2004.08.20(Fri.)
羽田7:55−(ANA451)→9:45佐賀
佐賀空港−(タクシー)→諸富鉄橋展望公園
諸富橋11:19(11:24?)−(西日本鉄道・バス)→11:48?佐賀駅バスセンター
佐賀11:56−(普通・840M)→12:20鳥栖
鳥栖12:29−(快速・4338M)→13:03博多
博多13:32−(普通・1652H)→14:14桂川
桂川14:35−(普通・6627D)→15:05原田
原田15:22−(快速・4354M)→15:55香椎
香椎16:00−(普通・767D)→16:33宇美
宇美16:47−(普通・772D)→17:02長者原
長者原17:12−(快速・4653H)→17:23博多
2004.08.21(Sat.)
博多港7:25−(福岡市営渡船)→7:40西戸崎
西戸崎7:49−(普通・729D)→8:10香椎
香椎8:15−(快速・3127M)→8:26博多
博多9:07−(快速・4391M)−9:39鳥栖
鳥栖9:51−(特急・39M:リレーつばめ39号)−9:56久留米
久留米10:09−(普通・1835D〜8855D)→11:14日田
日田12:08−(普通・956D)−13:17田川後藤寺
田川後藤寺13:29−(普通・958D)−14:09志井公園
企救丘14:16−(北九州高速鉄道・北九州モノレール小倉線)−14:24競馬場前
競馬場前16:04−(北九州高速鉄道・北九州モノレール小倉線)−16:16小倉
小倉16:41−(28A:のぞみ28号)−18:06岡山
岡山18:22−(特急・23M:しおかぜ23号)−19:44川之江

 朝、ばたばたと羽田空港へ。ほとんど、搭乗締切直前に発券カウンターに駆け込んで、佐賀行きの451便の座席を確保。2004.07.31に引き続き、またも座席は1Aです。機体はA320で、乗ってみるとかなり座席は空いていました。
 富士山や佐田岬を眺めて、定刻9:45よりも約5分早く佐賀空港へ到着。1日2往復の羽田便と1日2往復の大阪(伊丹)便が発着する、有明海の海岸近くにそこだけぽつんと設けられたローカル空港ですが、展望デッキへの入場になんと100円の入場料が必要です。空港の隅には、YS-11が静態保存されていました。
 さて、公共交通機関利用なら、ここから佐賀市営バスで佐賀駅バスセンターを目指すのですが、時間節約のためにタクシー利用で、筑後川昇開橋最寄りの諸富鉄道展望公園へ。事前に佐賀県東京事務所で確認した通り、20分弱、3,000円まではかからずに諸富鉄道展望公園到着。
 筑後川昇開橋は、実に面白く、諸富鉄道展望公園から対岸の大川市方の筑後川昇開橋展望公園へ昇開橋を渡り、橋の下流の花宗水門手前にある、筑後川交流館「はなむね」の屋上から橋が上昇するのを眺め、また橋を渡って諸富鉄道展望公園へ戻って楽しみました。これはこちらに別項としてまとめました。
 さて、昇開橋の運転係の方に教えていただいた通り、諸富鉄道展望公園最寄りのバス停ではなく、少し歩いて上流の諸富橋の最寄りのバス停から佐賀駅バスセンター行きのバスに乗車。5分ほど遅れてやってきたバスは、途中、旧佐賀線跡のサイクリングロードの下を潜り、だんだん郊外から市街地に入り、武家屋敷の門など眺めて、佐賀駅の久保田駅方の高架下にある佐賀駅バスセンターに到着。
 ここで、佐賀県東京事務所でも筑後川昇開橋でも勧められた佐賀県立佐賀城本丸歴史館に行こうかとも思いましたが(この08.01に開館したから、というのもお勧めの理由だったみたいです)、それはまた次回として、鳥栖行きの普通列車に乗車。吉野ヶ里はどこかいな、などと車窓を眺めているうちに鳥栖到着。ここで、かしわうどんで昼食。快速に乗り換えて博多へ。このあたりは主要線区の割に久しぶりの乗車なのですが、新駅が増えていますねえ。
 博多からは篠栗線に乗り換え。この線も、1986年7月以来で、あんまり当時の記憶も残ってませんが、新駅が増え、しかも電化されていて、ずいぶん変わったようです。それでも、篠栗から先が山間部にかかるのは以前の記憶通りです。筑前大分手前で平野部に出ますが、ここもずいぶん新築の家が多いなあ、などと眺めるうちに桂川到着。
