5. 中国でナニを食う



 遅い朝を迎えた。今日は、モンゴル大使館に行きヴィザを取り、更に旅行会社でモンゴル行きの航空チケットを取らねばならない。言葉の通じない国で、何もかもが始めてのことだ。
 しかし、まあ、何とかなるだろう。
 ホテルで大使館の場所を確認してから、外に出た。
 アリに尋ねてみる。
「もしも、やぜ。もしもモンゴル行きのチケットが取れなかったとしたらどうする?」
「その時は、その時やろ。中華料理でも食って帰ろうよ」
 つくづく適当な男である。

 外に出ると、来た時と町の様子が全然違っていた。よく考えれば、昨日中国に到着したのが夜中だったから、当然、町の顔も違うわけだ。
 昼近くにもかかわらず、人の往来は激しい。オヤジ、オバハン、じい様、ばあ様、誰もが自転車に乗って移動している。
 中国である。まさに中国である。
 のべつ自転車は通りを行き交い、器用に車の間を潜り抜けていく。決してその流れは絶えることなく、次から次へと現れる。そして驚くべきことに、一日中この風景は変わることがないのだ。
 自転車の群れを見るうちにふとした疑問がわいた。

 いったい彼等はどこから現れ、どこへ行くのか、仕事はどうしたのか?
 忙しそうな様子もなく、自転車に乗った老若男女が鼻歌を歌いながら次々に現れ、そして去ってゆく。
 謎である。
 私はこの中国最大の命題について考案した結果、結局次のように結論づいた。
「中国政府は我々観光客の見えないところで、大量のチャリに乗ったオババ・親父を生産しているに違いない。そして、彼等の仕事は一日中チャリに乗って辺りをさまようことにあり、夜中になれば自然に消え、また次の朝に生産されるのである」
 うーむ。我々はかしこい。私の知能指数が明らかとなるような見事な解析結果である。

 中国最大の謎をいともたやすく解いてしまったところで、モンゴル大使館に向かうことにした。
 実のところ大使館の場所さえ知らなかったのだが、適当に探したら、たまたま見つかり、さらに適当に用紙に記入したら、大使館の人間はそのまま紙を受け取ってしまった。
 さらに、分からない個所は日本語をローマ字で書いて適当にうめておいた。
 何とかなるものなんだな。アリとお互いに顔を見合わせて笑った。
 ヴィザは明日発行してくれるそうだ。

 そのまま、北京で比較的大きな旅行会社である『旅遊大夏』に向かう。いくらかさまよったが、それらしき建物の中へ恐る恐る入っていくと、やはりそこが目当ての旅行会社であった。
 受付には親切そうなオバハンが座っている。モンゴルにイチバン安くイチバン早く行けるチケットをくれとオバハンに言うと、さっそく該当条件に近いチケットを紹介してくれた。
「でもねぇ、この日はちょっと高くなるのよ。四日後の便はもっと安くなるけど…」
 冗談じゃない。四日後ではモンゴルに殆ど滞在できないではないか。
「うーん、それだと日程上厳しいなぁ。一日も早く行きたいんで、そのチケットでいいですよ」
 仕方あるまい。ツアー旅行に比べたら、その額も安いものだ。

「トラベラーズチェックでもいいですか?」
 アリが支払いについて尋ねると、申し訳なさそうにオバハンは答えた。
「ごめんなさい、支払いはドル払いでしかだめなの」
 私もついでに聞いてみる。
「日本円は?」
 …笑われた。
 トラベラーズチェックに換金するのもめんどくさかったので(というかトラベラーズチェックって何だ?)、日本円しか持ってきてなかったのだ。
 散々アリには言われた。
「やっぱ、タカはチャレンジャーだな」
 ありがとう。賞賛の言葉と受け取るよ。

