2009.08.07(Fri.)-10(Mon.)
 乗車区間は各日付の部分にもその日の行程分のみ記載。

2009.08.07(Fri.)
東京(羽田)12:15−(SFJ079)→13:46(13:55所定)北九州空港
北九州空港14:15−(サンデン交通)→14:49(14:51所定)門司港レトロ桟橋通
九州鉄道記念館15:15−(19)→15:25関門海峡めかり
関門海峡めかり15:30−(20)→15:40九州鉄道記念館
門司港16:29−(2565M)→16:43小倉
小倉17:37(所定17:34)−(3044M・特急・ソニック44号)→18:14博多
博多18:21−(2043〜4023M・特急・みどり23号)→20:16佐世保

2009.08.08(Sat.)
佐世保7:54−(3221D・快速・シーサイドライナー)→9:34(9:30所定)浦上
浦上駅前9:56−(長崎電気軌道)→10:19赤迫
赤迫10:24−(長崎電気軌道)→11:00正覚寺下
正覚寺下11:01−(長崎電気軌道)→11:06築町
築町11:09−(長崎電気軌道)→11:16石橋
石橋11:18−(長崎電気軌道)→11:36蛍茶屋
蛍茶屋11:39−(長崎電気軌道)→11:43諏訪神社前
諏訪神社前12:12−(長崎電気軌道)→12:21長崎駅前
長崎13:01−(2856M)→15:48鳥栖
鳥栖16:05−(2157M)→16:13久留米
久留米16:48−(1867D)→17:55日田
日田19:01−(1873D)→19:17(時刻表上19:20)天ヶ瀬
天ヶ瀬20:04−(1878D)→20:18日田

2009.08.09(Sun.)
日田7:18−(1823D)→9:40大分
大分10:34−(5430D)→10:40滝尾
滝尾10:40−(5429D)→10:46大分
大分11:11−(4432D)→12:31豊後竹田
豊後竹田14:25−(2424D)→15:08宮地
宮地15:37−(8412D・観光列車「あそ1962」)→17:27(17:21所定)熊本
熊本17:59(17:39所定)−(5342M)→19:46(19:19所定)鳥栖
鳥栖20:10(20:09所定)−(4374M・準快速)→22:11(22:02所定)小倉

2009.08.10(Mon.)
小倉6:13−(5122M)→6:29下関
下関6:38−(3342〜5342M)→11:30三原
三原12:17−(444M)→13:49岡山
岡山14:12−(3137M・快速・マリンライナー37号)→14:49坂出
坂出15:00−(1261M・快速・サンポート)→15:15多度津
多度津15:29−(1135M)→16:01観音寺
観音寺16:19−(549M)→16:34川之江
 副都心線開業1周年がASEAN域内経済協力及び北海道の簡易軌道に及ぼす影響を調査する会(仮称)九州総本部夏期研修会、というのを実施しました。この会のファウンダー名誉会長最高顧問相談役代表理事会計監査CEO兼COO兼CIO兼九州総本部長(教育)は当然にU竹氏です。ま、今年も単に九州で鉄道旅行をしただけ、ともいいますけど。
 一応の打ち合わせは事前にU竹氏としていましたが、大体の宿泊地を決め、1泊目はホテルも押さえた上で、合流は車中、ということにしてありました。道中、メールで打ち合わせながらの移動となります。

2009.08.07(Fri.)
