境界線

〜4.IMPRESSION〜


  遠くで獣の遠吠えの声がする。
動く物は風とざわめく森の木々と自分。
 

それから声が聞こえる…
闇の中からとてもかぼそい、心細げな声。

誰かを呼んでいる…。
自分じゃぁ無い…。
呼ばれているのも…呼んでいるのも…。
俺を呼ぶ奴なんかいない…。
そんな奴は全部死んだ。
仲良かった奴もそうでない奴も、何度作ってもそのたびに墓の数だけ増えた。
墓のしたから呼ばれるなんてぞっとしない。
まだ俺はそっちにはいかない…たぶん。
 

疲れきった頭でぼんやりそんなことを思ってはっと気付く。
空耳ではない。
呼んでいるのはあの洞窟の中においてきた子供だ。
意識を引き戻して洞窟のほうへ向けると、
洞窟で薬を使って眠らせたはずの子供が起き出して必死であたりを探っている気配がする。
しゃくり上げるような微かな声。
ひどくおびえているようだ。
無理も無い、こんな場所で見ること以外に
世界を知る術が無いのならさぞかし恐く、心細かろう。

その辺に転がっている明松の燃え滓にとりあえず小さな灯りを点して
あわてて子供の下にかけよる。
案の定子供は涙で顔をくしゃくしゃにしておびえきってろくな声も出せずにいる。
「おい、どうした?」
「お…おにーちゃん?」
「そうだ、どこか痛くしたか?」
最近おじちゃん呼ばわりされることが多くなったので
おにーちゃんよばわりにうむ!と一つ満足する。
「おにーちゃん、恐いよぉ、帰りたい…吸血鬼がくるよ…」
ここの地方の人間はよほど吸血鬼に怯えていたようで
どんな子供も吸血鬼と聞くと口をつぐんだ。
こういうところで恐いのは本来獣や夜盗のはずなのだが…。
その吸血鬼に化け物に捧げられるところだったのだ。
喰われろと回りに言われて生け贄にされたのだ。
死というものの本質を理解できない子供であろうとも、どんなに恐かったろうか…。

「もう大丈夫だ、吸血鬼はお兄ちゃんが倒してやったぞ」
ことさら元気に声をかけてやる。
「ほんと?」
一瞬人の影に怯えた子供もその声に縋るようにとりつく。
「ああ、本当だ。朝になったら村まで送ってやるから心配せずに寝ておけ…」
「まだ帰れないの?」
「まだ真っ暗だからな、吸血鬼が出なくても恐いオオカミとかが出るだろう?ここならばおにーちゃんが守ってやる」
「本当?」
「ああ、任せておけ、ここにいれば大丈夫だ」
大丈夫ね…大丈夫ね、と心細げに繰り返す子供に何度もうなずいてみせ
小さな火に夢見草の粉を入れて、その煙で子供を落ち着かせる。
火が小さくて良かったかもしれないと心の端で思う。
この傷だらけの格好をはっきりと見られてしまっては、逆にこちらがおびえられてしまっただろう。
「そばにいてやっから」
それでも傷一つ無いようなしぐさで頭をなでてやると子供は安心したように
服のすそを握ってまた眠りに入っていった。
 
 

「ふぅ…」
服のすそをつかんだ小さな手をしばらくは振り解く気になれずに
ため息を吐いてその場にぺたんと座り込む。
小さな明松の火が消えまた世界は闇の中。
戦っているうちになんだかすっかり目以外の感覚に頼ることに慣れてしまったようだ。
残った木片を無造作に投げ捨てる音にぴくりと筋肉が反応する。
頭は重くなっていても全身の神経はまだ周りの情報を無意識に取り込もうとしている。
 

目をつぶってもあるものはあり、無い物はない。
世界が闇に沈むと己の痛覚や知覚が冴えて世界を別の形に捉えようとする。
風は動き地面は動かない。
死体は動かず生きる物は呼吸することで気配を感じさせる。
一つの感覚を伏せるだけで、かなりシンプルな世界。
その世界に夜風はそれなりに冷たく、自分はというと…

