道 標
(その2/19篇)
◇◇◇ 目次 ◇◇◇
花火/夏/麦わら帽子
中心/三つの時が/はじまりの詩/小っぽけな/
あかんべぇ/涙と微笑み/遊心
未来が現在に/象徴/八月六日、そして..../個人から/
皮肉/不機嫌/られる、られる、と転がりゆく/
競馬場/民衆という匿名性
花火


バッと
大きく花開いたら
ゆっくり散り落ち
闇に還ればいいさ



スコーンと晴れた青い空
モクッとくっきり白い雲
ゆっくり
のそっと
空が動いてゆく

----あちぃ
麦わら帽子


いつの間にか
かぶることを忘れていた麦わら帽子

網を片手に虫採り遊び
野っぱらを駆けずりまわり
池や川のまわりをひそみ歩いた日々

せみがせわしく鳴き
とんぼがすばしく飛びかっている
あいつにしようか、それともあれ?

狙いが決まれば
つばで視線を隠し気味に
下段に構えて気配を断つ

----!
構えた網を切り上げ、返す
網の中には狙い通りの獲物

へへん
と、得意げな気分
網の中で暴れている銀ヤンマ

ジッ、ジッ
その羽音がはっきり聞こえるほど
夏の時間はゆったりとしていた

きっとあれは魔法の帽子
忍者にも、武士にも変身できたし
使ってもなくならない時間を与えてくれた

気づいたときには、もう
なくなってしまっていたけれど
中心


私の中に
座禅を組み、瞑想をするもう一人の私がいる
何ものにも動じず
すっと軽く目を閉じたまま
常に静かに座している

いつ彼は目覚めるのだろう?
私は待ち続けているのに
もう一人の私は依然として瞑想中だ

もしかしたら彼が私の中にいるのではなく
私が彼の瞑想の中にいるのかもしれない
二つの私の距離がかけ離れているから
もう一人の私は瞑想によって
今の私を守っているのかもしれない
三つの時が


いつまでも追い続けるしかない
生きている私は
現在においても
過去においても
そうして未来においても過程だ

本当の私は今も、いつも
どこかにあって
時の流れの上に
「私」というプリズム光を投げかけている
現在の私はそのひとつだ
はじまりの詩


救いを求めたところで、私に救いは与えられない
救われようとする者に救いはもたらされないのだ
見ろ、私は生きている
だが、私の生を支えるために
無数の命が費やされてきている
この一言
それを発するためにさえ
私は他の命を喰らっている

救い?
救いだと
救いを求めているのは私ではない
私に費やされたおびただしい数の命
その亡魂が私に求めているのだ
救いを、安息をと

生の果てには死があり
死の先にもやはり生
私の生が死という鏡に映り
これまで喰らってきた命の叫びとなって返ってくる

天国?
来世?
誰が望む
私は死すべきものでいい
死の先には何もなくていい
私に費やされた生命はそんなことを望んではいない
生きる
思いはそれだけだ

世界から見れば
私はほんの一瞬のきらめき
小っぽけな流転の相だ
現在の私は過去の私の結果であり
未来の私の一起点だ
だが、原因はない
結果もない
今の私がどこを向くかで
過程である私は姿を変える
変化
流転
生あるものの定め
止めるには死以外にない

だが、なぜ救いを求める声が聞こえるのだ
彼らはまだ生きているのか
私とともに彼らは生きているのか

信じることを強いぬ
ただその存在を感じるだけの私の神よ
私は救いのためにではなく
鎮魂歌を奏でるためにあなたに祈る
私の生命でもって
彼らへの鎮魂歌を奏でるために
小っぽけな


私は支えられて生きてきた
そうして、今も生きている
私が死んだら
私の肉体が滅んだら
そのとき「私」も消え失せる

永遠の生命、不滅の魂
そんな言葉を口にする人たちがいる
だが、どこか変だ
永遠の生命?
生命とは永遠のものだ
だが、永遠の生命などない
不滅の魂?
生命が永遠であるのなら
魂もまた不滅だ
生命も魂も
与えられたラベルの違いでしかないのだから
だが、不滅の魂はない