東京(羽田)12:15−(SFJ079)→13:46(13:55所定)北九州空港
北九州空港14:15−(サンデン交通)→14:49(14:51所定)門司港レトロ桟橋通
九州鉄道記念館15:15−(19)→15:25関門海峡めかり
関門海峡めかり15:30−(20)→15:40九州鉄道記念館
門司港16:29−(2565M)→16:43小倉
小倉17:37(所定17:34)−(3044M・特急・ソニック44号)→18:14博多
博多18:21−(2043〜4023M・特急・みどり23号)→20:16佐世保

 まずは、九州への移動、ですが、奇しくも昨年と同じフライト利用となりました。ちょうど、進行方向右側の窓側に座っていましたが、広島空港やら山口宇部空港がよく見え、宮島もよくわかりましたが、一番面白く感じたのは、広島空港付近で下方をすーっと滑るような感じで、水色の機体が斜め右手へ去っていったことです。色と方向からすれば大韓航空の関西空港発の便かな?と思いましたが、果たしてどうでしょう。帰宅後調べた感じでは、関西空港発12:50の釜山行KE732便かな、と推測しています。
 10分ほど早着したので、とりあえずバスの乗車券を買ってから展望デッキへ。乗って来た機体を撮影して反対側を見ると、見たことない機体が。DragonAirだそうですが、後でU竹氏に確認したところ、チャーター便じゃないか、という話でした。下関行のサンデン交通バスに乗車。
 バスも門司港レトロ桟橋通バス停にやや早着。U竹氏との合流前に、まずは門司港レトロ観光線(やまぎんレトロライン)の九州鉄道記念館駅へ。すでに列車が停車しています。一応は往復するつもりでいると、”ひとり2回きっぷ”なるものを売っていて、往復でも片道2回でもよいそうなので、帰りは無駄になるかもしれないと思いつつ、それを購入。自由席を待つ列は結構長かったのですが、乗車予定の列車には指定席はないとのことで、しばらく待っているうちに改札開始。
 「潮風号」の車内はほぼ満席ですが、幸い定員制だし、進行方向左手の海側に着席できました。しばらくして発車。ところが、車内放送でも「日本最短かつ最も遅い鉄道」というだけあり、走り出しても暑いのなんの。以前宿泊した門司港ホテル関門橋を眺めつつ、列車はのんびり走りますが、途中の出光美術館駅でも、ノーフォーク広場駅でも、乗降は一切なし。終点の関門海峡めかり駅で、駅横のEF30 1号機を撮影し、折り返し列車に幸い空席があったので乗車。帰路ものんびりと走りますが、ようやく、出光美術館駅で十数名が下車して、途中駅の存在意義を見せて(?)から、九州鉄道記念館駅へ到着。なんというか、あんまり真夏の昼間に乗車するには向いていない列車だとも思いました。
 さて、北九州空港到着後、頻々とU竹氏との連絡を取っていましたが、一応の予定通りでOKとなったので、隣接する門司港駅へ移動して、佐世保までの2枚きっぷと、指定券を購入。繁忙期なので指定券が1枚につき\500というのを失念してましたが、まあ仕方ないですな。それでも時間が余るので、とりあえず小倉へ移動して、やや遅れてきたソニック44号に乗車。折尾から乗車のU竹氏と無事落ち合って乾杯。といっても、博多まではすぐで、ホームを移動して、多少買い出しをしてから”みどり23号”に乗り継ぎ。
 さすがに九州は日が長く、なかなか暮れてきませんが、酒類は順調に消化されて、車販から買い足そうか、という話をして探しにいったところで、結局車販は乗車していないことが判明。”かもめ43号”を切り離した肥前山口も、U竹氏の言葉通り、ホームには何もなく、しょうことなしに、身軽になった”みどり23号”で佐世保を目指します。高架に上がった武雄温泉駅あたりではさすがに周囲も暗くなり、方向転換する早岐で6分停車して、終着の佐世保へ。松浦鉄道のディーゼルカーが停車してました。
 駅前の東横インにチェックインしてから、夕食に。U竹氏は、佐世保で”レモンステーキ”と”佐世保バーガー”のうち、「食べたことがない」という理由から、”レモンステーキ”にご執心だったようです。ちょうど雨がぱらついてきたので、傘を借りるついでに店を尋ねて、駅前すぐの「レストハウス リベラ」というお店へ。まずはビール、続いてワインで乾杯。
 ”レモンステーキ”は、私は”薄切り牛肉を焼いて、レモンを搾りかけたもの”くらいの知識はあったのですが、まあそういうものでして、鉄板に載せられて出てきました。食べなくても大体の味の想像はつくんじゃないでしょうか。個人的には、タン塩でも同じだよな、という気も少しはしましたが、U竹氏の言葉ではないですが、「こういうものは一度は食べてみないと」ということです。”佐世保バーガー”は、ボリュームもあって、大変結構でした。これはテイクアウトして、列車で食べてもいいですねえ。かなり満腹したので、腹ごなしかたがた、四ヶ町アーケード周辺の繁華街まで出向き、かなり歩き回りましたが、すっと入れる店もなかったので、駅裏手の佐世保港で休息後、駅ビル内のスーパーで買い出ししてからホテルで軽く飲んでこの日は就寝。

2009.08.08(Sat.)
