境界線

〜2.反響音 〜


 

 石を投げる。
岩にあたって跳ね返る音がする。
もう一つ投げる。今度は遙か下の方で音がする。
岩棚の境界線はそこらしい。
そこから下は多分崖。
四方を確かめるようにもう一度石を別の方向に投げる。
 

 現実の闇は果てしなく見えてもその限界を何らかの方法で知ることができる。
浅い眠りに見る白い夢の果ては知るすべも分からず投げた石の返事は帰ってこない。
境界線が無いのかもしれない。
それは死んでいるような世界。
 

遠く近く…。どこまでがなにで…そうだどこまでが自分かすらもわからない世界。
曖昧で多分脆弱な世界。
夢の世界を身体に再現しようとして、ぶるりと身震いする。
 

…恐い?自分が?何を?
 

恐れがあることは悪いことばかりではない。
注意深くなれるし警戒心も強くなる。
うまく使えばそれなりに賢くもなる。

しかし正体が分からない恐れほどやっかいなものはない。
恐れに打てる対策はなく、逃れるすべすらも本当はない。
自分は何を恐れている?

これから?戦う相手?いや違う…。
 

相手の正体が分からない事なんて今更だ。
だから出来る限りの手は打ったはずだ。
岩だなを囲むようにかがり火を4つ、それぞれの足元には香油の坪。
それと隠すように火薬の袋。
対吸血鬼用の聖別武器が少し…かなり眉唾物だが。
多少いわくありげなものがヴァンピロヴィッチとして名高いベルモンド家のものだという鎖。
先に分銅のような物がついている。武器だったのだろうか?
あとは吸血鬼ではないが天使すらも一瞬で消滅させるという髑髏の騎士を倒したといわれる
聖火の短剣。
どちらも洞窟の奥深くに隠されるようにおかれ半分錆びさせていたものだ。
あきらかにはっきりと分かるほどの力の波動を伝えてくる。
これらの物がどこまで相手の力を殺げるか。
実際のところ自分にもちーーっとも分からないけれども。

ここまで考えて馬鹿馬鹿しくなってやめる。
相手の力量を正確に計れないなんて今に始まったことではない。
戦いなんていつもそれを知ろうとすることから始めるもんだ。
いまできることをやって、挑むのだから考えるだけ無駄。
正体の分からない恐れについても考えるのを止める。
考えても分からないものを延々と考えるのも無駄というものだろう。
ただそれに直面したとき逃げることのないように存在だけは憶えておく。
 
 

遠く近く…浅い夢に聞くざわめきは何?
 
 

そして、またこれから対峙するであろう相手のことを考える。
どんな奴か。
ネクロードに似ている奴か。
出来ればすこしでも話の分かる奴がいい。
自分が本当はそう思っていることに気がついて、また少し笑う。
本当のところは自分は相手と話してみたい。
分からないことが多すぎる。
知らなければならないことだらけだと思う。
古くからいる吸血鬼だというのなら知っているのではないか…。

自分の探している答えを…。

迷っているのと同じ状態だな…とすべてを振り切るように勢いよく頭を振る。

戦うべきか
そうでないか…。
 

「そんなの相手のお好み次第とくらぁ…」
 

すべては対峙してみないと分からないこと。
考えれば考えるほど無駄な思考が出てきているような気もする。
最大の命題は負けないこと、死なないこと、それだけを心に刻んで
火から離れた闇に身を沈める。
光に目をならさないように闇の方へと目をやる。
 

空を見つめれば相変わらずの漆黒の闇。
 

生け贄の子供は薬で眠らされていたのでそのまま洞窟のなかに…。
隠したというよりおびき出すためなのかもしれない。
頬には幾筋もの涙の跡があり、たぶん散々泣いたのだろう瞼も赤く腫れていた。

もしもの時は見捨てる覚悟を………
夜空の闇を睨みつけ強く手を握りこむ。
 
 
 
 
 

 かつ…ん
しばらくすると、奇妙に高い靴音がして岩棚に人が現れる。
見ると手足が細くやたらと痩せこけた青年のようだ。
あざやかな眺めのプラチナブロンド。
ぼろぼろで型も古いが、なかなか高級品だと思われる厚手の絹の上着に趣味のいい装飾品。
白い肌、痩せこけていはいても人目を引く造作に印象的な空色の瞳。

気配も殺さずふらふらと光の領域に入ってきた青年の姿をみて思わずぽかんと口を開ける。
あまりにも無造作な態度は自分に目的の相手ではないような印象を持ったからだ。
人違いならば早くここから遠ざけねばならない。
そっと一応警戒しながら近づいて…声をかけようとして、ぎょっとする。
目が明らかに正気ではなかった。
狂気をはらんだ獣のような目。
案の定こちらの姿を認めると獣のようなうなり声をあげて飛び掛かってきた。
 

