2005.08.17(Wed.)-2005.08.19(Fri.)
2005.08.17(Wed)
東京(羽田)8:30−(NH243/TG6031)→10:15(10:10)福岡
福岡空港10:53−(035313)→11:06赤坂
西鉄福岡12:00−(A121・特急)→12:12二日市
二日市12:16−(6121)→12:22太宰府
太宰府12:57−(6122)→13:02二日市
二日市13:13−(A131・特急)→13:29久留米
久留米13:38−(7512)→14:18西鉄甘木
甘木14:46−(142)→15:12基山
基山15:15−(4149M・快速)→15:27鳥栖
鳥栖15:39−(4018M・特急・ハウステンボス18号)→16:00博多
博多16:06−(479C)→16:12天神
天神南16:22−(186)→16:46橋本
橋本16:52−(201)→17:16天神南

2005.08.18(Thu.)
赤坂6:11−(084702)→6:13天神
天神6:19−(074304)→6:25博多
博多6:38−(134M)→8:22門司港
門司港8:30−(4323M・快速)→8:37門司
門司8:41−(5232M)→9:38宇部
宇部9:50−(1430M)→10:00宇部新川
宇部新川15:19−(1439M)→15:31宇部
宇部15:50−(3376M)→16:56徳山
徳山17:15−(2242D)→18:28岩国
岩国18:34−(1582M)→19:19横川

2005.08.19(Sun.)
広島5:43−(1830D)→7:49三次
三次7:50−(1724D)→9:31府中
府中9:34−(240M)→10:15福山
福山10:17−(5345M・快速・シティライナー)→10:50三原
三原11:17−(2・山陽商船・高速船)→12:06明石
明石13:05−(9・山陽商船・フェリー)→14:33(14:38)今治
今治15:12−(541M)→15:36菊間
菊間15:43−(1140M)→17:32伊予寒川

 家族を先に四国に帰していましたので、今年もまた四国まで、気ままな一人旅です。
 羽田からの飛行機は、どうせなら降りたことのなかった空港に行くと面白かったのですが、初日の宿泊などから考えて結局福岡空港へ。で、特段時間は決めていなかったものの、早起きして出発すればいいようなものなのですが、前日はU竹氏と飲みに行ったため、前日に旅の準備など何もできず、当然にそれほど早く出ることもできず、でしたがそれでも京急で羽田空港に到着したのは7:50くらい。大分飲んだ割には早かったというべきですが、福岡まではいくらでも飛んでいるし、空いているならの何でもいいや、ということだからできた話ではあります。
 第2ターミナルビルについては、来たことはあっても利用は初めてです。到着したところで、直近の福岡行にNHとTGのコードシェア便があるのに気がついて、早速チケット購入。すぐに搭乗口へ向かいましたが、機材は期待していたTGのものではありませんでした。隣の搭乗口にいた、那覇行のポケモンジェットを横目に出発。定刻より5分早く福岡到着。よく晴れています。
 福岡空港ターミナルをしばらくうろついてから、地下鉄の1日乗車券を買って、今宵の宿のプラザホテル天神最寄りの赤坂へ。まずは荷物を放り込んでから、西鉄福岡駅へ。考えてみれば、西鉄に乗車すること自体、今日が初めてです。
 西鉄福岡駅で西鉄時刻表を入手してから、特急に乗車。転換クロスシートになっているだけに、1人で座ってしまえばとても楽です。なかなかの快調な走りっぷりで二日市到着。ここで太宰府行に乗り換え。多少鄙びてはきましたが、それでも住宅地の中を通って太宰府駅到着。ここですぐ折り返してもよかったのですが、まあせっかくだし、と太宰府天満宮へ。宝物殿まで見てから太宰府駅へ戻り、また二日市へ出て特急乗車。今度は結構混んでいて、扉横の座席に座って西鉄久留米到着。ここで西鉄甘木行に乗り換えです。ワンマン運転の車内は、案外混雑していました。
 福岡方向へ戻り、宮の陣駅で下り線を乗り越えて宮の陣到着。ここからはずいぶんとローカルムードとなります。無人駅も多いのですが、そこそこ乗降もある中をのんびりと走って、西鉄甘木駅到着。狭い駅は高校生で一杯でした。