佐世保7:54−(3221D・快速・シーサイドライナー)→9:34(9:30所定)浦上
浦上駅前9:56−(長崎電気軌道)→10:19赤迫
赤迫10:24−(長崎電気軌道)→11:00正覚寺下
正覚寺下11:01−(長崎電気軌道)→11:06築町
築町11:09−(長崎電気軌道)→11:16石橋
石橋11:18−(長崎電気軌道)→11:36蛍茶屋
蛍茶屋11:39−(長崎電気軌道)→11:43諏訪神社前
諏訪神社前12:12−(長崎電気軌道)→12:21長崎駅前
長崎13:01−(2856M)→15:48鳥栖
鳥栖16:05−(2157M)→16:13久留米
久留米16:48−(1867D)→17:55日田
日田19:01−(1873D)→19:17(時刻表上19:20)天ヶ瀬
天ヶ瀬20:04−(1878D)→20:18日田

 明けて08.08、この日は7:40にホテルロビー集合としました。朝食後、予定通りに集合して目の前の佐世保駅へ。昨日とは違い、佐世保も好天です。
 早速ホームへ上ると、4両編成の”シーサイドライナー”が入線。後ろ2両が旧国鉄色で、我々はこちらに陣取りました。前2両はブルーの塗色です。車内はそこそこ空いているので、進行方向右手の座席を転換して、ボックス状にして陣取り、出発。
 早岐からは大村線。私は1987年以来の乗車になります。ハウステンボスをちらりと見てから、すぐに南風崎を通過。小串郷付近からの大村湾の眺めはよく、特に川棚を過ぎてからは絶品です。乗客も徐々に増えてきたので、大村手前で座席を通常の2人がけに戻して諫早へ。市布での交換待ちでやや遅れを出して、浦上到着。
 浦上からは、私の希望で入れてもらった、長崎電気軌道の乗りつぶしです。まずは赤迫へ行くことにして、浦上駅前電停に向かいますが、やたらと人だかりがしており、要するに電車がしばらく来ていないようです。それからもしばらく待っていると、まあ続いてやってくること。混雑しているので何台か見逃してから乗車。
 徐々に乗客は減っていきますが、ずっと市街地を走って、赤迫着。車内で1日乗車券が買えなかったのは誤算で、ならこのあとの乗り継ぎ考えても、もう買わなくてもいいんじゃないか、とも思いましたが、まあついでに、どっかで余計に下車するかもしれないからと購入。電車はどんどん続いて来ています。長崎駅前までは何に乗ってもよかったものの、当然乗り換えずに終点まで行った方が楽に決まってますから、折り返しは1号系統を選んで、正覚寺下を目指します。
 車内はだんだんと混雑して、長崎駅前から出島方向に進み、出島電停を過ぎると、併用軌道なのでしょうが、石畳でなんとも趣きのある区間に。築町で左折、西浜町で右折して、正覚寺下到着。折り返す電車にそのまま乗り込み、今度は石橋へ行くために築町で下車して5系統に乗換。市民病院前を過ぎると、右前方にいきなり巨大な船が。大浦海岸通りを過ぎて、海から離れてしまったので、この時点では船名不詳でした。
 石橋からはそのまま5系統で折り返して、今度は蛍茶屋まで乗り通します。途中、先程の船をU竹氏が思いっきり望遠で撮影し始めたので何事か、と思ったら、「船名を確認するため」で、望遠で撮影したものをさらに拡大すると、"COSTA CLASSICA"と読めました。あとで調べたところでは、コスタクルーズという、イタリアの会社の客船のようです。
 蛍茶屋からは、3系統に乗車して長崎駅前まで行けば、全線完乗となるのですが、それでは長崎からの電車の時間まで暇を持て余すので、赤迫でどうしようかと考えていた、途中下車を敢行することとし、これも検討していた、諏訪神社へ行くこととして、諏訪神社前で下車。ここまではどの系統に乗っても同じです。
 で、地下道を経由して諏訪神社の参道に向かうと、これがU竹氏の事前警告の通り、まあ結構長い石段で、暑さと荷物でどうしようかと思いましたが、ここまで来たし、と、ひたすら上ります。参道途中から大門を見上げたときは、この奥も相当な階段じゃないかとうんざりしましたがそんなことはなく、やれやれ、です。眺望はさすがにすばらしく、諏訪神社に大変に詳しいU竹氏のガイドよろしきを得て、境内もいろいろと見て回り、非常に有益な参拝であったと思います。