表現の問題?
そう、表現の問題だ
だが、表現を軽んじてはいけない
表現に現われているちょっとしたもの
そこに本心が姿を覗かせていることがある
表現が意識を縛ることもある

生命も魂も永遠にして不滅だ
だが、永遠の生命や魂はない

個人、
私、
小さくひ弱なものだ
死ねば終わり
「私」は消える
支えを失った「私」はともに消え失せる
だが、それでいいんだ
そこから先をいったいどう望めと言うのだ?
その先に「私」はいないというのに

私は「生命」という尽きせぬ泉から力をもらっている
それは、私のものでもなければ、誰のものでもない
もちろん人間だけのものでもない
「生命」は、生きとし生けるもが
それぞれに生み出し、受け取る力なのだ
私のもの
そう呼べるのはこの小っぽけな「私」だけ

だが、私はこの「私」に固執する
小さくひ弱な「私」だが
多くの支えなくして存在しえない「私」だが
それでも私はこの「私」にしがみつく
この「私」を通す以外に
何の実現も図る術はないのだから
あかんべぇ


いつだって死は生の影として寄り添っている
いつかは襲いかかってくるものだけど
自らそこに飛び込むこともできる
でも、見てごらん
死は離れずにいるけれど
その機会を待ち構えているだけで
そう簡単には
こちらの世界へと飛び込んではこれないんだ

焦る必要はないよ
急ぐ必要もないよ

歩けなくなって
それで倒れて横になって
それからでもいいじゃないか
もうダメだ
そう思ったら
残った力でごろんと転がれば
ほらっ....
涙と微笑み


敬虔な思いというのは
信仰を守るとか
教義を信ずるとか
そんな堅苦しい特別なものじゃなくて
もっと気軽で当り前のこと
あまりに気軽で
あまりに当り前すぎるものですから
ついつい忘れがちになってしまう
「ありがとう」
その気持ちを失わずにいることなんです
遊心


さあ、深呼吸をして
力を抜いてやってゆきましょう

気張っていると
いざというときにかえって動けない
一心不乱だと
周囲のものが見えなくなってしまう
本当に大切なものは
意外と身近にささやかな形であって
血走った目では見えないことの方が多いんです

ですから
はいっ、立ち止まって大きく深呼吸
で、空を見上げて
ほっとできましたら
さあ、進みましょう
未来が現在に


未来が現在になりたがっている
これからも
これまでも
私は欠けたままだ

現在は過去という影を残してゆく
そうして、未来----

やはりまだ私を呼び続けている
ともに欠けているんだ
現在の私はもちろんのこと
未来の私も
それぞれ何かを欠いているんだ
象徴


地球を中心として
それでまとまることはできないのかな?

ひとつの中心は
もうひとつの中心と呼びあって
新たな中心を生み出し
その中心もさらなる中心と調和しあい----

中心はいくつもある
世界は複合的なものでいい
全体性とはそういうものなのだから
でも、人間が持っている世界というのは....

まずは個人という世界を
そこから広がりゆく家族、社会、民族、国家----
さらに広げ、生命、地球
いつかは宇宙へ
八月六日、そして....


