BACK | NEXT

 一人の男が群衆に語りかけていた。まだ30歳くらいだろう。こぎれいな、伊達といっていいほど身なりを整えた男は、一段高くなったところから群衆相手に熱弁を振るっていた。
「土地が痩せているのは我らのせいか?海が豊かな恵みをもたらさないのは我らのせいか?『貧乏国ヌメロス』と笑われねばならないほど、我らは悪いのか?違うはずだ、同胞諸君。我らは精一杯働いてきたのだ。豊かな恵みの上に安穏と生きてきた連中に笑われねばならないようなことは何一つしていないはずだ!」
 群衆の間から同意の唸り声が上がった。壇上から群集を見下ろして頷いた弁士の名はブレガーと言う。
 ブレガーはなおも続ける。
「確かに我らの国は豊かではない。だが、思い出したまえ、諸君。我らは他国のものが持たない素晴らしいものを持っているということを」
 群集が顔を見合わせる。
「人材だ、諸君。働き者で優秀な国民。勇敢で優秀な兵士達。そして、頼るに足る指導者!」
 ブレガーは拳を振り上げる。
 彼の言う指導者が前皇帝の補佐を務めていたラウゼンを指すことは明らかであった。ブレガーがラウゼンの懐刀の一人であることは、少しでも国政に興味を持つ者なら誰でも知っていることなのだ。
 ブレガーの演説は続く。
「亡くなられたエクトル皇帝陛下も素晴らしい方だった。我らを導き、平和な日々を約束してくれた。私はそれを否定するものではない」
 民に慕われていた前皇帝を否定しないあたりが、ブレガーの弁舌の優れたところである。
「だが、エクトル陛下は平和の指導者だったのだ。安定の時代にこそその力を発揮される方だったのだ。今の動乱の時代、指導者は優しいだけでは駄目なのだ。強い力で民を導き、このヌメロスを引っ張っていく方が必要なのだ。そしてそうなる筈だった王子も既におられぬ。となれば、我らの中から指導者を選ぶしか方法はない」
 ブレガーは言葉を切って群衆を見まわした。
「我らは他国に勝るとも劣らない財産を持っているのだ!今こそこの素晴らしき財産を生かすべきなのだ!優秀な指導者の元、ヌメロスはこのヴェルトルーナ一の国になれるはずなのだ!」
 彼の力強い主張に、何人かが頷いている。
「それにはヌメロス国民一人一人が皇帝陛下を支えなければならない!そうだ!諸君達がヌメロスをヴェルトルーナ一の国家に押し上げるのだ!ヌメロス万歳!」
 ブレガーの振り上げた拳に合わせて群衆が拳を振り上げた。その様を目に納め、ブレガーは演壇を降りる。入れ違いに今は司令となったゼノンが演壇に登る。
「なかなか見事だな」
「群集など愚かなものです」
 すれ違いざまに交わされた会話を聞いた者はいない。
 ゼノンが演壇に立つと、歓声を上げていた群集が水を打った様に静まった。
「ブレガー氏が何もかも話してくれたので今更私から言う事はないが、一つだけ皆に頼みたいことがある」
 かの有名な武人ゼノンの頼み事とは何だろう、と、群集は耳を澄ます。
「わが国がヴェルトルーナ一の国家に成長する道は険しい。多くの苦労を皆に強いることになるだろう。だが、その先には輝かしい未来が待っているのだということを判って欲しい。苦労が大きければ大きいほど、その先の未来は明るいのだ。・・・いずれ軍より皆に協力の依頼がいくであろうが、その時にはどうか皆の力をこのゼノンに貸して欲しい」
 大きな歓声が上がった。ブレガーが再び演台に登り、ゼノンと並んで手を振ると、群集の歓声は一層大きくなる。
「他愛ないものよ」
「全くですな」
 全ての者が二人の言葉に躍らされていた訳ではない。
 事情通の者は、あのラウゼンと言う男は皇帝の補佐で一生を終えるには少しばかり野心が多いということを知っていた。今回の皇帝襲撃の事件も「もしかしたらラウゼンが・・・」と疑っていた者もいなくはない。だが、確たる証拠もなく国政の代表者達を弾劾するわけにはいかなかった。そして何より、そんなことを口に出せるような雰囲気ではなかった。そんなことをすれば興奮した群集に袋叩きにされたであろう。それゆえ隠された事実を推測できるほど明敏な者たちは、その明敏さ故に誰もが固く口を閉ざした。ただむっつりと壇上の男たちと興奮する群集を睨みつけるしかなかった。・・・もし、この時彼らが将来ヌメロスの辿る道を知っていたなら断固として反対を唱えたかも知れぬが、残念ながら彼らに未来を視る力はなかった。

