2008.08.01(Fri.)-04(Mon.)
 乗車区間は各日付の部分にもその日の行程分のみ記載。

2008.08.01(Fri.)
東京12:05−(SFJ079)→13:45北九州
北九州空港14:05−(西鉄バス北九州)→14:53(14:58)西鉄黒崎バスセンター
黒崎駅前15:00−(91)→15:33筑豊直方
直方15:42−(1331D)→16:15田川後藤寺
田川後藤寺16:33−(970D)→17:39小倉

2008.08.02(Sat.)
小倉6:08−(2329M〜1381M・快速)→8:05鳥栖
鳥栖8:12−(2327M)→9:52熊本
熊本10:01−(8529D・快速・天草グルメ快速「おこしき」)→10:51三角
三角11:16−(532D)→12:08熊本
熊本12:30−(5335M)→13:04八代
八代14:10−(1229D)→15:25人吉
人吉15:28−(17D)→16:10湯前
湯前16:40−(18D)→16:48多良木
多良木17:49−(20D)→18:24人吉

2008.08.03(Sun.)
人吉7:19−(1251D)→8:18吉松
吉松8:30−(4225D)→9:22隼人
隼人9:49−(6930M)→11:38南宮崎
宮交シティバスセンター11:57(11:58)−(宮崎交通バス)→12:07宮崎空港
宮崎空港13:12−(736M)→13:59高鍋
高鍋駅前14:08−(宮崎交通バス)→14:18高鍋バスセンター
しんきん通り15:02−(宮崎交通バス)→15:10高鍋駅前
高鍋15:23−(738M)→16:29延岡
延岡16:48−(2740M)→17:59佐伯
佐伯18:07−(4670M)→19:32(19:34)大分
大分20:12−(3058M・特急・ソニック58号)→21:37小倉
小倉21:40−(3132M・快速)→21:45門司
門司21:50−(268M)→21:56下関

2008.08.04(Mon.)
下関5:38−(820D)→7:45長門市
長門市7:50−(1623D)→7:53仙崎
仙崎8:00−(724D)→9:24厚狭
厚狭10:11−(638A・こだま638)→10:22新山口
新山口10:41−(456A・ひかり456)→11:14広島
広島11:28−(5628M・快速・安芸路ライナー)→12:13広
広12:15−(138M)→12:58(13:01)竹原
竹原駅13:13−(芸陽バス)→13:19フェリー前
竹原13:40(13:45)−(中四国フェリー・8便)→14:45(14:53)波方
波方フェリー前15:53−(せとうちバス)→16:01金子橋
波止浜16:12(16:15)−(1134M)→17:41(17:44)伊予寒川
 副都心線開業がASEAN域内経済協力及び北海道の簡易軌道に及ぼす影響を調査する会(仮称)九州総本部夏期研修会、というのを実施しました。この会のファウンダー名誉会長最高顧問相談役代表理事CEO兼COO兼CIO兼九州総本部長(教育)は当然にU竹氏です。単に九州で鉄道旅行をしただけ、ともいいますけど。
 集合場所は小倉で、そういうことなら本来なら鉄路九州へ、ブルートレインで乗り込むのがそれっぽくてよいのですが、どうせ乗るなら全区間乗りたい”富士・はやぶさ”は東京発が18:03ではいくら何でも早すぎる上、しかも月末では仕事もあってこれは無理だし、新幹線から乗り継ぐ気にもならなかったので、この案はボツ。”サンライズ出雲”も考えましたが、これも一度自宅へ戻ってからだとあんまり時間がないし、何より長期間家を空けるわけで、それなりに片付けもしなければいけないのでこの案もボツ。結局は空路利用で、実は羽田から萩・石見空港行の直行便はキャンセル待ちが取れずで、何のひねりもなく北九州空港へ直行となりました。

2008.08.01(Fri.)