 桂川からは、筑豊本線の未乗区間の、桂川−原田間の乗車を目指します。桂川駅に停車していたディーゼルカーは1両のワンマンカーで、その後、黒崎発と博多発の快速を受けると、車内は1/4程度の乗車率となりました。発車すると、上穂波まではやはり新築の住宅が目立ちますが、その後冷水峠への登りにかかると、列車のスピードも落ち、人家も減ってまさに山間部です。のみならず、冷水峠の手前からぽつぽつ雨が落ちだして、峠のトンネルを抜けるとこれが結構な雨が降っていました。筑前山家駅前には何故か西鉄北九州線の車両が「がんばれ筑豊本線」といった横断幕を付けて静態保存(?)されていました。
 原田での待ち時間を利用して、今夜の宿は福岡市内に決めて予約。またもや鹿児島本線の快速で、今度は博多を通り越して香椎まで。吉塚から先も、千早付近の高架化が完成してからは初めての乗車です。並行する西鉄宮地岳線の電車が、トコトコ高架線に登っていく様子が面白かったです。
 さて、香椎で宇美線の宇美方面に乗り換え。宇美線の西戸崎−香椎間には、1986年7月に乗車していますが、香椎−宇美間は初乗りです。車窓は篠栗線を多少のんびりとさせた感じでしょうか。途中、須恵付近でボタ山らしきものが見えましたが、全般に宅地化が進んで、過去の運炭路線の痕跡はあまり見受けられません。少しずつ勾配を上って、宇美到着。折り返しの列車を今度は長者原で下車、篠栗線に乗り換えです。以前(18年前)篠栗線に乗車したときはこの駅は存在しなかったわけですが、なかったのが不思議なくらいの立地ですね。乗り換えも便利でした。博多へは快速で11分。地下鉄に乗り換え、この日宿を取った天神へ。プラザホテル天神というところに泊まりましたが、小体なデザイナーズ・ホテルという感じで、隣接のレストランバーは、また今度使ってみたいですねえ。この日は、赤坂駅近くにある”さきと”という居酒屋に出向きましたが、非常に結構でした。食べる方では、特に、”ごま鯖”が美味しかったです。お酒の揃えもなかなかでした。
 さて、翌朝ホテルをチェックアウトして、博多港へ。バスでもよかったのですが、時間を勘案してタクシー利用。久しぶりに宇美線の西戸崎−香椎間に乗車しようとの魂胆ですが、往復するのも芸が無いので、船で西戸崎へ渡ろう、ということです。乗船時間は正味で15分弱でしょうが、海側から見た福岡ドームなどは面白かったです。少し歩いて西戸崎駅へ。
 18年前の印象では、駅構内は1面1線のホームとタンク車の列があったのですが、貨物設備はすでになく、その跡には新たに乗降用のホームができていました。この路線も以前の乗車の後、列車が大増発されたと思います。さて、西戸崎からはディーゼルカーで香椎へ向かいますが、この日は海の中道でコンサートがあったらしく、対向列車はかなりの乗車です。海の中道駅は国営海の中道公園への入り口として整備され、移設されていました。旧駅の場所が、信号場として残っているようで、崩れかけたホームの跡が残っていました。駅ごとに乗客が増えて、香椎到着。香椎線も沿線の宅地化が進んでいますし、現在の使用車両の寿命の問題もありますから、早晩電化の話が出るんじゃないでしょうか。
 ここで堂々12両編成の南福岡行き快速に乗り換えてまた博多へ。佐賀空港でもみかけましたし、事前に九州島内での存在も知っていましたが、この広告はインパクトありますねえ。さらに快速に乗り継いで鳥栖へ。ここで土産用の焼麦を買い、ここのかしわうどんで朝食を取って、このあとしばらく駅弁を販売している駅がないので焼麦弁当まで買って、ホーム上屋支柱の古レールを眺めながらしばらく考えて特急”リレーつばめ39号”で久留米へ。自由席はデッキまで満員でした。
 そうまでして急いだにもかかわらず、久留米からの久大本線はロングシートのみの2両編成で、車内はそれほど混雑しないままでした。定刻に発車、通常は筑後吉井行きですが、ありがたいことに9月30日までは日田まで延長運転されています。久留米市街地の南方を回り、筑後川沿いの平地を淡々と進み、筑後大石を過ぎるとようやく谷が多少狭まってきたかな、という印象で、日田彦山線との分岐駅である夜明到着。この先に少し渓谷沿いの眺めのいい個所がありましたが、しばらくすると日田盆地に入って、定刻に日田到着。車窓自体は、日田から先が面白いのかもしれませんが、これは今後の宿題です。
 日田で小一時間、時間をとったので、とりあえず川までは、と思い駅前の商店街へ出ると、有線放送で「マツケンサンバ」が流れていて笑ってしまいました。さて、このあたりでは三隈川というらしい、筑後川まで歩き、帰路は原次郎左衛門味噌醤油蔵に立ち寄って土産を買って、日田駅へ。飲み物を買って列車に乗ろうとすると、駅弁マークはないものの、キオスクではちゃんと弁当が販売されていました。