 ここから甘木鉄道の甘木駅へ歩くのですが、近いはずなのに、西鉄の駅前ではどうも見当がつきません。しばらく駅前をうろうろしてもラチがあかないので、駅から左手のちょっと広い通りに出てみると、すぐにあたりがつきました。少し歩いただけで、西鉄の駅よりはずいぶんと立派な甘木鉄道甘木駅に到着。集札窓口はなく、物販の店と本社兼旅行センターみたいなものが入っており、旅行センター(?)で硬券入場券の有無を聞きましたが、「ここはいつでも入れるからねえ」と、なんとも商売っ気のないお言葉です。駅構内にはすでに基山行が発車を待っていましたが、まだ時間があるので、構内の車庫留置線の車両を見たり、古レールを見たり、なるほど某鉄道だ、などと考えているうちにようやく発車時刻。ディーゼル単行の車内はずいぶん空いたままです。が、駅間は短く、しかも駅毎にそこそこ乗車もあり、高速道路横の高速バス停至近なんて駅もあるんだ、と感心しているうちに西鉄小郡駅最寄りの小郡駅で目立つ降車が。それでも乗客は増えて、基山到着
 さて、ここからは後を考えれば素直に博多に戻ればよいのですが、帰省のお土産に中央軒の焼麦が欲しかったので、一旦鳥栖へ。焼麦を買い込んで、遅い昼食にかしわうどんを食べて、今日はどうせ18きっぷじゃないし、ということで、特急ハウステンボス号で博多へ。車内は混雑していましたが、どうにか喫煙車に座席を見つけて座ったと思ったらもう博多。
 実のところ、可能なら西鉄津屋崎線にも乗車したかったのですが、これは次回以降回しと決めて、地下鉄で天神へ。で、今年2月に開業したばかりの地下鉄七隈線天神南駅へ歩いたのですが、これが遠い遠い。優に一駅区間ありますね。七隈線自体は地下鉄ですから、車窓の感想などあるはずもなく、橋本到着。単に乗っただけ、という話ですが、まあそれはそれで。バスでもすぐにあるようなら筑肥線の駅かどこかに出てもいいか、とも思ったのですが、見当がつかないので天神南へ引き返しました。往路の際はそれほどには思わなかったのですが、薬院−天神南の間って、ものすごい急カーブですね。
 天神南から歩いていったんホテルへ戻ってから、I井氏と水鏡天満宮の横丁の店で落ち合って飲み。サバと、お酒では日本酒”海賊”、焼酎では”銀の水”が美味しかったです。どうもありがとうございました。このあと、天神−赤坂間をもう一回乗車してからホテルへ。さすがに明確な時刻は覚えていませんでした。
 翌日もかなり早起きして、地下鉄赤坂駅へ(こう書くと千代田線みたいですな)。最初、津屋崎へ行こうか、と一瞬思ったのですが、やっぱり考え直して博多へ出て、門司港行に乗車。津屋崎まで行ってからタクシーか何かで福間へ戻る手はあったかもしれませんね。門司港行は博多発車の時点ではガラガラでしたが、当然途中駅から乗車が多くなり、しかも案外乗り降りがあって、という状況でしたが、古賀付近からは明らかに乗車が目立ってきて、北九州市内ではまず黒崎で降車が目立ち、小倉でどっと降りる、という感じでした。ガラガラになって門司港到着。ここは駅舎と構内を見るだけでもかなり楽しめるのですが、すぐに折り返して門司へ。ここからは新山口行に乗車。小郡じゃなく新山口、というのもなじみがありませんが、ロングシート、というのがまた何ともです。朝食がまだだったので、下関駅の駅そばをあてにしていたら、まだ営業開始前。どうしようもありませんね。宇部へ出てから、宇部線に乗り換えて宇部新川へ。ここで、以前の上司に車で迎えに来ていただいて、現勤務先におじゃましていろいろとお話を伺い、昼食までご馳走になってからまた宇部新川へ送っていただきました。また宇部に戻って、山陽本線で今度は徳山へ。よく考えると、宇部ー新山口間は初乗りです。
 徳山からは岩徳線経由の岩国行に乗り換え。最初は単行かと思っていましたが、1両増結されての2両編成で、車内もそこそこの乗車率でした。櫛ケ浜からは岩徳線ですが、駅を出てからの分岐ではなく、すでに駅構内で、岩徳線ホームと山陽本線のホームが分かれていました。櫛ケ浜から先は当然ローカル区間で、ところどころ結構な渓谷もあるのですが、なんというか、車窓には道路がじゃま、という感じですね。乗り心地はともかくとして、切り通しの区間では線路際の木の小枝みたいなものが窓にあたる場所もあり、これは頂けませんでした。錦川鉄道との合流地点の森ヶ原信号場まで来て、岩徳線は乗りつぶし達成、となりました。暗くなってきた岩国からは広島を目指して乗車。よく考えれば、岩国−宮島口間も初乗りで、私は中国〜九州というエリアは、本当に未乗車区間が多いですね。宮島口から先、横川までもほとんど30年ぶりでした。
