2003.08.13(Wed.)
観音寺10:54−(12M・特急・しおかぜ12号)→11:57岡山
岡山12:22−(3185A・ひかり185号)→13:03広島
広島13:45−(1239D)→15:32加計
加計15:48−(241D)→16:19三段峡
三段峡17:21−(250D)→17:45加計
加計17:59−(252D)→18:56可部
可部18:57−(794M)→19:39広島
2003.08.14(Thu.)
広島6:48−(573A・こだま573号)→7:03新岩国
御庄7:12−(521D)→7:56錦町
錦町8:02−(528D)→9:01岩国
岩国9:10−(543M)→11:23小郡
小郡11:49−(1841M〜1433M)→12:50宇部
宇部13:03−(3549M)→13:45下関
下関13:52−(5559M)→13:58門司
門司14:08−(2336M)→14:15門司港
門司港15:10−(関門汽船)→15:15下関(唐戸)
唐戸15:23−(バス・サンデン交通)→下関駅前
下関15:43−(237M)→15:57小倉
小倉17:40−(28A・のぞみ28号)→22:26東京

 実家へ帰省して、家族をしばらく田舎へ残したので、その東京への戻りを利用して、久々の一人旅です。今回は義父母の還暦祝いで、前日から琴弾荘という旅館に宿泊していたので出だしは観音寺から。広島で宿が確保できたので、初日はとりあえず可部線乗車だけは決めていたのですが、何やかやで出足も遅くなり、瀬戸内航路を使わずに新幹線利用でまず広島へ出ることにしました。高速船利用なら瀬戸内航路も使えたのですが、それでは甲板に出ることもできずあまり面白くないので、実のところはフェリーを使いたかったのですが。
 観音寺駅では、新しいプラットホームが建設中でした。駅本屋に直結するようです。本日も帰省ラッシュの一つのピークだったらしいのですが、岡山までは逆方向だったのか結構空席もあり、岡山からもやはり余裕を持って着席できました。どちらも乗車した自由席車はちょうど半分くらい埋まっていましたが、2人がけの座席を占有できました。
 さて、お目当ての可部線ですが、広島へ新幹線経由としたので、三段峡到着は1本早い(つまり2時間以上早い)列車に間に合い、加計行きの2両編成の直通ディーゼルカーに乗車できました。横川から可部線に入って、可部までは、さすがにああ、元買収国電だなあ、と思わせる駅間距離と沿線風景でした。
 可部を出ると、本年11月末で廃止が予定されているらしい非電化区間に入りますが、多少谷が詰まっただけで、あんまり変わらないなあ、と思っていました。ところがわずか一駅、河戸を過ぎただけで、いきなり渓谷の風景になったのには驚きました。電化区間ほどではないにせよ、相変わらず駅間距離はそれほど長くはないのですが、まあ車窓は完全なローカル線のそれで、延々と太田川に沿って谷を詰めていき、少し大きな集落ごとに駅があるという感じです。あと、ずいぶん線路際にお墓が目立ちました。それも、「倶会一処」あるいは「南無阿弥陀仏」などと墓石に書いてあって、派手な飾りが横に立っていたものが多く珍しかったです(帰ってから調べたら、これ、真宗のお墓の特徴らしいです)。お盆のせいか、飾りを手に持って歩いている人も結構見かけられました。小河内までは広島市内ですが、とてもそうは思えない山奥で、広島市も奥が深いという感じです。やがて、多少谷が開けたかなあ、というところが加計でした。それでも、駅前の建物は谷沿いのわずかな平地にへばりついているようでした。
 加計から乗り継いだ三段峡行きは単行で、やはり川沿いに谷を詰めていくのですが、逆に、加計までの区間に比べて谷が広くなっていた感じがしました。それでも逆にトンネルが多いのには、建設年代の新しさをうかがわせるものがありましたが、逆に言うと、車窓としては面白くない、ということになりますね。
