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 その国はヴェルトルーナの一画にあった。決して裕福な国ではない。いや、花の都カヴァロを有するメルヘローズに比べれば、貧しいと言ってもよかった。土地は肥えているとは言い難く、北に広がる海も人々に豊かな暮らしを約束するものではなかった。それでも人々は懸命に日々を暮らしていた。現皇帝は指導者として優れており、国内に争い事もなかった。周囲の国を羨むことさえしなければ、それなりに幸せだったのである。
 そう、あの時までは。
 

 ガガーブ暦935年。ヌメロス。
 それは皇帝の在位40年の記念祝典を明日に控えた日のことだった。


 「では、どうしても行く気はないというのじゃな、パルマン?」
 皇帝は年を取ってから得た息子の顔を眺めて問いかけた。
「ええ、父上。第一、今から出かけたら明日の父上の在位40年記念式典に出席できないではありませんか。息子の私がいなければ話にならないでしょう?」
 今年17となった王子のパルマン・エクトルは首を傾げる。彼の主張は間違っていない。もともと質実剛健を旨とする国のこと、大きな祝典など数えるほどしかないのだが、明日は城下はもちろん、この城でも祝いの宴が開かれることになっている。賢帝と名高い現皇帝の在位を祝う席に、跡取であり次期皇帝である少年が欠席するなど誰も想像だにしないだろう。
「大切な届け物であれば、父上が信頼を置く者をやればいいではありませんか」
 畳みかけるような言葉に皇帝はついに諦めた。
 そうだ。きっと自分の懸念は単なる杞憂に終わるにちがいない。もしそうでなければ・・・自分も息子もそれまでの存在だったのだ。
 賢帝は小さく溜息をついた。
「お前の考えはよく判った。もうよい、他のものを遣ることにしよう」
 ようやく解放された若者は笑みを浮かべると嬉しそうに笑った。
「明日は色々な方にお会いできるのですね。特にゼノン隊長にお会いするのが楽しみです。ぜひ私の槍の腕前についてご意見を頂きたいものです」
「判っておる、忘れてはおらんよ。さあ、もう行くが良い」
 久方ぶりに会う武術の師との会見を暗に催促する息子に苦笑を浮かべると、皇帝は息子が広間を立ち去るのを見送った。


 その後姿が扉の向こうへ消えると、皇帝は笑みを消して側に仕える兵士に命じる。
「ナレサを呼べ」
 それからしばらく後、一人の兵士が小さな包を胸に抱え、プカサスの城を発った。大切に胸元に納めた包の側には、「明後日に読むように」と渡された彼当ての指示書がある。
一体これは何だろう?
兵士はその小ささと軽さに首を傾げたが、皇帝自らが「必ず役目を果たして欲しい」と念を入れたことを思い出して笑みを浮かべる。賢帝からの依頼。それは記念祝典に参加できない無念さを和らげた。
「急いで役目を果たさねば」
 再び足を速めた兵士は、その包の中に入っているのが小さな石であるとは想像だにしなかった。 