 最初は広島駅まで行こうと思ったのですが、どのみちホテルまでは広島電鉄市内線利用なので、横川で下車。乗り換えた車両は、旧京都市電でした。このあと、いったんホテルに荷物を置いて、乗り継ぎ制度を利用して乗車したのが新車のグリーン・ムーバーで、新旧両方の車両に短区間でも乗車できたのはうれしかったです。前回とは違い、今回は”みんみん”という、”広島風つけ麺”の店に行きましたが、今度はまずまずと思いましたです。壁に「500号お待たせ」みたいな、なんか落書きがあるなあ、と思っていたら、横に清原選手のポラロイド写真が貼ってあり、日付は4.29でした(清原選手のプロ通算500号本塁打は、2005.4.29に広島市民球場で達成したみたいですね)。清原選手の直筆なんでしょうかね?やはり壁には、西武の選手(確か、背番号21番だったかで、後で確認したら21番なら石井貴投手でしたがあまり自信はありません)のサインもあり、「王選手に本塁打では勝てませんが、ボトルの数では勝ちます」みたいなことが書いてありました。ホテルへ戻ってラウンジへ行くと、広島市民球場がよく見えましたです。
 翌朝もとにかく早起きして、タクシーで広島駅へ。芸備線の三次行に乗車しますが、思っていたよりは混雑していました。沿線は、1駅目の矢賀を出て、新幹線の車両基地と別れてしばらく行くともうトンネルがあり、ローカルムードが漂います。戸坂を過ぎると、左手に大田川が。川を挟んで向かいは可部線のはずですが、堤防で対岸は見えません。川に沿った狭い平地を上りながら、安芸矢口、狩留家、志和口で広島行と交換。いずれもかなりな乗車率でしたし、志和口では上り列車を待つ客でホームが一杯でした。志和口を出るとさらにローカルムードが濃くなり、井原市を過ぎてようやく広島市内から出ると、甲立−上川立間ではトンネル工事らしきものが行われていましたが、何かで芸備線の付け替えでもやるのでしょうかね。徐々に減っていた乗客が、今度は少し増えてきて三次到着。到着ホーム向かいの府中行に乗り継ぎ。
 乗り継いだ府中行きは高校生で一杯でしたが、塩町から福塩線に入り、吉舎に到着するとその高校生はどっと下車してガラガラに。カーブも急になり、速度も上がらずだんだん山に分け入っていく感じになり、よい感じです。備後矢野は、駅舎がそば屋になっているようで、機会があれば立ち寄ってみたいものです。やむを得ないとはいえ、芸備線は塩町−備後落合間が未乗車で残ってしまいましたしね。さて、福塩線の列車は山間部を抜け、ようやく開けてきたかな、という感じのところで府中到着。ここからは電化区間で、到着ホーム前方へ歩いて福山行乗車。ロングシートの車内に、駅毎に乗客が乗ってきて、福山到着。ここでも急いで広島行に乗り継ぎ。車内は満席で、ここは立っていくことに。尾道から先が初乗車区間でしたが、糸崎で乗務員交代をやっていて、ああ、拠点はここなんだなあ、と思ったのと、海側に旧日本セメントの工場を見たくらいで、三原到着。これで、山陽本線の未乗車区間は、倉敷−福山と三原−広島となりました。
 三原駅で、昼食用の駅弁”たこめし”を買い込んで、駅前の通りを港へ。何パターンか乗り継ぎを考えていたのですが、まずは大崎下島の大長港行の高速船に乗ることにして、大崎上島の明石港までのきっぷを購入。三原港を出た高速船は、さすがなかなかのスピードで、右手にちらちらと呉線を見てから、本州と離れ、大久野島と大三島の間を通って、大崎上島へ。途中乗降のない大久野島と、木江一メ目港は、速度を落として近づいただけで通過。なんかもう、バスみたいですね。明石港に到着した高速船は、すぐに終点の大長港へ向けて出港していきました。
 さて、明石港は小さな待合所があるだけで、周辺を少し歩いてみましたが、Aコープのスーパーと、小さな青果店と郵便局があるだけのところでした。明石港に戻り、硬券風の乗車券を買って、今度はフェリーに乗船。大崎下島の大長港(これがややこしいことに、大長(小長)と書いている場合もあるんだけど、場所は同じか違うのか?)に立ち寄ってから、”安芸灘オレンジライン”という名の広域農道の中の瀬戸大橋をくぐって、岡村島へ。ここは、以前は関前村だったんですが、いまは今治市なんですね。”しまなみ海道”の来島海峡大橋を見ながら、約5分遅れで今治港到着。
 別にバスでもよかったのですが、シャッター通りと化した商店街を歩いて今治駅へ。駅の手前で急に夕立が。慌てて上りに乗ってもいよ西条から先がないので、いったん下りに乗車。雨は大西付近で上がり、菊間駅へ。すぐに対向列車で折り返し。今度は伊予亀岡付近から雨でしたが、大西付近で上がりました。伊予寒川まで戻ると、カミさんが子供と一緒に待っていました。雨はここでは降っていなかったようでした。
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