 諏訪神社前電停に戻り、3系統の電車に乗って、長崎駅前へ。これで、長崎電気軌道は完乗です。
 JR長崎駅へ歩いて、ここからは鳥栖行の普通列車。途中の有明海の風景が楽しみですが、その前にまず買い出し。まずはどんなものがあるか、当たりをつけてから、いったんホームへ。事前のU竹氏情報の通り、817系2両編成に座席を確保してから”豚まん”、”角煮まん”、”いわしハンバーグ”、”あごちくわ”というつまみと、飲料を買い出し。しばらくして発車、早速乾杯。
 列車は、当然ながら長崎本線電化開業時の新線経由なので、諫早までは朝乗った区間を逆戻り、です。まあ、旧線区間も1987年に乗車はしているとはいえ、久しぶりであることには間違いないので乗車したかったところですが、今回は、長崎電気軌道を優先、かつ、あんまり早起きして、朝6:56佐世保発に乗るのも、ということではありました。徐々に乗客は減ってきますが、それでも高校生などが乗ってきて、それほど車内は空かないままに、12分停車の諫早到着。ここでも乗客が入れ替わりますが、やはり高校生が結構乗車してきます。
 飲み物を補給し、”かもめ26号”に道を譲ってから発車。さすがに高校生もどんどん下車して、湯江でガラ空きになったので、シートを転換してボックス状にして、くつろいで有明海と対岸の普賢岳を眺めます。県境を越えて佐賀県に入っても、有明海は相変わらずのんびりとした夏の海、です。長崎で買ったつまみも、”あごちくわ”以外は食べ尽くして、佐賀に向けて、もう少し混雑するか、とも思ったのですが、結局それほど混まないうちに終点の鳥栖到着。ホームでシメの(?)かしわうどんを食べて、ここでU竹氏が日田のホテルへ電話。「1人用のビジネスホテルの客室は満杯で,2人用の、景色が見えない部屋なら2人で税サ込\10,000、でも申し訳ないから、部屋見てからでいいですよ」と言われたのですが、温泉なしのホテルに泊まって外来入湯すること考えれば逆に安い、とのU竹氏の見解もなるほどですし、別にホテルからの景色なんて特段気にしませんから、とりあえず仮予約して久留米へ。
 久留米は九州新幹線工事で、とにかく雑然とした構内の印象でしたが、ここで久大本線に乗り換えて、日田を目指します。この区間はインターバルで飲む気もなかったのですが、私は善導寺過ぎてから寝てしまい、気がつくと、筑後大石を出るところ、でした。
 ともあれ、日田到着。ちょうど、”ゆふいんの森3号”がやってきたのを撮影してから、小松軒というホテルへ。もう、面倒だし、部屋見るまでもなく泊まるつもりでしたが、なるほど部屋は、玄関入ってすぐのロビー横の、ふとん部屋のような感じの部屋でした。ま、どうせ寝るだけだから問題はありません。早速入浴してから、天ケ瀬へ出かけるべく小雨の中をまた日田駅へ。赤い200系の単行です。
 日田から大分方向は初乗りですが、すでに大分暗くなっていて、もう景色は楽しめません。天ケ瀬駅も、ちょうど係員が勤務を終わるところで、駅舎は施錠され消灯されてしまい真っ暗です。目的の駅前温泉は文字通り駅前の道路の向かい側すぐで、手書きの案内があり、それにしたがってコンクリート製の護岸の切れ目を川へ向けて降りると左手です。数台は車の置けそうなスペースがあるところがまあ入口でしょうか。入浴料\100は、鉄の料金箱に投入する形式ですが、この箱が投入口はあるものの、盗難防止のためでしょうけど、取出口らしきところは完全に溶接されていて、そもそも料金箱かどうかもはっきりしない感じです。更衣スペースはありますが、護岸の側からは目隠しになっているものの、残り三方は全開です。更衣スペースの川寄りに、男女兼用のコンクリート製浴槽が一つ、洗い場は、洗えなくはない、という程度のスペースです。入口からみると一番奥に女性用の更衣スペースがあり、一応浴槽からは見えないようになっています。で、そのように設備は殺風景ですが、玖珠川の渓谷を眺めながら源泉掛け流しの湯につかるのは、とてもいい気分です。U竹氏によると、「対岸の道路からは丸見え」だそうですが、それどころか、浴槽と川の間には軽トラの似合いそうな道路まであります。夜だからいいものの、あんまり昼間には向いていないような。ただ、これもU竹氏によると、「昼間の入浴は抜群の開放感」だそうですが、そりゃそうでしょうね。他の客は、時間考えるともう誰も来ないかな、と思っていましたが、そろそろ上がろうかという頃に車で地元の方らしき男性が一人やってきました。