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 「ちぇっ。残念だなあ」


 パルマン王子は部屋の中を落ちつきなく行ったり来たりしながら、ぶつぶつ文句を言っていた。その様子を王子付きの侍女と武官が苦笑しながら眺めている。
「そうは言っても仕方がないではありませんか。ゼノン隊長もお忙しいお方。またお会いする機会もございましょう」
 宥める若い武官の言葉に、王子は小さく膨れて見せた。17といってもこんなところはまだまだ子供っぽい。
「判っているよ、そんなに子供扱いしなくてもいいだろう?私だって別に父上やゼノン隊長を困らせたい訳じゃない。ただ・・・」
「『随分前から楽しみにしていたから少しばかりがっかりした』、でございましょう?」
 乳母と言うには若いが、姉と言うには少しばかり年が離れた侍女がくすくすと笑った。普通ならば王族に対してこのような言葉使いなど許されるものではないが、パルマンは一向に気にしない。
「各地を飛び回っているゼノン隊長を捕まえるのは大変なんだ。次はいつお会いできるかな・・・」
 階下からはまだ人のざわめきが聞こえてくる。賑やかなことが苦手なパルマンは式典が終わるとさっさと自室へ戻ってきてしまったが、きっと今晩は一晩中騒ぎが続くのであろう。それこそ何年かに一度の行事である。少しくらい馬鹿騒ぎをしたとしても皆大目に見る。
 彼の父、つまり現ヌメロス皇帝も既に自室に引き取っているはずである。在位40年。そろそろ60歳に手が届く皇帝ではあるが、その明晰な頭脳はまだまだ衰えを知らない。ここ数年の天候不順にもかかわらず飢饉が起きていないのは、皇帝の英断のおかげであろう。もちろんラウゼン、ゼノンのような優秀な者達が皇帝を支えているからこそであるが。
 パルマンにとって父は手本であった。いつか自分がその地位を継ぐことがあるなら、必ず父のような指導者になろうと思った。民のことを考え、部下をねぎらい、そして何よりこのヌメロスの為に自分にできる限りのことをしよう。それが17歳のパルマン王子の夢であった。


 祝いの興奮が収まり、最後まで騒いでいた者達が自分の寝台へ潜りこんだのは、夜も随分更けてからの事であった。興奮から来る心地よい疲れと、常になくたっぷり詰めこんだ料理、そして酒の酔いに、客も使用人も皆ぐっすりと眠り込んでいる。聞こえるのは熟睡した人々の寝息と誰かが寝ぼけて上げる声、それに巡回の兵士の足音だけである。
 そのプカサスの城に暗闇から暗闇へ走り抜ける影があった。
 「ぐっ」
 くぐもった声と共に巡回の兵士の足音が途切れた。崩れ落ちる体の影から現れたのは、黒い布で顔を覆った男達。いや、顔だけでなく身につけた衣装も皆黒で統一され、その素性を窺い知ることはできない。ただ、柱から柱へ移動するその身のこなしから、彼らがこのようなことに慣れている事、そしてこの城の作りに精通している事が伺えた。二十人はいるだろうか。その誰もが腰に剣を下げている。
 「一隊は皇帝の寝室へ。一隊は王子の寝室へ」
 一人が小さく指示を出すと、男達は二手に別れた。月にかかった厚い雲が男達の姿を闇に溶け込ませる。回廊を横切り、階段を登り、男達は城の奥、皇帝とその息子が居住する区画を目指す。
 「な、なんだお前達は!?」
 王子の居室へ向かった男達は、突然上がった声に振り向いた。
 黒ずくめの男達にとっては大変不幸なことに、そしてパルマン王子にとっては少しばかり幸運なことに、酒の飲みすぎで喉が乾いた客の一人が水を求めて城の奥までさ迷いこんでいたのだった。
「ぬんっ!」
 黒ずくめの男の一人が剣を抜くなり襲い掛かったが、それは僅かばかり遅かった。
「ぞ、賊だーっ!!賊が・・ぎゃっ!」
 石畳に崩れ落ちた男は、だが、その前に大声で警告を発したのだ。
 回廊に面した部屋に次々と明かりが灯される。
「ちっ!仕方がない、正面から獲物の部屋に斬り込む!」
 男の指示で残りの男達も剣を抜いた。もはや物音に気を配る必要はない。男達は大声を上げて威嚇しながら王子の居住区へ足を踏み入れた。


