2005.12.23(Fri.)
浅草7:40−(1803・特急・りょうもう3号)→8:40館林
館林9:00−(617)→9:34葛生
葛生10:05−(624)→10:39館林
館林10:42−(725)→11:00西小泉
西小泉11:04−(726)→11:08東小泉
東小泉11:11−(920)→11:20太田
太田11:25−(815)→11:53赤城
赤城11:56−(25)→12:05西桐生
桐生12:29−(723D)→14:01間藤
間藤14:18−(728D)→14:23通洞
足尾銅山観光前15:20−(足尾町営バス)→16:12東武日光駅
東武日光16:47−(532)→16:54下今市
下今市17:19−(151)→17:39鬼怒川温泉
鬼怒川温泉19:27−(1140・特急・きぬ140号)→21:31浅草

 栃木県日光市、今市市、上都賀郡足尾町、塩谷郡栗山村及び同郡藤原町を廃し、その区域をもって日光市を設置した後の日光市内の交通を考える会(略称:新・日光市内の交通を考える会)の視察旅行に出かけてきました。相談役名誉会長代表幹事ファウンダーCEO(教育)は当然にU竹氏で、要するに3連休のみに発売される、東武東上線・越生線以外全区間フリーという、”東武お休みきっぷ”(PDF形式)の1日券(1,800円)を利用して、日帰りで東武伊勢崎線・日光線系統に乗車しつつ、忘年会を実施しようというもので、コンセプトは昨年と同様のプランです。
 今回の参加者は何やかやで4名、うち浅草集合は3名で、集合場所と時刻は、東武浅草駅正面改札口に7:30というものでしたが、かなり余裕をみて家を出て、浅草に到着して、”お休みきっぷ”を購入してすぐにI塚氏と合流、続いてU竹氏から「1分遅れて、7:31浅草着の普通列車にて合流、”りょうもう3号”の特急券”は準備しておくように」との架電あり。仰せに従い、”りょうもう”の指定券を3席分確保して、U竹氏と合流。買い出ししてから”りょうもう3号”に乗車。早速乾杯。
 北千住でかなりの乗車がありました。ここからY岸氏が乗車してくるはずですが、車両番号まではわからず、ホームでも発見できず、で、結局3名のまま館林へ。館林駅ホームで無事Y岸氏と合流して、一行は4名に。しばらく乗り換え時間があるので、いったん改札口を出てみましたが、結局駅前広場から駅舎を見て、また買い出しをしたくらいで、東武佐野線葛生行に乗車。車内は結構空いています。
 佐野を過ぎると、太田までは、私には乗車している車両の種類含めて今夏に乗車したときのコピーのようなもので、特に何ということでもありません。車窓には北関東の枯野が広がっているのが違いでしょうか。定刻に葛生到着。ここでもしばらく時間があり、どうするのかな、と思ったら、U竹氏の発案、というか、U竹氏はほとんどそれ目的に葛生に来た、としか言い様がない話ですが、某セメント工場のなるべく近くまで行ってみることにしました。かなり急いで歩きましたが、往復の時間考えるとかなり怪しくなってきたので、U竹氏を除く3名は、葛生保育園の向こうにセメント工場を撮影することで妥協しました(結果)が、U竹氏は一人保育園の向こうまで撮影に走り、思い通りの撮影ができたようです。U竹氏の執念を感じました。帰路は線路沿いに歩いたので、少し余裕を持って葛生駅に到着。ホームの駅案内に「産物」とあり、”セメント・ドロマイト・石灰・肥料(炭酸カルシウム)・採石など”とあるのが、なるほどという感じです。館林行がガラガラなのを幸い、今度はワインで乾杯。
 館林からいったん西小泉へ行って東小泉へ戻り、太田へ出て、東武桐生線の赤城行に乗車。赤城駅の構内は、うっすら雪化粧していました。ここで、いったん東武鉄道と別れて、上毛電気鉄道に乗り換え。ホームで上毛の職員が、”着駅精算券”を配っていました。
 停車中の西桐生行に乗車し、交換列車を待って発車。渡良瀬川を渡って西桐生到着。硬券入場券を購入し、これまた年代物の駅舎を見て、桐生駅へは徒歩移動。
 桐生駅手前で、わたらせ渓谷鐵道の折返し間藤行となるらしい単行のディーゼルカーがやってきたので、買い出しは後回しにして、でも、1日フリー切符と、乗車区間の運賃をしっかり勘案して間藤までの片道切符を購入して、ホームへ。幸い、ディーゼルカーには空席も多く、通路を挟んで転換クロスの座席を倒して2ボックス確保してから、駅キオスクで買い出しして、また乾杯。