 終点の三段峡は、故 宮脇俊三先生の”時刻表2万キロ”には、「広河原とでも言いたいところ」と書かれていたように覚えていますが(帰宅後確認すると、正確には「広河原とでも名づけたいような開けたところ」)、それでも谷は詰まってきていて、駅前の道はすぐに車両行き止まりとなっていました。その道の先を少し遡ってみましたが、駅はあくまで三段峡の入口ということのようで、歩道は渓谷を橋で渡って、あとはハイキングコースのような山道になっていました。
 さて、駅から下流側には集落が形成されていましたが、駅前にはC11 189号機が静態保存されているほか(詳細は別館こちらを参照)、バス停があり、あとは上流方へ向けて旅館や食堂や土産物屋が数軒並んでいるだけでした。その駅前の旅館に、「三段峡温泉」とあり、可部線利用者は500円を300円に割り引くサービスを行っていましたので、一風呂浴びてみましたが、実際には温泉ではなく鉱泉の沸かし湯でしたが、適度な時間つぶしにもなりましたし、まあよいか、というところです。それにしても、駅前の食堂の幟に”三段峡名物 ダッタンそば”とあったのは、いかがなものかという気がしました(本当にそんなもの、このあたりで栽培しているとは思えないんですがね)。
 帰路の加計行きは、往路の折り返しでしたが、ハイキング客が結構乗車して、車内はほぼ満席で、早めに乗車していて正解でした。加計からの列車が2両編成で、座席に楽にありつけたのはやれやれでした。
 日も落ちて雨がパラつきはじめた可部からの電車は4両編成。逆方向でもあり車内はガラガラでした。大町でアストラムラインに乗り継いでついでにこちらも全線乗りつぶそうかとも思いましたが、すでに外は暗くなっていたので、そのまま広島へ。ところが確保したホテルが、なんのことはないアストラムラインの県庁前駅直結で、これならば乗っておけばよかったかとも思いました。
 夕食は、”広島風つけめん”というのを食べてみようかと、ホテルで聞いて出かけましたが、何というか、微妙な味でした(店の選択を誤った?確かに、ホテルのフロント氏は「私は食べたことがないのですが、聞いたことはある」みたいなことを言ってましたし)。夏向きの食べ物とは思いますし、まずいというわけでもないのですが。教えてもらった店が流川通りの近くだったので、ついでにしばらくうろうろしてみましたが、ススキノなみに客引きがうっとうしかったです。
 そのまま市内電車のある間にホテルへ戻りましたが、ホテル周辺が官庁街ということもあり、どうも夜が遅いのは流川周辺だけ、という印象を受けました。
 ホテルでつらつら考えてみると、広島市内はおろか広島県内に宿泊するのはたぶん産まれてはじめて、この前広島駅で降りたのも、おそらく母親と妹と小学校時代に来た、宮島日帰り以来のように思います。ここまで考えて、実は香川県内で宿泊したのも昨日がはじめてであったことに気づいたのでした。高松駅前で始発を待って夜明かししたのは、泊まったとは言わないでしょうからね。
 あんまり眠れないまま朝になると、雨は本降りになっていました。市電の電停まで歩く気も起きなかったので、タクシーで広島駅へ。駅に着くとちょうど、下関行き特急あさかぜ号が入線してきました。広島周辺は、昨日の可部線以外だと30年近く前に広島ー宮島口間と宮島航路に乗ったことがあるだけだし、どこへ行ってもほとんど初乗りなのですが、”時刻表2万キロ”の連想から、今朝のトップバッターは”ひかりレールスター”8両編成のこだま573号としました。
 新岩国到着後、急いで下車、案内表示を頼りに錦川鉄道の御庄駅を目指します。新幹線の高架に沿って屋根が設けられており、なるほど一応は連絡通路のようです。いったん錦川鉄道の線路の下をくぐり、階段を上がったところが御庄駅のホームでした。この連絡、JTB時刻表欄外の案内には”300m、7分”とありましたが、距離はもう少しあるような気もしたのは、やはり”時刻表2万キロ”の影響でしょうか。それにしても、時代が違うにせよ東京駅の京葉線ホームと他線区の乗り換えよりよっぽど近い(東京駅は、八重洲南口から京葉線ホームまで500mあったはず)ので、御庄と新岩国を同一駅にしなかったのは、岩日線(当時)を廃止したかったから、ということになるんでしょうな。その連想でいくと、津軽線蟹田−三厩間の将来が不安ですが。