「痛ってぇ……」
思わず座り込んだ膝に突っ伏してしまう。
死体と生者の半々って言うところかな。
一番深手の左足が痺れたようになって傷みを感じなくなっている。
さわると冷たい。
はやいこと手当てをしないとこりゃ死ぬな。
それだけじゃない…手の先も震えが来るほど冷たい。
あれだけ派手に運動したと言うのに四肢の先はその力を拒絶するかのように、死んで行くかのように冷えて行く。
一人って言うのは気楽だがこういう時は何もかも自分でやらなければならないから面倒くさい。
こわばった指に血を流すように、ほぐすようになんども手を握り込んではひらいてを繰り返す。
もっとも今回は墓を掘る手間が無くなっただけのことか…。
とにかく手強い相手だった。
「とにかくたき火でも起こさないと…」
子供に脅しで言った獣が本当に血の匂いを嗅ぎ付けてやってこないとも限らない…。
体を起こしてのろのろと散らかした薪を集め出す。
 
 

「まず左足の手当てをしたらどうだ…?」

 

不意にかけられた声に、驚くよりも前に浮かんだ言葉は
やっぱり…だった。
さっきの手強い相手だった、の過去形を頭の中で取り消す。

「……生きていやがったか…」
声色には恐怖はなく、ただ緊張の糸がびいんと音を立てて張り詰めるのが分かる。
その緊張に踏みこたえるように奥歯がギリっと音を立てる。
なんてぇタフな生き物だ!
大概この生物は自分の想像を超えて死なない生き物のようだ、
というか自分の知る生き物という定義からはずいぶんと外れまくっている。

暗闇の中限界まで研ぎ澄まされた感覚でも生きている気配すらしなかったが
たしかに存在は感じられた。
吸血鬼は死ぬと灰になって死体が残らないと言うのが本当なら、
確かに奴は死んでなどいなかったんだろう。
背中に冷たい汗を感じながら帯剣に手を伸ばす…
がすぐにそれがまったくと言っていいほど役に立たなかったことを思い出し
あきらめたように手を放した。
向こうは自分のまだ理解できないものだ。こちらの打てる手はもう無いに等しい。
どうも向こうの出方次第にしかならないようだ。
だからってもちろん易々と相手の思うとおりにはさせるつもりなど無いが…。
 

しばらく息を潜めるようにして相手の出方をうかがう。
しかし相手は一言しゃべっただけでまた闇にとけ込むように気配を消し沈黙する。
先ほどしゃべったことがまるで空耳のようだ。
このままでいても仕方が無いらしいと判断して、出来ることをすることにした。
のろのろと散らばった木切れを集めて火をおこし、
その横にある限りの手札を集めてどっかりと座り込む。
子供は外套にくるんで自分の後ろに隠すように寝かせる。
今度こそこの子どもに近寄せはしない。

その間吸血鬼のほうは見ないようにした。
見れば一介の生き物にしか過ぎない自分が恐怖を感じずにいられないともおもわなかったし、
たぶん態度よりは落ち着けていない自分に自覚があったからだろう。
神経の端に捕らえた相手は相変わらず動く気配を見せず、
声もさっきの一言のみでもうそこにはただの死体が
括り付けられているかのようだった。
残してあった荷物から水を取り出し傷を洗い、酒で消毒をし、残った香油を塗り付ける。
傷をふさぎきれないところは火で焼いて布で強引に押さえつける。
火をおこしたことで明るく、そして少しだけ暖かくなる空気を別世界のことのように眺めて
消毒兼用の酒を一口、口に含む。
 

「人心地ついたようだな…」
 

まるでタイミングを見計らったかのようにかけられる声に
さすがにうんざりとしたため息が漏れる。
「あんたがいなきゃぁもっと落ち着けるがね」
もう一口酒に口をつけて面白くもなさそうに言葉を返す。
声のあるたびに右腕がぴくりと反応して背中の帯剣をつかみたがる。
しゃべらないでいてくれれば死体として意識の外に放り出せるものを…
2、3回自分を落ち着かせるように深い呼吸を繰り返すと
顔を上げて声の元、己の適と真っ正面から始めて顔を合わせた。

