境界線

〜8.Melty Point〜


      
 
カツー…ン

 刀が岩にあたる音。
奇妙な喪失感。
剣はそまま音を立て岩だなの下にゆっくりと落ちていく。
これで終わり。全て終わり。
俺の手には武器になる物はもう無い。
たぶん相手の切り札も…。
刀はあったって役に立ちもしない武器だったけれどもそれでも精神安定にはなっていた。
それを手放して…何故今俺は一番落ち着いていられるのだろう…。
うーん、朝になったらさすがに探しに行かなきゃならないな?
ヴァンパイアに効かなくてもそれ以外は大事な相棒だったんだけれどもな。
妙に的はずれな思考に自分の領域が唐突に完全に自分の物になっていることを認める。
確かに感じる感覚。自分のいる世界。
 

 腕の中には小さな女の子。
一生懸命、力一杯自分を頼ってすがりついてなんどもなんども名前を呼んで…俺を呼び戻した、俺の意識を向けてくれた子供。
守るように抱きしめる。腕の中にはそれだけ、でもいまはそれでいい。
 

 そして目の前には男。
ヴァンパイアと呼ばれる…化け物とよばれるそんな生き物。
世界には奴と自分だけではなくなったから…だからこそ対峙するように真っ直ぐ向き合う。
武器は何一つ無くても心一つでこんどこそ立ち向かうのではなく探るようでなく、ただ見極めるようにその姿を見つめる。
世界ごと見極めなくてはいけない。
それをしなくてはなにも得られないような気がしてただ相手の目を見る。
今はもうあの紫の光は失われて…。
 
 

「何故…殺さない?」
「………………」
 

 長い沈黙の後口を開いたのは向こうが先だった。

うーんなんでかな?
いろいろ後から考えれば理由は出てくると思う引っかかりはたくさんあったけれども。
最後には自分の直感をしんじちまったってことだろうな。

「…何故…」

 武器のない相手にあちらさんのほうがよほどうろたえている風なのが笑える。
なんでこんな目に遭わされてもこいつに危険を感じないかなんて思うよりも
こいつがどうしても俺のことを気遣っている風に見えるのがどうしてかなんてことを聞きたいんだが。
目の錯覚だといわれるのもしゃくで疲れ切った頭で直感的な憎まれ口を返す。
 

「死にたがっている奴をわざわざ殺してやるほど親切じゃねーの、俺は」
 
 

………
あれ?

とっさに口から出た言葉だがその言葉に何か頭の中が晴れた気がした。
そして驚いた風の相手の目がそれを肯定する。
 

なんだ…なるほど、そういうことか…。
こいつ死にたかったんだな。
本当に唐突に理解する。
頭に残る違和感、矛盾。
怒りと憎しみを無駄にあおり立てるようなマネをしたのは…
そして腕の自由を奪わずにいたのは…。
全ての糸のつながり。
それは生と死のライン。
 
 

「それに、手ぇがすべったんだよ、残念だったな」
 

嘘じゃない。
でも本当でもない。
殺せるなら殺そうと思ったのは事実。
全く余裕がない状況で、頭さえ落とせば確実に死ぬと…
この男が紛れもない害にしかならないものと確信できたなら
自分はそうしたのかも知れない。
でも、やはり自分は自分でしかなく、何かを心に引っかけたまま
いや、強く殺したくないとどこかでそう判断した自分がいたのも事実だ。

そしてそのカンは…確かに当たっていたのだ。
 
 

無くしたと思っていた自我も領域も結局自分の物でそこから出ることもなく…。
 
 

そして、この男は…
 

「だってよ、あんたと俺は敵だろ?」
 

敵だから殺してなんかやらない。
その答えに目の前の男はくすりと笑い…そしてせき込んだ。
苦しそうな空咳…いや、彼は血を吐いていた。
しかしその血は外に触れるとさらりとした砂のようなものになり…
肺のように舞い…そして消えていく…。
維持すらもできないほど失われた力。
ひどいもんだ。
目をつぶると気配が霞みのようにうすく揺らぐように消えそうな…そんな生命力しか感じられない。