東京12:05−(SFJ079)→13:45北九州
北九州空港14:05−(西鉄バス北九州)→14:53(14:58)西鉄黒崎バスセンター
黒崎駅前15:00−(91)→15:33筑豊直方
直方15:42−(1331D)→16:15田川後藤寺
田川後藤寺16:33−(970D)→17:39小倉

 その移動日は、実はU竹氏の仕事がどうなるかわからず、前夜祭、じゃない、前日検討会ができるかどうか微妙だったこともあり、19:00くらいに小倉に投宿していればいい、ということになっていたので、お昼の便で北九州へ。SFJの利用は初めてで、ちょっと堅い気もしたけどいいシートですねえ。特に揺れることもなく、北九州空港到着。曇天の東京とは異なりよく晴れていますが、はっきり言って暑いです。この北九州空港の利用も、以前の空港ひっくるめても初めてですが、何が一番印象的だったかといえば、3階の山小屋ラーメンからの匂いだったりします。
 夕刻まで時間があるので、この日乗れるところどこか、と考えると、筑豊電気鉄道の全線と、平成筑豊鉄道の糸田線が北九州市近辺での未乗線区です。どの順序で回るか、事前に思案した結果、西鉄黒崎バスセンター行のバスに乗車。海上空港ですから、バスは空港ターミナルを出ると、長い連絡橋を渡り、苅田北九州空港ICから高速に。実感として結構な山奥を走った後に、八幡ICから北九州都市高速を経由して一般道へ。まあ遅れることもあるまい、と思っていたのですが、信号で引っかかったのもあり、約5分遅れて西鉄黒崎バスセンターに到着。すぐ向かいに筑豊電気鉄道の乗り場があったのですが、これが直接地平を移動できずに走って階段を上下するハメになって、どうにか予定の電車に飛び乗りました。
 2両連接の車内はほぼ座席が埋まり、少し立ち客も見かけられましたがどうにか着席。列車は淡々と郊外の住宅地へ向けて走るのかと思いきや、高架区間に上ったのは少々びっくり。そうかと思えば切通しもあり、意外に変化に富んだ車窓です。東中間や筑豊中間まで来ると、戸建の住宅が目立ちますが、それもすぐ、筑豊香月まで来ると、もう田園地帯の駅という雰囲気で、車内もここまで来るとさすがにガラガラでした。
 高架上の筑豊直方駅に到着。さてここから直方駅までの移動ですが、大体徒歩10分くらいはかかる、という程度の知識はあったので、すぐに歩き始めて、迷わずにJR直方駅に到着したのですが、平成筑豊鉄道の直方駅は乗り場が違っていて、少しまごついて探すと、ちょっと奥まったところに小さな駅舎と自動券売機がありました。で、改札口で切符を買おうとしたところ、もう時間がないと言われて、停車中の列車を撮影し、単行の車両に駆け込んだところですぐに発車。
 別に1本後の列車でも、なんら大勢に影響はないのですが、10分切る時間で乗り継いだのは、乗車した1331Dが、金田から糸田線に直通してくれるから、という、それだけの理由であったりします。車内は座席が半分埋まる程度の混み具合です。伊田線自体への乗車も、1986年7月以来で、当時はまだ国鉄でしたからえらく久しぶりですが、沿線の記憶もほとんどなく、当時は田川伊田から直方へ抜けたんだよなあ、それにしても駅が増えたなあくらいに思いつつ、金田到着。ここからの糸田線が初乗りとなる区間です。が、特に沿線風景が変わったなあ、という気もしないままに田川後藤寺到着。車内で運賃精算して駅舎側へ跨線橋を渡ると、ちょうど後藤寺線8582Dが発車したところでした。
 一度駅前広場へ出てから、今度は日田彦山線に乗車。前回の乗車は4年前で、どうしたって印象的な香春岳を右手に望み、モノレールとの乗り継ぎで何度か利用している志井公園を過ぎ、城野から日豊本線に乗り入れて小倉へ到着。
 この日は結局、ホテルのロビーでU竹氏と無事に20:00集合で落ち合い、前日検討会を挙行したのですが、とにかく3軒目に連れて行かれた魁龍が強烈だった、とのみ申し上げておきます。

2008.08.02(Sat.)