 さて、一風呂浴びたしビールでも、というのが人情でしょうが、これまた事前のU竹氏情報の通り、駅前には酒屋が全く存在しません。やや雨が強くなってきた中、温泉街をしばらく歩いて、他にもいくつか露天の共同浴場らしきものを確認し(温泉街沿いのためか、結構入浴者もいたようです)、対岸にも渡ってみましたが、結局酒店はなし。ホテルで売ってくれというのも面倒で、あきらめて日田へ戻って飲み直すことに。真っ暗な中を日田駅へ戻り、さて、どこへ行こうかと検討の結果、宿とは駅を挟んで反対側の豆田町というところを目指します、
 雨こそ上がってましたが、道中はなんやら住宅地っぽくて明かりもなく、目的地まではかなりありそうだし、そもそも目的地が妥当かどうかもよくわからない、ということで、U竹氏がホテルへ電話して確認。豆田町は昼の街で、夜は温泉街側、ということを確認できたので、三隈川方向へ引き返していくと、なるほど温泉街の近くにはスナックが結構ありました。U竹氏の観察では、「一次会はホテルだろうから、二次会がスナックで、だからスナックが多いんじゃないか」ということで、これはなるほどと頷かされるものがあります。逆にスナックばかりであんまりスッと入れる居酒屋も見当たらなかったのですが、唯一、”つぼ八”が妙に雰囲気のあるたたずまいでしたが(後でわかったことですが、元旅館だそう)、まあ全国チェーンに入ってもねえ、ということで、さんざ歩き回った結果、もうひとつ考慮に入れていた、日田焼きそばのお店、三隈飯店へ。日田焼きそばは両面焼きで、豚肉ももやしも入って、カリッとした食感で美味しかったです。観光協会パンフレット持参で、ラーメンスープのサービスもあり、大変結構でした。”つぼ八”の話はここで聞いたものです。
 三隈飯店を出て、ホテル裏手に見つけていた酒屋に寝酒を買いにいくと、扉を開けただけでこれがえらく煙たい酒屋で、何でかなと思って中に入ると、外からは見えない位置に立ち飲みスペースではなく椅子があって、そこにいて飲んでいたおばはんが二人ジロッとこちらを睨む、という、妙にアウェイな酒屋で、なんか酒も少し高かった、というおまけもありましたが、ともかくもホテルへ戻ってもう一風呂浴びて軽く寝酒。その前に、冷蔵庫のない部屋のこと、U竹氏が長崎で買った、”あごちくわ”をフロントに預けて冷蔵庫に保管してもらったのはさすが、というものでしょうね。

2009.08.09(Sun.)
日田7:18−(1823D)→9:40大分
大分10:34−(5430D)→10:40滝尾
滝尾10:40−(5429D)→10:46大分
大分11:11−(4432D)→12:31豊後竹田
豊後竹田14:25−(2424D)→15:08宮地
宮地15:37−(8412D・観光列車「あそ1962」)→17:27(17:21所定)熊本
熊本17:59(17:39所定)−(5342M)→19:46鳥栖(19:19所定)
鳥栖20:10(20:09所定)−(4374M・準快速)→22:11(22:02所定)小倉

 この日は朝早くの出発。朝風呂に入ってからチェックアウト。フロントで預けた”あごちくわ”を返してもらって、小雨模様の中、日田駅へ。本日の一番手は、日田始発ではなく田川伊田からやって来た2両編成の普通列車です。U竹氏は、日田彦山線では125系は見たことない、という話でしたが、増備してるんですかね。あるいは、この時点で、田川伊田より北には入ってなかった、というだけかもしれませんが。この列車は日田からの下り一番列車ですが、車内はガラガラです。天ケ瀬までは昨夜乗った区間ですが、景色を見て、なるほどこんな渓谷だったんだ、という感じ。天ケ瀬からは全くの初乗り区間となります。
