2. 旅立ち



 2000年3月8日。
 私はモンゴルを目指し、日本を離れた。
 はっきりいってこの時期にモンゴルへ観光旅行重要機密任務のために赴く奴は、よほどの偏執的な性格の持ち主か、もしくは変態だろう。

 超格安航空券を取り扱っている某旅行代理店に航空券を頼んだ時の話だ。

「モンゴルに行きたいんですけど…」
「モンゴルって、あのモンゴルですか?」
「モンゴルは、モンゴルです」
「し、少々お待ちください」

 やたら待たされるので、カウンターの向こうを覗いてみると、社員が三、四名集まって何か話し合っていて、そのうち彼らはパソコンでいろいろ調べ始めた。
 長い。
 しばらくして、責任者とおぼしき人がやってきた。

「あの……、航空券は一応ご用意できますが、その後の責任はもてませんよ。今、向こうはマイナス二十度を超える寒さです。そして今現在は国内の状態も安定していません。そんなわけでこの時期に行くお客様は、ほとんどおりません。保険には絶対入ることをお勧めします。本当にいくつもりなんですよね?」
「………」

 実をいうと、数日前のことだ。
 私はいつものように日暮れ頃に起き、それから新聞を広げた。
 新聞の国際面をみると、いきなり「モンゴル」の文字が目に飛び込んできた。
 これは痛い。察するに、左目に「モン」、右目に「ゴル」の字が飛びこんだのであろう。
 目が痛い…。何も見えぬ。失明だ。

 もとい。ごめんなさい。

「モンゴル」の字が目に飛び込んだ。
 おお、旅立ちを前にして幸先よいではないか。なんちゅうニュースなのだ。どれどれ…。
 内容要約。
 モンゴルはひどい大寒波に襲われちゃったのよ。
 家畜は次々くたばっていくし、おまんまも食えないの。
 国内は大変混乱し、困っちゃっているので、
 援助金くれまへんか。

 おお、くそったれ! 畜生!
 何たることだ。いきなりの大寒波である。

 モンゴルには強盗も多いと聞く。今行けばその数も倍増しているに違いない。
 飯は食えるのだろうか。生きて帰られるのか。入国規制はされていないだろうか。第一、酒は飲めるのだろうか。

 先日の懸念が頭の中を逡巡する、ということは全く無く、私は0.778秒で決断を下した。
「行く。行ってやる。でも,保険は入らん」
 行けば何とかなるだろう。例え向こうで死んでも、それはそれで面白い人生かもしれない。日本男児として大往生を遂げてやろうではないか。


 少し、話を脱線する(断っておくが、当旅行記は脱線話ばかりである)。
 思うに日本という国はなんと無謀や失敗を許さない国であろう。
 堀江氏が小型ヨットによる単独太平洋横断に成功したときの経緯をご存じだろうか。
 堀江氏は日本を密出国し、太平洋横断を行った。これは何も密出国したくてしたわけではない。日本ではヴィザの申請が許可されなかったのである。
 結局、氏は不法入国という形をとってサンフランシスコに上陸し、横断の成功を収めたのだが、日本での風評と裏腹にアメリカは彼を大歓迎した。
 出国当初、批判的な意見しか掲載していなかった大半のマスコミ各社も、このことを聞くや否や手のひらを返したように堀江氏を賞賛し始めた。堀江氏がパスポート申請の助力を頼んだが会おうともさえしなかったある政治家は、慌てて祝電を送ったそうである。
 日本は世界に類を見ない異常管理社会だ。

 どっかの有名なミステリ作家は言った。
 一国を滅ぼす方法は簡単である。
 それは、若者たちのの冒険を禁ずることである。

 閑話休題。
 私は、旅とは思いがけないような変事や危険があったほうが面白いという考えである。
 よって何もかも決められた日程のなか、安全で、平坦で、何も苦労しなくてよいようなツアー旅行は嫌いである。
 もっとも今回はただの旅行だ。死ぬことはあるまい。
 でも、万が一ということもありうる。行くところは厳冬下のモンゴルなんである。末期の酒だけは飲んで死にたいものだ。あと、とんこつラーメンも食っておきたい。立派なキャンピングカーも欲しい。更に欲を言えば、映画俳優にもなりたい。ええと、それから裸の美女に囲まれ、そのうちの一人の膝枕で死を迎えたい。あ、でも年齢制限はあって18才から28才限定。それとふぐチリに埋もれて死にたいなぁ。
 それから、それから……