小倉6:08−(2329M〜1381M・快速)→8:05鳥栖
鳥栖8:12−(2327M)→9:52熊本
熊本10:01−(8529D・快速・天草グルメ快速「おこしき」)→10:51三角
三角11:16−(532D)→12:08熊本
熊本12:30−(5335M)→13:04八代
八代14:10−(1229D)→15:25人吉
人吉15:28−(17D)→16:10湯前
湯前16:40−(18D)→16:48多良木
多良木17:49−(20D)→18:24人吉

 明けて08.02、この日は5:55にホテルロビー集合という、かなりな早起きです。昨日はJRの乗車距離が短かったため使用しなかった青春18きっぷに、まず一つ目の改札印を押してもらってホームへ。
 まず乗車すべきは、小倉6:08発の2329M荒尾行なのですが、これがややこしいことに、土曜休日のみは博多で分割されて、一部が荒木行快速1381Mとなります。で、その快速となる側に乗車する必要があるため、ホームの博多側で待機。門司でムーンライト九州と接続している列車なので、もっと混雑しているかと思っていましたが、拍子抜けするくらいガラガラでした。ま、朝も早いですからね。北九州市内の沿線風景を、U竹氏の解説つきで眺めつつ、博多が近づくとさすがに車内も混雑してきましたが、ほとんどの乗客は博多下車。我々はそのまま快速となった列車に乗車して、二日市で先行の普通列車を追い抜き。実は、その後の着席のみを考えれば、ここで乗り換えるのが一番なのですが、それでは朝食の時間が捻出できないので鳥栖まで。これでホーム移動があると面倒だったのですが、後続の2327Mも同じホームに発着、ということで、安心して(?)、でも急いでかしわうどんの朝食を。列車の着発は6番線で、6番ホームのうどんが一番美味しいという、経営している中央軒のサイトにまで掲載される都市伝説(?)があるようなのですが、一度に食べ比べたことはないのでその真否は私には不明です。が、確かにこの6番線のうどん店、にぎわっておりましたし、美味しく頂きました。
 やってきた2327Mでも無事に座席を確保して、一路熊本へ。途中、銀水駅で3M・特急”リレーつばめ3号”に追い抜かれるための停車があるので、ちょっとホームに出て気づいたのですが、乗車していた編成が、元・三井グリーンランド号に使用されていたもので、ロゴエンブレムが、車体側面にうっすらと残っていました。
 それほど混雑することもないまま、熊本駅到着。この時点で既に4時間近くの乗車です。事前の検討で、この日はこのあと三角線と肥薩線に乗車して人吉泊、までは決めていましたが、実はその、三角線と肥薩線の車両に多少の懸念を抱いていました。何が懸念材料かというと、トイレなしのキハ31のみの編成に当たる可能性でして、もしそうなると安心して酒など飲めません。
 ネットでの事前調査では、
  • どうも熊本地区にはキハ31が8両配置されているらしいこと
  • 熊本地区のキハ31は、豊肥本線、三角線、肥薩線で使用されているらしいこと
  • 肥薩線で土曜・休日に運転される”九千坊号”には、”いさぶろう・しんぺい”に以前使用されていた車両(キハ31)が用いられているらしいこと
  • 三角線で土曜・休日に運転される”天草グルメ快速「おこしき」”には、キハ200が充当されることが多いらしいこと
までは判明しましたが、実際の情報との乖離があるかもしれませんし、状況が変わっているかもしれません。三角線については、1本あとの531D〜534Dに乗車して往復しても肥薩線の接続は同じだったのですが、まずはキハ200に当たることを期待しての早起きで、さてどうなるかと思っていたところ、ホームにいたのは無事にキハ200の2両編成。安心してホームの売店でビールを買い出し、乾杯。