 USドルの持ち合わせがなかったので、銀行で両替せねばならなかった。オバハンが近くの銀行を教えてくれたので、両替をするべく早速向かうことにする。
 銀行に行く途中、北京の道は大変きれいなことに気がつく。
 舗道には、紙屑もタバコの吸殻も落ちていない。日本人と違ってみんなモラルがあるのであろう。そうか、日本人も反省せねばならぬ。中国は日本なんかよりよっぽどきれいだ。
 私は、なんとなく偏見を持っていたのかもしれない。ごめんなさい中国さん、そしてありがとう、なのだ。
 おのれを深く戒めながら、歩いていると、向こうから美しいOLが歩いてきた。
 きれいな道に、颯爽と歩く美しい女性はかっこいいものである。
 絵になるな…。
 見とれていると、突然女性は顔をしかめ立ち止まった。な、何だ?
「……くわぁーーーーッ、ぺっ!」
 きたねぇっ。いきなり痰を吐きやがった。その美しい女性はそのまま、何事もなかったかのように去っていった。
 かなり壮絶な光景を見てしまった。
 良く見れば、中国人、あちこちで痰を吐き、手鼻をかんでいる。オヤジも、うら若き女性も、である。
 …前言撤回する。
 やはり、中国は汚い。

 旅行会社のオバハンが言った通り、歩いてすぐの所に小さな銀行があった。
 銀行で両替所を探しうろうろしていると、職員らしき怖もてのおっちゃんが話しかけてきた。
 おっちゃんは両替用紙を差し出しながら、これに記入して、あの窓口に出すのだというようなことを教えてくれる。
 なんだ、顔に似合わず親切ではないか。日本でも、ここまで丁寧に教えてくれぬぞ。
 記入した用紙と共に金を渡すと、全ておっちゃんが手続きしてくれた。
 なんて、サービスがいいんだろ。
 更には、おっちゃんは右手を差し出し、にこっと笑い、嬉しそうに握手を求めてきた。
「ありがとう。良き旅を!」
 むむ、なんと親切なのだ。社会主義国やるなぁ。
 銀行を出て、念のために金をもう一度確認した。ありゃ、よくよく見れば金額は正しいのは正しいものの全部元ではないか。
 やっちまった。私が欲しかったのは、USドルである。すぐにひき返し、おっちゃんに話すと、すんなり日本円に戻してくれた。そのままUSドルに両替する。
 なんだか、おっちゃんがっかりしている。握手もしてくれない。

 突然、後ろから女性の、しかも日本語の声がした。
「両替…終わりました?」
 振り返ると、同い年くらいの日本人女性が立っていた。
 見たところ旅行者と言う雰囲気はない。多分、日本からの留学生なのだろう。
「やっぱ、闇で替えるのが一番よね。今のレートはどのくらいでした?」
「は?」

 その質問で全てを悟ることができた。
 何の事はない。あのおっちゃんは、闇の両替屋だったのだ。なるほど、そしたらあのサービスぶりと喜び様は理解できる。
 しかし、普通、闇両替を銀行で堂々とやるか。入口には警察が立っているんですぞ(ちなみに、中国では、マクドナルドの中にさえ警察が立っていたりする)。
 政府黙認の闇両替屋、といったところなんだろうか。
 良く分からんところだ、中国は…。

 日暮れまで時間があったので、王道観光スポットである天安門広場に行き時間をつぶすことにした。
 地下鉄に乗って行けば近くだ。地下鉄は環状線となっており、どこで降りても料金は一緒で、三年前に東京の地下鉄で迷子になり、泣きそうになった私でも分かる仕組みである。
 それにしても、地下鉄の切符売り場のオバンは何とかならんのか。
 その特徴たるやどこも同じで、

