14. モンゴル馬に初乗り



 鞍のついた馬は二頭しかいなかったので、交代で乗ることになった。
 まずヒデに馬があてがわれ、その横をゲルの息子が手綱を引っ張ってやりながら横についてやる。

「タカ、ラクダもあるよ」
 オチコが指差した先には、マヌケ面のラクダがいた。
 うーむ、ラクダもいいけど、あんまりカッコよくないような気がする。やはりモンゴルに来たからには、颯爽と馬で草原を駆けてみたいのだ。
 …あわや盗賊に襲われていた姫様を助けに駆けつけたは、白馬に乗った王子さまだった、だと絵にはなるが、
 …駆けつけたのは、草を反芻させながら一筋のよだれをたらしたマヌケ面ラクダに乗った青年だった、
 では何となく弱そうだし、イヤン!であり、やめて!であり、近寄らないで!!なのである。

 私は、昔から戦国時代や三国志の世界に憧れていた。やはり男たるもの、ラクダより馬に断然惹かれるのである。

 でも、せっかくの千載一遇の機会だから、ラクダにも乗ることにした。
 ラクダは側対歩(片側の前足、後ろ足をほぼ同時に踏み出す歩き方)で歩くので、結構揺れる。…揺れるが、ちょうど前後のこぶにぴったり挟まれる形で座ることとなるので、安心感はあるのだ。
 とぼとぼとラクダに乗って風景を楽しむのも意外と悪くない。ラクダに乗っていると周囲の空気は突如として牧歌的雰囲気でイッパイになり、思いのほか気持ちがいい。
 やがて横で歩きながら手綱を引っ張ってくるオチコが、私の従者のように思え始めて、段々えらそうな気分になってくるのも実に不思議である。
 わしが主人である。ご主人様とお呼び!!と思わずムチでしばきたくなったりする。
 ――どうやら戦争を知らない日本人世代も植民地意識があるらしいことを、この時初めて知った。

 ラクダでの小旅行を終えて帰ってくると、既にヒデが戻ってきていた。アリはいないようなので、どうやら先に馬を取られたようである。
 予約しておけばよかった…と悔やんでも仕方がないので、ゲルの前に止めてあったロシア製中古バイクに乗って遊んでおくことにした。

 このバイク、遊牧民仕様にカスタムされており、かっこいい。
 ヘッドライトには、牛の角が生えていて、シートや、ハンドルは羊毛で覆われている。加えて、ウインカーは四つもあり、用途不明の機械があちこちに取り付けられている。接着剤使用、配線なしだ。丸っきり小学生のプラモデルである。
 シフトチェンジはロータリー式なのだが、どういうわけか2速にいれるとエンジンは停止する。
 滅茶苦茶だけど、なかなか爽快である。

 ちょうど日が暮れる頃に、アリが戻ってきたので、ようやく馬に乗れる事となった。

 ところで、モンゴル馬の一番の特徴は足が短いことにある。すらりとした足の西洋産の馬に比べ、太く短い足を持つモンゴル馬は、他人と思えぬほどの親近感が持てるのである。

 周囲は闇に包まれつつあった。
 既に影しか見えないオチコが叫ぶ。
「もう、俺たちは家に戻るけど、今から放牧させている馬を集めるそうだから、ついでに付き合ってやってくれ」
「オッケー。了解だ」
 馬に乗って二、三分後に放牧の手伝いを付き合えとはひどい話だが、馬はおとなしい馬をあてがってくれたようだし、息子の一人が手綱を引っ張ってくれているので、ただ座っているだけでよい。
 そのままオチコたちと分かれ、ただ二人ゲルの周囲の草原を回る。

 ゲルを取り巻く草原には、もちろん街灯などはない。
 唯一の光りは、月明かりだけだ。
 半月型に欠けた月の光が煌煌と草原を照らし、これほどまで月の光は明るいものだったのかと実感する。
 山間から覗く星々の光芒も不気味なほど美しい。
 草原の夜もまた格別である。

 先頭を行く息子がモンゴル語の歌を歌い始め、さらに雰囲気に酔う。

「ホーミー、ホーミー」
 と息子に言うと、苦笑いしながらも挑戦してくれた。
「ああ、ゴホン。♪♪〜〜〜」

 私は自分を指差して自己紹介した。
「タカだ。タカ。た・か」
「タカ」
 息子も同様に、指をさして紹介する。
「△◇○×!」
「は?」
「△◇○×!」
 とある人の名前に聞こえたが、そんなことはあるまい。
「ビル・ゲイツ?」
「テー、テー」
「ビル・ゲイツ…」
「テー、テー!」
 ――― ビル・ゲイツで正しいらしい。
 うそだろう!と言われそうだが、本当なのである。
 よって彼の名は、これ以降ビル・ゲイツということに決めた。もう判定は覆さぬぞ。

 よくよく考えれば、全く言葉の通じない人間とコミュニケーションを取るのは初めてだ。
しかし、ジェスチャー混じりの日本語で話しても、結構真意は伝わるものである。
 信じられないだろうが、以下の会話はその内容。

「タカ、年はいくつだ?」
「二十二になる。ビル・ゲイツは?」
「十九だ。タカは、日本で馬は飼っているのか?」
「いや、日本にはいない。馬は飼えないんだ」
「そうか…。俺は、ヤギを20頭、羊を15頭、馬を5頭持っているよ」
「おお、凄いな。日本じゃ、代わりに車やバイクを持っているのがほとんどだ」
「車を持っているのか?」
「いや、車はないが、バイクや自転車はあるよ」
「おお、いいなぁ。今度は自転車に乗って来いよ」
「自転車か!そいつはきついなぁ」
「自転車に乗ってきたら、俺の馬と交換してあげるよ」
「分かった。次回来る時にでも挑戦しよう」


 ゲルに戻ると、酒盛りが始まっていた。


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