何も言えない強気の自分 11


 マイクロトフが来るおきまりの時間。
それは和やかな空気がなお一層和やかになるとき(主にカミューの回りだけ)であり
空気が少し引き締まるときである、そしてほんのちょっとのお茶の時間だったりする。
そしてそういう面からだけ見れば、マイクロトフがいると仕事が遅くなるといわれればそうかもしれない。
だからって来ないで欲しいなんて思ったことは一度もないのに…。
というより来ないと困るのだ。精神衛生上以外にも、いろいろと…(笑)。

「おはよーございまーす」
「今日もお元気そうでなによりです」
 まず間違いなく来るはずのものがこないで、代わりに現れたものに部屋は一瞬凍り付いた。
しかし入ってきた人間はその空気の一体どこを見ているか的に脳天気な挨拶をする。

「定例の報告に参りました、まず昨日の訓練の進捗と…」
「ちょ…ちょっと待て、その仕事はいつもマイクロトフが…」
 当たり前のようによどみなく報告を始めようとする副団長に、まずあわてたのはフリックの方だった。
「今日はマイクロトフ団長は手の放せない用事ができまして…代わりに私がまいりました」
「ふーん、マイクロトフはこないの」
 凍り付いた部屋そのままに凍り付いた言葉がカミューより発せられる。
普通の人ならばこの声を聞いただけでとりあえず200m(ストーカー進入禁止区域)彼方に遁走することを考えただろう。
「ええ、でも報告と書類のとりまとめなら私の方が適任でしょう?」
 しかし、この険悪な雰囲気の中その元凶と相対せるこの副団長は何者なのだろうと思わずにはいられないほど、このリグヴェルという男、何事もないようににっこり笑ってみせる。
こういう仕事は確かにマイクロトフよりこの男の方が適任ではある。
確かにその通りなのだが…。
「手の放せない用事って?」
「ああ、昨日の訓練で団長にしかなつかない新馬がでたんですよ。馬具その他も特注になるので、今日は団長がついていてくれることになりまして」
 フリックからの質問に、けろりと言ってのけるのはもともと剛胆で知られるカロン。剛胆でも周囲の状況にさとい男ではあったはずだが、こっちも何もないようにひょうひょうとした態度で二の腕なんかぼりぼり掻いている。
「ふーん、馬」
 どん底だと思っていた空気がなお底を突き破って下がっていき氷点下の吹雪が吹き荒れる。
隣のフリックは生きた心地もしなかった。
「詳しくは報告書の方にありますのでそちらをどうぞ、一頭だけ訓練が遅れると後々面倒ですから」
 しかしやはり二人には全く通用していないようで、リグヴェルは淡々と報告を始めるし、カロンはその報告に沿って書類を机の上に並べていく。
よく言えば鮮やかに受け流し、悪く言えばおまえなんか知るか的態度だ。
思わずフリックは頭を抱えて机に突っ伏してしまう。今回は逃げたくても酒はない。
何で俺だけ、何で今日に限って…そううめいたとしても彼を責める人は誰もいないだろう。
たとえ責任の一端を無意識に背負っていてもだ。

「……では以上昨日の報告です。委細はこちらの書類に。重要な箇所には付箋を貼って
ありますから。それとこれは今日処理する緊急の書類、こちらは訓練表、赤の紙を貼ってあります。
以上ご質問は?」
 
 

「マイクロトフはこないの」
 再度質問というより確認。
どちらかといえば脅しに近いかもしれない。言葉に刺どころか特大のつららがついて見える。
「今日は、というかしばらくはこちらには顔を出さないとのこと」
 再度の質問に二人はうそら寒い笑顔を返して異口同音に答えた。