さらりと流れる銀の滝、もしくは今はあるがずもない月の光か。
不思議とも思える光景…。

「……」
あまりにもこの場所にはそぐわない光景に
思わず息を呑んだ…。

無造作に伸びたプラチナブロンドの長い髪は荒れていてもその輝きを損なわず、
目は青く、肌は白く、着ている物は上等で、しかしどれもひどく汚れ、すすけて
その姿が岩に鎖で貼り付けされた姿はまるで昔見た宗教画のようだった。
特に印象的なのは目。
薄い青。
青というほど暗くなく、
水色というほど薄くもなく…。
丁度空色、そう深い夏の空の色とよく似たその瞳は
初めて見た時とは違って落ちついた理性と知性のの光に満ちている…ように見えた。

全身に鎖、胸には短剣、あちらこちらから多分血のような物をわずかながら流し、
呼吸はしているのかもしれないが感じられず。
痩せこけた北の国の貴族の青年のような…
表情は穏やかで、そげた頬にはむしろしたしげな笑みすら浮かんでいるように見えた。
それは、まるでただの青年のような…。

しかし確かにこれは先ほどまで自分と死闘を繰り広げた相手なのだ。
生きていると分かった以上付け入る隙は見せられないと
身構えてまだ片足に力が入らないことに気付く。
仕方が無いので膝で身体を支えるようにして剣の柄を胸元に引き寄せる。
いつでも抜き放てるように…。

「言っておくが弱っててもその剣は通用しないぞ…」
こちらの態度に吸血鬼の青年は恐ろしく淡々と、しかしやさしいとすら感じる声で応じてきた。
その声に惑わされないように剣の柄をぎゅっと握る。
「わかってるって、ただの条件反射だ…」
とっさに役に立ちそうも無い剣に頼ったのはたしかに今までの条件反射だが
手放す気にはなれない。
間抜けな行為だと分かっていても。
「心配しなくても俺はここから動けはせんよ…」
そして吸血鬼は自分の手足に絡まる鎖を眺める。
「いい鎖だな…家のか…こういう使い方をする物ではなかったと思うが?」
「うるさいな、俺ぁ鎖術の心得はねぇんだよっ!」
その答えに彼は吹き出したように笑い…そして苦しそうにせき込んだ。
そうしてみて初めて呼吸の音が分かる。
それくらいひそやかな息、凝ってしまったような、彼の周りの空気の流れ。

冷たい…
よどんだ空気にさらされて指の先から冷えてゆく。
心の臓が破裂しそうになるまで戦って戦い抜いて
そして切って殺していくその先から凝っていく己の血、関節。

しかし不思議なほど落ち着いた…緩やかな声。
自分はいったい何と戦い…そして今何と話しているのだろう。
相手はなんのつもりでこちらに話しかけ、そして何を思ってそんなことを言うのか…。
 

「緊張しているな…恐いのか?」
「あたりまえだ…、おれぁ、心臓に剣刺してもまだ生きている相手と話しすんのははじめてなんだよ」
「そうだな…確かにこの姿は化け物だ…」
寂しそうな声。
感情の感じられる声。
 

初めて…自分が戦った相手と向かい合った気がした。
 
 
 

状況が変わって見える物、
ふせた感覚が告げるもの。
一つ線を越えて変わる風景にとまどうことは当たり前だとしても、
何一つ向き合わずには進めない。
この景色は一体どう読んだらいいのか。

自分はこいつと話したかったはずだ…。
 

向き合った物事を理解するのに手一杯で
そのことを思い出すのにずいぶんとかかってしまったが…。

 
〜続〜

 




 
 
 
 

時間があいてしまいました。
しかも短め、かなり反省。

一つ何かを越えて見える物は
思っていた物とまったく違う物だったら
貴方はどうしますか?
物事が予想通りに進まないのも自分の努力があまり報われないのも
自分に都合が悪い状況なのもわりと当たり前のこととはいえ…。

さて次は心理戦かな(爆)?
このオリジナル吸血鬼でずっぱり…
どうしますよまったく(ため息)。
版権物にオリジナルでばらすのあまり好きじゃないんですけどね。
しばらくこのだらだら会話が続きます(爆)。

(2000.6.17 リオりー)

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