 宇土から私にとっては初乗りの三角線に入り、住吉で交換待ち合わせ。ちょっとホームに降りてみると前面にはヘッドマークがついていました。交換相手の530Dが、キハ31の単行で、これがたぶん、531D〜534Dにも充当されるとすると、まずは早起きの甲斐があったというものです。
 住吉を出ると、進行方向右手に島原湾が。U竹氏の説明では、遥か遠くに霞んでいたのが普賢岳だそうで、思っていたよりは海も見えて(なぜあんまり海が見えないと思っていたのかはよくわかりませんが、別の路線と勘違いしていたかな?)、なかなかによい車窓です。まあ、国道がやはり海側に並んでいるのが残念と言えば残念ですが。線路は、列車名称の由来である、御輿来海岸を過ぎると右手に進路を取り高度を上げて山中へ。トンネルを抜け、しばらく行くと、波多浦駅で、ここを過ぎると今度は左手に海が見えて、すぐに終点の三角到着。
 適度に時間があるので、駅前に出て港を眺めると、何やら面妖な建物が。多分、廃止された島原行フェリーのターミナルだろうと思っていたら、やはりそうで、「海のピラミッド」という名前の、結構有名な建物だそうです。いまはフェリーターミナルとしての営業はしていないものの、クラブとして営業しているようで、チェ・ゲバラのポスターまで貼ってあります。振り返ると、三角駅もなかなか瀟洒な建物なのですが、いかんせん、目の前の展望デッキ?が邪魔で仕方ありません。
 一方で、船は1日2便が細々と発着しているようで、これは帰って調べると、御所浦(と言ってもピンと来ませんが、天草の離島)行の船でした。
 港の隣には、”みすみフィッシャーマンズワーフ ラ・ガール”なる施設があり、美味しそうなちくわが売られていたのでこれを酒の肴に購入、さて、ビールも、と思ったら、これが売られていません。少し駅前を探しましたが、酒類を扱っているコンビニエンスストアの類は存在せず、あきらめて三角駅へ戻り、上り532Dの客となりました。
 532Dからの景色は、まさに巻き戻しでしたが、下り531Dとは網田で交換、この531Dがキハ31の単行でした。ここで、この後の肥薩線をどうするか決めなくてはいけません。あまり早く八代へ行っても仕方ないので、一旦熊本へ戻ることとしましたが、気になるのは肥薩線1229Dの車両です。いっそ、熊本ー人吉間は”2枚きっぷ”を買って、13:07発の特急”くまがわ3号”を利用すれば、座席は確保できるし確実にトイレ付きの車両ですから問題はないのですが、そこまで投資するかどうかは悩ましいところです。1229Dにキハ31が使用されていた場合、肥薩線は酒抜きでインターバルと割り切ればよいのでしょうが、そこまで割り切るには景色が良すぎます。
 結局、U竹氏の決断で、熊本駅1番ホームから入れるラーメン屋で食事を取ってから、特急は利用せずに、12:30発の5335Mで八代へ移動することにします。そうはいっても気になるので、熊本駅南方の熊本車両センターを眺めると、キハ31が留置されています。むろん、走行中の車両から全て見えるわけではないにせよ、どうも4,5両はいた雰囲気で、これに三角線ですれ違った1両が存在し、あとは”九千坊号”に1両使われていれば、残りは差し引き1両か2両で、これが豊肥本線にいてくれれば、ありがたいんですがねえ、等と話しているうちに、右手に新八代の九州新幹線への連絡船が分岐して、新八代に到着。そのまま八代まで乗り通して、一度カンカン照りで人通りのない駅舎を見に駅前広場に出てみましたが、暑いのですぐ退散。
 駅構内にはコンビニエンスストアも入っていて便利ですが、ずっといて座席が確保できなくなっても困るので、乗車すべき1229Dが上り1228Dの折り返しであることをU竹氏が確認したこともあり、ホームへ出て入線を待っていると、少し遅れてやって来た1228Dはキハ40!いや、もう、これで大安心、というやつです。
 しかも、くまがわ3号を撮影し、乗るべき1229Dを撮影して、私が買い出しに行ってから改札をくぐると、単行のはずが1両増結されていてさらにびっくり、これは相当余裕あることになりました。