多くの人が死んだ
多くの人が殺された


それはこの街のいたるところで見られる
この街だけではない
あの街でも、また別な都市でも
屍の山は見ることができる

あそこに建っているあのビル
あれも屍によって築かれている

命を喰らうだけでは満足できず
同類同士の殺しあい
そうして築いた屍の山
そこに繁栄という花が咲いている

いつまで続くのか
人はこうであるしかないのか

今日もまた
死ぬ権利を奪われた人たちが屍となる
明日も、明後日も----
個人から


被害を与えたのはこの国ではない
被害を受けたのもこの国ではない

被害を与えたのは国の闇に呑み込まれ
国命という錦の御旗を振りかざした人々

被害を受けたのは人、人、人
血と涙を流すのはいつも個人だ

もう捨てようよ
国や民族なんて御旗はいらないよ

大切なものは
個人の心に宿っているのだから

いつだって犠牲となってきたのは
一人一人の人間なんだから

もう国家とか、民族とか
そういった枠組みで人をまとめてしまうのはよそうよ

まとめられてしまえば
また同じことが繰り返されるのだから
皮肉


見せかけのヒューマニズム
偽りの平等思想
そんなものはクソッ喰らえだ
ヘドが出る
俺は蔑みもすれば
差別もする、切り捨てもする

権利としての平等を主張するのは結構だ
だが、他人の邪魔はするな
それは誰にも言えることだ
人はやりたいことをやればいい
これも確かな信条だ

二つの信条がぶつかりあえば
この世はもっとうまくゆく
不機嫌


無性にムカッ腹が立つ連中に出会うことがある
どうしてコイツらは
こうもいい加減なわがままでいられるのだろう
わがままなはずなのに
そのくせ、言葉は他人のもの、借りものだ
わがままならば自分の言葉でものを言え
気取り、ポーズ、受け売り
そんなに認めてもらいたいのか
だが、自分の言葉を持たない者は認めようがない
お前らみたいに
ひ弱なニセのわがままを働くヤツがいるから
わがままが誤解されるんだ
お前らもまた、私の敵だ

無性にムカッ腹が立つ連中に出会うことがある
どうしてコイツらは
自分の問題を他人に預けたがるのだろう
それが自分の問題であるということさえ気づいてやしない
そのくせ、わかってもらえないと不服そうな顔をしている
当り前だ
自分の問題を捨てているお前らは
自身であることを放棄しているのだ
だから、誰からも理解されることはない
存在しない者を認めることなどできない相談だ
もっと苦しめ
その苦しみをまず自分で認めろ
他人に認めてもらうのはそれからのことだ
それができないというのなら
隅っこの方でおとなしくしていろ
少なくとも他人に迷惑をかけるな、お前らは邪魔だ
られる、られる、と転がりゆく


それは《いじめ》ではない
《いじめられ》なのだ
《いじめられ》に耐えられない者たちが
その《られ》を誰かに背負わしているのだ
当事者すべてが何かに《いじめられ》ている
そうして、最後に
《られ》をつかまされた者が自らを《いじめ》る

《られ》を負わした者に同情の余地はない
自身の《られ》を背負えない者は
必ずまた、同じことを繰り返す
自らの荷は自分で背負え
どうせ始まりなど雲散霧消してしまうのだ
それぞれが自身の荷を背負うだけの強さを持たなければ
《いじめられ》の《いじめ》などなくならない
競馬場


彼らは楽しんでいるのではない
彼らは忘れようとしているのだ
自らの中にある漠とした不安
それを忘れようとしているのだ

自分の中にあるものを
誤魔化している彼らに
楽しみはもたらされない
自分自身ではない
その不快感は何よりも優先される

騒ぎたいだけ、騒ぐがいいさ
騒ぎ、じたばたしたところで
あの不快感からは逃げようがない

騒ぎたいだけ、騒ぐがいいさ
走る馬たちの未来には
どうせ関係のないことだ
民衆という匿名性


この国はまた戦争をしかける
今すぐ、というわけではないが
いつかまた、きっとやる
そうした可能性は消えていない
小さくなってもいない
むしろ強くなってしまっているぐらいだ

個人が弱いんだ
この国では
ひとりの人間としての「私」が弱すぎる
だが、それは外に対してだけのことではない
自身の内面に対しても
この国の人々の「私」はひ弱なのだ
だから、見て見ぬふりや
横にならえということができるのだ

後は、錦の御旗さえあれば
開戦のきっかけを待つだけだ
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