 豊後森で5分停車。扇形庫もなるほどそのまま残っています。恵良からは車窓右手に、しばらく宮原線の線路跡が並行して、右手へ離れて上っていきました。ちょっとした山越えを経て由布院へ。ここで9分停車。雨足もやや強まったこともあり、途中下車して温泉につかりにいくのは諦めて、そのまま大分へ向かうことにします。由布院からは観光客含めてやや乗客も増えましたが、それでも結構空席の目立つ状況です。湯平で”ゆふDX2号”と交換。だんだんと都市近郊、という感じがしてきましたが、結局それほど乗客は増えないままに、大分駅の高架ホームに到着
 この豊肥本線・久大本線のホームから北口へ向かうのは、工事中とはいええらく遠いし高低差があるしで、新しい高架部分にはエレベータやエスカレータがあるにしても、結構面倒です。北口改札横の立食いうどんで朝食。U竹氏から、佐伯名物の”ごまだしうどん”があると聞いて食べてみましたが、なかなか美味しかったです。U竹氏曰く、「ここのは出汁で割ってるけど、直接ごまだしを湯で溶くともっと強烈」だそうで、それも機会があったら食べてみたいところです。
 時間があるので、U竹氏の案内で、駅至近の、”あたみ温泉”という、銭湯なんだけど温泉、に出向いて見ましたが、残念ながら14:00からの営業だそうで浸かれずじまい。しょうことなしに駅へ戻りますが、やることもないので、殺風景な南口を見物(?)してから、時間つぶしに中判田行に乗車。しかし、中判田に行ってもあてもないし、ということで、慌てて滝尾で降りてキックターン。結局、”ゆふ1号”並んだ普通列車を撮影し、高架ホームには売店がないので、北口まで出向いて多少の買い出しをして、後続の豊後竹田行に乗車。車内はガラガラです。雨模様の沿線を眺めつつ、ビールと”あごちくわ”で乾杯。フロントに預けてまでこだわっただけに、というか、値段も結構したから、というか、”あごちくわ”は、なかなか結構でした。
 さて、豊肥本線は、ついさっきの滝尾往復と、何故か乗っていない宮地と阿蘇の間を別にすると、1996年以来です。列車のかなりが折り返す中判田は、なるほど大分市街の末端、という感じです。ここまで来ても何もなかったろうなあ、とは思いました。”荒城の月”の流れる豊後竹田に到着。ここで2時間弱の時間があります。少し街を歩く予定だったので、荷物をコインロッカーに預けてから、駅近くの竹田温泉 花水月へ。温泉は13:00から、ということでしたが、少し前に着いたところで、ちょうど、「温泉お待ちの方、どうぞ」とのことで、ややフライング気味に(?)一風呂浴びることができました。
 温泉のあとは市内散策。雨は上がっていますが、蒸し暑い中、市街地をぶらぶらと。町並みはなかなかいい感じです。酒屋で風呂上がりの飲み物を購入して、宮地行に接続する、豊後竹田着14:23の4436Dが来る前に、と、豊後竹田駅へ。既に折り返しの宮地行が到着していましたが、これがロングシートの単行。いまさら何かできる訳じゃないし、待っててもビールがあったまるだけだし、ということで、停車中の車内で早速乾杯。4436Dが来る頃には、かなりいい気分になっており、「ロングシートでもこうなりゃ関係ないよな」という、U竹氏の言はごもっとも、です。
 その4436Dからの乗り継ぎ客もそんなに多くはなく、ロングシートに結構空きがある状態で宮地行2424Dは発車。大分県最後の駅である、豊後荻を過ぎると県境の山間部にかかって、九州の鉄道駅では最高地点にある、波野へ。ここから宮地までが結構長く、駅間は10.7kmもあります。長いトンネルを抜けて、カーブして降りていった先が宮地。列車の終点で、もう、阿蘇の外輪山の内側です。構内には、”あそ1962”が留置されていました。”あそBOY”に使われていた転車台も残っていますが、これ、今も動くんでしょうかね。
 とまれ、駅を出てすぐのコンビニへ買い出しに。駅へ戻るとすでに”あそ1962”はホームにいて、乗客もかなり乗り込んでおり、ほぼ満席でした。しばらくして発車。