 「王子!パルマン王子!」
 耳元で王子付き武官が呼ぶ声でパルマンは目を開けた。
「何事・・・え!?」
 半分寝ぼけ眼で問いかけた王子だったが、皆まで問う前に気がついた。剣を打ち合わせるような金属音。人の悲鳴。
「何事だ!?」
 寝台から飛び起き、傍らの剣に手を伸ばす。槍のほうが得意なのだが、あいにく寝室には剣しか置いていなかった。
「賊が侵入した模様です。黒ずくめで顔はわかりませんが、相当腕が立ちます」
「押されているのか?」
「残念ながら。こちらの手の者は既に3割ほどやられたようです」
 報告する武官の顔に苦渋が滲む。ここは城でも最奥にあたる場所である。詰めている者の大半は女官や文官であり、武官はそう多くはない。
 「私も行こう」
 寝間着姿ではあまりにも、と侍女が持ってきた衣服に袖を通しながらパルマンが言う。普段彼が着ているのとは異なる客用の服である。どうやら賊に王子だと悟られないようにと気を利かせたらしい。このような状況にあっても皆が比較的冷静に動いていることを知り、パルマンはほっとした。もし皆が我を忘れている様なら指揮を取らねばならないのは自分である。だが、彼にはそのようなことをできる自信はなかった。今だって落ちついて行動しているように見せてはいるが、その実、口の中はからからに乾いている。じっと待ってなどいられない。せめて動いていたかった。
「王子!危険です!どうかお逃げ下さい!」
「馬鹿を言うな、お前達を置いて逃げられる筈がないだろう?」
 剣を手に出ていこうとするパルマンを武官が押しとどめようとしたその時、大きな音が響いた。ついに王子の居住区への扉が破られたのだ。
「ぐずぐずしている暇はない!」
「王子!」
 剣を掴んで寝室を出ていくパルマンの後を、武官と侍女が慌てて追いかける。
「・・・仕方がない、こうなってはできるだけ王子をお守りし、応援が来るまで堪えるのだ」
「でも・・・もし応援がこなかったら?」
不安そうに見上げる侍女を武官の感情を写さない瞳が見下ろした。王子と5つほどしか年が違わない武官だが、今の彼の瞳はもう50年以上も生きてきたかのようだ。
「王子をお逃がしするためなら、私はどんな事でもするつもりだ」
 男は剣を抜くと小走りに主人の後に続いた。


 いつもは王子の居間となっている部屋は既に地獄と化していた。10人ほどの黒ずくめの男達は、武器を持つ者も持たない者も関係なく斬りつけている。一人の目撃者も残すまいとしているのだ。
「ひっ、お、お許しを・・・」
 年老いた給仕係が、壁際に追い詰められへなへなと床に倒れこむ。その懇願する姿を見て黒ずくめの男は鼻で笑い、おもむろに剣を持ち上げると老人に向けて振り下ろした。
「馬鹿め」
 黒ずくめの男が剣を一振りすると、刃を伝う雫が飛び散り、上等の絨毯の上に赤い染みを幾つも作った。

(続く)

 
 えーと、この話はパルマン17才、彼がヌメロスの由緒ある家柄を追われる時の話です。ゲーム内には断片的にしか出てこないのですが、どんな理由があったのかなあ、とか、なぜ彼は殺されなかったんだろう?とかいろいろ考えていたところへ、ほむら様から萌え萌えシチュエーションのイラストをいただいてしまったものですから、ついつい妄想をたくましくしてしまいまして・・・。(彼の為に槍の壁紙まで作る熱心さ(笑)他のこともこれくらい熱心だと良いのだけどねえ・・・)
 つまりこれは(これも?)妄想の産物であってゲームには出てこない設定が山ほどあります。ちなみにゲーム内や設定資料集で明らかにされているのは以下の内容です。

  50年前 G893 レオーネ(28歳)が「愛」の共鳴石をパルマンの父に託す
  25年前 G918 パルマン、ヌメロスの正当な王子として誕生、ラウゼン45歳
   8年前 G935 パルマン17歳、ラウゼン60歳、ブレガー30歳
           ラウゼンが策謀により王家を落とし入れ、皇帝の座につく。
  檻歌時 G943 パルマン25歳、ラウゼン68歳、ブレガー38歳、レオーネ78歳(生きていれば)

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