「ちぃっ!!」
不意打ちを受けたせいもあるが思った以上に速い!
後ろにひっくり返るような形でどうにかその一撃を躱しそのまま剣を横になぎ払う。
「かぁぁ!!!」
うなり声をあげて化け物がとびさがる。
その隙に後ろに一回転をして間合いを離し体勢を立て直す。
手応えは確かにあった。
自分は鮮やかに胴と腕を切り裂いたはずだった。
しかし見ると切ったはずのその場所はわずかな瘴気の煙を残し跡形も無く塞がって、化け物には跡一つ残らない。
「………ま、予想がついたことだけれどもな」
この程度で倒せるのなら村の誰かでもきっと倒せた。
でも誰も倒せなかった。
そのことを心に刻むべきだ。

あわてるな。
忘れるな。
相手は自分達など足元にも及ばないほど強い生き物。

そして恐れるな。
全てははじめから分かってしかけた戦い。
一瞬にして思考を切り替え呼吸を整える。
油断なく間合いを取りながら相手の動きを見極めるために全神経を研ぎ澄ませた。
 
 

長丁場になる。
それも血で血を洗うような。

できれば話してみたかった。
何かの糸口になればと思っていた。
しかし目の前の化け物はどうしても正気のようには見えない。
しかしこの再生力、気配はきっとあの化け物に近い。
どういう判断をしていいか分からない。
情報が少なすぎるからそうなるのだ。
ならばなるべく引き出すしかない。
そう、目の前の本人から!
 

「危険な賭けってのはこういうことかよ!」
 

戦いもコミュニケーションの一つだ。
ならば出来うる限り戦って相手のことを知り尽くせばいい。
長丁場上等。
血で血を洗うっていったって血を流すのは多分俺のほうだけだろうけれども…
 

「賭けに勝ったら戻し倍率はいいんだろうなぁ!!」
誰にともなく、ほえる。
 

震えがくるほど精神が高揚するのがわかる。
我知らず口元に笑みが浮かぶのを他人事のように感じる。
腹の底に力が入り五感が研ぎ澄まされる。
まるで自分も同じ化け物になって同じ仲間に会えたようだ。
血を好み戦いの中にしか生きられないそんな化け物。
ああ、そういえばずいぶんと人に関わるのをやめているから
こんなに深い強烈なコミュニケーションをとるのはすごく久しぶりかもしれない。
それがこんな化け物とはうれしくて涙が出るほどだ。
 

「さぁ!いきなりで礼儀を忘れるところだったが自己紹介といこうかぁ!」

叫ぶやいなや、大地を強く蹴り横をすれ違いざま相手の胴を薙いで、そしてその勢いで反転後ろに飛び下がる。
その後を追うように切ったはずの化け物が驚異的な跳躍を見せて襲い掛かる。
それを反転して躱しながら、明松の下に隠してあった火薬に火をつけ相手に向かって投げつける。

「思った通りか…」
冷や汗が出る。

やはりやすやすと切らせてくれる。
これは正気が無いので防御を考えられないのか、もともと切られても効かないので好きに切らせているのか…
どちらにしろたいして効いていないのだから、切ったとてそのままにはできない。
次の瞬間その刃を腹に食い込ませたままでも襲い掛かってくるだろう。
ヒットアンドアウェイ…相手のスピードが上回る中でそれは至難の業だが、やらなければ殺されるだけだ。
炎のかげから隣の岩場の陰に飛び移りまた体勢を立て直しながら、自分ににやりと笑う。

「そーうあわてなさんなって、せっかちはもてないぜ」
じりじりと間合いを詰めてくる化け物。
でも負ける気は毛頭無い。
 

恐怖も何もかも振り切れる瞬間。
何一つ身体に残らずただ前の敵に食らい付く。
それだけがたった一つの生きる術だと信じるように…。
瞳が炎を受けて金色に煌めく。
 

前は暗闇に目を慣らすために炎の光から目を背けていたけれども
こうなれば目はほとんど必要ない。
本気で動けば追いきれない速さ、見えるものはほとんど残像になる。
目に映る物に惑わされるな。
気配と呼吸、音…五感の冴えた今なら恐ろしいほどはっきりと感じ取れる。
「あわてなくともたっぷりと付き合ってやるぜ!おまえのことを全部教えてもらうまでなぁ」
飛び掛かってくる爪をやはり間一髪でかわす。
危うい岩場を危なげなく走り抜けながら懐のアイテムに手を伸ばす。
「まずは教えてほしいんだが、おまえの苦手なものってなんだい?」
次の瞬間破魔の札が炸裂した。
 
 
 

〜続〜



 
 

戦ってばっかり…。

(2000.4.24 リオりー)

 

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