 大間々で多少乗客の入れ替わりがありましたが、やはり座席は空いたまま、右手に渡良瀬川の渓谷を眺める山間部へ。思ったより雪が多く、雪見酒を楽しみつつ、温泉のある水沼で下車が少しあり、兵站が切れてどうしよう、と言っているうちに、神戸(ごうど)へ。ここでも少し下車がありましたが、ありがたいことに4分停車、構内にある、車両利用の”レストラン「清流」”で無事補給もできました。ところが発車時刻になっても発車する様子がなく、ワンマンカーの運転士に確認すると、この先の信号の不具合(だったと思います)でしばらく停車する、停車時間も不明とのことで、まあのんびりした話です。そこで、趣のある駅舎を撮影しているうちに、発車を知らされて、車内へ。約9分遅れでした。
 列車は草木ダム付け替えに伴う草木トンネルに入り、地元の女子中学生がトナカイの角をつけて車内ではしゃいだり、となかなかのんびりしたものです。それでも、終着間藤ではほぼ1分の遅れ、と、なんかえらく余裕時分が設定されてました。
 さて、その終点間藤。足尾本山へ続いていたはずの線路は途切れ、小さな駅舎の中には、ここは間藤「時刻表2万キロ」の終着駅との掲示とともに、故・宮脇俊三先生の年表や、「時刻表2万キロ」の該当個所のコピー、几帳面な字で書かれた自筆原稿のコピーなどが掲示されていました。
 折り返して通洞下車。ここで小1時間時間があるので、小腹が空いたことでもあり、駅近くの若竹食堂なる店へ。400円なりの中華そばを頼み、ビールと日本酒を頼むと、食堂のおばちゃんが、「昔の鉱員さんは、うちの中華そばを肴にお酒を飲んだものよ」とのお話。中華そばは盛りもたっぷりで、店のたたずまいといい、鉱山町らしいというか、往時を彷彿とさせるものでした。
 食堂を出て、酒屋を見つけたのでついでに買い出しを考えたのですが、なんとストーブがついているのに店内に人がいません。しょうことなしに買い出しはあきらめて、しょうことなしに足尾銅山観光の方角へ。展示車両や、たまたまやって来た現役の人車(もちろん観光用ですが)を眺めてから、銅山観光前のバス停へ。ガラガラの足尾町営バスに乗車。
 バスは私たち一行を別にすればガラガラでしたが、間藤駅前には10名くらいの乗客が。町営バスは、間藤駅からいったん足尾本山方向へ入ってから再度間藤駅に戻り、日光へと向かうので、このとき乗車はしませんでしたが、これだけでもいったん通洞へ戻って正解、というものです。赤倉、というバス停で折り返し、幸い、「しばらくはいいですよ」とのありがたい運転手のお言葉があったので、ありがたく、旧足尾精錬所町営バスを撮影。間藤駅前から先ほどの団体が乗車して、バスは満員となり日足トンネルへ。私は間藤駅前を出てすぐ眠ってしまい、気がついたら日光市内の清滝でした。
 バスを東武日光駅前で下車して、暮れて来た中をJR日光駅へ。よく考えれば終点まで乗ってればよかったわけですが。東武日光駅へ戻りながら、宴会用の買い出しをして、下今市へ。ここでも駅前で多少の買い出しをしてから、真っ暗な中、鬼怒川温泉へ。駅前は完全に凍結していて、遠出も面倒だったので、駅前のホテルニュー岡部で外来入湯。ここで最後の買い出し、と思いましたが、空いている店もほとんどなく、駅前のよろず屋風のコンビニ(ここも営業は19:00まで)で、ビールのみようやく確保して、スペーシア車中へ。
 時間もあったので、ガラガラの車内を歩いてみましたが、内装の塗りムラも目立ち、駅前のわびしさも伴って、なんとも鬼怒川温泉の凋落、というものを考えさせられます。
 それでも私たちの最後は”スペーシア”個室での宴会で、これは実に快適。愉快に2時間飲み食いして、東京へと戻りました。やはり帰路が安楽、というのは、譲れない一線であります。乗車距離など考えても、結構な忘年会でした。今回もそこそこよくできたプランだったと思います。
 それにしても、2006年3月20日からは、足尾町〜鬼怒川温泉のある藤原町までが新たに日光市となるわけで、実に面積広大ですね。
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