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 いつのまにか雨が降り出していた。月を覆う厚い雲が、強い風に流されていく。時折光る稲妻が、閉ざされた窓越しに室内を照らし、その凄惨な場面を人目に晒す。

 パルマンは肩で息をしていた。夢中で剣を振るい、二人に切りつけたところまでは覚えている。連中がどうなったのかは判らない。確認する間も無かった。死んだのか、それともかすり傷を負っただけで戦い続けているのか。判っているのはこちらが圧倒的に不利であるということだけである。戦っている味方は彼を含めて数名。部屋の隅の方に固まって震える女官が何人か。部屋を照らすはずの燭台は誰かが倒したのか既になく、今この部屋を照らしているのは窓越しに光る稲妻とちろちろと燃え上がる炎だけである。
 頬を伝ってきたものを舌先で舐めると鉄の味がした。先程打ちあった時に切られたらしい。胸がむかむかするのは口の中に広がる味のせいに違いない。膝が震えるのは動き続けているからだ。腕が重いのは着なれない服の袖が邪魔だからだ。・・・決して恐怖などであるものか。
 「王子はどこだ」
 部屋の中を無造作に横切ってきた男の黒い布の下からくぐもった声が聞こえた。黒ずくめの男は客用の衣服を纏った少年がその王子だとは気づいていない。
「王子は・・・」
「ここだ」
 「私だ」と言おうとした矢先の声に、パルマンは思わず背後を振り返った。
「王子は私だ。賊が私に何の用だ?」
 どす黒く染まった剣を下げてパルマンの横に立ったのは、王子の衣服を羽織った彼の武官だった。
「何を・・・」
 呆気に取られる彼を視線で制して武官が囁く。
「勝手なことをして申し訳ありません。ですが・・・」
 視線だけで辺りを見まわしながら、パルマンが兄のようにも思っていた青年は呟く。
「もうここは持ちません。私が連中の注意を惹いている間にお逃げ下さい」
「そんなこと、できるわけないだろう!」
「よく逃げなかったな。さすが王子だけのことはある」
 黒ずくめの男は舌なめずりする様に剣を持ち上げた。
「お前達、いったい何者だ?見たところ物取りではないようだが」
 若い武官は彼の主人を演じている。
「やめろ。そんなことをして何になる。もうすこし待てば応援がくる」
 囁くパルマンに武官は小さく首を振った。
「いいえ、応援は来ません」
「何?」
「東翼から炎が上がっています」
 東翼は皇帝の居住区である。年老いた皇帝が賊から逃れられる可能性を思い、武官は眉をひそめる。
「賊は貴方と陛下の両方の抹殺を狙っているのです。祭りの後とは言え、厳重な警備を縫って双方を狙うには、内部の手引きなくしてはできません」
「裏切り?誰が?」
「判りません。ですが、応援は来ないでしょう。ですから」
 武官は厳しい目で彼の主人を見つめた。
「お逃げ下さい。早く!」
「だが・・・」
 パルマンにはどうしていいか判らなかった。「部下を置いて逃げる上官などもっての他」。常々そう思っていたせいもある。それに加えて、裏切り、父である皇帝の安否、絶望的な状況。腕こそ立つが平和の中に生きてきた17歳の少年に今すぐ判断しろというほうが無理なのだ。
「・・・ならば、私もここで最後まで戦う」
 ようやく搾り出した声だったが、武官はそれを叱責した。
「貴方はそれでいいかもしれません。でも!この国の民はどうすればいいのです!?賊に皇帝を奪われた国民は!」
 武官の目はもはやパルマンを見てはいない。近づいてくる黒尽くめの男を睨んでいる。だが、その囁くような声はパルマンの胸を打った。
「私は死ぬこともできないのか?」
 縋る思いでの問いかけに返ってきた答えは───。
「そうです。それが王族の義務です」
「・・・判った・・・逃げればいいんだな?生き延びればいいんだな?」
「どうかご無事で」
 身を翻すパルマンの耳に、二本の剣がぶつかり合う金属音が響いた。
 重苦しい思いを胸の底に押し込んでパルマンは窓辺に駆け寄った。重い下げ戸を持ち上げ、身を乗り出す。窓辺の木を伝えば外に降りられるだろう。外にさえ出れば、この悪天候が味方してくれる。
「さあ、皆、ここから・・・」
 うずくまる女官達を逃がそうと振り返った彼の目の前に、にゅっと剣が現れた。
「小僧、逃げようとはいい度胸だ」
 打ち下ろされる剣を辛うじて受け止めるが、不安定な体勢に足元がよろけた。
「くっ」
「ふふふ、どうした。体だけはでかいがまだまだだな。そら、お仲間のところへ行け!」
 急に剣を引かれてふらついたところへ頭上から剣が降ってくる。
がっ!
こめかみに強い衝撃を受け、パルマンは床に膝をついた。なんとか立ち上がろうと剣を床につくが体が思うように動かない。
「あばよ」
 右顔面が熱くなり、何も判らなくなった。
背に触れるのは床だろうか?
指を伝うのは血だろうか?
私はこれで死ぬのだろうか?
 遠くなる意識の中で、彼は生き残った者を殺戮する男たちの笑い声を聞いていた。

