境界線

〜9.夜明けの色〜


     
 

むかし…もうたどり着くことの出来ない場所。
話ができる昔なんて遠いようで近い。

痛み、悲しみ、喜び…そして乗り越えた全ては未だきっと自分の中にあるのだ。
でもつらいことばかり手に取るように思い出せるのは何故か。
愛しい思い出は終わりばかりを思い出す。
それでも人はそんな思い出を積まねばきっと生きてなんかいけない。

だから俺は墓を作る…。
もうその思い出が出てきて人を苦しめることのないように。
吐くような思いでもう会えない現実を切り捨てるために。
 
 

本当は生きている限り何一つ捨てられないとしても…。
 
 
 
 
 

 目の前の男がしてくれた昔話は断片的で、あくまで個人的なものばかりだった。
いい思い出とも悪い思い出ともつかないものも、ただ淡々と時間軸にあわせるように聞かせてくれる。
 

 ある村に同じような生き物が集まって生きていたこと。
昔は人の血など無くても生きていけたこと。
多くの仲間と友人と…人と違うのはそこに流れる時間の長さ…それだけといったような。
しかし、ある時を境にそうでなくなってしまったこと。
 
 
 

 何故、状況が変わったのかは目の前の男は言わなかった。
なにか言ってはいけない決まりごとでもあるのか、それとも言えない何かがあるのか
もう本人にとってどうでもいいのか…
ただ、さいしょから奴はその辺に関しては口をつぐむ。

それを問いただす気はもう今の自分にもなかった。
ただ夜明けを待つわずかな時間をぽつり、ぽつりとその断片的な思い出で埋めていく。
 
 

 生きていくのにヒトの生命力を必要となったこと。
それをよしとせず多くの仲間が死を選んだこと。
そして人の命を奪わずに、しかし出来るだけ生きようとした者…。
自分…そして大事な友人…。
明るく、尊敬すべき友人…暗闇の中の灯りのように、そこだけは楽しそうに話す。
 

飢えと迫害…。
そしてその友人の死…。
 
 
 

「そこから先の記憶は…はっきり言ってない
たぶんお前が見たものが記憶のない時の私なのだろう」

 血を求めるだけの獣。
飢えが収まればわずかに自我がもどる。そして後悔。その繰り返し。
 

「それで何十年かおきに2.3人…の犠牲か…」

 村人が教えてくれた話を思い出す。
我に返ったときの衝撃はどんなものだったろうか…、
続けられた言葉はあまりにも真剣に真っ直ぐなもので。
「おまえもそうなるなよ…」
「何で俺が……」
「お前も聞こえなかったではないか…自分を呼ぶ声を…」
 

「…それが夢の話か…」
 

 何度も何度も呼ばれているような気はしていたあの夢…。
霞みの向こう、遥か彼方。
しかし自分はその声に何一つ耳を傾けることなく
自分すら分からない曖昧な世界に実を浸したまま
何一つ心傾けることなく…。

だって俺を呼ぶ者はもういない…もういないって…。
ああ、…でも呼んでいたんだな。
あの時はお前が…。
 
 

「私にも友がいた。名前を呼んでくれ止めてくれる。
人の命で己の命をあがなわなければならないと知ったとき共に滅ぶことを選んだはずだった。しかしあいつが先に死んだ時。私は飢えに耐えきれず正気を失い人を襲った。
回りの制止の声は聞こえなかった。いや…、聞こえなかったのではない。
その声が私を止めるものだとは気付けなくなっていたのだ。
もう…誰も私という名の木の側にはだれもいない。だれも自分をよんで振り向かせる声だとは思えなくなっていた…」

彼が名前を呼んでくれたのなら…私はどんなときでも自分に向けられた言葉だと気付くことが出来ただろうに…。
 
 
 

そういって…そこで奴は息を詰めて酷くせき込む。
空気が冷たく清浄になっていく…朝が近いからだ…。
とっさにそばに寄ろうとする自分を奴は目で制して、そして強く笑って荒い息の下。
 
 
 

「…お前もな同じ生き物のように思えたんだよ。

 何の夢を見たかは私もわからない。
でも何度も声をかけた…。
たぶんお前が知っている…心の奥に住む人の声で…。
でもお前はその夢に何も答えなかった…
何の言葉も発することはなく返すこともしなかった…。
だから気になってな…。
 
 