 実は、宮地から阿蘇まで、何故か乗っていない、という話を書きましたが、これは1996年のこと、熊本から豊肥本線に乗車し、南阿蘇鉄道に乗って高森駅へ行った際、その後、バス利用で高千穂へ抜けて高千穂鉄道に乗車するか、立野に戻って豊肥本線全線乗車+”あそBOY”撮影というのを天秤に掛けて、後者を選択して立野経由で阿蘇駅で下車した、まではよかったのですが、”あそBOY”を待っていたら、ものすごい豪雨+雷で撮影どころではなくなったあげくに、乗車予定の宮地行普通列車がエンジントラブルのため立野駅で打ち切りとなり、かつ、先に急ぐしかなかったので阿蘇−宮地間をタクシー利用するハメになって乗り残し、という事情です。もちろん、18きっぷ利用とはいえ、阿蘇からその後の特急待ってもよかったのですが、それだと大分手前区間が日没後の初乗りになってしまうので、結果あんまり意味がないから避けざるを得ないということでした。ある意味不可抗力ではありますけど。ちなみに、高千穂鉄道は結局乗車できないまま2005年の台風により廃止されています。
 宮地から阿蘇までは、国道57号線に沿っていて、タクシーはその国道57号線を通りましたから、景色なんて見たも同然なのですが、ともあれ阿蘇まで乗車した時点で、豊肥本線完乗。阿蘇駅では11分停車するので、駅舎の外へ出てみたりもしましたが、完乗の達成感、というか、ようやく積み残していた宿題を片付けた、というのか、とにかく妙な感じでした。
 阿蘇を出ると、立野に向けて下っていきますが、U竹氏が「風力発電の風車があるよ」というので見てみると、確かにスイッチバックのあたりから風車がよく見えます。私がうまいこと撮影できたのは8基ですが、帰って調べてみると、阿蘇にしはらウインドファームという、電源開発の風力発電所で、10基の風車があるそうです。
 スイッチバックを降りたところで立野。ここで、同じ車両の団体客が大量に下車して、車内は閑散としてしまいます。もう一度方向転換してから発車。肥後大津から電化区間となるのが、1996年との差、ですが、ここで「熊本駅構内で事故のため列車が遅れる」との車内放送が。結局、光の森などでも対向列車待ち合わせで遅れが拡大し、熊本到着は6分遅れ。乗車予定の5342Mは八代発なので、これも案の定遅れており、とりあえずホームで待っていると、”SL人吉”が、これも遅れてやって来て、すぐに回送されていきました。
 結局、20分遅れた5342Mに乗車。2両編成でしたが、早めに並んでいたのが功を奏して、小学生数名の割込というどうしようもない一幕があったものの、満員となった車内でもロングシートに座って爆睡。目が覚めた時には日も暮れて、すっかり車内も空いていました。
 しかし、この先が問題で、これだけ遅れてしまうと本州へ渡って宿泊しても、もう深夜の到着になるのでそれは避けたいところ。ならば、と、小倉で宿泊することにして、携帯で探すと、小倉ワシントンホテルプラザが、開業40周年企画(さすがに、ワシントンホテル自体の、で、小倉が開業40年じゃないと思いますが……)とやらで1泊税サ込\4,000のキャンペーンをやっていたので、それに決定。電車は鳥栖行なので久留米で降りて買い出しするか迷ったのですが、鳥栖でお土産用に焼麦を買いたかったこともあり、終点まで。遅れはさらに拡大していました。
 駅横のコンビニで買い出ししてから、またもやホームのかしわうどんをすすり、焼麦も買って、小倉行準快速に乗車。荒木始発なので、この時点では熊本で発生した遅れには無関係に動いてました。早速シメの乾杯。花火大会のあった春日で臨時停車。車内からも花火が少しは眺められたのは、眼福というものでしょうか。博多で満席になるかと思ったら、何故かU竹氏も拍子抜けするくらいの乗車しかないままに発車。赤間で”ソニック57号”に追い抜かれましたが、そうなるとさすがに熊本の遅れが波及してきます。U竹氏と折尾で別れ、小倉到着時には9分遅れていました。
 ホテルまで歩いて、さてラーメンでも、と思ったのですが、ホテル向かいに昨年はあったラーメン屋……どころか、ビルごとありません。記憶違いかと思って、フロントで確認したところ、やはりビルごと取り壊されて駐車場になってしまったそうで、仕方なく小倉駅前方面へ。昨年、U竹氏に連れられていった魁龍が、U竹氏のおすすめですが、疲れた胃には強烈すぎるけど仕方ないか……と思っていたら、ここも日曜の夜で閉店が早く、結局、新京町通りの、京町通りとの交差点にある「一平」というお店へ。オーソドックスな豚骨、という感じで結構でした。ここ、門司出身のN村氏に教えてもらってた気がしたのですが、勘違いだったかな。まあ、美味しかったんだからいいです。

2009.08.10(Mon.)