 特徴その1.客を客と思わない無愛想さ。
 特徴その2.金はひったくるようにむしりとる。
 特徴その3.つり銭は投げ返す。
 特徴その4.常に無言・無表情。

 結局、五、六の駅を利用したがどのオバンも例外はなかった。
 これはきっと、切符売りの面接でこの基準を満たしていないものは落とされるのに違いない。あるいは、行く所行く所に、先回りして、同じオババが座っているのに違いないのだ。
 やはり、中国は良く分からんところであり、汚く、そして深いのである。さらにいえば、中国政府は、あのオババも観光記念物に認定するべきだ。

 天安門は、他国の旅行者だけでなく、中国人の観光客も数多く来ていた。ここは、最もオーソドックスな観光スポットなのであろう。
 ところがどっこい、私はそのような軟派な観光客とは一線を画しているのである。
 よって、いかにも観光客っぽいミーハー的行動などもってのほかだ。みんな上気した顔をもって観光気分よろしくで歩き回っているが、ここは血にまみれながら築き上げられた場所である。
 不届き者どもめ! ここは、もう少し神妙な顔をして「天安門とその暗澹たる歴史背景」とか、「政治と愛国心」とか、「人間の本質的精神とは何か」等の思索にふけりながらとぼとぼ歩くべきなのだ。
 ここは、そのような崇高な場所であるので、人間という生き物を考えるのに最適の所だ。
 しかし、浮かれた観光気分でいる一般市民の心中も調査する必要があるので、仕方なく、アリと歓談しながらあちこちを見物したり、人民英雄記念碑の下でジュースでのどを潤しながらタバコ吸ったり、毛沢東の像の前でピースサインを出して記念写真を撮ったりした。
 任務とはいえ、つらいものだ。

 その夜はホテルでメシを食うことにした。
 やはり漢字だらけのメニュー。
 日本語で書かれていれば好きなもの食えるだろうとの甘い憶測はもろくも崩れ去った。結構立派なホテルに入ったので、英語が通じるかと思いきや、全く通じない。
 仕方あるまい…、適当に注文する。
 ウーロン茶を飲んだら、ラーメン。ラーメンを食ったら、ワカメスープと順々に来た。…ちょっと待て、これって前菜もクソもなしに、注文した順番どおりではないのか。
ということはこのままいくと、ワカメスープを平らげたら、デザートに…。
 やはり、持ってこられたのは白ご飯だ。
 茶碗山盛り、これだけで食えるかっ!
 なんか、オカズをもってこいと店員に伝えると、お勧めの品があるという。

 おっ、いいではないか。それで良し。
 火急ね、火急。はよ、まんま冷めないうちに持ってきてな。
 そして。
 数分後。
 持ってこられたのは、蛇だった。体長3、4cmのちっちゃな蛇が数十匹、どろりとしたアンに包まれているのである。
「あ、アリ…、これって、もしかしてへ、へびじゃねぇの?」
 箸で蛇の尻尾を摘み上げアリに尋ねる。
「まさか…」
「でも、これひれついてないし、どう見ても…」
「へび……」
「そうだっ、アリ、全部あげようか? やっぱ食後のデザートに白いご飯は最高だから、俺これだけでいい。急に思い出したけど、俺のうちでは食後の『こしひかり』が家の決まりだった」
「いや、俺は急に腹いっぱいになったから、全部タカにあげる」
「いやいや、そう遠慮なさらずに、アリさん」
「いえいえとんでもない、そちらこそどうぞ、タカさん」
「………」
「………」

 ……結局、大半私が食った。
 しかし、いざ食ってみれば、意外にも蛇の生臭さは熟成されたあんかけでうまく消され、口に入れた瞬間蛇のうまみがジワッと舌に広がり、芳醇な香りが喉をつきぬける、と自分に言い聞かせたが、やっぱ蛇は蛇だった。いくら旨くても、なんとなく気持ち悪い。

 精算すると二人で104元。千円ちょっとだ。いやはや、高いのか、安いのか…。

「我々は人間以外の二本足のもの、つくえ以外の四本足のものは何でも食べる」
といった中国が広東人の格言を思い出したりしてみた。

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