ドイツ ベルリン郊外ザクセンハウゼン強制収容所跡へ
2003年9月
ベルリン Sバーン
 ベルリン郊外と中心部を結ぶ路線網で、DBが運営している。今回は、ザクスハウゼン収容所へ行くのに利用したが、他に日本人にはポツダム宣言の地として馴染みのある。ポツダムへもこのSバーンで行ける。

フリードリッヒ通り駅から最初にやって来たS1の列車に乗ったのだが、この列車は途中の駅までだったので、後続の列車に乗り換え。ベルリンのSバーンの殆どがこの481系。

次にやってきたのは目的の駅、オラニエンブルク行きの同じくS1の列車。

上の画像を撮影後、先頭車に乗り込む。

次の駅に停車。
すると、運転席のドアが開き、でっかい運転手がなんか叫んでいる。
よく見ると、こっちの方を見て、呼んでいるみたい。
「僕?」と自分に向けて指を刺すと、そうだそうだと大きくうなづいている。


お、おっ!!
これは、運転席に来ないかって誘ってくれてるんだと。
そう、良くドイツの鉄道旅行記を読んでいると、
運転席に乗せてもらったという話を何度か読んだことがある。

これは、そうに違いない!!

というわけで、喜んで、運転席へ。
運転席へ入ると、横に大きな運転手が迎えてくれた。
お礼を言いながら、英語で話をしていると、
運転手が、
「お前が、この列車の写真を撮ってたから呼んだんだよ!」
「どっから来たんだ?」

「日本から、けど今はロンドンに住んでるけど。」
と私。

「そうか、俺はタイには行ったことがあるぞ。」
「タイはいいところだね!」
「オレの嫁さんと娘がタイにいるよ!」
「ここで稼いで、長期休暇をもらって、家族に会いに行くんだよ。」
と運転手。

同じアジア人だけど
だいぶ離れてるなぁ、日本とタイって…??

雨の中を列車は、順調に進む。

左とこの線路は、Sバーン用路線。右側には、DB長距離線の路線が並走している。

運転手の話によると、毎日このS1路線を毎日行ったり来たりしてるらしい。
「ベルリンはあんまり良いとこじゃないよ、早くタイへ行きたい!」とも。


駅へ侵入。この列車は、ワンマン列車のため、ドア閉めはサイドミラーで確認。運転手の口は動きっぱなしだが、確認はしっかり、さすがプロ。

終点オラニエンブルク。Sバーンの運行区間は、ここまで。右には、さらに北に路線が伸びている。



この先北へ向かうには、RE、RBに乗り換え。画像は646型DMU。


運転手にお礼を言って、駅を後にする。
ガイドブックによると、徒歩で約20分。

駅を出るとザクセンハウゼンの案内盤に従い、雨の中、収容所を目指す。


歩くこと20分ちょっと、やっと入口にたどり着いた。
でさらに、奥へ歩いてい行く。
これだけでも、規模の大きさに驚く。

そして
ザクセンハウゼン強制収容所の正門にたどり着いた。

ザクセンハウゼン強制収容所
 1936年に設立された現在のドイツ国内では最大の強制収容所跡。ここでは、生体実験やガス室による虐殺が行なわれ、第2次世界大戦終了までに、10万人もの命がこの収容所で失われた。
 現在は、一部の建物が残されているだけだが、当時の残虐さ生々しさが伝わってくる。


これが、その門。入口には「働けば自由になる」と、書かれた鉄格子がむなしさを誘う

後ろ手に縛り付けられ、そのまま体を吊るすという拷問が行なわれた捧。

何棟かの収容棟が残され、そのまま残されたり、資料室にされ当時の様子を伝えている。当時を思うと、あまりにも生々しくカメラを構える気にはなれなかった。

ガス室跡。連合軍により破壊されたが、その跡が大切に残されている。

ガス室脇にある薪の貯蔵庫跡。ここには、遺体を焼くための薪が蓄えられていた。

順路から外れて、裏手の方を覘くと、昔の建物が残されていた。ここは、収容所外になると思うのですが、おそらく収容所に関連した建物か、倉庫のような建物だったのでしょう。

あまりにも広いザクセンハウゼン強制収容所を歩いて、
ヘトヘト。
強烈な事実を見せ付けられ、気持ちも重く、
また、20分の道のりを歩いて駅まで帰るのもうんざり。

ガイドブックにも、他の方のホームページにも徒歩でと書いてあったので、
バス路線が走ってないのかと思っていました。
しかし!
よ〜く、見ると駐車場の前にバス停がある。
オーーこれは、バスが走っているぞ!
ドイツ語はわからないが、
ルート上にオラニエンブルク駅の文字を見つけた。

別にこの後、観光の予定もしていないので、
1時間でもバスを待つ覚悟でいたら、10分後にバスがあ〜るじゃない!!
っでやってきたのは804番のバス。

バスは、オラニエンブルク駅の南側をぐるっと回って、10分ほどで駅前に着いた。
なんだこんな楽な方法があったんだ。


オラニエンブルク駅に、この804番バスで戻ってきた。ザクセンハウゼン強制収容所前からはこの他に、821番があった。各バスとも1時間に1本の割合で運行されている模様。

この後、再びSバーンに乗って約50分。
ベルリン中心部へと戻った。



その晩、妻との会話でも、
人間のしてきた愚かさが話題となった。
今日は、楽しいこともあったが、重い一日でもあった。
ハンブルクよりICEでベルリンへ ベルリン市内交通と観光地巡り