濃くなってきた。
「月と砂漠とピラミッドと、ラクダだ・・・・」
三井がぽつりとこぼした。
「月の砂漠か?」
「うん・・・・」
童謡の月の砂漠は、鳥取砂丘のイメージでかかれたと何かの本で読んだような気がしたが、三井の何とも言えない表情をみては、それでいいじゃないかという気分になってきた。三井の肩をそっと抱くように腕を回す。
「・・・まき?」
牧の方を向いた三井にそっと口づける。飛び退くかと思った三井は、頬を紅く染めて、下を向く。少し体重を牧の方に預けて、甘えているようにもたれ掛かっている。
『だから、どうして、押し倒せない所でばかりそんなに素直になるんだ?』
牧は、天を仰ぐ。こうなりゃ、一刻も部屋に早くかえって三井を押し倒してやると決める。そんな気配をおくびにも出さずに、三井を促すように肩を抱きながら歩き出す。
人が増えてくるまで、肩を抱いていたが、やはり三井が人目を気にし始めたので、そっと肩から腕をはずす。それで、少し三井が不安そうにしたので、肩に手を置いてやる。これならそう変にはみられないだろう。ゆっくりと、ピラミッドを横目にみながら、ホテルへと戻る。やっと部屋に戻ったときには、集合時間に後少しという時刻になっていた。牧は、目算が狂ったと心の中で舌打ちしたが、集合には遅れるわけにも行かず、泣く泣く、今は三井をあきらめることにした。
「結構歩いたな」
「おぉ、ちょっと疲れたかも・・・」
「これから食事だぞ」
「解ってるよ・・・確かインド料理・・・だっけ?」
「あぁ、カイロ市内に行くと言っていたな」
「またあの異様に混んだ道をぶっ飛ばすんだ」
「そうだな、ただ、こちらからカイロに向かう道は空いているかもしれないぞ」
集合場所に向かいながら、何気ない話をして、はやる気持ちを牧は抑えた。
バスで向かったカイロ市内のインド料理店での夕食は、あまり二人の口には合わなかったようだ。とにかく、味がしない。香辛料の香りだけで、甘くも辛くも渋くも苦くもなかった。せめて塩味でも利いていれば、普通に食べられたとは思うが、どうにもこうにも、薄味だったのだ。付け合わせのサラダや、サフランライスくらいは普通に食べれたが、肉のカバブーは、香辛料しか振っていないようだった。極めつけは、デザートだ。人参を細かく刻んで茹でたものだった。シナモンの香りの中の人参がほのかに甘い。それだけのものだった。
「うーん、これは一体」
「も少し甘いなら甘いようにしてほしいよな・・・・デザートって感じじゃねぇ・・・」
何だか、何を食べたかよくわからないうちに、この日の夕食は終わった。
帰りのバスの中、明日の予定とモーニングコールの時間が発表され、車内に動揺が起こる。朝三時にコール、朝食開始とバッゲージダウン(スーツケースの回収)が朝の3時45分。出発が朝の4時30分だという。始発のルクソール行きの飛行機に乗るからだ。
「信じらんねぇ・・・」
「これは、早く就寝しなくてはならないな・・・・」
これから部屋に戻ってすぐにシャワーを浴びても、落ち着くのは10時くらいだ睡眠時間があまりない。三井をどうこうしようにも、これでは、無理かもしれない。牧は、大きな溜息をついた。
バスがホテルに着き、部屋に戻る。牧は、三井に先にシャワーを使わせる。
シャワーを浴びて部屋に戻った牧を、今夜は三井が起きて待っていた。
「何だ、寝ていないのか?明日早いぞ」
「う・・・・、でもよ・・・・」
三井は三井なりに昨夜の事を気にしているようだ。
「・・・じゃぁ、三井そっちに行っていいか?」
「・・・お、おう・・・」
三井のベッドに二人して潜り込む。割と大きなベッドだが、少し窮屈だ。
三井を抱き寄せ、軽く額にキスをする。
「じゃぁ、おやすみ三井」
「・・・えっ?・・お、おう、おやすみ・・・」
牧は、自制心の訓練のようなこの体勢で、とにかく眠ろうとした。三井は、覚悟していただけに、少し拍子抜けた感もあったが、身体に無理がないので、一応安心した。牧の腕の中で、眠りやすい姿勢を探す。
少し、お互いに意識していたが、割と早い時期に睡魔がやってきたようだ。三井の寝息を聴きながら、牧もうとうととし始めた。
二日目の夜も、こうしてお預け状態のまま、過ぎていこうとしていた。