 田川後藤寺行きはディーゼルカーの単行で、そこそこの乗車率です。夜明で久大本線と別れて登りにかかります。大分県からすぐに福岡県に入り、英彦山の南側を詰めていって、筑前岩屋を過ぎてトンネルに入り、下りにかかったところで彦山到着。ここまで乗客は減る一方でした。あとはどんどん下っていくだけですが、添田の、ローカル線廃止に伴う駅構内の妙な広さが印象的でした。彦山を過ぎると駅ごとに乗客を増やして田川後藤寺に到着。これで日田彦山線は完乗です。
 ここでさらに日田彦山線の小倉行きに乗り換えますが、この区間も1986年7月以来です。今度は2両編成で、下車客もそこそこいた分だけ、車内は空いています。以前乗車したときは石原町はまだスイッチバックだったはずですが、スイッチバックはすでに廃止。時の流れを感じます。志井公園で下車。ここで北九州モノレールに乗り換えです。
 そのまま乗っていれば小倉へ行けたのにわざわざ乗り換えた理由は、競馬場に用事があったからで、この日の小倉メインレース・別府特別に”チリエージェ”号が出走予定ですので、その応援です。モノレール自体は、旧小倉駅だった平和通−企救丘間はやはり1986年7月に乗車済み、小倉−平和通間も2000年3月に乗車していますから珍しいわけではないのですが、スタンドが改築されていた小倉競馬場には少々驚きました。小倉競馬場には、調べてみると1993.02.06-07に、O賀氏と冬の小倉開催に遠征して以来ですが(このとき、小倉競馬場に”アサキチ”号が出走していた記憶がある)、その変貌ぶりには驚かされました。何というか、「こんなの小倉競馬場じゃないやい」という感じの、妙に無機質なスタンドになってました。荷物を預けて馬券を買い、パドックで待機して”チリエージェ”号の写真を撮り、取って返してゴール前へ、と忙しく動きましたが、来た甲斐あって、見事1番人気に応えて”チリエージェ”号は優勝。いやあ、目の前で持ち馬(ま、一口馬主のさらに何分の一かですが)の勝利、それもメインレースでの勝利を見られるとは、と、気分よく帰路のモノレールへ。
 小倉で乾杯用の酒とつまみと、あと土産に辛子明太子を買って、”のぞみ28号”の車中へ。本来なら船で四国へ渡るつもりでしたが、予讃線が大雨により多喜浜付近で不通のため、仕方ありません。岡山で乗り継いだ”しおかぜ23号”が車内放送で「川之江行き」とアナウンスしていたのは新鮮、というか、笑いが出ましたが、川之江−新居浜間はバス代行輸送とのこと。そのためか、車内もかなり空いています。観音寺で追い抜いた、本来ならば伊予西条行きの普通列車は伊予三島行きとのことでした。それでも川之江に到着すると、駅前の代行バスに乗り継ぐ人で、狭い駅はごった返していました。
 川之江まで来てわかったことは、
  • 特急列車の代行バスは、伊予三島行きと新居浜行きを別に仕立てている。これは、たぶん、伊予三島までの乗客はそれほど多くないのと、新居浜行きについては、近くの三島川之江インターからすぐに高速に乗せてしまうためでしょう。
  • 何故伊予三島ではなく川之江から代行輸送としたか、これは、川之江駅前に、以前のJRバス川池線の車庫だかの跡地があり、バスを何台も停めておけるから、というのと、先に述べた、高速へのアクセスの関係だと思います。
  • 駅の掲示によれば、普通列車は関川までは運転されていますが、本数はかなり間引かれていたようです。そのため、久しぶりに伊予三島行きなんて普通列車が復活していたのでしょう。関川−新居浜間は代行輸送もなし、とのことでしたが、これはまあ、関川ー多喜浜間なんて利用はほとんどないだろうし、大体が高松ー松山間では普通列車本数がいちばん少ないのが観音寺−新居浜(新居浜始終着列車がないので実態は伊予西条)間ですから、あとはほぼ並行路線のある、瀬戸内運輸のバスに振り替えてしまえばよい、ということでしょう。ま、日頃、普通列車は1両か、せいぜい2両ですし。
というあたりでしょうか。私は今や同じ市内となった、川之江から車で実家へと戻ったのでした。それにしても、伊予三島〜新居浜付近で、1日ならともかく、数日列車が不通になった、なんてのは記憶にありません。数日動かなかった、というだけでも、それこそ国鉄時代のスト権スト以来じゃないかと思えます。
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