13.遊牧民のゲル



 遊牧民のゲルを前にして、車を降りると、数人の遊牧民たちが私達を迎え入れてくれた。
 オチコがゲルに入れ、遠慮するな、と促すので、さっそく中に入る。…ちゅうか、キミが言うことじゃないと思うんだが。

 ところで。ゲルについてもう一度、触れておく。
 ゲルとは、移動式の円錐型住居とでも言おうか、遊牧生活の象徴ともいうべき建物の通称である。漢民族からは、別名「包(パオ)」とも呼ばれるが、これは軽蔑的語意が含まれているので、個人的には、「ゲル」と定義したい。

 ゲルは木の骨組みに羊毛製のフェルトだけで構成されており、大人が六、七人いれば、二時間もかからずに組み立てが可能である。
 ゲルの大きさはわずか六畳程度の空間で、ここに「モノ」に執着しない遊牧民たちの生き方を感じさせる。重厚な家具や、調度品などは、生活の邪魔になることに他ならない。生活用具は必要最低限のものだけしか揃えられておらず、遊牧民の徹底したシンプル・ライフをひしひしと実感できるのだ。
 彼らは、千年以上にわたって、この生活を続けてきたわけで、一大帝国を築き上げたチンギス・ハーンでさえ、そのゲルは牛車にひかせる程度のものだったというから、遊牧民が質素を好む性格は、有史以来、遺伝子に刻み付けられているのであろう。

 遊牧民たちの「モノ」に執着せず、富を嫌う性格は、次のようなモンゴルの諺でも自明である。
「金を持つことは、傲慢な心を学ぶこととなる」
「金持ちは狡さを持ち、貧乏人はあだ名を持つ」
「金持ちの手から物をもらうことは、虎の口から肉を取ることと同様である」
等々。

 考えてみれば、遊牧生活をする上で、いくら札束や、高級ベッドや、高級机、フランス製ソファ、ダイヤ入りフライパン、超機密電子しゃもじ、ファジー機能付高性能食器洗い機、業界先行発売! しゃべる冷蔵庫、特許新案出願中英和辞書機能付き電子レンジ、などなどあっても、それらは無用の長物であり、日常が旅の連続である彼らにとっては、邪魔なだけであろう。
 モノの蓄積に価値を見出す我々の生活観念は、ここでは全てがあっさりと逆転してしまうのである。

 とはいえ、全てが簡素化されているという訳でもなく、民族衣装であるデールや、馬の鞍、キセルなどには、ふんだんに銀が使われ、凝りまくっていたりもする。
 このゲルのおとっつぁん、ドルジバッドに見せてもらった自慢の銀のパイプなどは、それだけで、数件分のゲルが買える相当するたいそうなものだった。メガが、ゲルは日本円に直すと数万円で買えるとは言っていたものの、この価値観をそっくりそのまま日本にあてはめれば…。

 十数万のダンヒルの純銀ジッポを愛用しているが、公園の土管に住む家なきオヤジ浮浪者42歳、

はたまた、

 男の住家は四畳一間、風呂と便所は共同使用。敷金礼金いらずして家賃は月々八千円。財布の中身は十円ばかり、貯金はとうに底をつき、ガスに水道止められた。先日ついに電気も差しとめ、頼る光はロウソク灯。センベエ布団に身を託し、ひそかに濡らすは座布団枕。食うものなくして、腹減り食うは犬のエサ。隣の家のポチが吠え、そっと戻す食べ残し。滴る雨漏り畳を腐らせ、急いで設置ポリバケツ。部屋中ポンポコ音が飛び、こんな時はエロ本読むか、しかし一本十万円の葉巻を愛用貧乏学生中野和夫46歳、現在恋人募集中、地方在住

 といったものと同等ではないのか。それにしても、中野和夫は私が以前勤めていたバイト先のオーナーだったりしちゃうわけだから、――モンゴルは深い。

 ゲルの入り口は畳一枚分ぐらいの大きさで、めちゃくちゃ狭い。天井もかなり低く、身長190cm近くの木偶の坊の私は、結構出入りが辛いのである。
 体をかがめて中に入ると、まずゲル内の正面には家族の写真が飾られ、その横にはチベット仏教の仏壇に加え、ダライ・ラマの写真を発見できた。
 またゲル中央には、ストーブが置かれており、火が焚かれている。外は凍えるほどの寒さなのに、ゲルの中では暖かさがじんわりと身に染み入る。テント型の構造に付けくわえ、ストーブが自然の火だということも大きいだろう。

 ここの家のオカンらしき人が、お茶を注いでくれる。モンゴルのお茶は、ツァイと呼ばれ、お茶に塩を加えてあるので独特の味がする。しかし、この塩茶も慣れると滅法美味い。
 帰国寸前にアリとした話が、
「アリ、これが飲めなくなるのは寂しいよな」
「ああ、なんかはまったよな、これ」
「もう、これで最後か…」
「日本で、お茶に塩入れて飲んだりしたりね」
「喫茶店なんかで、紅茶頼んだら、"砂糖抜き、その代わり塩入りで!" なんか言ったりな」
「わはははは、そんな馬鹿なことするか」
 …帰国後、そんなバカをしたのは私です。


 出されたツァイを口にしながら、モンゴル人たちと歓談する。
 とはいうものの、モンゴル語は解さないので、会話はもっぱらオチコの通訳を介してのものだ。
つまり、モンゴル語を聞いたオチコが、それを英語に訳すわけだが、となるのだが、英語も分からない時は、さらにアリやヒデに聞き直さねばならない。

 例をあげれば、
 モンゴル人「サンバイノー」
 私「? オチコ、What's the meaning?」
 オチコ「He said,"Hello!"」
 私「? ヒデ、"Hello"って、どういう意味?」
 ヒデ「helloは、"こんにちは"っていうことだよ」
 私「なるほど!」
 私「サンバイノー!」
 モンゴル人「テー。サンバイノー」
 こういった具合で、かくも、手のかかる会話なのである。


「タカ、馬に乗らないか? と言っているけど」
 オチコが言った。
「なにっ! 乗る乗る。絶対乗る。乗るといったら乗るのだ。乗る乗る乗るっ」
 おお、ついに来た。今まで乗馬何かついぞ経験ことがないのである。
 実を言えば、遊牧民たちと生活することが、
「私がモンゴルでやりたいこと、これをしなければ死んでも死にきれないこと、その一」で、
 馬に乗って、草原を駆け抜けることが、
「私が〜なんとかかんとか〜、その二」なのである。

 うっ、嬉しい。嬉しさのあまり、失禁しそうだ。
 民族衣装のデールも着せてもらい、ちょうどゲルに帰ってきた息子たち二人と共に馬に乗ることになった。

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