line

 「やっぱり、そうなのかな・・・どう思う、親父?」
「・・・滅多なことを言うでない。とにかく今は彼が目を覚ますのを待つしかあるまい」
 帝都プカサスから港町ゲザルクへ至る田舎道を、足早に辿る二人連れがいた。彼らの前にも後にも人影はない。だが、二人きりであるにもかかわらず、辺りを憚る様にひそひそ声で会話を交わす。
「もし彼が・・・様だとしたら、ラウゼンの発表は嘘ってことになるだろう?でも、ラウゼンだけならともかく、ゼノン閣下までがそれを認めているとしたら・・・この人は単に他人の空似なのか?」
「やめろと言っておる」
「判ったよ、もう言わない」
 若い男は、ちぇっ、と舌打ちをすると歩くことに専念した。彼らの横には1頭の馬。それが引いている小さな荷台には帝都からの土産らしい沢山の反物、野菜、その他の日用品が山と積まれていた。そして、それに埋もれるように布で覆われた人の背丈ほどの荷物があった。
「彼が目覚める前にこの街道を抜けてしまわねばならぬ。万が一兵たちの検問にあったら言い訳が聞かぬ」
「へいへい。でもこの辺りには検問はないと思うな。少なくとも俺が休暇を取る前にはそんな話はなかった」
「それが今も変わっていないことを祈る」
 ゲザルクの長老と言われる老人と、普段は城勤めでたまたま休暇で家に戻っていたその息子は、あたりを憚りながら家への道を急いだ。

line

 「皇帝陛下が亡くなられた、だと・・・」
 手紙を握り締める拳が白くなった。
「王子は、エクトル様はどうなったのだ・・・?」
 読み進める男の瞳は片方が眼帯で隠されている。男の名はガゼル。まだ二十代と若いながら、ヌメロス海軍の中でめきめきと頭角をあらわしている男である。難を言うなら若干型破りであるということであろうか。
 ガゼルはたった今、鳩に託されたプカサスからの手紙を受け取ったところだった。海に浮かぶこの船と繋ぎを取るには、船が港に入った時か、でなければ鳩に託すしか方法はなく、どんなに急いでもプカサスからの手紙がガゼルの元に届くには何日もかかる。つまり、ガゼルがその報を受け取った時には、全て片がついてしまっていたのだ。
「陛下が・・・」
 ガゼルは天を振り仰いだ。仕えがいのある皇帝だと思っていたのだが・・・。
「それに王子もか・・・」
 瞼の裏に、かつて一度だけ見たことのある小さな姿が思い浮かぶ。
 もう何年前になるだろうか。初めて自分の船を持ったときに皇帝陛下に声をかけてもらう機会があった。あの皇帝はそんな小さな仕事をずいぶんこなしていたものだ。その時、皇帝の後ろにいた少年。緊張に頬を上気させ、それでも王子らしくきっと顔を上げていた。少々つかえながらも挨拶を述べる姿はほほえましく、だが、幼いながらも既に指導者たる素質を覗かせていた。あれから経った年数を考えれば、もう17、8にはなっていただろうが・・・。
「今後のヌメロスは荒れそうだな・・・」
 皇帝も王子も亡き者であるなら、あとを継ぐのは今までの重臣の誰かということになろう。おそらくはラウゼンか。奴にとっては「棚からぼた餅」だろうと思うと少々忌々しい。あの男は心底仕えたいと思うような相手ではないからだ。が、とにかく事の次第を確認せねばならぬ。たとえ「今更」であろうと。
「プカサスへ戻るぞ!全展帆!」
 艦長の焦りを表すかのような強い風が、船の帆を膨らませた。

(続く)

 か、肝心の主人公がいない(^^;)
 ガゼル、ついつい出しちゃいました。彼も年齢が判らないのですが、ここではパルマンより7,8歳上を想定しています。最初の船(まあ、ちっちゃいのでしょうけど)を任されたのが20歳をちょっと越えた辺り、とすればなんとか辻褄が合うかと(^^;)「そんなおじさんじゃない!」と言う方、どうかお許し下さいませ〜。
 あ、ゲザルクの長老の息子は勝手に作りました(^^;)
 行き倒れていた主人公、次は出てきます、ハイ。

BACK | NEXT