7. モンゴルの灼熱
モンゴルエアラインはひたすらに狭く、ひたすらに暑かった。
この大きさでは40人程度で満席となるだろう。横一列には、わずか四人しか座れない。
幸いなことに私の席は窓側だった。
となれば、優雅に機内食を味わいながら、都会から草原へ移り変わる景色を眺めることができるわけである。
そこでふと眼下を見下ろすと、万里の長城らしき建造物の一端が見えていた。
ところで、万里の長城に関して面白い話がある。
われわれ日本人が知る万里の長城とは、「北方民族の侵略を防ぐために築かれた城壁」である。
ところが、モンゴル人にしてみたら万里の長城は全く別の考え方となる。彼らにとっての万里の長城とは、「中国からの侵略を防いだ証」とされているらしい。
つまり、もしモンゴルの国力が及ばなかったとしたら長城はもっと北に築かれていたはずだ、ということだ。
これと似たような話に、原子爆弾の話もあるが、あれもアメリカ人に言わせれば、「戦争の終わりをもたらしてくれたもの」らしい。
揺るぎ様のない歴史的事実もその立場によって全く別の観点が生まれるのである。
よってこの旅行記も見る人が見れば、ノーベル文学賞受賞確実作品と判断するに違いない、と思われるような気がする感じが考えられないわけでもない。
窓の下の景色は依然として変わらない。一面が砂漠の世界である。生き物が住んでいるような気配は全く感じられない。
やがて、眼下に川が見えた。
川はくねくねと蛇行して、流れて…いない。全部凍っているではないか。そういえば、ついちょっと前まで、マイナス30度の気温だったのだ。川が流れていないのも当然といえば当然である。
何だか、楽しくなってきたではないか。
モンゴルが刻一刻と近づいて来ているのだ。
それにしても、良い天気である。数千メートル下では、極寒の地が広がっているのだ。
それに比べて飛行機内は温かい。窓際にすわっているので、日差しが直接差し込んでくる。
下界は、極寒の風。私には、ぽかぽかとした陽光。
無上の幸せを感じる。
早朝、雨にうたれながらも人々が仕事に出かける中、一人ひっそりと暖かい布団の中で惰眠をむさぼる。あの感覚に似ている。
それにしても暖かい…、というかだんだん暑くなってきたぞ。汗が止まらない。
これ、暖かいのではなく、暑すぎるのではないのか。いや、熱過ぎる。
慌てて気温を測ったら、40度を越えていた。
周りを見たら、みんな窓を締め切っており、日差しを全身に浴びているのは私だけである。しかも私は、厚手のダウンジャケットを着ていた。その下には、フリース、さらにセーターだ。
しかも、ジーンズの下には、パタゴニア社の極地仕様のズボンをはいている。
ほかの乗客が大変薄着だったことに、疑問は感じていたのだが、こういうことだったのか。
どうやら、この耐え切れぬ熱さに苦悶しているのは私だけのようだ。
私は体がでかい上に、ぎゅうぎゅう詰めの席に座らせられているから、身動き一つ出来ない。ダウンジャケットを脱ぐなど到底無理な行為だし、ジーンズは脱げるがまさか公衆の面前でパンツ姿になるわけはいかんだろう。
真冬のモンゴル上空で、脱水死。結構面白いじゃないか、じゃなかった、これはシャレにならんぞ。だんだん頭がぼうっとしてきたではないか。
目を覚ますと、空港に着陸寸前の状態であった。いつのまにか寝てしまっていたようだ。もしかすると実は気を失っていたのかもしれない。
ここボヤント・オハー空港は、町の中心から一番近いところだ。車で40分も走れば、都心に着く。
ついに来たのだ。モンゴルへ。
不思議な気持ちだ。
何年もあこがれつづけてきた地にようやく降り立ったのだ。やって来たという実感は湧かないものの、足が地に付かないという表現は痛切に分かる。
そしてそわそわとしながらも、叫びたい、暴れたい気持ちを押さえきれない。この体中にみなぎる力は何なのだ。
しかしながら、叫んで、暴れたら、即刻牢屋送りとなるので必死に押さえた。
旅行記が、獄中記録になっては元も子もないのである。
飛行機を降りる。これまで見てきた中で一番小さい空港である。そうこなくてはいけない。せっかく僻地に来たのである。バリバリに設備が整っていても、調子が狂うではないか。
予想していた通り、入国審査は適当であった。入国申請書は、パスポート番号から、滞在期間・滞在先まで事細かく15項目ほど書きこまねばならない。
そこで、滞在先を『Siruka-Baka 』と書いて、役人に提出すると、そのまま素通り出来た。
適当だな、ここも。
空港の出口を抜ければ、草の世界が待っているのだろう。
「タカ、戦闘開始だな」
アリが言った。
外に出たら、たくさんの客引きが待っているに違いない。私は、大きく深呼吸をして、足を踏み出した。これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩なのだ。
う−む、素晴らしい名言を作ってしまった。
何かどこかで聞いたことあるぞ、との声は無視して次章に進む。
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