「なんでっ!」
 とっさに叫んでしまったのは救いの手は遠のくばかりの
フリックのほう。
「仕事のお邪魔はしたくないそうでーす」
 徹底して人を小馬鹿にしたような態度のカロン。
どこまで気づかないのか。いや気付いている。あきらかに分かっている。
「邪魔って?」
「おや?マイクロトフ団長がいない方が仕事がはかどるんですよね」
 リグヴェルの凄絶なまでの完璧な笑顔。
カミューも完璧な作り笑いは得意だが。今日のようなときなんかは背後に吹雪が吹き荒れるので機嫌はわりとよく分かる。
しかしこの男のこの笑顔はまるで薄っぺらい紙のようで、その裏にあるもの…
あるかどうかすら本当に読めないのだ。
「なっ!」
「夕べおっしゃっていたではないですか」
 昨夜、廊下で、お二人で。一つ一つ言葉を区切って丁寧に、これまたうすっきみわるいほどの笑顔でカロンが付け加える。
そしてそれは瞬間的に彼らに事実を分からせた。
「お、おいそれは!」
「それは違う!!」
 合点がいったカミューとフリックは同時にイスから跳ね起きる。
が、こちらは全くそのあわてた様子を黙殺して話を続ける。
「そうなら早く直接おっしゃって下さればよろしかったのに。
そうとわかれば我々も協力は惜しみません。もともと書類関係は私の方が得意ですし、だいたいは私で事足りると思いますよ。どうしてもマイクロトフ団長が必要なものは私が預かって団長にお渡しします。
ご安心下さい、我々で決してこの部屋にマイクロトフ団長がこなくてもいいようにします」
 ですからご安心して仕事に精を出して下さいね、と、やっぱりにっこり。
「ちょっと待て!話を…」
「仕事の話ですか?」
ずっと、にっこり
「い…いやそうじゃなくて」
「ならば後でお願いします。私たちは仕事の邪魔は一切したくありませんから」
にっこりにこにこ…
あ、副長殿がこちらにおられる間、団長の実務補佐には不詳このカロンが入ります。
何かございましたら私めにお申し付けを…」
 にっこり
…とりつくしまが全くない。
 

…要するにこの二人カミューのブリザードをものともしないほど完璧に怒っていたのだ。
もともとずっとマイクロトフのそばにあって、カミューの精神攻撃には慣れている。
どんな事情があるにしろ、どんないきさつで何の誤解が生じたにしろ、じぶんちの団長を捕まえて役立たず呼ばわりとは何事だ。
しかもそのせいで(たぶん)自分たちの大事な団長が傷ついているとなれば、復讐の一つもせずにはいられないとといったところか。
 

もちろん彼らだって分かっている。
カミュー団長が本気で自分の団長をないがしろにするわけなんて無いことを。
誰よりもマイクロトフを大事にし、彼が彼らしくあることを愛してくれる男だ。
今回のことだってきっとつまらない、それこそ割り込めば馬に蹴られそうな話に違いないだろう。
だから最後の最後まで邪魔する気はない。
所詮彼らはマイクロトフが一番大事なのだから、本質的なところでカミューの味方ですらあったのだ。
しかし今回は、だからこそこの裏切りはどうにも我慢がならなかったのである。
誤解だろうが曲解だろうがそんなこと知ったことでは無い。
普段聡いふりをしているのに彼は気づかないであげくに追い打ちをかけた。
普段は自分がいちばんマイクロトフを知っているような顔をして、ここ一番でこのていたらく。
いつもはこっちをないがしろにして横合いからマイクロトフをかっさらっていくくせに、あんな傷付け方はない。何を見ているんだといいたくなる。
もちろん、マイクロトフもカミューだから傷ついたのだということも忘れるわけもないが…。

まさしくこの二人こんな男にうちの娘をやるわけにはいかん、な父親の気持ち以外の何者でもなかった。
そして父の身勝手なオーラは今回何よりも強かった。
 

「と、とにかくカミュー、行けよ」
話の途中で、見るに見かねたフリックがこっそりカミューの背中を押す。
「フリック殿?」
「行く必要があるんだろ。こういうことは早いほうがいい。仕事は俺ができるだけやっといてやる」
「フリック殿」
地獄に仏かフリックか。手を取ろうものなら地獄の底に逆に一緒に転がり落ちそうではあるが。
フリックはただ単に同じ部屋にいるものとしてこれ異常事態の悪化を防ぎたかっただけなのだが、カミューにとってこの申し出はまさに天使にも等しい輝きを放って見えた。
昨日酒びたしにしたことや、さっきまでプレッシャーかけまくっていたことを一瞬心の中でわびたぐらいだ(自覚あったのかこのひと)。
しかし今日のお父さん、さすがに抜かりはなかったというかカミューの方に珍しくて抜かりだらけだったのだが。