例えばヒトは荒んだり道を誤ろうとしていることは…普通自分では気付くのは難しい。
 

 私も私を呼ぶ声に気付ければ…今の自分がどうあるかを見ることが出来たかも知れない。
そうすれば俺は俺を取り戻すことができたかもしれない。
ああ、かもしれない…ばかりでどうしようもないな
結局私はそれを出来なかったのだから…
 

 もしお前を呼ぶ声にお前が気付けなくなっているのなら
お前は…それだけの力と意志を持ちながら、いやそれゆえにいずれ己の敵になるかも知れない。
お前のみた夢がどれほど遠いものかは私には分からない。
でも誰かがお前を呼ぶのなら…
その時お前はその呼ぶ人間と自分の距離を知ることになる。
つまり自分自身をもだ…。
 

 お前も忘れるな。自分を呼ぶ声に。
自分の名前を呼ぶものを…。
 

 なくしたものを取り戻せると思うな。
だからこそ現実を見誤まってほしくはない。
全てを失ったと思ってもお前が生きている限り現実は存在する。
そしてお前を呼ぶ者もお前が現実を捨てない限りきっといる。
この私をお前が止めてくれたように…」
 
 
 
 

幾度も苦しそうにせき込むのに話をやめない男。

同じ生き物…そう奴は言った。
悲しいほど痛むほど荒んでも、捨てきれない物をかかえて
最後の力を残るプライドを貫くように使ってみせたのが…俺に似ていると…。
空になった右の手を胸元でぎゅっと握りしめる。
 
 

「…あんたの名前はなんていうんだ?」
「ライル…、いや、いい。お前に呼ばれたい名前でもない」
「けっ、言ってくれるぜ」
「そういうお前は何という名だ?そういえば聞いていなかったが…」
「…化け物に名乗る名なんかあるかよ…」
軽口は永の別れを知っているから。
それを止めようとは思えない
しかしそれでもどこか目が熱くなる。

どこも似てなんかいやしないよ…。
 
 

「ああ、…やっとだ…」
その奴の言葉が合図のように世界に一条の光が投げかけられる。
タイムリミット…夜明けだ。
 

一本の線のような光は一気に幅を広げ世界を黄金の翼で覆っていく。
「…こんどこそ…」
逝けるか…?さりげなく言ったつもりが語尾が震える。
話すことは話せたか?俺はちゃんと全てを聞けたのか?
聞きたいことは沢山あった。
でももう自分にはいっぱいいっぱいで見送るしかできそうにない。
「大丈夫そうだな」
さらり…おとをたてて奴の身体は崩れていく。
こんどこそ…ちゃんと…
 
 

「さっきの話は餞別代わりと思って憶えておけ。
言えなかったことはいくらもあるが、嘘は一つもない。
あのまま正気を失いただの化け物と化し、忌み嫌われて殺されて行くところだったのをお前が止めてくれた。
そして今この通り自分として死んでいくことが出来る…
これで少しは友に顔向けが出来るだろう…。
礼を言う…」
 

奴は最後にあまりにも綺麗に笑った。
この朝の陽光に何よりも似つかわしい笑顔で…。
 
 

ありがとう…
 
 

崩れ去る輪郭に最後の言葉は音にはならなかったが…たしかに彼はそういったのだろう。
 
 
 

ばかか…俺は敵なのに…お前を殺したのは俺なのに…。
礼なんか礼なんか…。
礼を言うのはきっとこっちの方なのに…。
 
 

「ふん、俺の名前はビクトール…ビクトールってんだ。あの世にでも持っていって自慢しやがれ。俺はいつかお前達の仲間を……お前の仲間をお前んところに…」
もう…これから出会うヴァンパイアもお前みたいな奴だったらすごく困るよな。
続ける言葉も軽口もかすれて言葉になんかならない。
もう呼ばれることの無い奴に名を名乗っても仕方の無いことを
自分はたぶん始めて知ったのだ。
 