 5337Mと5339Mからの乗り継ぎ客もそんなにいないまま、八代を発車。あとのことを考えて進行左手に座席を取った我々は早速乾杯。三角から持ってきたちくわも美味しく、実にいい気分です。鎌瀬を過ぎると、球磨川が左窓に移ってきて、これもよい眺めです。球磨川下りは有名だなあ、等と思いながら川の眺めを楽しんでいましたが、驚いたのは、ラフティングがものすごい数いたことでした。那良口を過ぎるとまた川は右に移ってしばらくすると離れて行き、盆地に入って人吉到着。時間も早いのでもう少し乗車を続けることにして、湯前を目指します。
 くま川鉄道への乗り継ぎ時の懸念は、果たして人吉での3分接続で、1日乗車券を購入できるかどうか、だったのですが、これがくま川鉄道のホーム上で発売されていて一安心。乗車した17Dは、キハ31(KT31)を含めた2両編成でしたが、きちんと?トイレ付きのKT200(KT203)とペアを組んでおり、これならばU竹氏言うところの「何ら問題ない」という話です。我々は新幹線0系電車のシートを利用した2人掛けシートに陣取りました。
 さて、くま川鉄道は、要するに湯前線で、まあ盆地の中を行くなあ、という感じです。特に何ということもなく湯前到着。降車客が散ってしまうと、駅前には誰もいません。駅横の、”ふれあい交流センター「湯〜とぴあ」”というのが温泉かと思ったら物産館で、ここで実家へのお土産を買ったり(何故かくじ付きで、”乾燥わらび”なんぞが当たってしまった)、駅前の酒屋で、地元湯前の豊永酒造の、冷やしてストレートで飲む球磨焼酎「一九道 冷酎」(あとでU竹氏とホテルの部屋で飲みましたが、初心者向けという感じではないというか、冷やしてストレートで豪快にグイグイは、我々にはキビシいというか……あと、飲み切りを意図しているのでしょうが、スクリューキャップじゃなくて王冠だったのもちとツライものが……)というのを買ったりして、適当に時間つぶして、折り返しの18Dで今度は多良木下車。往路、1日乗車券と見比べて当たりをつけていた、町営のえびす温泉センターへ。入口に大きな恵比須様が鎮座しています。温泉もなかなか結構で、約1時間というのはちょうどよい途中下車でした。
 多良木駅から、人吉へ戻ると、「いさぶろう・しんぺい」の車両が停車中でした。
 今夜の宿の朝陽館に荷物を置いてすぐ、市内散策へ。現在、「肥薩線川線開通100周年記念キャンペーン」の期間中で、そのパンフレットに宿のスタンプを押してもらうと外湯1個所の外来入湯が無料、ということでしたから、とりあえず近くの芳野旅館を目指します。入湯は無料でよいけど、現在、宿泊客が入浴中との話で、30分後くらいに戻って来ることにして人吉の町をぶらつきます。人口40,000人に満たない地方都市のはずですが、酒場の充実ぶりは大したもので、さすがに球磨地方の中心、というべきところか。一方で、あんまり温泉街っぽい感じは受けません。入浴後一献傾けるのによさげな店も何軒か見つけてから芳野旅館へ戻って入浴。結構な老舗のようで、建物も趣きがあり、狭いながらも露天風呂まであり、なかなかいい感じでありました。
 さっぱりとしたところで市内散策。20:00近くなってようやく日も暮れた感じで、日本の広さを感じます。風呂上がりの一杯にしても、もうそんなにしっかり食べたいわけではなく、「焼鳥と冷奴でビール飲んで、シメにそうめんでもあればいいや」ぐらいの心境で、やきとり大将というお店へ。この店が大当たり、でした。地元の方に話しかけられて、他愛のない話から、U竹氏が地元人吉高校出身のプロ野球選手の話題にきちんとついていったりして(いや、これは私には無理だ)、焼酎1杯おごっていただいたり(ごちそうさまでした)もしましたが、美味しく焼鳥と冷奴とビールを頂いて、2人で勘定が2,800円と少し!。そう何度も行けないのが残念なくらいですが、実に地元密着のいいお店、という感じがしましたです。

2008.08.03(Sun.)