 ”時刻表2万キロ”では、この乗り換えを「みじめな方法」と書いてあったと思いますが(帰宅後確認すると、これは私の完全な記憶違いで、原文は「御庄で降りて、新岩国駅へなんとかたどりつくしかない」、赤谷線、魚沼線乗車後上越線へ乗り継ぐに際しての記載と完全に混同していました)、私の場合は夜ではなく朝でしたが、雨の中、新幹線からローカル線への乗り換えでしたからまあ確かにうらぶれた雰囲気ではありました。
 やってきた錦川鉄道線は単行で、先客は乗りつぶしらしき1名のみでした。列車は錦川に沿って谷を詰めていきますが、昨日の可部線に比べるとずいぶんとスピードが出ています。こちらの方が民家が少ないためかどうか、川に沿いつつもトンネルが多いためなのかも知れませんけれども。そんなに建設年代は変わらない(加計ー三段峡間の方がむしろ新しいはず)し、勾配もそんなに違うとは乗っている分には思えないのですが。ずっと右手にもやのかかった錦川を眺めつつ、乗客は私を含めて4名になって錦町到着。水墨画の風景というのがずっと続きました。
 錦町駅には、岩日線の未成区間(岩日北線)の一部を、遊覧バスが3往復しているとの掲示がありました。往復700円だそうです。まあ、未成区間の利用法なんてそんなにありませんからねえ。
 硬券入場券を買って相変わらずの篠つく雨の中をすぐに乗ってきた車両で引き返します。まさに風景は巻き戻しですが、錦町発車時点で乗客が到着時の倍程度にでも増えたことは慶賀の至りですな。御庄の手前まで来ると、新幹線と新岩国駅は大変目立ちましたが、なんとはなし、もっと草深い感じに思いこんでいたのはやはり”時刻表2万キロ”を読んでイメージをふくらませすぎていたようです。御庄を過ぎ、いつの間にか岩徳線と合流して川西到着。これで錦川鉄道完乗ですが、そのまま岩国へ。岩国到着時にはほぼ座席が埋まっていましたし、途中駅で降りる客がいたのにも少々驚きました。
 岩国からは雨の中をまた中国山地方向に行くのもなあ、と考えて、結局山陽本線の下り小郡行きに乗車しました。が、雨で視界が効かないのは変わらず、藤生から柳井港にかけての瀬戸内の風景は、改めて晴天時に見たいものだと思いました。徳山では19分停車。用を足しにいったん改札を出て戻る際、駅員に18きっぷに必要ないのに間違って入鋏印を、それも券面の関係ない場所に制止したのに押されてしまい、「もう押してありますよ」と言うと「ああっ」と言っただけで、謝りもしないという事態に遭遇してしまいました。やれやれです。徳山を出ると、コンビナートを左に見て、富海の手前からまた晴れた日に改めてと言いたくなる海岸風景を眺め、防府を通って小郡到着。
 小郡からは、宇部線の中でまだ乗車していない小郡−宇部新川間に乗ってしまうため、宇部線を選択しました。単行の電車は立ち客も出る盛況ぶり(単行だから?)でしたが、一駅ごとに下車していったのにも少々驚きました。阿知須で予想通りかなりの下車がありましたが、乗車してくる人もかなりいて、案外と乗客が入れ替わります。丘陵地帯を淡々と進んだ列車は、常盤付近で少し海を望むことができましたが、そのまま市街地に入ってしまいました。宇部岬の手前あたりから山口宇部空港を探したのですが、結局見つけられないままに宇部新川到着。ここから宇部まで(と小野田線全線、山陽本線宇部−厚狭間、美祢線厚狭−南大嶺−大嶺間)は、以前に乗車したことがあります。宇部線全線を乗り通して今回気づいたのは、駅員がいても集札を行っていないことでした。