「おにいちゃん…?」

顔を上げれば朝日が目を射るするどさで飛び込んでくる。
一晩…
出会ってからたったの一晩。
たったそれだけの時間なのに。
戦って、そしてほんの少し話しただけの相手の死がこんなに悲しいのはなぜだろう。
ほんの少しでも、この程度の関わりすらあの時から自分は軽い態度で避けてきたのだ。
何年ぶりかの心がかすかにふれあうような本音で話した相手。
ほとんど無理矢理だったけれども。
笑っちゃうくらい、本当に酷い話だよな。
いきなり襲いかかってくるわ、見たくもない心の深淵って奴?と対面させられるわ。
どれも無理矢理だぜ?
本当に酷い奴だ。言いたいだけ言ってやりたい放題でしんじまいやがって…。
でも、あいつが悪い奴じゃないなんてカン、当たって誇らしいのにいやんなるくらい胸が痛たくて呼吸に掠れた咳がからむ。外れてくれた方がどんなにか救われたか。
ああ、泣いてもいいかな?
悼んでもいいかな?
おまえより先に死んじまって泣くことのできなかった友人の代りに…なんていえばおこがましいかも知れないれども。
あの化け物のことだから泣かれるなんてまっぴらだろうけれども

自分も本当は泣きはしないだろうけれども…。
 
 

「お兄ちゃん…?」
「………」
「おにいちゃんってば!!」
 

 名前を呼ばれて、腕を引っ張られて始めて自分が呆けたツラで洞窟の入り口に立ち尽くしていることに気付く。
 

「ぷっ…はは…そうだな吸血鬼さんよ確かにあんたの言う通りだ…」
 名前を呼ばれて始めて自分のいるところに気付くことって結構有るもんな。
そんな事も思い出せないくらい自分はずっと一人でいたのかな。
けっこう頼りになって気さくで、人懐っこいのがうりだったような気もしたんだけれどな。

  目の前に残された物を手に取る。

目の前に横たわる鎖。
それに絡む、消えてしまった吸血鬼の着ていた服、つけていた物、持っていたもの…。
もうぼろぼろだけれども銀糸をあしらったブルーグレーの厚手の外套。
そしてあのプラチナブロンドにブルーの目その組み合わせにふさわしい
アクアマリンとトパーズを繊細な銀の細工で飾った装飾品の数々。
たぶん旅費とかそんなものも兼ねていたんだろう。
その服を持ち上げると妙に重いずしりとした感覚。
そしてそこから散らばる目に鮮やかな色合いの宝石。
そして懐の袋には鮮やかな金にエメラルドがはめ込まれた装飾品の数々。
あまりにも色合いの違うその持ち物に一瞬めまいを起こしながら納得する。
…たぶんこれがその友人の物なのだろう。
あの男がずっと大事に持っていたんだ。
あの男にはあまりにも似合わない色だから…これはその友人を表す色なんだろう。

 正気を失ってすら大事に持っていたのだと…。

ただその思いに祈るように目を閉じると波の音が聞こえる。
あの夢だ…
浅い眠りに見る夢は今の自分のように周りは何もみえず誰もいない…。
ただ繰り返される夜と昼とのような寄せては返す波の音が聞こえるだけの白い世界。
けれども霧の向こうには何か有る、そう今なら確信できる。
いや、曖昧に思えたここにもきっと何かあって…全ては自分の輪郭をはっきりさせてからのことなのだろう。
自分はここに存在していて、境界線の向こうは終わりではないのだ。
 

「お兄ちゃん!」
 焦れたように呼ぶ子供の声に惚けていることも出来ず現実に引っ張り戻され、仕方なく独特の不敵な笑顔を見せてその手を取ってやる。
「おう、お姫様。ちゃんと村まで送ってやるからな。」
「遅いよ」
光の中で見れば子供は怪我一つなく
恐ろしい夜さえすぎればあまりに元気で生き生きした表情を見せる。
俺が守ったもの…守りたかったもの、それが俺を救う。
そんな喜びなんて勝手に思っているだけだけど。
「悪かった悪かった。さぁいくか!お母さんとお父さんもきっと首を長くして待ているな」
手に持った荷物をすっかすかになった布袋にまとめて押し込んで背中にかける。
また色々買い直しだな、まぁ役に立たないものを捨てられたと思えばいいだろう。
そのまま少女の身体を抱えあげ肩に乗せ、勢いをつけてえいやっとばかりに走り出す。
とにかく、この子を村まで届けた後は腹ごしらえをして、また旅の準備を整えよう。
それから、またここにきて落とした剣を探して、そしてこっそりと墓をたててやるんだ。
おまえとその友人の二人分。ちゃんと並べて作ってやるよ。
名前もない墓だけど、いれるもんもあんまりない墓だけど…
このあんたを思い出す色合いの宝石…いくつか入れておけばかっこもつくよな。
なんだか墓を作ってばかりの気もするけれども、それが生き残っちまった奴の役目らしいから引き受けてやるよ。
今はそれも悪くないんじゃないかと思うよ。
 