人吉7:19−(1251D)→8:18吉松
吉松8:30−(4225D)→9:22隼人
隼人9:49−(6930M)→11:38南宮崎
宮交シティバスセンター11:57(11:58)−(宮崎交通バス)→12:07宮崎空港
宮崎空港13:12−(736M)→13:59高鍋
高鍋駅前14:08−(宮崎交通バス)→14:18高鍋バスセンター
しんきん通り15:02−(宮崎交通バス)→15:10高鍋駅前
高鍋15:23−(738M)→16:29延岡
延岡16:48−(2740M)→17:59佐伯
佐伯18:07−(4670M)→19:32(19:34)大分
大分20:12−(3058M・特急・ソニック58号)→21:37小倉
小倉21:40−(3132M・快速)→21:45門司
門司21:50−(268M)→21:56下関

 この日も朝早くの出発。ちょうど、駅前のからくり時計が7:00を告げるところでした。
 まずは1251Dで矢岳越え。さすがの車窓ですね。ゆったりと車窓を眺めて吉松へ到着。朝食がまだなので駅そばでもあればたぐりたいところでしたが、残念ながらなし。吉松駅横手のSL(C55 52)を見学してから今度は隼人へ。私には吉松ー隼人間が初乗り区間で、途中、大隅横川、嘉例川と趣きあることで有名な駅舎を列車の窓から流し見て、隼人到着。
 ここでも多少の時間はあるのですが、やはり駅そばの店はなし。駅前に出てみると、近くに営業していたラーメン店もあったのですが、これは食べているうちに時間がなくなる懸念もあったのでボツ。結局、駅前のコンビニで軽食を買い、隣のAコープで後のつまみ用のさつま揚げを買い、ビールも……といきたかったところですが、座席確保ができるかどうかとロングシート車がやってくると困るので、これは断念して駅へ戻ります。
 私はここから南宮崎までの間では、隼人ー西都城と山之口ー南宮崎が初乗りとなるという妙な乗り方をしていますが、それはともかく、やってきた6930Mは817系で、車両面の懸念はなくなったのですが、車内は結構な乗客です。ところが、次の国分でかなりの降車客が出て、これならビール買ってくればよかったか、という話になりましたが後の祭りというやつですね。国分からは山中で、これはもう中間の補給は無理かと思いましたが、時刻表で見る限りは財部で結構な停車時間があります。でも、その財部駅、駅は無人で売店はなく、駅前にあったのは新聞販売店でした。
 宿泊地として検討した都城を過ぎ、また山中に入ってから南宮崎へ。これから宮崎空港へ向かう予定なのですが、ちょうどにちりん3号の宮崎空港行がやってきます。宮崎・南宮崎ー宮崎空港間は、普通乗車券のみで特急の自由席への乗車が可能な区間なのですが、18きっぷの場合どうかわからなかったこともあり(これは帰宅後の検討でも、普通列車の設定がある区間だし、明示的に乗車できるとの記載がないからやはり無理だったか、という一応の結論に達しています)、改札の外へ。実はこの日は、延岡からの2740Mによりスケジュールが制約されており、それなら黒木本店の、”百年の孤独”が定価で入手できないかどうか、酒屋を見て回ろう、ということにしてありました。