小倉6:13−(5122M)→6:29下関
下関6:38−(3342〜5342M・快速・シティライナー)→11:30三原
三原12:17−(444M)→13:49岡山
岡山14:12−(3137M・快速・マリンライナー37号)→14:49坂出
坂出15:00−(1261M・快速・サンポート)→15:15多度津
多度津15:29−(1135M)→16:01観音寺
観音寺16:19−(549M)→16:34川之江

 今日は四国まで。あとのことを考えると、早めに出発するに越したことはないので、6:38下関発の糸崎行に間に合うように、上りの2番列車で小倉を出発。もう結構な数の乗客がいます。下関での乗換はホーム移動。あんまり窓位置の適当な席がなく、まごまごしていたら転換クロス部ではなく、4人掛け固定の席しか、進行方向右手の席が取れませんでしたが、まあ仕方ないですな。
 下関を発車した時点でもそこそこの乗車でしたが、朝の通勤通学時間帯にかかるだけのことはあり、どんどん混雑してきます。防府を過ぎたあたりとか、柳井港を過ぎてからほぼ西広島近くまで、瀬戸内海をのんびり眺めるのはいいのですが、何せ眠くて仕方がない。ついとろとろとしかかってしまいますが、まあ、悪い感じじゃありません。岩国からは瀬野まで快速運転。大きく乗客の入れ替わった広島を過ぎ、新広島市民球場を横目に見て、海田市を通過。実はここから三原までが初乗りです。すぐに上りにかかり、名高い瀬野八を初めて越えました。やたらと酒蔵の煙突が目につく西条でかなり下車があって、ようやく車内も閑散としてきます。河内を過ぎたところで、いきなりやたらと高い位置にアーチ橋が建設中でした。”空港大橋”と工事中の看板にありましたが、いやずいぶん大規模です。ようやく山間部を抜けて、高架に上がって三原到着。列車は糸崎行ですが、いったんここで下車。ともあれ、ようやく山陽本線完乗です。
 糸崎まで行くよりは三原からの方が1本遅くても座れるかな,とも思ったのですが、よりによってくたびれた103系が待っていたので、いったん改札を出て、駅そばでも、と思ったのですが、見当たりません。それより先に、どうやって四国へ渡るかが一応の検討課題だったので、とりあえず三原港へ。船だけだとうまく乗り継ぎはできそうもないので、瀬戸田へ船で行って、その後しまなみ海道を通るバスで今治へ出てもいいや、と思ったのですが、三原港で聞くと、瀬戸田港と瀬戸田バス停はタクシーで12から13分だそうで、諦めてまた三原駅へ。
 結局、あなご弁当を買い込んで、岡山まで電車で出ることに。因島大橋がよく見えました。
 岡山に着いてみると、どうも様子が変です。構内アナウンスを聞いていると、土讃線が雨で運転抑止がかかっていて、次の南風から、高知までは運転するとのこと。この時点では、台風が1つさらに発生していたとは知らず、佐世保や昨日の大分県内の雨も台風の影響か、くらいにしか考えていませんでしたが……。
 ”マリンライナー37号”を待っていると、”瀬戸大橋アンパンマントロッコ3号”がやってきました。なるほど、これに乗る手はあったかもしれません。
 それほどには混んではいなかった”マリンライナー37号”を、坂出で下車、琴平行の快速”サンポート”に乗り換えて多度津下車、さらに観音寺行に乗車。観音寺からが松山行という、全区間乗車すればそこそこの長距離の普通列車にさらに乗り継ぎ。発車を待ってる間に”しおかぜ22号”が岡山に向けて出発して行きました。
 川之江で下車してカミさんの車に拾ってもらい、3泊4日の旅は終了したのでした。

 ところで、副都心線開業1周年がASEAN域内経済協力及び北海道の簡易軌道に及ぼす影響については、九州での研修を兼ねた実地調査後も、まだよくわかっていません。今後も、よりいっそうの調査研究が待たれるところです。
総目次 2009年の鉄道旅行
最近の鉄道旅行へ