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 気がついたのは見慣れぬ場所だった。どうやら寝台に寝かされていたようで、肌に荒い、だが清潔な敷布の感触がある。頭上の天井は随分低く、部屋自体がやけに狭い。
ここはどこだろう?
視界が揺れるような気がするのは、頭を打ったせいだろうか?
・・・いいや、違う。自分ではなく、床自体が大きく左右に揺れているのだ。じっと耳を凝らすと波の音がした。
ここは船の上・・・?
 頭上には小さな窓があり、寝台に身を起こせば外の様子を見ることもできそうだ。が、パルマンは起きあがる気にはなれなかった。目が覚めて今までの経緯を思い出した途端、忘れていた深い絶望が現れ出でる。
 判っていたはずだ。ゲザルクの長老にも自ら言ったではないか、もう自分の居場所はないのだと。
それなのに改めて目の前に突きつけられればこんなにも打ちのめされる。
 「王子」と呼ばれ下にも置かぬ扱いを受けてきた。それを当然と思うほど傲慢ではなかったはずだが、それでもその地位に甘んじていたことは否定できない。その「王子」でなくなった時、自分の価値はどこにあるのか。あの衛兵が言ったように、王子でない自分は単なる一人の子供に過ぎない。いや、親も家もない、自分の名すら名乗れぬ存在。「王子」という名のない自分はこんなにも弱いものだったのか。こんなにもちっぽけな存在だったのか。
考えれば考えるほど判らなくなる。
あの夜一人生き残ったのは何のため?
沢山の人を犠牲にして、自分一人助かって。そんな価値が果たしてあっただろうか。
王族の義務?
そんなものが何の役に立つだろう?もはや王族ですらないというのに。
 眼を両手の甲で覆うと、視界が真っ暗になった。このまま闇の中へ落ちて行ければ・・・。

 コンコン。
「入るぞ」
 ノックの音と同時に部屋に入ってきたのは、この部屋同様、全く見覚えのない男だった。
「気がついたか。具合はどうだ?頭は痛くないか?」
 問いかけながら、男は寝台横の台に水差しの盆を置く。
「起きられるか?」
 男の言葉は決して丁寧なものではなかったが、そのぞんざいな口調の中に気遣いが込められているのを感じ取り、パルマンは渋々寝台から身を起こした。持って生まれた性格と王子としての教育ゆえ、助けてもらった相手に礼を尽くさずにはいられなかったのだ。
「助けてくださってありがとうござます」
 男はそれには答えず、グラスに水を注ぐと彼に押し付けた。
「飲め」
 一口口に含むと、殴られた時に口の中を切ったのか、ぴりぴりと染みた。五臓六腑に染み渡る冷たい水の感覚に、身体が熱を持っていることを感じる。ゲザルクの長老が言った通り、プカサスへの旅は弱っていた身体には予想以上に堪えたようだ。
 ふと気付けば、男がじっと見つめていた。じろじろと観察するような視線は遠慮がない。王子という立場柄見られることに慣れているとはいえ、やはり居心地悪く、加えて素性がばれたら・・・と思うといい気分ではない。
「どうやら大した事はなかったようだな」
 腕組を解いて男が呟く。
 パルマンはグラスを置くと姿勢を正し、男を見つめた。長い髪と片目を隠した眼帯が精悍な印象の男である。
「あなたは・・・?」
「俺はガゼル。ヌメロス海軍の艦長だ。おっと『初めまして』じゃない。あんたは覚えていないだろうが、俺は何年も前にあんたに会ったことがある」
「・・・つまり、私が誰であるか知っていると?」
「まあ、そういうことになる」
 顔色を変えたパルマンに、ガゼルは手を振って見せる。
「心配しなくていい。俺しか知らないし、口外するつもりもない」
 それから椅子を引っ張ってくると、パルマンの寝台の横に腰掛けた。足を高く組み、少年の瞳にひたと視線を合わせる。
「あんた・・・プカサスの今の状況は知っているか?」
 片方だけの瞳が光を帯びる。
「・・・ええ」
「ならば!」
 ガゼルの声が大きくなった。
「なぜ今まで出てこなかった!?あんたは死んだものと思われているんだぞ!!今頃になってやってきたのはなぜだ!?あの晩一体何があったんだ!?」
 ガゼルは畳み掛けるように問いかける。だが、決して「エクトル」という名は出さなかった。自分の船とは言え、どこで誰が聞いているか判らぬもの。「口外せぬ」という約束はきっちり守るつもりらしい。
「・・・私が意識を取り戻したのはゲザルクでした。あの事件から7日後のことです」
「7日・・・」
 動揺する国民を収めるために新しい皇帝を立てるというラウゼン達の考えは、些か性急過ぎたとは言え、非難されるべきものではない。そのことはガゼルも理解している。そこへ持ってきて、本来後を継ぐべき王子の消息が7日も掴めないとなれば、その生存を信じていた者達ですら諦めざるを得ないだろう。
 二人の間に沈黙が落ちる。もともとガゼルは弁が立つわけではない。下手な慰めを言う気にもなれなかった。
 次に口を開いたのは少年のほうだった。
「ガゼル艦長・・・でしたね?」
「あ?ああ」
「艦長と言うことは、城への出入りも可能と言うことですよね?私を城へ連れていってはくれませんか?あなたの小姓ということにでもして・・・」
「城、だと?」
 ガゼルは目をむいた。城へ行ってどうするというのか。王子の死が公式に発表されている今、名乗りをあげても偽物扱いされるだけのことである。そして、王族を詐称することは死刑に値するほどの重罪。
「城へ行ってどうする?」
「ゼノン隊長・・・ゼノン閣下にお会いしたい」
「ゼノンだと?ゼノンに会ってどうする?ラウゼンの即位は不当だとでも訴えるか?」
 例えゼノンが本物の王子だと認めたとしても、折角得た皇帝の座から引き下ろされるラウゼンが黙ってみているはずがない。あれはそういう男だ。
「いいえ。私は真実が知りたい。それだけです」
 ガゼルは少年の瞳を覗きこんだ。その緑色の瞳が真っ直ぐに見つめ返す。
「本気か?」
「はい」
「余計がっかりするだけかもしれないぞ?」
「判っています」
 少年は頷き、その答えにガゼルは少しだけ瞳を和らげた。
「ふん。嘘ではなさそうだな。判った。俺が連れていってやろう」
 ようやく少年が肩の力を抜く。微笑を浮かべるまでは行かなかったものの、ほっと漏らされた溜息は少年が今まで緊張し続けていたことを表していた。
「お願いします」
「連れていってやるが・・・」
「が?」
 ガゼルは片方だけの瞳でにやりと笑った。
「その前に、その姿勢を何とかしたほうがいい。普通の子供はそんなに姿勢がよくない」

(続く)

 ガゼル、今回も出張ってます・・・

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