 で、宮交シティのダイエーにはさすがに売ってなく、バスで宮崎空港へ。ここの売店に多少の期待をしていたのですが、残念ながら入荷待ちとのこと。ターミナルビルの”魚山亭”という店で昼食をとったのですが、ここにはグラス売りの”百年の孤独”がありました。でも、これも飲んじゃうと後が大変なのでビールにとどめて宮崎空港駅へ。
 宮崎を出ると、ここから大分までがまた私にとっての初乗り区間で、そのまま乗車していれば延岡まで行けるのですが、高鍋下車。黒木本店のある高鍋町の酒屋を捜してみよう、という酔狂な話だったのですが、バスで町の中心部まで行って、暑い中を歩き回りましたが結果は外れ。まあ予想がついていただけに仕方ないですな。黒木本店を外から眺めたにとどまりました。またバスで高鍋駅まで戻って、738Mに乗車。車内はかなり混雑しています。また、車内に自転車を持ち込んでいる人が目立ったのも特徴でしょうか。日向灘を眺め、リニア実験線の跡を見ているうちに、その乗客も日向市でずいぶんと下車し、自転車持ち込み組も合宿か大会があるのか、つぎの門川でほとんどが下車。空席が目立つ状態になって、土々呂でにちりん15号と交換し、延岡到着。
 ここからは、1日3往復しかない、”宗太郎越え”の貴重な普通列車の1本である、2740Mに乗車します。延岡駅構内はED76の姿も見られて活気がある一方で、豪雨災害により結局復旧できないまま廃止の決まった高千穂鉄道の車両が留置されていたり、時刻表もそのままであったりと、どこか侘しさも感じられます。
 駅で買い出しをして、ガラガラの2740M車内で乾杯。列車は谷をつめて行きますが、これが案外な渓谷美で少々驚きます。意外に佐伯に近づくと乗客が少しながらあり、ずいぶん器用に使うなあと感心。佐伯で乗り継いだ4670Mが815系で、この2日間で初めてのロングシート車のみの編成。海の景色を眺めるにも首が痛いのですが、大分が近づくと、この日が大分合同新聞の花火だったようで、この旅で考えてみれば初めての浴衣姿の乗客も増えて、駅の高架工事真っ最中の大分駅に少し遅れて到着。
 ここからは、まあ普通列車でもよいのだけど、この区間については投資の価値があるだろうとしていた、大分ー北九州市内間の2枚きっぷを購入。早速駅構内のラーメン店で、切符を見せると割引が効いて、なるほど投資効果十分です。
 ソニック58号車内でU竹氏とシメの乾杯。さすがに特急は速いですな。あまり途中駅からの乗降もなく、”わっしょい百万夏まつり”の浴衣姿が目立つ小倉駅でU竹氏と別れて私は下関へ。ちなみに、ソニックの車中で、私はU竹氏から、昨年も乗船した”シーマックス”が廃止されたことを初めて聞かされたのでした(いや、マジに知らんかった)。

2008.08.04(Mon.)