「ああ、そうだ、その赤の付箋紙に白いマーキングがなされているものは今日の合同訓練の
書類です。今日の昼前までに仕上げて基地らに渡して下さいねでないとくんれんできませんから」
「ごうどうくんれん?」
「おやお忘れですか?赤青合同、赤騎士を中心としたフォーメーションの訓練の日ですよ」
「カミュー様が計画を作ってくださらなければ」
今日の予定を頭の中で反芻しカミューは口に手を当てた。
訓練のことを忘れるわけもないが、そういえばその件の書類をやった覚えがない。
全く抜かりだらけである。
これはさすがにフリックには手伝えない。しかも〆切は目の前だ。
「それ、もっと早く持ってくるべきものではないのか」
基本的にはその日の朝いちで看るべき書類のはずだとせめてもの反撃をすれば、
「持ってきましたよ?マイクロトフ様が夕べね。
ただそのときはカミュー様はフリック殿と歓談中でしたしお邪魔をしてはいけないと」
「……」
カミューはぎりっと爪を握りしめる。
歓談中…冗談じゃない。マイクロトフが来たのならそっちが優先に決まっているのにどこまで
マイクロトフは自分を分かってくれないんだろう。
本当にこのまま仕事を投げて飛び出して捕まえて叩きのめして教え込んでやりたい。
是が非でもそうしたい、だがしかし…。
「もちろん朝一番に私がお持ちいたしましたが、カミュー様はいらっしゃいませんでしたし。
机の上に置いておくとこの惨状ですからねぇ」
リグヴェルは机の上と言わず横にも積み上げられた書類の山を見てため息をつき、続ける。
「他の書類と混ざってしまいましても大変ですからね。ちゃんとお渡しした方が確実だと思いまして」
「……」
よどみなく流れる言葉の完璧な理論武装に、まさしくぐぅの音もでないとはこのこと。
「そ、そうだリロイかフォスターシュを代理に…」
赤騎士きっての頭脳。留守居を預かる副官こと文官長であるリロイと副騎士団長フォスターシュ。
カミューはプライド(というほど大げさなものではないが)を投げ捨て最後の手段を行使しようとした。
たかが人一人しかも私用でとっつかまえる時間を稼ぐために、団長権限委譲をというか押しつけを団長自身が元気でそこらへんに存在するにも関わらずしようとしたわけだが…

しかしその最後の頼みの綱は恐ろしくもろかった。
「あ、あのお二方なら医務室です、
たぶん昼過ぎまで出てこられないんじゃないかと…」
思い出したようにカロンが口を出す。
「なんで…」
「はぁ、まぁ…ちょっと朝練で」
これは、もちろんマイクロトフのせいである。
リロイは完全に叩き伏されてベッドの住人。フォスターシュはさすがにほぼ無傷ながら
医務室からあふれるほどでた軽傷者の面倒で医務室から離れられなくなっているのだ。
はからずもの援護射撃といった感じではあるが…
これは青騎士攻撃隊二人にも想定外のことだったようで、何ともいえない顔でお互いを見た後
「両名とも昼には問題なく帰還できると思います」
「夕方に報告書が行くと思います」
とだけ言うにとどまった。
さすがにうちの団長のせいですとはいえない。

「とにかくそれは昼に取りにまいりますのでよろしくお願いします」
「わかった…」
完全敗北。
憮然という言葉にはこれがまさしくふさわしい態度だったろうカミューの返事に、リグヴェルはやっぱり口元だけでよろしい、とにっこり笑った。
とりえあず午前中は何があろうとこの書類の山にうもれて過ごすことは決定なのだ。
しかもマイクロトフは来ない。
まぁ意趣返しとしてはこんなところだろう。
 

「………」
 にしても見事な書類の山だ、とリグヴェルほんの少しだけ同情する。
未処理の山、討議中保留の小さい山。それとばかでかい処理済みの山。
それぞれ別の机にカードを立てて積み上げてある。
しかし圧巻なのは処理済みの机の山。
これをここ一週間程度で始末したなら神業にも近い処理能力である。

…さすがにこれにはうちの団長はついていけないよなぁ…

リグヴェルは処理済みの山も書類をぺらりとめくってため息を一つ、続いて
少しだけ目を通し、目を丸くした。
そのあと、ほんの口元をゆがめて少しだけ笑って書類を戻す。
「なるほどね…」
「なんだ?」
「いえ、では失礼しますカミュー様」
「………」
地の底をかるく突き破って無間地獄かくやあらんの氷のオーラをぶつけてくるカミューに
今度こそこらえきれないようにふっとリグヴェルは笑う。

「うちの団長も午後の合同訓練は楽しみになさっていますから」

容赦ない攻撃に完全撲滅かと思われた最後に優しい言葉。
「リグヴェル?」
「では午後にまた」
カミューがそれに首をひねる間もなく、たくさんの書類を残してリグヴェルは退室した。

