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3. 中国の歓待 とういわけで、私とアリは無事日本を出発したのであった。アリは海外旅行はおろか飛行機に乗るのも始めてだという。 「まあ、何とかなるんじゃない。トラブルがあったらあったで、それも面白いやろう」とはアリの言で、こやつもなかなか適当な性格をしているのである。 しかし、旅の相棒がアリで本当によかった。 ホテルの予約はとらなくていいか? どうやって空港に行く? 金はこれだけで足りるだろうか? あそこは、危険だから行くのやめよう…などと次々にほざかれたら、思わず蹴りとばしたくなるではないか。 ところが、奴は次の一言で全てを片付けるのだ。 「何とかなるやろ」 当然のことながら、この旅行に関しては何の下調べもしていないし、モンゴルのヴィザはもちろん、宿の予約は初日だけしかとっていない。私の持ち物といえば、文庫本を五冊、ウォークマン、防寒具ぐらいのものだ。アリなどは、もっとひどくその辺の町を散歩してそうな格好で、ほんのわずかな手荷物を持っているだけである。 「アリ、そのバッグのなかには何が入っとるの?」 「モンゴルの子供たちにあげるお菓子がたくさん」 どうも、アリには負けそうである。 飛行機の中は、日本人ツアー客も沢山いるらしく、あちこちで日本語が行き交い、中国人スチュワーデスさえいなければ国内旅行さながらの雰囲気である。 ところで、この中国人スチュワーデスが大変くせもので、フライト中はけだるそうに壁によっかかり、おしゃべりに夢中なのだ。これぞ、社会主義国の片鱗というやつか。 機内食サービスは一応あるにはあるが、驚くべきはその片付ける速さで、今出したかと思えばすぐに片付け始めだす。 そこで、とある実験を試みることにした。食事を出してから、片付けるまでの時間を計測してやろうと思ったのだ。幸い、腕時計にはストップウォッチ機能はついているし、何より私は早食いの帝王の異名を持つ男である。 スチュワーデスが、だんだん近づいてきた。機内食を差し出される。 開始のゴングだ!! ストップウォッチのスタートボタンを押すと同時に、私は猛烈な勢いで飯を食う。 ――食い終わった。 時計はまだ一分ちょっとである。実験第一段階はまずまずの成功だ。隣に座っているアリが、不気味なものを見るかのように私を伺う。 「お前、食うの早すぎ! どんな消化器官してんだよ」 ふふふ、君には、私の高邁かつ崇高な実験は理解できまい。人類における新境地を新たに開拓できるやもしれぬ私の識見のみによってのみ実現可能な実験なのだ。 さて、後は実験対象物が片付けにやってくるのを待つのみである。 10秒経過…、15秒経過…、来たっっ! 実験対象物だ。 こちらの視線に気づいてか、一目散に向かってくる。実験対象物はむすりとした表情で、食い終えた機内食を持ち去った。 ストップ。 時計のボタンを止める。 ワレジッケンニ、セイコウセリ。さっそく、データの回収にかかると…わずか2分27秒66。これは20世紀最大の命題として、まだ研究の余地があるに違いないであろう。 そうこうバカなことをしている間に、飛行機は大連を経由し北京に到着する。 ここの検査は私の性格と同様、かなり適当であった。 通常、我々の国では、荷物を預けた際に、その荷物には番号のついたシールがつけられ、空港を出る時にその半券とシールの番号を照合するものだが、ここでは一切の確認作業は行われなかった。それぞれ好き勝手に荷物を持ち出し、好き勝手に出て行くのだ。 いったい、荷物につけられた番号の札は何の役目を果たしているのだろうか。 これでは、荷物を持ち逃げされたって全く分からない。 いや、ここはもう日本ではないのだ。荷物を盗まれても、それはきちんと自分の荷物を管理していなかった奴が悪いのである。 自己責任の国、郷に入れば、郷に従え…か。 私も、好き勝手に荷物を取り、好き勝手に出て行くことにする。 空港の出口には、沢山の人々がクビを長くして私を待っていた。皆、私の訪中を歓迎してくれているのだ。私も中国では意外と高名のようである。皆の衆、ご苦労、ご苦労と労をねぎらいながら出て行こうとすると、いっせいに話しかけられた。 「ヤスイ、ヤスイ」 「チープホテル、チープホテル」 「タクシー、タクシー、ドウデスカ?」 「社長さん、出張がえり? うちは、いい娘ぎょうさんおりまっせ」 何の事はない、客引きじゃねぇか。多少変な声も聞こえたような気もするが、思い違いであろう。アリも数人の客引きから捕まえられている。