下関5:38−(820D)→7:45長門市
長門市7:50−(1623D)→7:53仙崎
仙崎8:00−(724D)→9:24厚狭
厚狭10:11−(638A・こだま638)→10:22新山口
新山口10:41−(456A・ひかり456)→11:14広島
広島11:28−(5628M・快速・安芸路ライナー)→12:13広
広12:15−(138M)→12:58(13:01)竹原
竹原駅13:13−(芸陽バス)→13:19フェリー前
竹原13:40(13:45)−(中四国フェリー・8便)→14:45(14:53)波方
波方フェリー前15:53−(せとうちバス)→16:01金子橋
波止浜16:12(16:15)−(1134M)→17:41(17:44)伊予寒川

 翌朝は、どうも夜中に雨が結構降ったようで、路面がしっかり濡れています。この日は5:38発の820Dに乗車ですから、ホテルを出たのは夜明け前です。820Dがエンジンをうならせながら待機しています。
 幡生から山陰本線に。ここからが初乗りの区間です。当然に海側となる進行方向左手に座っていたのですが、ときおり見える日本海は曇天のせいかどうか、あまり夏っぽい色ではありません。小串を過ぎると、いきなりの雨で、滝部付近では相当強く降っていました。駅ごとに多少の降車客があっても、基本的には高校生がずいぶん乗車してきて、長門市到着。噂に違わず、なかなかよい風景の区間でした。
 長門市では、「雨のため東萩−長門市間で遅れが発生している」とのアナウンスが。幸い、仙崎方面は無関係で、1623Dに乗車、長門市駅を出るとすぐに山陰本線の本線(って、妙な言い方だな)と別れ、たった2.2kmの乗車で仙崎到着。
 7分で折り返して、また長門市到着。ここから、いわゆる”かつぎ屋”の女性が3名、大荷物とともに乗車してきたのにはちょっとびっくりしました。ここからは美祢線で、こちらも初乗り。時折雨がぱらつく中、田園地帯を進み、長門湯本を過ぎたあたりで温泉街のホテルを眺め、意外に?山中に入った後、構内の広い重安、美祢を過ぎて南大嶺へ。ここから先、厚狭までは、大嶺支線の廃止直前の1997年3月に乗車した区間です。厚狭到着後、かなりの乗客が山陽本線の下関行へ乗り継いでいきました。
 朝食に駅舎内でうどんを食べてから、新幹線ホームへ。厚狭から岡山まで山陽本線を乗り通して帰るには、何だか妙に接続が悪く、柳井港からのフェリーも考えたのですが、これも三津浜から先があんまりうまく行かないので、まあ仕方ないですな。0系こだまから新山口でひかりレールスターに乗り継いで、広島到着。
 ここから三原方面は、また未乗だった区間なのですが、今日のところは呉線直通の快速利用。ところがこれが、くたびれた103系の3両編成という、どうしようもない車両で、しかも日差しがきついためでしょうが、海側のほとんどのブラインドが降りています。広で乗り継いだ電車も105系の2両編成で、なんでか列車交換も何もない仁方で特に案内放送もないまま数分停車して、約3分遅れで竹原到着。呉線で海の景色を眺めるには、あらかじめ115系が投入される運用を調べておくか、「瀬戸内マリンビュー」に乗るよりなさそうですな。
 竹原駅前からはバスでフェリー乗り場へ。バスの到着位置は、中・四国フェリー(竹原・波方自動車航送船組合)のターミナル横ではなく、 隣の山陽商船のフェリーターミナル前でした。
 やや遅れてやってきたフェリーはガラガラで、大崎上島と大三島の間を抜け、来島海峡大橋の眺めを楽しんでから、波方港到着。
 で、すぐにバスがあるはず……だったのですが、フェリーが遅れていたために、バスはそのまま行ってしまい、1時間波方のフェリーターミナルで高校野球の実況放送眺めながらぼんやりするハメになってしまいました。どのみち伊予西条からの接続は同じなのですが、鉄道歴史パークinSAIJOの見学はまた、今度、という結果です。
 しょうことなしに1時間後のバスに乗り、そういや、波止浜駅は波止浜の市街からはちょっと外れていたのを思い出して、バスの運転手さんに確認して、金子橋下車。波止浜駅まで少し歩いて、1134Mに乗車。伊予寒川でカミさんの車に拾ってもらい、3泊4日の旅は終了したのでした。

 ところで、副都心線開業がASEAN域内経済協力及び北海道の簡易軌道に及ぼす影響については、九州での研修を兼ねた調査を実施した後も、まだよくわかっていません。今後の解明が待たれるところです。
総目次 2008年の鉄道旅行
最近の鉄道旅行へ