もう命なんていくらもないと確信できるほどただ弱々しく…。

「ま、そうだな…それにもうすぐ朝だ…」
 苦しそうな息で、顔を上げ東の空を見つめるこの男はもうほとんど生命力は残っていなかった。
己の身を維持するだけの力すら…。
気がつけば永遠とも思える夜は過ぎて、もうすぐ朝が来る。
朝が来ればこの男はもうそれに耐えられはしないだろう。
 

それなのにこの男は…。
何でこんな状態で命と引き替えのような力を使って逃げる気も
俺をヴァンパイアにする気もたぶん本当はありもしないくせに…。
 
 

「そうさ…もうすぐ朝だ。何も俺の手をわざわざ借りなくたって…」
 
 

俺の心の逡巡ががやはりこのヴァンパイアには見えるのだろう。
苦しそうな口元をそれでも少し笑みの形にかえて奴は俺に笑いかけた。
あの時とは全然違う優しい…そして少し皮肉をめいた笑みを…。

「自分で…自分の意志で幕を引きたかったからな。それに…死ねるかどうかわからん」

 ぽかんと相手を見る自分に彼は再度くすりと笑う。
「おまえ、ヴァンパイアを何だと思っている?」
「生きている死体、人の命をすすって動く者、不死身…」
「そうだ…では不死身の私が飢えたらどうなると思う?」
「………死なないのか」
「死にはするさ……」

 そこで一息つく。何かを諦めたように…そして続けられた話は…。
「しかしなかなか死ねないのさ。人の何十倍何千倍も苦しんで
生きて生きて…血を吐き身体の生命力を枯渇させ骨と皮ばかりになって骨が崩れていくようになっても…生きているんだ」
それが不死身ということだと。
それが死から切り離された一族が再び死ぬための…いや死ぬというのはもう定義に会わない。
この世から無くなるためのというべきか…。

俺は絶句するしかなかった。
「感覚は人並みにあるのにな…」
 
 

 苦しんで苦しんで、ただ自分の身体が…命が削られて行くのを日々眺めていくその恐怖。
 

 人の死を越えた状態で生かされるというものの感覚を自分はたぶん理解することなど出来はしない。
それは俺の知らない領域で、そして決して到達できないものなんだろう。
と、言葉を無くして絶句している俺に、目の前の男は少し楽しげにとんでもないことを言う。
 

「それに…すこしお前にバンパイアの力を教えてやりたかったからかな?」
「…悪趣味なやり方だ」
少しがっくりする。
死にかけの人間もといヴァンパイアってこんなマネするか?
俺はいきなり重傷の身体で自分の深淵と訳の分からない世界の境界線と真っ向からご対面させられて精神的にへっとへとにさせられたんだが?
「ふん、心の傷に付け入って魂をからめ取るやり方は闇の者の常套手段だ。
いっておくが全て元々お前の中にあった物だ。
何人といえども全くない物を精神の中といえども作り出すことはできない…。
しかしそのものが強くもっているものは直接呼びかけることによって強く、そのものの心に再現することができる」
 

 あ、なるほどね。それも何となく納得する。
あの殺意…知っているような気がしたわけだ。

確かにあれはあまりにも強く実感させられた俺の感情だった。
全てを無くしたときの…全身の傷が惨すぎると痛みが感じられないように、
あの時は傷の上に傷を重ねずたずたにされた精神にただ呆然と事実を受け入れなければならなかったからか
感じることの出来なかった怒り。
泣きわめき、剣を振り回し回りのものを壊し、殺し尽くさなければ収まらないような あの衝動を…。
でも確かにあの時心の中の傷の一つの名前であった。
こんな奴に言われてはじめて存在に気付かされたほど自然に奥底に根ざしていて未だ触れれば血を流す…。
ああ、あの時俺は怒っていたのか…悲しんでいたのか…
空っぽのような気がしていたのにあんなにも憎めていたのか…なにもかもを…。
気付かされてしまえば、なんかもういっそ潔くシンプルで楽しいほどだ。
なんだ、結構人間的じゃないか自分はなんて自分にいってみる。
それでも知らずにいた方がよかったとは心から思ってしまうほど制御しがたいそして救うことの出来ない自分の一部。
 