「あののらくら舎監ーーーーーーーーー!!」
「舎監?」
ドアが閉まると同時にいきなり部屋に響く負け犬の雄叫びにフリックは首を傾げた。
「なんですか?」
「……いや、なんでもない」
リグヴェルはもともとカミューとマイクロトフが見習いの頃、見習い騎士寮の舎監を
つとめていた、のだがもちろんそれはフリックにもとりあえずこの一件にも関係がない。
ただ単に昔からいまいち頭の上がらなかった過去の因縁というだけである。

残された書類の山をカミューは鬱々とつまみ上げる。
書類には一つ一つ注意書きと期日、もしくは付箋紙と至急の文字。
かなり念の入った書類ではある。
最後のリグヴェルの言葉が気になるところだが、とりあえず昼間ではおとなしく仕事をしていろということなのだろう。
 

「全く何でこんなことになったんだか」
この状況の主な原因が夕べのことなら(その前から様子はおかしかったが)
まさしく誤解なのだ。
それなのにマイクロトフには逃げ回られる。
その副官にはいじめられて仕事場からも出られない。
何でこんな仕打ちを受けなければならないのか。
確かにこの件においてはカミューは果てしなく被害者に近い。
そうは見えないのがカミューのカミューたるゆえんのような気もするが。

何で私が…

ここまで考えて真っ黒けの気分のままカミューは考えるのをうち切った。
何をどう考えたところで負けは負け、考えれば考えるだけ時間は減る一方である。
おまけに

『合同訓練をマイクロトフ様も楽しみにしていますから』

これが捨てぜりふでは仕事に手を抜くわけにいかないではないか。
カミュー、こいつもなかなか、こうみえてけなげではある。
彼は盛大にため息をつくととりあえず、目の前の仕事に没頭することに決めたのだった。
 

「なんなんだ…?」
もちろん最大の不幸者はすべての努力が空振りに終わり、逃げ出すこともできず
巻き添え喰らったあげく、この空間に忘れ去られたように取り残された青雷さんであったことは言うまでもない。
 
 

『あののらくら舎監ーーーーーーーーー!!』
ドア越しに聞こえる叫びに思わずリグヴェルとカロンは手を口で押さえてひとしきり笑った。
「最後優しかったですねぇ、副長さん」
「何がだ」
「だって、うちの団長は午後の合同訓練には参加でき無いかも?って脅すんじゃ
なかったでしたっけ」
「そういうわけにもいかなかろう、どうせあの人は来るだろうし」
「イザラの訓練ついでに城周囲の哨戒をお願いしたんでバックれてくれても
いいんですけど、まぁ来るでしょうねぇ、あの人ですし。」
笑いながら並んで廊下を歩き出す。

「それにこれ以上仕事が滞るのもまずいだろうしな」
「団長がいない仕事が進むんじゃなかったんですか?」
「そこだな」
リグヴェルはまた何かを思いだしたように喉の奥でクスクスと笑う。
「何が」
「まったくうちの団長は自分の価値とか能力を自覚してくれなくて困るってことさ」
「なーんか一人だけ分かっちゃったようなことを」
説明要求してもいいですかーなんてカロンは肩をすくめて隣に目をやると、リグヴェルは誰に向けるでない優しい笑顔を浮かべている。
「我ながらあの二人には甘いなぁ」
今よりももっと前、舎監の頃から弟のようにかわいがってきた自慢の二人のためであれば
自分はどんな苦労もいとわないだろう。
「昔っからそうでしょ」
いまさら何をと肩をすくめる二人はそののんびりした会話とは関係なく早足で
動き出していた。
「説明の請求はしないのか?」
「この仕事が終わって時間があったら是非していただきましょう」
けど、目の前の仕事が先ですよねとカロンは苦笑する。
本当に甘い。
午後の合同訓練のために、馬や馬具防具の確認。場所の確保に隔離に告知。
彼らにはたくさんの仕事が待っているのだ。
ただ準備するだけならそれほど時間はかからない。
しかし、今回はいろんなパターンを想定しなければならないのだから。
とりあえずマイクロトフ様が来られない場合のことも考えて、カミュー様のフォローもぬかりなく
そして何より、もしかして午後の訓練に出られないかもしれない、たくさんの赤騎士達のための準備も。

フォローする身も楽じゃないのではある。
不幸では全然無いのだけれども。
 

 


や、お父さん最強伝説。今回は切るに切れずに
長くなってしまいました。
構成力が欲しいわ。

(2002.9.5 リオりー)