 そうしたら、またあてども無い旅をする。
自分は戦いでしか食っていけないから、いつだってそっちのほうへいくだろう。
俺の探しているあの敵もその中にいるはずだ。
戦争の有るほうなんていっても世間はどうにも血なまぐさいうわさばかりでやっぱり俺は
そこで仲間なんて呼べる奴を作って…そんでまた墓を掘るんだろう。
俺がそこにはいることになるまでは…。
 

 墓ってのは死んだ奴を埋める所。
生きている奴が死んだ奴に出てくるなって蓋しておくところだと思っていたけど、
たぶん違うな。
生きている奴が大事にもう返らないものをしまっておくために生きている奴がつくるもんだ。
そのことが生きていることと死んでいることの境界線だったとしても、俺はそれがいい。
 
 

 あとは浅い眠りの向こうで俺を呼ぶ奴のところへいかなくちゃな。
呼ばれていると思って聞けば今度はちゃんと聞こえる。
微かで遠いけれども、怒ったように、笑うように、親しげにやさしげに…
敵じゃないね、きっとあいつみたいに優しい奴。
こんな風に俺を呼ぶ奴を俺は好きにならざるを得ないだろう。
そんな呼び方…。

ちょっとは死んじまった大事な奴があの世から自分を呼んでいるのかと思うんだけれども…。
"現実をちゃんと見ろ" だったっけか?
そうだよなたった一人の吸血鬼の友人さんよ。
死んだ奴は人の名前なんか呼ばない。
もう声なんか出さない。
あの時の知り合いのゾンビ達だって俺の名前なんか一言も呼びはしなかった。
呼んでくれたらちっとはそのまま埋めるのを考えたのにな。

だからこの声は俺を俺として呼んでくれる奴。
俺を俺にしてくれる奴。
きっとこれから会える奴。
会えればきっと自分を確かめるのに自分を傷つける必要なんて無いはずだ。
痛みなんか要らない。
名前を呼んでくれた時にきっと境界線がわかる。
女の子を背負ったままとんとんと早足で岩場を飛び降りていく。
顔を上げればぬけるほどの青い空。
霧の向こうはきっとこんな空なんだろうか?

まだしばらくは霧の中。
あの夢もきっと何度も見るだろう。
墓もいっぱい作るだろう。
でもそれすらも今の自分には大事な大事な世界。
すさんだ世界にずっと俺を呼んでいてくれた
今の自分で答えてやらなきゃなんないよな…きっとどんなに時間がかかっても。
 
 
 

「はらへったなぁ…」
「おなかすいたね」
「よっし、とばすぞ!しっかりつかまっていろよ!」
「うん、おにいちゃん!がんばれ」
「おう」
その声を合図に一気に森の道まで飛び降りる。
 

目を覚ましたつもりになってみれば、すっかり世界は明るく、そして綺麗でけなげだ。
現実って奴は何にも増してやっかいで、夜はまた来るだろうし、
心にあるあの深淵はなくならず、きっと当分この傷は痛く、目は思い出すたんびに熱いだろう。
ほんとしばらくは自分って奴に悩まなくても良さそうだな。
それでも何もなかったようにしんじまった奴のため、もどらない過去のため
そしてこれから生きていく自分のためにいろいろなものを墓に押し込んで
俺はまた思いっきり駆け出す。
 

どこへでもなく行くだろう、きっと、その声のする方へ。
復讐とは比べものにならない、最高の思いつき。
それはきっと現実。
遠い…ずっと遠い、自分のためだけの遠い現実だったとしても。
 
 
 

今はただ優しい夜の終わり。
その色は何色とも呼べず……傷に熱さだけを残して…。
 
 

〜終〜

 

 
 
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終わりました。エピローグがありますが一応終わり。
すでにかき直したい(苦笑)。最後かなり詰めました。
ちんたらしてるような気がして書き足りないとは
一体どういう現象でしょうね。
でもなんとなく満足でもあるんですよ。
大好きなビクトールがかけて。
読んで下さった方いらっしゃいましたら、長々とありがとうございました。
(2002.3.23 リオりー)