「それにしたって、そんなこと一生やられたくは無かったがね」
「かの化け物を倒すのであろう?この死にかけの言葉にぐらぐらしているようではとうてい先へは進めまいよ」
 こっちは苦虫をかみつぶしたような顔をしてそして笑うしかなかった。
こいつの言うことはたぶん恐ろしいほど正しい。
もしかして自分はおもいっきりまだ甘かったのかも知れない。
自分の理解し得ない領域に自分の物差しでまだ測ろうとしていたことを認めて俺は肩の力を抜いて両腕をあげる。

「さんきゅーっていっとくか?」
 降参。そんな感じだ。悪くない感覚だが。
「ずいぶんと素直じゃないか」
「俺は元々素直と真面目とは三つ子で産まれている男だぜ。
そっちこそ気味悪いくらい親切じゃないの」
やーだね。俺のカンってホントによくあたりやがんの。
こいつっていい奴?
そんでこんな目に遭わされて相手を憎めない俺って底抜けにお人好し?
こんな事実突きつけられてちゃかさずにやってられるかいってんだ。
「お前が夢に何も答えなかったからかな」
 片目をつぶっての茶目っ気に返ってきた言葉は静かでやさしく真面目なことば。

「夢」

あのうつらうつらしているときに見たあのいつもの夢のことかな?と首を傾げる俺にうなずいて肯定を示す。
いつもの夢。
何か分からないけれども境界のない夢。
向こうに何かがあるような、誰かが呼んでいるような…でもたぶん俺には…俺の世界には何の関係もない夢。
いつもの夢だと思っていたけれども、あの時のは、こいつの仕業なわけ?
「何やったんだ?」
べつにどってことないいつもの夢だったぜ?なんて首を傾げてみせると、奴はすこぅし悲しそうに目を伏せる。
「別に…呼びかけただけだ」
お前の夢に…何よりも懐かしい、親しいもしくは何かを呼び起こさずに入られないそんな精神的な力を掛けて…。
「でもお前は何も答えなかった」
「俺はお前がどんな夢を見ていたかまでは見えない。悲しい夢か苦しい夢か楽しい夢か…
敵の夢か友の夢か…。しかしお前はどんな呼びかけにも返事も返さなかった…
お前にとってはどの夢も自分から遠いものにしているのではないかと思った」

本当に悲しそうな声…
あの夢のどこがそんなに悲しいのだろう。
何もない夢…それが華菜死と言えばそうなんだろうけれども本人には何とも思えない夢。
そして奴は目を開け真っ直ぐにこっちを向き…

「自分が呼ばれたと思うなら…それを聞くことを忘れるな」

「?」

やはりわからない。第一あの夢ではたぶん俺は呼ばれていない。
呼ばれているような気がするときもあるがどこにいるか誰だかも分からない夢にどう答えろというのか?

困惑して答えを探す俺に奴はまた悲しそうな目をする。
奴はまた一つせき込んで…そしてゆっくりと話をはじめた。
…昔の話を…
 
 
 

もう決してゆくことの出来ない、世界の話を…。
 



 
 
 
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今回で終わるはずでしたが固めきれなかったので後始末に後一回(泣)
ごめんなさい…だらだらと(ぐったり)
描きたいシーンが本当に最後に回ってしまったのにびっくり。
オリキャラのかたりはここではやりたくなかったんですけどね…ふー

(2002.3.20 リオりー)