どうやらヤツも人気者らしい。 外は既に夜の帳が下りていた。日本とは全く異質の喧騒が辺りを包んでいる。 というか、お前らうるさいのだ。中国語は母音のアクセントがきついので、あちこちで口喧嘩が起こっているような気がする。 アリの提案により、ひとまず落ち着ける場所に移動することにした。一服しながら、これからどうやってホテルにたどり着こうか話し合う。一泊目の宿泊先は、到着が夜になることを見越して、一応予約はしていたのだ。 問題は、北京市内に向かう交通手段である。 「なあ、あれが、北京市内に行くバスじゃないか?」 アリが指差した方向を見ると、なるほど確かにバスが所狭しと並んでいる。 そのうちの一台の窓ガラスに、北京帖と書かれたバスを発見できた。 バスの料金は前払い制であった。バスの停留所の前に座っているオババに金を払う。一律16元。レートが一元=約12円なので、邦貨に直すと…うーむめんどくさい。160円ちょっとであろう。計算は苦手だ。 以降、中国での金の計算は、10倍して「ちょっと」を付け加えることにした。 つまり、100元は、1000円ちょっと、50元は、500円ちょっとという訳である。 テキトーでいいのだ。テキトーで。 バスの中は真っ暗で、かろうじて街灯の明かりが射し込んでいる程度だ。通常、中国のバスは電気をつけない。さしあたって何の問題もないのだが、異国で初めて乗るバスとなるとやや不気味だ。乗客は私たちを含めて五、六名しかいない。もちろん下車案内などは皆無である。 静かだ。 このまま全然違うところに連れて行かれるのではないかと不安になる。何しろ、どこで降りればよいか全く分からない。数名しかいない乗客は次々とバスを降りていく。大通りを少し過ぎた所でふいにバスは止まり、運転手のオヤジが後ろを振り向いて叫ぶ。 「新徒後羅機魔螺埜智徒途!」 雰囲気を察するに多分ここが終点なのだろう。 バスを降りると、またまたたいそうな数の客引きがいる。どうやら、今度は人力車に乗らんかとのことだ。三輪車に幌がついた異国の情緒を感じさせてくれる乗り物である。 あまりしつこく声をかけられるので、「10キロぐらい先だけど行けるかな?」と客引きオヤジ(その1)に言うと、誰も話しかけてくれなくなった。これはこれで、なんとなく寂しい。 どうやら、ホテルの近くに地下鉄が走っているらしいので、まずは地下鉄探しだ。とぼとぼ二人でさまよっていると、アリが人力車オヤジ(その2)に話しかけられた。 「乗って行かんか? 何なら、この辺をぶらっと周ってやるよ」 「いや、もう遅いし、早くホテルに着きたいんで…。それより、地下鉄はどこにあるんです?」 なぬっ? アリは結構英語が話せるではないか。後ほど聞けば、ボランティア活動で英語を使う機会が多いとのこと。それより、私が英語を話せることに驚いたらしい。顔に似合わず、英語が使えるんやねー、とは彼の言葉である。 しっ、失敬な。顔に似合わずだけ余計だ。一応、私は大学で留学生たちに空手を指導していた身である。 かつて、ジークンドーとムエタイと柔道とサンボを学んだ強欲ロシア人が来たことがある。 何しろ向こうの人間は体つきからして違うので、突き蹴りがめちゃくちゃに重たい。余裕をかまし(たふりをして)、必死に屈服させたことは、今でもはっきりと覚えている。何しろ、先生がぶっ倒れてしまったら、面目が丸つぶれではないか。 そのようにして体を張って習得した私の英語は、マササイトー式英語である。 例えば、 「まい!ねえむ!いず!タカ!」 「ほわっと!いず!ゆあ!ねえむ!?」 といった具合である。 英語を話すのに気取ってはいけない。俺の発音ヘタなんじゃないかと思ってもいけない。アクセントだの、文法は後からついてくるものだ。単語の羅列だけでも十分通じるのである。 必要なものは、度胸だけだ。 特に、私の場合、190センチを越すイカツイ黒人と会話してきた末の苦心の賜物である。 話がそれた。 オヤジ(その2)のおかげで、地下鉄を発見でき、それからしばらく迷った末に、何とかホテルにたどり着くことができた。 はっきり言うと私は極度の方向音痴であり、 「あっちがホテルの方向やろ?」と指差せば、 「そっちは今来た方向」 「こっちは、北じゃねえか」と口出しすれば、 「そっちは、東」 といった具合である。 終いには、「おまえ、方向音痴だろ?それもかなり重症な」と言われる始末だ。 以後、奴は私の方向感覚を全く信用しなくなり、私の言う方向と全く逆の方向が正しいと信じるようになった。 いや、実際それで正しいんだけどな。 |