 雨が小降りになり空が明るくなってきた宇部からはまた山陽本線下りに乗車。やってきた電車は2両編成で、そのためかかなり混雑しています。埴生を過ぎたあたりでは対岸の九州が望めました。だんだんどんづまりへ進んでいる感じがしてきて、右手に日本海もちらりと望むことができました。
 下関からは行橋行きに乗り継いで門司へ。関門トンネルをはじめてくぐって(いままで九州との行き来には、新幹線か四国からのフェリーか飛行機か、という手段しか利用していなかったので)門司到着。雨は上がっていました。ここで乗り継ぎ時間を利用してチェックしてもらったところ、最終とその1本前の東京行き”のぞみ”にはかなり空席があることが判明して一安心。乗り換えて門司港へ向かい、結局門司港駅で最終1本前の”のぞみ”を押さえてしまいました。
 さて、”九州鉄道記念館”ですが、この大安の8.08にオープンしたばかりで(帰宅後知ったのですが、8.08のオープンは台風10号のおかげで8.09に繰り延べられていたようです。ちなみに8.09は赤口)、しかも旧盆と重なったためか、かなりの人出でにぎわっていました。そんなに奇をてらった展示はありませんでしたが、2階の床面が一部ガラスになっていて、そこから1階のレイアウトが見えるのは面白いと思いました。あと、来年デビュー予定の九州新幹線の”かもめ”号のイスが展示されていましたが、これがアームレストや背もたれの裏側にふんだんに木材を使ったシートで、なかなかシックでよい感じでした。運転シミュレータはさすがの混雑で1時間以上待ちとなっており、これは屋外のミニ列車運転と同じくらいの待ち時間のようでした。そのミニ列車、車両もJR九州の車両をミニ化したもので(ちなみに画像は883系ソニックと813系のすれ違い)、数名乗車できるためか、家族連れの利用が目立ちました。
 静態保存車両としては、正面ゲート側から順に59634、C59 1、EF10 35、ED72 1、キハ07 41(画像その1その2)、クハ481-603、クハネ581-8、セラ1239と展示されていましたが、私が一番興味のあったキハ07 41には、8.09、8.10と車内に傷をつけたタワケがいたらしく、車内公開が中止になっていたのは残念でした(電車も同じく車内公開中止)。また、何故かセラ1239の側面へは仕切が置いてあって回れませんでした。記念館中央ゲート前には、旧0哩標と旧門司駅の駅名標が設置されていました。
 記念館を出てもまだ少し時間があるのでどうしようかと考えて、門司港レトロの観光ではなく、唐戸行きの渡船に乗って本州へ戻ってみました。当たり前ながらさすが関門海峡は潮の流れが早いと感心しました。着いた先の唐戸には水族館(海響館)もありましたから、なるほどこれなら家族連れでも結構楽しめそうに思いました。
 再度九州へ渡り、今度はそのまま小倉へ。もう一本早い”のぞみ”のキャンセルが出ていないかと思いましたが、そううまくはいかず、結局予定の”のぞみ”で帰路についたのですが、土壇場で、禁煙車通路側を喫煙車3人がけ窓側に変更したところ、最後まで隣が空いていたので楽は楽でした。相当にタバコ臭くはなりましたけど。かなりできあがった品川新駅ホームを横に見て、東京到着。覚悟していた分それほど疲れずに済みましたが、クロスシートの空いた昼間の普通列車ならばまだまだ乗車したいところです。
 新幹線を別にすると、本日の本州内での乗車区間中、乗車経験があったのは宇部線宇部新川−宇部間と山陽本線宇部−厚狭間のみでしたから、ずいぶん乗りつぶし距離を稼いだ格好になります。が、岡山以西はまだまだかなり残っているので(山陽本線だけ考えても、倉敷−福山、尾道−広島、宮島口−岩国、小郡−宇部と残っています)、これでも後の楽しみがまだあると言うべきなんでしょうか。この2日間で一番画期的だったのは、一人旅をしていながら一滴もアルコールを口にしなかったことかも知れません。
総目次 2003年の鉄道旅行
最近の鉄道旅行へ