 さて。
 今回の旅のルートはまず福岡空港を出発した後に中国の北京に向かい、そこでモンゴルのビザを取得後、またまた飛行機でモンゴルへ飛んでいくというものである。
 ホントは北京から列車を使って北上したかったのだけれども、複雑な諸事情により中止せざるを得なかった。

 複雑な諸事情というといかにも深遠な理由が隠されているのだなと思われるだろうが、たいした事はない。単に私のいいかげんさから生じたことである。
 実は、航空券を予約したのは旅立つ一週間前のことであった。のんびりだらだらしていたら、いつのまにか出発予定日が目前に迫っていたのだ。
 当然のことながら、ビザも何も持っておらず、ましてや飛行機の出発日時など知る由もない。
 仮に、北京から列車経由で向かえばモンゴル滞在は三日の予定という悲惨な結末になってしまう。
 今回の旅の最大の目的は、モンゴルの遊牧民たちとともに暮らすことにある。わずか、三日で何ができようか。
 帰国後の予定のことを考えると、結局飛行機を利用して入国するしか道はないのであった。

 私は旅に関してはまったく計画を立てない主義で、一切の下調べは行わないし、すべては行き当たりばったりに行う人間である。
 国内の旅行は今までその主義を貫いてきたのだが、今回もそのやり方を通すことにした。
 ここで告白するが、実は私、海外旅行は始めてなのだ。しかも、行き先はモンゴル。果たして、まともに旅することができるだろうか。

 しかし今回の旅行には、同行者が一名いたりする。同じ大学の同級生アリだ。やはり初海外一人旅となればたいそう不安になる訳で、同行者がいるだけで心強い。
 長身、痩せ型。テニス系のサークルに入っており、私と同じゼミにも所属している男である。はっきり言って、旅にはおよそ縁遠いイメージの優男であるが、モンゴル旅行もこの男がいなかったら実現はしなかった。
 アリは、国際的なボランティア活動を三年間も続けている男で、その組織内ではモンゴルを担当している。ボランティア活動の詳細についてはよく知らぬが、ついこの間もモンゴルの子供たちを日本に招待したらしい。

 彼とは四年の付き合いになるものの、全然知らぬことであった。てっきり、おちゃらけサークルに所属している典型的ぼんぼん大学生とばかり思っていたのだが、意外とえらい奴である。
 そのアリが、今度は自分がモンゴルに赴き、モンゴルの子供たちに会いに行きたいと考えているそうなのだ。
 しかし、アメリカや、ヨーロッパ諸国に行くのとはわけが違う。神秘の国モンゴル、しかも厳冬期のモンゴルである。そこでアリも一抹の不安を感じてか、モンゴル行きを迷っていたらしい。
 奴も私と同様に海外旅行は未経験で、ヴィザとはなんじゃい、イタリアが美味いらしいぞ、そりゃピザやっちゅうねん! がちょーん! とお決まりのギャグを言いあう程度の知識しか持ち合わせていない。
 そこで同伴者を探していたそうである。そりゃ見つからんだろ。

  「行くか、行かんかはタカ次第やけん。タカが行けるなら俺も行くし、いかんなら俺も行かん」とはアリの言葉で、つまるところモンゴル行きは私次第ということだ。
「ちょっと待ってくれ。二、三日ゆっくり考えさせてくれ」
 時間がほしい。今夜はよく考えてみよう。そう言って私はアリと別れたのであった。
 おっ、なんだかシリアスな展開になってきたではないか。ちょっとカッコよいのだ。
 その日の夜、私は自宅に戻ると、モンゴル行きの件についてじっくりと考えてみることにした。
 風呂上り、ワイングラス片手に深深とソファに身を預けると、私はラッキーストライクを口にくわえ、そっと目を閉じた。今宵の月は平時にまして明るい。まぶたごしでさえ、月の光を感じることができる。
 ステレオから流れてくるレノンの唄が、より一層深遠な雰囲気をかもし出す。
 私は、紫煙を吐き出しながら、そっと長いため息をついた、
 なんて事をするわけでもなく、腐れ縁の友人たちと酒を飲みながら、乱稚気騒ぎをしていたのが事実である。

 そして酒を飲みながら放屁している隊員を尻目に、私はアリに電話を入れたのであった。
「アリ行こうぜ。モンゴルだっ」
「おお、そうか。じゃあいっちょ行くしかないね」  アリの決断も早かった。と、ふとひとつの疑問が浮かんだので聞いてみた。
「もしかして俺を用心棒として考えてないか?」
「当たり前やん」
 やっぱり。

 決まったのである。

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