6. 中国出国




 ようやく大使館でヴィザを無事に取ることができた。感無量である。これで、全てはそろった。後は、モンゴルに行くだけだ。
 どんな立派なヴィザが発行されているのかと思い、そっとパスポートを開くと、インクの擦れたスタンプが押されているだけだった。
 更によく見れば、左隅にインクがついてなかったらしく、なにも写っていない。
 これで大丈夫なのか?テキト―なお役人め。

 今日は北京滞在最終日ということで、北京の町を当てもなくぶらつくことにした。
 北京にもいろいろな顔がある。
 東京のように、町ごとにその目的が分化しているのが面白い。
 絵の町、屋台の町、本の町、電気街の町等々、行くところによってその特色が顕著に現れている。

 昼飯は、餃子を食ってみることにした。ラーメンは食ったし、ビールも飲んだが、餃子は未だ挑戦していなかったのだ。

 ビールの話ついでだか、アル中のひとりとしてその感想を述べると、その期待通りの味には感動を覚えたほどである。
 日本でもしばしば見かける青島チンタオビールはいけるのだが、それは、いかんせん金持ちのためのビールに過ぎない。
 そこで低価格の庶民向けビールを買って飲んでみたところ、ビールの定義を覆すような素晴らしい味だった。
 一般にビールに要求されるのは、温度・キレ・コク・苦味だろうが、このビールは、

1.温度―中国ではあまりビールを冷やす習慣がないので生ぬるい。
2.キレ―喉にからみつき、後々とどまる残留感。
3.コク―コクもへったくれもない淡白な味。
4.苦味―苦味を超越している渋み。

 キレなし! コクなし! 苦味なし! ついに発売! 中国生ぬるビール。
 CM作っても売れないだろうな、やっぱり。

 さておき、舞台を餃子屋へと移行させる。こじんまりとした店がまえで、表には一人の従業員しかいない。私は従業員に水餃子と、その他数点を注文した。

 …むむ、待たせるなぁ。
 いやいや、ここは中国なのだ。
 もう、私はマスターオブチャイナなのだ。
 ここは、気長にのんびりと待つのが正解である。

 のんびりと待つ間に、日本で最近起こった小さな事件を思い出したりする。客がラーメン屋のオヤジを刺したという事件だ。
 犯人の動機は、後から注文した客のラーメンが先に出されたからとのことだった。
 しかし、その後の調査によると、オヤジを刺したやつの注文したラーメンがチャーシュー麺だったのに対し、後から注文した客のラーメンは、ただのラーメンだったらしい。
 馬鹿丸出しである。
 この加害者には、刑罰として、中国の食堂一万件を巡る刑に処してもらいたい所存である。

 …そうなのである。ここは中国なのだ。
 注文したら、すぐ料理がでるといった卑小な感覚は捨て去らねばならぬ。
 何も、急ぐ理由はどこにもないのだ。
 時間というものははただ単に認識すれば良いのだ。意識して縛られることなぞ俗人の考えである。
 おお、私は中国にて悟りを開いた。
 仏陀でさえ、悟りの境地に到るまで相当の年月を要したという。それに比べ、私はたったの二十余年である。そうか、思えば人生、紆余曲折は多々あった。
 小学生の時、スイミングスクールでうんこ漏らしたのも、最近、同窓会で酩酊し、チンチンさらけ出すという暴挙に及んだのも、全ては悟る為の布石であったか。
 …私は、ついに新境地を開拓した。
 のんびり待っていると、従業人が椅子に座ってお茶を飲み始めた。
 いいです、いいです、心にゆとりは大切です。
 タバコをふかし始めた。
 ゆっくり休憩してから、私めの食事を作ってくださいな。
 従業員同士で、お茶を飲みながら、タバコを吸い、お喋りを始めた。
 うーむ。仲良きことは美しき哉。
 トランプでババ抜きを始めた。
 ……………。  そのまま十数分経過した。  …ふざけんなっ!悟りなんか捨てたぞ、怠けるにもほどがある。急いで、働け!
 従業員を呼んで、紙に書いて文句をいった。

 結局の所、メシを食うのに二時間もかかってしまった。
 水餃子は滅茶苦茶美味かったけど。

 昼飯を食い終えたので、更にぶらつくことにする。
 さまよううちに、繁華街に紛れ込んだ。
 途中見つけたCDショップというか、カセット屋か…、そこでピンク・フロイド、U2、M・ジャクソンのCD、テープを購入する。占めて、四百円ちょっとである。
 おい、ウソだろ? みんな新品やぜ。しかも本物だぞ。
 決して、ピンケ・フロイドや、V2、M・ジャクソソではない。正真正銘の本物である。
 これでは、安すぎるあまりに怒りを覚えるではないか。だって、日本で全部買うとしたら、六、七千円は飛ぶのだ。130枚近くも日本で買いつづけた俺の立場はどうなるのだ。
 私は憤慨しつつも、今度からは、中国でCDを買うことを固く胸に誓った。

 さて。
 さらに歩くと「台球場」と書かれたでっかい看板を発見した。台球、つまりはビリヤードである。
「アリ、珍しいもの見つけたぞ」
 私は声をかけた瞬間、後悔した。アリがビリヤードキチガイということを忘れていたのだ。
「えっ、まじで? うわぁっ、ホントだっ。た、タカ行こう。ビリヤードやろうやっ!」
予想通りの返事するなっ。中国に来てまで、わざわざやらんでいいやんか。
 でもまあ、さしあたってすることもないので、それもいいか。
 ふふ、実は私、ビリヤードはアマチュア大会で入賞した経歴を持つのである。今でこそ、愛キュー『バブラシュカ』は埃をかぶっているものの、一時はトリックショットを次々と繰り出し、数多くの対戦者を泣かせてきたりした。…暇つぶしにはいいだろう。
 ここは、素人君をじわじわいたぶり、後悔させてやるのである。

 重厚な扉を開けて、中に入る。結構広いビリヤード場だ。店内には、ゲームセンターも併設されていて、若者たちでにぎわっている。
 アリが、一目散にビリヤード場のカウンターを目指して歩いていった。やる気満々である。
 アリが店員にビリヤードをやりたい旨を伝えるが、全く通じない。全くお互いの意思が伝わっておらず、店員も困惑しているようだ。
「ビリヤードね、び・り・や・あ・ど。こういうやつね、分かる?」
 アリはキューをつくジェスチャーを交えながら会話している。根性である。
「それならば、これの出番だ」
 すると、アリは紙と鉛筆を取り出した。言葉が通じないので、筆談で会話するつもりらしい。とうとう最終兵器を出しやがった。情熱である。
「台球希望」と紙に書き、店員に渡す。しかし、店員は首を振った。
「何故? 理由?」アリもひき下がらない。気合である。
 やがて店員は紙に何か書いて、申し訳なさそうにそれを差し出してきた。
「台球売却不可」
 ちが―うっ。こんなクソ重たいもの買って持って帰れるか!
 ここは、ビリヤードの名手こと私が交渉してやろうではないか。
「アリ…、俺にバトンタッチしてくれ」
 これならどうだっ。自信あるぞ。私も紙に書いて、差し出した。
「台球行為希望」
「……アイやぁ!オッケー、オッケー」

 中国でビリヤードをすることは、かくも疲れるものである。

 勝敗結果は六戦六敗。
 完全敗北。
 私はいたぶられ、後悔させられた。
 よって、さっきの経歴が、ウソであったことはおのずと明らかになるのである。
 実は、私ビリヤードは数回しかやったことのない、どシロートです。

 こうして北京の最後の夜は静かに更けていったりしたのであった。

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