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 気を失っていたのはほんの僅かの時間だったのだろう。目を開ければ黒ずくめの男たちが広間を出ていく後姿が見えたのだから。
「くっ!」
 ふらつく頭を振りながら、パルマンは起きあがった。ぼうっとした頭で辺りを見まわし、その光景に絶句する。
 男たちは部屋に火を放ったのだろう。燃えあがる炎に照らされて、物言わぬ躯がこちらを見ていた。優しかった侍女。美しかった面に苦悶の表情が浮かんでいた。
「ひっ」
 思わず後退った指先に、別の躯が触れる。
 狂ってしまいそうだった。狂ってしまいたかった。狂い死んでしまえればどんなにいいか。
だが。
『それが王族の義務です』
耳の中であの声がこだました。
 パルマンは一度ごくりと唾を飲んだ。それからゆっくりと腕を動かし、足を曲げ、ぎくしゃくと立ちあがった。燃えあがる炎は直に天井に届くだろう。床に広がる黒いものは、ゆらゆらと揺れる炎が作り出す陰だろうか、それとも流れ出た命の染みなのか。
 取り落とした剣を拾い、衣服の端で拭って腰にさす。それから彼はゆっくりと窓辺に近づいた。開いたままの窓から顔を突き出すと、眼下に真っ暗な木立が見えた。慎重に身を持ち上げ、窓枠を越える。遠くに聞こえるざわめきは城の異変を知って集まってきた兵達だろう。
だが、誰を信じればいい?あれが皇帝を殺めて戻ってきた者たちでないとどうして言いきれる?
 城壁を下り、森を抜け、パルマンは走った。どこへ向かっているかも判らぬまま。走り続け、それ以上走れなくなると、そのままそこに倒れ臥した。そこが森であろうと村であろうと、もうどうでも良かった。とにかくそのまま眠ってしまいたかった。目が覚めた時には全てが夢であることを祈って。

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 燃えあがる炎を遠くから見つめている姿があった。鍛えられた体をマントに包んだ偉丈夫である。
 「ゼノン隊長。いや、ゼノン閣下かな」
「ブレガーか」
 男は振り返らない。声をかけたほうも気を悪くする様子もなく、城を見つめる男の横に並んだ。
「皇帝、王子とも抹殺に成功したとのことですな」
「皇帝、王子とも祝典に疲れ寝入っているところを賊に襲われ、残念ながら命を落とされた。城下の兵が異変に気付いた時にはもう間に合わなかったのだ」
 低い声には確かに笑いが含まれていた。
「して、その賊は?」
 問いかけるブレガーの声にもまた笑いの色がある。
「祝いを述べようと一日遅れで城へ向かっていたゼノンの軍に、全員討たれた」
「それはそれは。ゼノン隊長のお手柄ですな」
 皮肉を含んだブレガーの物言いにゼノンは少しだけ眉を顰めた。
「これからが一仕事だ。ラウゼン閣下を皇帝に祭り上げ、国民に承知させねばならん」
「その事でしたら私にお任せを。ゼノン閣下が剣を武器とするなら、私の武器はこの頭と舌ですからな」
「では、お手並み拝見するとしよう」
 二人の男は闇夜に輝く炎を見つめながら低く笑った。

 雨はまだ降っていた。今宵命を落とした者達を悼んで、今後この国が辿る道を想って、くすぶる城の上に雨は降り続ける。涙の様に。

(続く)

 まだまだ、続く・・・。何かだんだん展開が臭くなってきたのですが、もうこれは諦めてください(笑)。ただでさえ私、シリアスを書くと臭くなるのに、(ゲーム内の)パルマンがまた臭いセリフばしばし言ってくれるキャラだったりしますので、歯止めが利かない・・・。
 それにしても、ゼノンやブレガーといった悪役キャラは書いていて楽しいですなあ

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