12.モンゴルの渥美清



 夜が明けた。出発のときである。

 窓の外を覗くと、かなり頑丈そうな、それでいてちょいおんぼろのロシア製のトラックが見えた。

 準備らしき、準備も何もせぬまま、慌しく外を出る。はやる気持ちを押さえきれない。
 果たして、無事にやっていけるだろうか…、私自身の気持ちが、である。
 どうも興奮しすぎて、平静を装っていられないのだ。モンゴルの大平原を見たとたん、ショック死してしまうのではないかというのが、目下一番の心配点である。
 ここまで興奮しているのは、六年前、道端で15万円入ったかばんを拾った時ぐらいのものだ、というありもしなかった事実を想像してみたりするぐらいだ。
 この世に生を受けて、苦節22年。思えば、長い道のりであった。生き恥さらした道のりであった。幼少期の苦労が走馬灯のように目に浮かぶ。
 ―――リカちゃんに振られたり、アヤちゃん、マキちゃんに振られたりと、それはそれは、涙なくしては語れない人生だった。

 で。
 ついに旅立ちのときである。ある意味、これからが本当の出立ってわけだ。
 改めて今回のメンバーを紹介すると、ガキとビリヤードをこよなく愛す「アリ」、広島弁使いバックパッカー「ヒデ」に加え、ドライバーの「メガ」、通訳の「オチコ」、そして、日本を代表するさわやか勤労青年の私である。

 ドライバーとしてお世話になるメガは、40歳前半といったところだろうか。
 身長約1.8メートル、0.96トンの化け物偉大夫。それでいて、どことなく渥美清を彷彿とさせる風貌だ。
 驚いたことに、メガは、以前まで大統領警護官をしていたという。って、シークレットサービスじゃねぇか。かっちょええのである。顔は渥美清だけど。
 メガは頼れるおとっつぁんという感じで、寡黙ながらも、根は明るい。車にはエアロスミス、ヴァンヘイレンやらのカセットテープが車に置いているあったりしてどことなく親しみが持てる。

 通訳のオチコは、21歳の大学生だ。将来、ガイドを目指しているだけはあって、とにかく雰囲気を盛り上げる為の話術に秀でていることには感心させられた。日本語は話せないが、英語力はかなりのもので、私の100倍は堪能である。(逆を言えば、私がヘタ過ぎ)
 さらに、コイツがよくしゃべるのだ。
「あのね、一人の身なりの汚いおっさんがレストランに入ろうとしたんだ。よだれ垂らしながら、ガムをくちゃくちゃ食べていてね。それを見たボーイが、"お客様、ガムは御遠慮していただきたく存じます"っていったら、おっさんは"何を言う!!これは、ガムではない。わしの靴下だ!!"だって」
 オチコお得意のモンゴリアンジョークなのである。

 ―――いざ、出発という訳であるが、ウランバートルを出るまではよかった。道はある程度舗装され、車内に流れているエアロスミスの"I DON'T WANT TO…"(映画アルマゲドンのサントラに使われていたと思う)もいい感じだ。意外と、エアロスミスもモンゴルの草原に似合ったりするのである。

 が、走り出して、2、3時間で道は突如として消えた。道らしい道はなく、もっとも道らしい道といえば、わずかに残る先行車の轍の跡である。
 車は大いに揺れ、決して私の座高が高いのではないが(多分)、気を抜くと天井に頭をぶつけそうだ。
 その走る様は、まさに、荒野の道を切り開いていく、といった感じで、ここでは、我々が道を作っていくのである。


 アスファルトに覆われた道路が消えると、少しずつ周囲の様子は大平原の様相を呈してくる。時折見かける羊や馬などの家畜の数も次第にその数を増してくる。
 少しずつではあるが、何年もの間憧れつづけていたあの風景に近づきつつあるのを実感できる。見渡す限りの大平原、見渡せば周囲360度全てが地平線、馬が駆け、羊が草を食み、ヤギが鳴く。そんな桃源郷が近づいてきているのだ。

 三時間ほど車を走らせたところで、突然メガが車を止めた。ここらで、ちょっと、休憩しようということだろう。首都を出発して、数時間。初めての下車だ。

 外に出ると、広漠とした際限のない草の海原に自分がぽつんと一人いることに、初めて気づく。
 本当に来たのか…。
 目の当たりにするモンゴルの草原は、限りなく広闊だった。視界は綺麗に真ッ二つに分断される。
 澄んだ空に、――草原である。
 それにしても、モンゴルの草原に来た実感がわかない。まだ、夢心地である。おかげで、最も心配していたモンゴル平原を見てのショック死は免れたともいえよう。


 五時間後。
 我々は、一件のゲルの前に、到着した。


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