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1.序章 そもそも海外旅行記なるものは個人的な恨みつらみをこめて、なるべく自慢たらしく書くべきもので、またそれを読むほうも眉に唾をつけながら読むべき性質のものである。 これは私の好きな某エッセイストの言葉である。 一見暴論に聞こえる論理だが、実は旅の本質の核心に鬼気迫る二十世紀最大の名言であるといわれるとか、いわれないとか、というよりもそう思っているは私だけか。 くそっ。だって、そうではないか。 それではたとえ話をしよう。 仮に諸兄姉が見知らぬ土地へただ一人訪れたとする。 その時、あなたは慣れぬ異国の環境に身を窶し、空腹とアルコール不足でヘタヘタであった。辺りは閑散としており、こちらを構ってくれるような人など皆無といった様子である。 そこへ突然後ろから肩をたたかれる。振り返れば、目も眩むような美女がいる。 そして美女は真っ白な歯を覗かせつつ、艶笑をもってこう言ったのだ。 「どうかしましたか? お疲れでしたら、家へいらっしゃいませんか? 生ビール、ウイスキー、ワイン、何でもありますよ。もしよければ家へお泊まり下さい。私一人しかおりませんので、何だったらずっといてくださっても構いませんのよ」 こうしてあなたは天国とも見紛う旅先での生活を満喫する。ちなみにこれをケースONEとしよう。 また、一方では次の様な事態も考えられる。 突然後ろから頭をドつかれる。振り返れば、怪奇映画にも出てきそうな醜悪なひげオヤジであった。 彼はまっ黄色の汚ない歯を覗かせつつ、ニンニク臭を撒き散らせながら言った。 「どうした。何? 空腹で動けないだと。それは良い事聞いたぜ」 こうしてあなたはめためたに殴られ、気絶させられ、財布は奪われ、服は剥ぎ取られ、爪をはがされ、ムチで打たれ、縄で縛られ、フルチン姿のまま車で市中引き回しの刑にあい、ある意味天国を垣間見るのである。これがケースTWO。 さてそんなこんなで、あなたはやがて帰国できた。 そしてあなたの帰国を心待ちにしていた友人たちは、尋ねるであろう。旅行はおもしろかったか、あの国はどうであったか、と。 前者、ケースONEの場合は述べるまでもないが、反対に後者、ケースTWOの立場であったらどう答えるだろうか。 「いやぁ、あの国は多少人がさめてたけど、何ちゅうか国全体にたちこめるピリピリとした緊張感というか、なんとも筆舌に尽くしがたい独特の雰囲気が素晴らしかったねぇ。ちょっと危険なところだったけどさぁ。まあ、ほんのちょこっとだけだけど」 などとほざく奴はよほどのマゾか、人間における根本的な感情が欠落しているやつである。 どうだ! ほんの少し誇張した部分があったかもしれないが、実際にこの事件は一九八八年にある国で起こった出来事なのである…かもしれないというようなことを考える今日この頃の私である。 そういうわけで、私はモンゴルに旅立った。この辺は文章がつながっていないが、あまり気にしないように。ハゲます。 さて。モンゴルだ。モンゴルなのだ。モンゴルなのである。モンゴルじゃ。モンゴルーーーーーっ。 ところで、なぜモンゴルなのか? そのことについては、私とモンゴルの崇高な関係を話さねばなるまい。 私がハッキリとモンゴルという国を意識し始めたのは、今をさかのぼること約十年前になる。 当時、現在より更に純真で、痴的で、じゃなかった知的で、繊細で、ロマンチストであったかわいい中学生の私は、しばしば椎名誠氏の本を読み耽っていた。 確かカントの『実践理性批判』を二日で読破し、その浮薄さに飽き飽きしていたころだったと思うが、もしかして記憶違いかもしれない。 で、前述の椎名誠氏の著作の中に『草の海』というものがある。その中に、思わず金縛りにあってしまった一枚の写真、それは何の変哲もないただの風景写真であった。 映っているものといえば、はるか彼方まで広がっている草原の世界、草の海である。 よく見れば、端のほうに小さな円錐形のテントが存立し、豆粒ほどの無数の馬があちこちで草を食んでいる。 ただそれだけの写真である。ほかには何もない。 なぜかページをめくる手が止まった。 しばらく、写真を眺めてみる。 何の感慨を覚えるわけでもない。 ただ呆けたように、写真を見つめた。 数分後だ。 体の内から何かがこみ上げてきて、涙がどっと溢れ出てきた。 なぜに俺は泣いているのか。 が、なんともいえぬ恍惚感に身は打ちひしがれる。 この湧き起ってくる勇躍たる気持ちは何なのだろう。 このやるせないような気持ちはどうしたことか。 カウンターで頭に内廻し蹴りをくらったがごとく(わしは空手家なので実体験に基づく)、がーんと脳内に響くこの衝撃は、はじめてビートルズを聞いた時以来のものであった。 結果。 以来、私はモンゴルという国に魅せられ、狂った。モンゴルキチガイ人間の完成である。 さらに特技も一つ増えた。いつどこでも涙を流すことができるというものである。ただし、モンゴルの風景写真が必要であるが。 一般に旅行記というものは、過剰な思い入れ、必要以上の私見を持ち込んではならぬとされている。 しかし、このような私がどうやって冷静に旅行記が書けようか。よってこんなクソみたいな原則は便所に一欠けら残さず流し捨て、独断と偏見と私情に満ちた旅行記を製作することにした次第である。 更に言うと、当文書は私の所属する某秘密組織における重大な任務報告書であり、本来は政治上の機密極秘事項とされ、その実はある国から要請されたシークレットミッションなのだ。聡明な方は一見アホっぽい文章の行間に潜む緊迫感を読み取っていただけると思う。 も一つ言うと、その崇高なる目的を述べることは私の生命に危険を及ぼすものなので、残念ながら多くは語れない。けれども、いつかは笑って告白できる時が来るであろう。皆様にはその時まで心待ちにして貰いたい所存だ。この点に関しては実に遺憾である。 ただ気をつけて頂きたいことは、この極秘ファイルをたまたま目にした読者諸兄諸姉にも何らかの危険が及ぶ恐れがあることだ。KGB、FBI、CIA、フリーメイソン、MJ12…ありとあらゆる秘密組織が絡んだ極秘任務ですので、何が起こるかわかりません。また、その責任は一切持ちません。 戸締り・火の元をよく確認した上、この先をお読みください。 外で物音がする (命を狙いにきた殺し屋かもしれません) 部屋に虫が入ってきた。 (某国最高技術を駆使して開発された超小型ロボット偵察機の恐れあり) 電話がかかってこない。 (電話線切断) 眠い。 (睡眠ガス) 便秘 (食料毒混入) 足が臭い。 金がない。 性格が悪い。 チャック開けっ放し。 もてない。 腹減った。etc.etc... すべては陰謀でありましょう。 |
